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2018年11月23日 (金)

「「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢」

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本多一夫、徳永京子著
ぴあ2018年

あの本多劇場など8つも劇場を下北沢に作った人物の聞き書き。まさに小劇場時代から現在に至る演劇史の一端を覗き見る気分である。
映画俳優を目指すも失敗→飲食業界で大儲け→劇場作りへ情熱を傾ける、という波乱ありまくりな半生に驚く。
本多劇場については、演劇の劇場と音楽ホールは音響が全く違うということが書いてあって、大いに頷けた。どっちつかずは音楽と演劇双方から困るのよ~。

しかし、巻末の役者たち(錚々たるメンバー)のインタビューにちょこっと名前が出てくる酒井裕子というスタッフの人が、かなり重要な役割を担っていたのではないかとうかがえるのだが、その人への取材はない。

あと個人的には、インタビューに登場している人たちが、古田新太を除いてあまり見ていないのが我ながら意外だった。これでも一時期は週に3回芝居見てたりしたんだけどね……。
確かに下北だけであの時代の演劇が回っていたわけではない。私がよく見ていた劇団は下北をベースにしていたのではなかったのだろう。
何も知らずにこの本だけ読むと、劇団はみんな下北を目指していて運動の中心体みたいな印象を受けてしまうかも知れない。
それと夢の遊眠社は当時絶大な人気があったが(今も人気あるけど)、私はああいうタイプの芝居が全くダメで、受け付けない体質だった。そういう個人的な事情もある。

一方で、当時あった他のホールが結構なくなってしまったという話にハッと思った。シアター・トップス、青山劇場・円形劇場などなど--やはり継続しているというのは大変なことである。同時に自治体による公立ホールが増えてきて状況の変化があるという。

下北沢にはもう何年も行っていない。あそこで一番行ったのは多分ザ・スズナリだろう。また行くことがあるだろうか。


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