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2018年12月

2018年12月31日 (月)

後悔と停滞の2018年

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2018年は暇(&気力)がなくて映画の3割ぐらいとコンサートの一部はブログに書けなかった。困ったもんであるよ。
ブログといえば、よく読みに行ってた他の人のブログが幾つも突然消えてしまう案件が続いて驚いた。長いこと更新なしというわけでもなく、何の前触れもなく消滅というパターンである。(最悪、死亡という可能性もあるが、そんな何件も起こらないよね)
アクセス数が低下という理由だろうか。それだったらこちらのブログなんて超低空飛行過ぎて、果たして読んでる人がいるのか(?_?)というぐらい……


【映画部門】(見た順)
他の人が絶賛している作品で、期待して見たらどうにも気に入らなかったというのが何本もあった。やっぱりひねくれ者かしらん。

『女の一生』
公開は2017年末だけど、大目に見てやってくだせえ。

『ブラックパンサー』

『ハッピーエンド』
ハネケにしてはユルイ感じ。年齢ですかね。

『ラブレス』
どこの国もそれぞれに不幸なのは変わらず。ズビャギンツェフ快調です。一本選ぶならこれだろう。

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

『私はあなたのニグロではない』
今年はドキュメンタリーも結構見た。その中で一番迫力あり。字幕だと内容に追いつけねえ~。

*『恐怖の報酬 オリジナル完全版』

《次点》
『ザ・ビッグハウス』
『インクレディブル・ファミリー』

これ以外にも「アルドリッチ祭り」や「2001年宇宙の旅」再上映があって誠にメデタイ限り。

*男優賞:ウィレム・デフォー(『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
2019年はゴッホもあります
*女優賞:イザベル・ユペール(『エル ELLE』、『ハッピーエンド』)
この手の役柄やらせたら第一人者。ジェシカ・チャスティンが追撃中。
*ベスト・カップル賞:マルクスとエンゲルス(『マルクス・エンゲルス』
萌えます萌えます
*監督賞:ラウル・ペック(『私はあなたのニグロではない』『マルクス・エンゲルス』)
ほぼ同時に日本で2作いっぺんに公開されたからには、やはり監督賞に値するだろう。
*最優秀姐御賞:オコエ姐さん(『ブラックパンサー』『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』)
*最凶悪役賞:ショーン(『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
羊の……ぢゃなくて「自称元諜報員。実際はニートで童貞」の人物。『アベンジャーズ』のサノスを退けて堂々の悪役ぶりである。
*髪型賞:フランシス・マクドーマンドの後ろ頭(『スリー・ビルボード』
*最凶邦題賞:『女は二度決断する』
2019年分は既に『ビリーブ 未来への大逆転』に決定済みである。
*ちゃぶ台ひっくり返し賞:『スリー・ビルボード』
この賞は、見終ってあまりの内容に思わず「なんじゃ、こりゃ~。観客をなめとんのか!」(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン と、ちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になった映画に与えられる栄光ある賞である。(あくまでも個人的見解です!


【コンサート部門】
「サイモン・スタンデイジと仲間たち」
「ジュリアン・マルタン氏を迎えて」(木の器)
LFJ「中世の伝統歌 1」「 〃 2」(アンサンブル・オブシディエンヌ)
「秘めたる悲しみ ド・ラ・リューの世俗音楽」
「フライブルク・バロック・オーケストラ mit キャロリン・サンプソン」
「ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI」
「ウリッセの帰還」(北とぴあ国際音楽祭)

古楽以外ではブルース・コバーンのライヴでドタバタしてしまった。台風さえ来なければ、JRが電車止めなければ……後悔の嵐 このあおりを食ってKATTでのウースター・グループの来日公演「タウンホール事件」を見損なってしまってクヤシサ百倍増し。この後しばらくウツウツとして過ごした。


【録音部門】
*アンタイ兄弟「バッハ フルート・ソナタ集」
*ガッティ&アレッサンドリーニ「クロスドレッシング・バッハ」

*ミシェル・ンデゲオチェロ「カヴァーズ」
*アルタン「ザ・ギャップ・オブ・ドリームス」


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「ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI」:嵐を呼ぶガンバ

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フォリアとカナリオ~旧世界と新世界
会場:浜離宮朝日ホール
2018年11月22日

前回はケルトものプログラムで来日したサヴァール、今回は16世紀スペインの宮廷で奏でられた舞曲を取り上げた。
前半と後半、カルロス5世時代とその息子フェリペ2世の時代と分けている。登場するはフォリア、パッサメッツォ、グラウンド、ファンダンゴ、カナリオなどなど。南米で採譜された曲もあるとのこと。

メンバーはサヴァールに加え、お馴染みアンドルー・ローレンス=キング、ヴィオローネのハビエル・ブエルタス--と、この3人は古楽系だが、残りの2名ハビエル・ディアス=ラトーレ(ビウエラ、ギター)とダビド・マヨラル(パーカッション)は民族音楽系なのだろうか、どっからこんな人連れてきたという感じだった。

二人ともサヴァールの方をじっと見ながら、即興でサポートしていたもよう。しかもその演奏がただモンではない。前半はラトーレ氏が中心、外見はそこら辺のオヤジさんだが弾けばスゴ腕、目にもとまらぬ指使いなのであった。
もう一人のマヨラル氏は後半に見せ場(聞かせ場)を設定、といっても派手にタイコを叩きまくるというのではない。フォリアでサヴァールのバスガンバと、カスタネットで掛け合いを演じたかと思えば、別の曲ではタイコのバチ二本をこすり合わせ(?)何やらヌルヌルとしたリズム(そう形容するしかない)を奏でたのであった。こんなの初めてでビックリだぁ~。

サヴァールも負けじとバスとトレブル2種で極限のテクニックを披露し尽くした。前半の終曲ではものすごい速いパッセージを弾きまくり、後半では超微細高音でもうこれ以上高くは出せねえ(>O<)と断言できるほどのテクニックを聞かせたのであった。
ロン毛の怪しい人といった風情のA・L・キングは、気候のせいかハープの調律にかなり手間取っていた(三分の一ぐらいの時間は調弦してた?)。彼も即興で弾きまくっていたもよう。
全体的に宮廷の音楽という先入観を覆す、野性味あふれる躍動感と洗練さの高度なハイブリッドなコンサートだった。

アンコールはケルト風の静かな曲だった。一曲だけだったが、三鷹公演では二曲やったらしい、むむむ(~_~メ)

この時期はコンサート・ラッシュで、この日もファジョーリの初台公演と重なっていた。土曜日に三鷹でもやるから、どれだけ客が来るのかと思っていたらほぼ席が埋まっていた。さすがサヴァールである。
会場でディスクがバンバン売れていて、オペラのDVD(かなりの値段)まで含めて完売していたようだ。
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2018年12月26日 (水)

「僕の帰る場所」:ロスト・ボーイ 幻の故郷

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監督:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ
日本・ミャンマー2017年

若い監督の第1作目。実話に基づいて日本で難民認定申請中のミャンマー人家族を描く。夫婦と息子二人の4人家族で、そのうち母親と二人の子どもは実際の家族だという。4人とも役者としては完全に素人でそのままの役柄で起用している(劇中の名前も同じ)。

夫は民主化活動が原因で日本に亡命してきたため帰国はできず、密かに不法就労で生活費を稼ぐしかない。しかし不安定な生活ゆえ、妻の方はウツウツとして毎日を過ごすのだった。
遂に妻は夫を東京に残し、息子たちを連れてミャンマーに帰る。しおれた植物のようだった彼女は実家に戻って生き生きと蘇る。
しかし、日本語しか話せず小学校生活になじんでいた長男は反発するのだった。

ミャンマーのワイザツで活気に満ちた街は少年にとって、自分の国にもかかわらず異文化に他ならない。
実家での会話は全く理解できず、生活様式も違う。風呂はシャワーだけ、しかも水しか出ない。こりゃキツイ。どうにもできない子どもはつらいよ、大人もつらいけど。

そのような日常と変化の日々が淡々と描かれるのだった。
子どもと母の会話はとても演技とは思えない。そりゃ、実際の親子だから当然といやあ当然なんだけど……(@_@;) ドキュメンタリーと見まがう作りである。そうなると是枝監督作品を想起するだろう。

ただ、そこから一時だけ幻想の世界の門が開く。長男が雑踏で出会う謎の少年たちはモノノケかアヤカシか妖精ではないのかな。そんな風に思えた。
となると、ラストシーンで突然ファンタジーの世界へなだれ込んでいく『フロリダ・プロジェクト』も思い浮かぶ。
あの映画も主役の女優さんは半分素人のようだった。類似性に、影響を受けたのかしらんと思ったが、編集に2年半もかけたとのことで(キューブリック並み)たまたま似たらしい。日米で同じような問題が進行しているのか。
いかなる子どもであろうとそこにいる限り、国は保護する義務があるはずなのだが。

ということで、是枝作品や『フロリダ~』を好きな人にはオススメだろう。
難点は「素材」に頼り過ぎというところか。ドキュメンタリーとフィクションの境が曖昧な作品なのだからだから意図的だろうけど。
監督は現在ミャンマーに在住とのこと。実家のおじさんはタクシーをやっている設定なのは、たまたま実際に乗ったタクシーの運転手さんをそのまま起用したそうな(^O^)

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東中野のポレポレ坐は久し振りに行った。朝日新聞に二度も紹介されたのだけど、平日の昼間のせいか、観客は映画ファンより難民問題に興味を持っている人がほとんどだったようだ。
短い時間でも宣伝しようと、プロデューサーと出演者(日本人の役者さん)がアフタートークに来ていた。


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2018年12月22日 (土)

「Vox Poetica(ヴォックス・ポエティカ)詩的な声」

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会場:ハクジュホール
2018年11月15日

ヴォックス・ポエティカはソプラノ佐藤裕希恵とリュート&テオルボ瀧井レオナルドの二人組ユニット。これまで欧州で活動していたが、日本に帰国&移住(瀧井氏は日系ブラジル人3世とのこと)を記念してコンサートを行った。

前半はモンテヴェルディやストロッツィなどの歌曲とド・ヴィゼーを始めとするテオルボの独奏曲を交互に。
簡潔にして清楚な中から静かに情念が流れ出す。瀧井氏のテオルボは繊細の極みで、これ以上大きな会場だったら絶対無理と確信したくなるほど。ただ気候が乾燥していたせいか調弦が大変そうだった。

後半はチェンバロの桒形亜樹子がゲスト参加して、カヴァッリやカリッシミなどのカンタータやオペラ作品から。印象は一転して劇的なものに変わった。
特に最後のヘンデル「アルミーダ」からの2曲は、怒涛のような激情を表現して見事なものだった。字幕に歌詞だけでなく、オペラのあらすじが出るのも効果満点でありましたよ
お手並み拝見なノリで聞きに来たが、独仏伊語の言語が異なり、かつ様式も違う歌曲を歌い分けて、完璧なソロデビューを果たしたと言えよう。

なお、途中でピットーニという作曲家の「室内ソナタ」が演奏されたけど、これがテオルボソロにチェンバロの通奏低音がつくという曲。この編成は珍しい(!o!) こんなのあるんだとビックリした。

若い二人に期待してか会場は満員御礼 佐藤氏はエクス・ノーヴォ合唱団にも参加してるし、これからの多岐にわたるご活躍を期待しておりますよ(^^)

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2018年12月18日 (火)

「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」

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著者:デイヴィッド・グラン
早川書房2018年

米国の先住民保留地での殺人--というと映画『ウインド・リバー』を思い浮かべるが、この本は1920年代初めが発端となる。オクラホマで起こった不可解な事件を取り上げたドキュメンタリーである。
オセージ族という部族の、ある年老いた母親とその娘たちが殺人・事故・病気などで亡くなっていく。それを発端として彼女たちだけではなく、白人の配偶者や関係者までも不可解な死や事故に至る。果たして関連はあるのか?
重要なのは、オセージ族が非常に裕福であるということだ。住んでいた土地を追い出され、辺鄙な保留地をあてがわれたのが、なんとそこから石油が出たのだ。そして、その利益を分配される権利を保持していたからである。となれば、財産目当ての犯罪の可能性は十分ありうる。

探偵社の調査員が雇われ、新聞がゴシップもどきに騒ぎ始め、創設されたばかりのFBIが捜査に乗り出す。その後長きに渡り長官を務めるフーヴァーは、前世紀の遺物っぽい保安官的な者ではなく、捜査官として法執行官らしい地味なダークスーツを着用し、地域とのしがらみのない人物を求めたという。あの、映画やドラマに登場する画一的イメージはそういうことだったのか。なるほど(@_@;)

一連の事件の犯人に関しては、優秀なベテラン捜査官の活躍によって挙げることはできた。
が、しかしこの本の著者はさらに公文書館に足を運び(文中の記述の出典がどの文書によるものか、全て細かく注が付いている)、当時密かに行われた恐ろしい犯罪を新たに発見したのであった。ここら辺はミステリ小説のような驚きと恐怖に満ちている。

そもそも当時のオセージ族は大きな財産を持っていても、自由に使うことはできなかった。先住民には必ず資産後見人が付いてその人物が全て管理していたのだ。なぜそのような制度がつくられたかというと、先住民は半人前でまともに金を使う能力がないとされたからである。そして、その莫大な富に多くの白人が群がったのだ。

まさに米国近代史の大いなる恥部 著者は過去の大量の記録をひたすら調べることによって、それを掘り起こしたといえよう。


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「運命は踊る」:冥土の道にも検問あり

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監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ
イスラエル・ドイツ・フランス・スイス2017年

前作「レバノン」はなかなかの衝撃作だったので、期待して行った。

三幕物みたいな構成になっている。
冒頭、兵役(イスラエル軍)に行っている息子が死亡したという通知を両親が受け取る。いきなり母親が倒れて、それ以後の場面は見てて非常に気分が悪いものだった。
通知を持ってきたのも若い軍人なのだが、ぶっ倒れてヒクヒクしている母親を勝手に寝室に引きずっていく(どうして寝室の位置が分かるの?)。夫に何も聞かずにいきなり勝手に注射を打つ(普通、アレルギーあるかとかダンナに聞くよね)。その他色々あり。

こんな乱暴なのがイスラエル軍の通常のやり口でそれを批判してるのか、それとも監督がわざとそのように描いているのか、画面を見ているだけでは判断できない。

続いて「第2幕」は時間が戻って息子の軍隊生活が舞台となる。その任務が荒野のど真ん中、一本道の検問所で通行車をチェックするだけで、退屈極まりない。
この部分は、同じく波風一つ立たない静かな戦場を描いた前作を思わせる不条理さである。ここまでダラダラと退屈な任務だと、通行者に嫌がらせするぐらいしか楽しみはない。
荒野と空、トレーラーなどの色彩の対比が美しい。

3幕目はまた家族の家に戻る。お決まりの和解劇である。正直なところ、もうこういうのは(人間関係を壊して→くっ付ける)いい加減にしてほしいと思った。グダグダした作りで眠くなってしまい、蛇足としか思えなかった。

どうせなら、面白かった2幕目だけでやってくれればよかったのに。
父親の職業は建築家という設定で、住んでるアパートが心象風景と一致しているというの点はかなりズビャギンツェフっぽかった。
ただ、父親を辛辣に描いたアニメを挿入したのは、全体からみると唐突で意味不明。結局何を描きたかったのか最後までよく分からなかった。
これがヴェネチア国際映画祭で高評価なのかと疑問に思った。


全くの余談だが、日本で徴兵制が行なわれない理由として「現代の兵士には専門的技術が必要だから、一般の人間じゃ役に立たない」というのを見かけたのだが、検問みたいな任務なら専門技術って要らないんじゃないの(?_?)


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2018年12月13日 (木)

「響きの森」:酸欠に注意

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演奏:戸田薫、平尾雅子、平井み帆
会場:旧古河庭園・洋館
2018年11月13日

毎年この時期になると、北とぴあ国際音楽祭関連で旧古河庭園でコンサートが行なわれる。今年はブクステフーデだった。

彼の「ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのための7つのソナタ」作品1と2からが演目である。途中に平井み帆による同じ作者のチェンバロ・ソロ曲が入った。
ブクステフーデは北ドイツ出身、中・南独地方では聞かれない(ありえない?)名前らしい。同じ北独でガンバを数多く作った製作者一家と近い家系で、そのせいか珍しいガンバの入ったソナタを作曲したのかも……などというウンチク話が平尾雅子から披露され、一同フムフムと聞き入ったのであった。

さらに平尾氏の使用するガンバは1669年作のもので、後に一度チェロに直したものを解体してガンバに戻したものだそうな。

以前からブクステフーデのソナタはちょっとひねくれているというか素直でないという部分があると感じていたが、平井氏が似たようなことを語ったので激しく同意であった。
ある時は躍動的、またある時は激情型、その「変」な部分も含めて3人は鋭く熱のこもった演奏を聞かせた。
一方で、チェンバロ曲は一切ひねくれた部分のない素直な作風なのだから不思議である。

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彼の肖像画についても面白い話があった。←この絵画の左側でガンバを弾いているのがブクステフーデ、隣で鍵盤弾いているのがラインケンということになっているのだが、平尾氏はそれはどうも怪しい、鍵盤を挟んで反対側にいる男の方がブクステフーデではないかと疑っているそうな。

会場は洋館の一室で、あまり広くない部屋に90人近くがギュウ詰め。パイプ椅子は旧型で幅が狭い。換気設備もないようだから室温が上がって部屋内の空気も悪くなってしまった。なんだか水面で口をパクパクしている池のコイになった気分

↓外の庭園では秋バラが見られました
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2018年12月 9日 (日)

「カペラ・デ・ラ・トーレ」:昔の管楽器で古い曲を吹けば

会場:武蔵野市民文化会館
2018年11月4日

このグループ全く知らなかったのだけど最近、中世・ルネサンスもので海外から来日するのは珍しいので、とりあえず行ってみた。

編成は、テオルボとオルガン、パーカッション以外は管楽器が6人という珍しいもの。ルネサンス期では標準だというのは知らなかった。リーダーはショーム吹きのカタリーナ・ボイルムで、さらにゲスト歌手でマーガレット・ハンターというソプラノが加わっていた。

プログラムは水・気・火・地の4つのパートに分かれて、それぞれ一、二曲器楽だけの演奏が入るというものである。
ランディーニ、トロンボンチーノのようなルネサンスものから初期バロックのモンテヴェルディまで世俗曲、宗教曲、舞曲など様々であった。

女性のコルネット奏者の演奏が極めて柔らかな音で、ソプラノの歌声と溶け合うようなのには驚いた。これまで、あんなコルネットは聞いたことがない。
また、モンテヴェルディの「西風が戻り」という歌曲はこれまで何度か聞いたがいずれもバロックっぽい演奏である。しかし、弦ではなく管楽器ばかりだと俄かにルネサンスっぽく野蛮になるのが面白かった。
どの曲も楽器の響きを十分に堪能できた。アルト・ショームって初めて見た(聞いた)\(◎o◎)/!

器楽曲の「パッサメッゾ」では二人のトロンボーンの片方が、途中から即興でジャズっぽいフレーズを吹いたのは笑ってしまった。そしたら打楽器のおじさんがすかさずそれに呼応したリズムを叩いたのだった。
この打楽器のバウアー氏、ところどころで笑いを取っていた。最後にアンコール曲で客へ手拍子を教える時に、タンバリン(←でいいのか?)で自分の顔を隠すように端っこを口で咥えながら叩いて、大いにウケた。

リーダーのボイムル氏も、私にも分かるぐらいの極めてやさしい英語で曲や楽器を紹介してくれて、好感度大

曲と楽器は古いが精神は新しい 楽しくしかもハイレベルの演奏で大満足できた。
彼らは、この公演の後に大阪で「聖母マリアの晩課」をやったらしい。うらやましい、うらやまし過ぎるぞ!(^^)!

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2018年12月 3日 (月)

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」:ノー・モア・チャンス 試験戦線異状あり

監督:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
タイ2017年

珍しやタイ製映画である。もっともこの少し前に、象を連れて歩く男の映画(やはりタイ作品)をやっていたので、そんなに珍しくないのか。(本作で父親役をやっている人が主演)
しかも、あらすじだけ聞いたらどこの国の映画でもおかしくはない内容である。それどころか一見しただけではどこかも分からない無国籍ぶりになっている。

頭は非常に良いが家は裕福ではない少女が、特待生となって金持ちの子弟ばかりの進学校に入る。ここで良い成績を取れば海外留学できる資格を得られるのだ。
なんたる皮肉なことか金がなければ頭が良くて勉強がいくらできようと、学問の道には進めない。一方で、財力もあり親から「勉強して良い大学へ行け」と言われる子どもは学問にも自分の未来にも全く興味はない。 

主人公は出来の悪い同級生やそのボーイフレンドに試験中に答えを教えてやり、さらに他の成績不良の生徒相手にビジネスとして逆カンニングすることになる。
そこにもう一人やはり同じく貧しい特待生の男子が登場する。

真に貧富や階級の差を背景に、持つ者と持たざる者をシビアに描いた作品である。しかも、着想やカンニング場面のハラドキ具合はサスペンスものとしてもかなりな出来だ。

ただ、この逆カンニングは最前列に座った者には使えないのではないかという疑問が頭から離れなかった。それと留学試験の監視員がまるでターミネーターみたいにコワくて思わず笑ってしまった。
その後半のカンニングのシステムはかなり大掛かりでよく考えられている。それを考えたのは友人とBFなんだけど、そんな知恵があるなら別に進学しなくても起業家としてやっていけるんじゃないの(^^?)なんて思っちゃった。

中心となる4人を演じる若い役者たちがルックスも良ければ演技も良し 特にヒロインのチュティモン・ジョンジャルーンスックジンはモデルもやってるそうで、柳のような長身。しかもキリッとしている。街を歩いていたら思わず振り返っちゃう。
それと友人役の女の子も、若い頃の薬師丸ひろ子っぽい可愛さ。作中では私、頭悪いし~とか言ってる役柄だが、こちらも勉強よりアイドル養成学校に行ってスタアを目指せ、と言いたくなるぐらいだ。

お見それしましたタイ映画(^^ゞ 世の中が不公平なのは万国共通、沈む者は永遠に沈みっぱなしで這い上がれないというのが身にしみた。
ラストの「校歌」には爆笑してしまった。
欠点は、音がデカ過ぎること。音楽や打ち込みの効果音みたいなノイズ自体はいいんだけど、ちとうるさかったですよ。あともう少し短く編集してくれればよかったんだけどねえ……。

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