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2019年1月

2019年1月23日 (水)

「贖罪の街」上・下巻

190123
著者:マイクル・コナリー
講談社文庫2018年

刑事ボッシュ・シリーズの18作目である。
前作の事件で定年前にロス市警から停職処分を受けて、ただ今係争中のボッシュ。異母兄弟の弁護士ハラーから冤罪とおぼしき案件を調査を頼まれる。しかし弁護士側の調査員になるのは、元警官としては最も軽蔑されることとされていた。

悠々自適の毎日を送ろうと決心したはずが、目の前に事件をぶら下げられて揺らぐ主人公である。
「向こう側」へ渡るか渡るまいか最後まで悩むが、事件が俺を呼んでいる、いや自分が事件を欲しているのか--と、転がり出した石を止めることはできない。

冤罪事件の謎解きと並行して、弁護士側に付いた事を裏切りと見なされ非難を浴びることや、悪徳警官の非情な所業など、これぞ警察小説といった要素もたっぷりと描かれる。
警察ものが好きな人なら読んで損なしのオススメ本である。

ここしばらく何冊か海外の犯罪ミステリを読んだけど、やっぱりね、比べてみると段違い。コナリーは描写といい構成といい遥かに高水準なのをヒシと感じる。

一点問題あるとすれば、とある人の鍵の開け方だろうか。あんなんで開けられちゃって安全面はいいの

そういや一足先に定年引退したイアン・ランキンのリーバス警部シリーズ(スコットランド警察)があるが、やはりこちらでも主人公は定年後もウロウロと事件の周囲をかぎまわって邪魔者扱いされているのであった。
互いに作中で相手の小説に言及し合っているので、影響を及ぼし合っているのかも。共時性ってやつか。いずれにしろ「刑事は三日やったらやめられない」職業なのは間違いないようである。

さて、中心の事件に直接関係ないが、当時の前カリフォルニア州知事が引退する最後の公務で卑劣な行為を行ったことを、ボッシュが憤っている場面が出てくる。

前知事は超人的なヒーローを演じるのを得意にしていた映画スターだった--(中略)いまや彼はハリウッドに戻り、ふたたび映画スターになろうとしていた。だが、ボッシュは彼の出演した映画を--たとえTVで無料で見られるものですら--二度と見ない、とかたく心に誓っていた。

これって、シュワルツェネガーのことだよね。フィクションとはいえ、ベストセラー本となって多くの人が目にする中で公然と非難しているのは大したもんである。

次作では、彼はLAとは別の市で無給の嘱託刑事になるという。ということはボランティアなのだろうか? そんな役職があるんだ。
いずれにしても続巻は今年前半に訳されるとか。楽しみ早く読みたいっ(^o^)丿


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2019年1月22日 (火)

「諸国の人々」:ワンオペ受付出現

190122
演奏:石橋輝樹ほか
会場:近江楽堂
2019年1月6日

今年最初のコンサートはこれだった。
タイトルだけ見ると「今年もまだまた続くよクープラン」みたいな印象だったが、実際のプログラムを見ると、クープランは最後に一曲のみ(といっても長いけど)で、マラン・マレを3曲に他はリュリ、ボワモルティエなどフランスバロック名曲選といった趣だった。

演奏者は4人、フルートの石橋輝樹、野崎真野の若手組とガンバ品川聖、リュート佐野健二のベテラン組の合体アンサンブルという感じだった。
ボワモルティエでフルート・デュオすれば、マレはガンバ&リュートで応戦する。全員で一体の世界を奏でるというより、それぞれの組が互いに技を繰り出し、その後にラスト「諸国の人々」で協力して盛り上げていた。

珍しかったのはJ・C・ノードという作曲家のトリオソナタ。なんとハーディ・ガーディが中心となって活躍する曲である。野崎氏がこの楽器のソロを担当し、その音はひなびた印象だが、マレみたいな曲調の中で果敢に弾きまくるのでビックリした。ハーディ・ガーディは登場した最初期には教会で使われていたというのも意外だった。
場内好評につき急きょアンコールで再登場したのであるよ(^^)b

他にはリュリの「アルミード」からのパッサカリアは、元々チェンバロのヴァージョンで引かれることが多いらしいけど、リュート独奏で珍しい。雅な響きがよかった。
タイトルとなっているクープランの組曲を全員で演奏して終了。普段聞いている録音だと鍵盤が入っていることが多いので、またちょっと違った味わいであった。

さて、開場の時に受付担当が一人しかいなくて、なんとお客がもぎり役をかって出るという珍事が発生した。(知り合いの人らしいけど) メール予約や当日購入の人もいるから、ワンオペ受付はちょっと無理でしょう(^^;


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2019年1月17日 (木)

「バーバラと心の巨人」:ウサ耳付けても心はホラー

190117 監督:アンダース・ウォルター
出演:マディソン・ウルフ
米国・ベルギー・イギリス・中国2017年

原作はグラフィック・ノベルとのこと。
海辺の町に住む孤独な少女が、迫りくる巨人とたった一人で戦う。ただし、その巨人は彼女にしか見えないらしいのだが……。

これってモロに『怪物はささやく』ではないですか(!o!) 映画は見てないが原作を読んだ。
『怪物』の方は主人公の少年は小学生高学年ぐらい?だったと記憶しているが、そのあたりの年齢なら巨人を信じていても納得できるが、こちらは高校生ぐらいだからちょっと無理がある。
そのせいもあってか、現実と幻想の境界が曖昧としていく恐ろしさの描写がうまく行っているようには見えなかった。本当ならゾクゾクするような迫力があっていいと思うのだが。
主人公の観点からホラーファンタジーのように描くか、友人から見たリアル視点そのままにするかどちらかに寄った方がよかった。
また、邦題がネタバレではないかという意見もあり。(原題は「私は巨人をぶっ殺す」)

保護者代わりのお姉ちゃんは働くのに忙し過ぎて構ってもらえない。兄は自分勝手。そういう寂しい境遇の女の子に共感する人には向いているかも。
あと、主人公はウサギの耳を付けた不思議女子。何やら風変わりでカワイイ小物を防壁のように自らの世界の周囲に置いている。その手のスタイルに憧れる女子も多いだろう。

学校カウンセラー役のゾーイ・サルダナと、くたびれた姉役のイモージェン・プーツが手堅く好演であった。

ところで一つ疑問なんだけど、最初の方に兄が友人とゲームして騒いでいる場面があった。でも、あの状況でやりますかね?……(@_@;)

 

 

 

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2019年1月16日 (水)

「大貫妙子 Welcome to my garden 2018」

190116
会場:キリスト品川教会グローリア・チャペル
2018年12月18・19日

二日目の19日の方に行ってきました~(^^)~ 
通常のアコースティック・コンサートでの常連、金子飛鳥率いる弦楽カルテットに加え、サックス四人組トルヴェール・クヮルテットもゲスト出演でクリスマスらしく豪華度アップであった。サックス四本というは初めて聞いたが、なかなかの迫力だった。
個人的には「幻惑」を久しぶりに聞けた(多分)のも嬉しかった

最後の曲が終わった後の拍手の中で、なんとター坊が泣きだしてしまうハプニングがあった。「えええ?どうしたの(?_?;」と当惑した空気が会場に流れた。
アンコールの拍手でステージにまた登場してきた時に、今年最終のコンサートだったので、無事に終わってホッとしたせいで涙が止まらなくなった--というような説明が彼女からあった。
ただ私見であるが、途中で歌詞を度忘れしてしまうというアクシデントがあったのが、どうも理由の一つではないかと思えた。その時、こちらも聞いててあっと驚きドキッとしてしまったというのが正直なところである。

彼女がそう話した直後に、すかさず客席の男性から「ター坊!あなたはいつだって最高だよ」みたいな掛け声(ちょっとうろ覚え)がかかったのがよかった。客席にホッとした空気が流れて拍手が起こったのだった。

個人的にはコンサート用に使用するメガネ(度が強い)を家に置いてきてしまい、ショボーン(´・ω・`)であった。
あと、コンサート途中でまたもスマホの着信音鳴らした奴がいた 曲の合間だったので、派手な着メロが長々と会場の教会に響き渡った。ター坊がすかさず「メールですか」と尋ねたりして会場爆笑。
事前にスマホケータイ停止しろというアナウンスあったのにさ。それから、なぜすぐ止めぬ? 中高年は止め方を知らない人がいるというけど本当に分からないのか。不届きものめ(~_~メ)神罰が下るぞ。

会場の教会は二十年ぶりぐらいに行った。教会とはいえ、トイレの個室が二つしかないのは勘弁してくれい

大貫妙子で、クリスマスの時期に聞くのにいいような曲を集めたアンソロジー作ってくれないかな。絶対買う&売れるぞ~。
昔、多重録音で讃美歌みたいなコーラスの曲があったと記憶している。確かマイナーなレーベルの企画ものコンピレーションで、カセットでしか出なかったはず。あれも入れて欲しいな。

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2019年1月13日 (日)

モンテヴェルディ「ウリッセの帰還」:神々の長ーい時間

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北とぴあ国際音楽祭2018
指揮:寺神戸亮
演出:小野寺修二
会場:北とぴあ さくらホール
2018年11月23・25日

モンテヴェルディのオペラ、『ポッペア』や『オルフェオ』は生で過去に何回か観たがこの演目は初めてである。

セミ・ステージ方式ということで、オーケストラは舞台の上に乗っている。もっともその配置はかなり変わっていて、基本、弦と管が分かれて左右奥に不均衡に並んでいる。その間を縫うように歌手が現われて前方で歌と演技をするという次第(第2幕では配置が変わる)。一番奥にいた鍵盤担当の上尾直毅は、あまりに奥にいたので上演中姿が全く見えなかった。
簡単な装置があって、男女二人のダンサーが動かして場面を作っていた。左右の袖にモニターが舞台に向けて置いてあって何かと思ったら、前方に歌手が出てくると指揮が見えないので、寺神戸亮の方を映していたのであった。

物語はいわゆる英雄ユリシーズの話で、長い冒険の果てに故郷に戻ってくるが何やら周囲をウロウロとしてすっきり帰れない。神々が背後で関与しているとはいえ、妻は妻でしまいには名乗った夫をニセ物だと頑なに拒否る始末。これはもしかして長年の恨みと復讐なのか(?_?)
日本人としては、やはり最後には印籠を取り出して「ええい、この方を誰と心得る。ウリッセ様であるぞ」「へへーっm(__)m」(一同土下座)ぐらいやってくれんと、スッキリしないのであった。

演出は押しつけがましいところや大げさなところがなく、ちょうどいい具合だった。女神ミネルヴァが自転車乗って現れたり、求婚者たちが弓を射る場面では影を使ったりして、チョコチョコと笑わせてくれるのもよい。
それと王宮に居座る求婚者たちが完全にセクハラモードになっているのが面白かった。妻のペネローペをニヤニヤ笑いしながら卑猥な目つきでジロジロ見たり、ペタペタ触ったりもう
キ モ い っ
の一言である。

ペネーロペ役の湯川亜也子は長丁場を堂々と見事に歌い切りました ミネルヴァのクリスティーナ・ファネッリという人は初来日らしいが、若々しくて元気さを振りまく。北とぴあ常連のフルヴィオ・ベッティーニは完全にコメディ・リリーフで大いに笑わせた。
忘れてならないのは、セクハラ求婚者軍団のリーダー格を演じた小笠原美敬。キモい上に厚かましい、もうイヤ~~っ(>O<)と叫びたくなるほどの悪役振りだった。お疲れ様でした

それにしてもモンテヴェルディのオペラ他二作比べて、なんだかやたらと長さを感じさせる作りなのはどういうことか。特に第一幕が長い。最初の方で男女がイチャイチャと愛の歌を歌い交わすのが、良く呑み込めなくて、長い歌の終わりにようやくペネーロペの侍女とその恋人だと判明するのはどうなのよ。

上演が少ないのも分かるような気が……。過去には二期会が短縮版をやったらしい。今回はあえて完全版上演にこだわったとのこと。
何せ休憩2回入って4時間15分ぐらい。隣にいた夫婦は、終演予定時刻を見て第3幕見ないで帰ってしまった。

唯一の難は会場の北とぴあが完全に多目的ホール仕様で残響が少ないので、古楽向けではないこと。ムムム、無念である(T^T)
がしかし、これもすべて北区民の皆様のありがたーい税金によるものであります。文句など付けられないのである。
もう、マジに北区に足を向けて寝ていませんっ

次回はヘンデル「リナルド」とのこと。誰が演出やるかなあ。北区民の皆さん、またよろしゅうお願いしま~す(@^^)/~~~
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2019年1月11日 (金)

「ブルーバード、ブルーバード」

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著者:アッティカ・ロック
ハヤカワ・ミステリ2018年

黒人テキサス・レンジャー(当然、極めてまれな存在)を主人公としたサスペンス・ミステリ。
舞台となるのは二つの人種が緊密に隣り合うテキサス州の田舎町である。常に接触はしていても混ざり合うことはほとんどない。そんな軋轢の最前線と言える。

河に流れ着いた二人の男女の死体が、主人公の捜査に伴ってその内実をさらけ出す。双方の人種の、互いの愛情と憎悪がもはや表裏一体となっていることを。分かれているのに別れがたい。
その境界ギリギリの淵、ブルースの名曲と共に人種のエッジがこすれ合う音が聞こえてくるようだ。

犯罪捜査や暴力描写に全く問題ないが、男女の描き方がちょっと他のハードボイルド味の作品とは違うなと思ったら、作者は女性だった。最後まで気付かず。おまけに、TVドラマシリーズ『Empire 成功の代償』のプロデューサーの一人だって
ただ毒母の存在をさりげなく描くのは、やはり女性かと後から思ったりもした。男だったら、ああいう描き方しないよね。


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2019年1月10日 (木)

バッハ「クリスマス・オラトリオ」:暮と正月同時体験

190108
演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場
2018年11月24日

BCJの「クリオラ」はこれまで2回聴いた。第4部と、5部を省略して演奏した時と、さらにその以前に年末と新年に2回分けてやった時(まだ米良氏がいた頃)である。

今回はその2回分を一度にやるということで、盆と……じゃなくてクリスマスと正月が同時に来たようなプログラムである。当然、普段のカンタータ公演よりも時間が長くなって、15時開演なのが終わった時には夜となっていた。

オペラシティ公演もあったけど、いつものようにこちらの会場を選択。中規模ホールで音が良い。合唱もソリストの声もドドーンと迫力持って聞こえて、いい塩梅であった。

トランペット(穴あき)にホルン、ティンパニにオーボエは4人だし、チェンバロはマサアキ御大が担当に加えてオルガンは大塚直哉、などなど器楽大きめの編成で祝祭的な雰囲気を盛り上げた。

前半はカウンターテナーのアリアが多めで目立っていたけど、独唱担当のクリント・ファン・デア・リンデはなんだかムラのある歌唱で今一つのれず。この人、次回北とぴあ音楽祭の『リナルド』で主役に決まってるけど大丈夫かしらんと思ってしまった。

他のソリストについてはバスのイムラーは安定感抜群、テノールのワイルダーは最後のアリア独唱で見事に締めてくれた。ソプラノはハナたん、今回も美声にウットリもっと聞きたかったでーすO(≧▽≦*)Oキャ~ッ
終演後のサイン会はマサアキ氏しか出なかったけど、もしハナたんが来たらサイン待ちの列は倍の長さになったであろう

かように満足できたコンサートだったが、劇場のアンケートには施設面の不満なぞを書き連ねたりして 文化果つる地埼玉では数少ない良好会場なんですけどね……。


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2019年1月 5日 (土)

「2001年宇宙の旅」IMAX版鑑賞記

190105 国立映画アーカイブでの70mm版は見事チケットを取り損ねたので、代わりにIMAX版を見に行った。大きなスクリーンで見られるのもこれで最後かもと思ったのである。以前に行ったのは多分10年ぐらい前の新宿プラザでの最終上映だった。

実はIMAX自体、見るのが初めて。確かにスクリーン巨大だし、本編前にかかった予告の映像を見ると、鮮明だし立体感もかなりのもんだ。
事前にスクリーンに対して画面の比率はどうなるのか、などという論議があったが(設定によって端が欠けてしまう)、タテヨコ比はほぼ70mm版と同じ。色彩は記憶の中のオリジナルに近いものだった(と思う)。

行ったのは平日の昼間だったが、年寄りだけでなく各年齢層の人が来ていた。レディースデイのせいか若い女性も多かった。
昔は(今も?)「女は2001に興味を持たない」言説が横行していたが、これが間違いであることは明らかだろう。

上映手順はキューブリック指定通りに行われた。予告の後に黒画面でオープニングの音楽が流れ、休憩は15分。終了はやはり真っ暗画面で追い出し音楽が流れる。そこまで残って最後の白黒ロゴまで見ていた客は、さすがに十数人だった。
なお、私の記憶ではこの上映手順を守るようになったのは2000年代に入ってからではないかと思う。それまでは休憩もなかったし、オープニングとラストの音楽の時は客電が付いていて、私はてっきり劇場側がサントラを流しているのだとばかり思っていたのだ。

さて、映像が鮮明になることで却ってあらが見えるのではないかという噂があったが、確かにこれまで気にならなかったスクリーンプロセスとそうでない部分の差が分かるし、地球の映像も平坦気味に見えた。
でもロープとかワイヤとか余計なものはもちろん見えなかった。あ、当時からZ級SFだと見えてましたよね(^◇^)
一方でラストの寝台上の胎児の眼がかすかに動くのをようやく確認。もっとも、これは今まで私が注意不足で気付かなかっただけかもしれない。

残念ながらシネラマに比べて奥行や立体感に欠けていたように思う。これは多分、いま製作されるIMAX用の映画なら効果を発揮するのだろうと思うが、「2001」にはあまり効かなかったようだ。

音響は高音も低音もクリアで、そもそも音量が大きく設定されていた。意外にも音楽の弦の音が潰れて聞こえて、ノイズも感じられた。これはそもそも使われている音源が古いのだから仕方ないのか。それとも昔の映画館はそんなデカい音を出さなかったから、気にならなかったのかね。

字幕では問題の「ハルも木から落ちる」がやはり使われていた。オリジナル公開時とは異なっていて、なんでも2001年記念興行の際に新訳になり、その時から使われているそうだ。全くふざけている オヤジギャグと核兵器は地球上から殲滅したい。
ちなみに、少し後にNHK-BSで放映されたヴァージョンでは新しい字幕が付けられていた。確か女性の訳者だった。
HALがボーマンの絵を見ながら会話する場面も、これまでとは微妙に訳が違っていてこの時点のHALの意図も異なって感じられた。もう一度確認したかったが、録画してなかったので残念(ーー;)
ただ、このNHK版は色彩がかなり変わっていた(モノリスが紫っぽかった!)のでオススメはできない。

HALの意図と言えば、昔から「HALはボーマンに惚れていた」とか「嫉妬してプールを殺した」等の説は存在した。別に今に始まったことではない。柴門ふみが別名で某雑誌にそういうパロディマンガを描いていたこともある。まあ、それが一番手っ取り早い解釈だろうな……(*_*;

私が最初に見たのは(歳が分かるが)公開10年後のリバイバル時、テアトル東京でのシネラマ上映である。この頃のロードショー館は入替制もなく、自由席だったので、昼食用のサンドイッチと牛乳を持って午前中に入り、一日中繰り返して観るなんてこともやった。さっき右側から見たから今度は左寄りの席に行こう、なんて(^^ゞ

当時はHALが人間のような口をきくと会場から笑いが起こったものだ。今やAIが流行していて、時代は変わった。--というより時代が追い付いたのか。

今回あらためて気づいたのは、HALが情報を出力したのがパンチカードだったことである。そう言えば、光瀬龍のSFでも人間の情報がパンチカードで記録されていた。
今考えると、えーっパンチカード(!o!)となってしまうが、60年代末のTVシリーズ『プリズナーNo.6』ではコンピューターの出力は紙のパンチテープだった。そういう時代である。この手のメディアを予測するのはいかに難しいことか。『2001』で一瞬しか映らなかったのは幸運である。
それを考えるとフロッピーディスクの発明は画期的だったわけだが、そのフロッピーも若い人には「なんですか、それ?」物件だろう。

それから、思ったのは結構「分かりやすく」作ってあるということ。こう言うと、どこが分かりやすいと思うだろうが、取り上げてるテーマやメッセージは難解だが、その見せ方はそうではない。モノリスの場面は登場する度に同じ音楽が流れ惑星が直列し--とボーっと見てても何かが起こるというのが必ず分かるようになっていて親切なのだ。

それから、ラストのスターゲイトを出た後のホテル場面、ここは視線の切返しが重要になっている。ポッドの中のボーマンが外にいる自分を見た瞬間にそれまでの彼は消滅する。その後は毎回「見た側」が消える。この繰り返しである。
この「視線」は短いカットと同化している。最後にモノリスを見た彼は、モノリスから見返された時に胎児に変貌している。ここを長回しで撮らないキューブリックはダメだという意見を見たが、とんでもない。それまでと同様にカットの連続でつないでいかなければ意味がないのだ。
そして、ラストに胎児が見るのは地球--かとこれまで思っていたのだが、そうではなくスクリーン越しに観客の方を見たのだ。となれば、最後の最後に胎児は消滅して観客が残ることになる。なんたること、今頃気づくかよ(>O<)である。

次にIMAX版で見たいのはなんといっても『バリー・リンドン』である(そもそもデジタル化されているのか?)。「映画カメラマンに聞くイチ押しのキューブリック作品は?」というと、これが一位になるらしい。
あの、照明がローソクだけの場面を始め、映像がどんな風に見えるか。でも、興行的にはサエなかった作品だから無理でしょうな……。

 

 

 

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2019年1月 1日 (火)

今こそ聞くべき!古楽コンサート 1月版

また新しい年が来てしまいました。メデタクない

*6日(日)諸国の人々(石橋輝樹ほか):近江楽堂
*  〃  イタリアの香り(向江昭雅&平井み帆):近江楽堂
*7日(月)サンマルコ広場の音楽(リクレアツィオン・ダルカディア):近江楽堂
*10日(木)根本卓也チェンバロリサイタル フーガの技法:近江楽堂
*14日(月)ヘンデル オラトリオ「ソロモン」(ヘンデル・フェスティバル・ジャパン):浜離宮朝日ホール
*24日(木)魂の響き旋律の鼓動(高橋美千子ほか):近江楽堂
*  〃   バロック音楽の楽しみ(グラングレーデ):鶴見区民文化センターサルビアホール

21日にNHK-BSで佐藤俊介のバッハ無伴奏やりますね(^^)
これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報」(東京近辺、随時更新)もご覧ください。

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