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2019年1月 5日 (土)

「2001年宇宙の旅」IMAX版鑑賞記

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国立映画アーカイブでの70mm版は見事チケットを取り損ねたので、代わりにIMAX版を見に行った。大きなスクリーンで見られるのもこれで最後かもと思ったのである。以前に行ったのは多分10年ぐらい前の新宿プラザでの最終上映だった。

実はIMAX自体、見るのが初めて。確かにスクリーン巨大だし、本編前にかかった予告の映像を見ると、鮮明だし立体感もかなりのもんだ。
事前にスクリーンに対して画面の比率はどうなるのか、などという論議があったが(設定によって端が欠けてしまう)、タテヨコ比はほぼ70mm版と同じ。色彩は記憶の中のオリジナルに近いものだった(と思う)。

行ったのは平日の昼間だったが、年寄りだけでなく各年齢層の人が来ていた。レディースデイのせいか若い女性も多かった。
昔は(今も?)「女は2001に興味を持たない」言説が横行していたが、これが間違いであることは明らかだろう。

上映手順はキューブリック指定通りに行われた。予告の後に黒画面でオープニングの音楽が流れ、休憩は15分。終了はやはり真っ暗画面で追い出し音楽が流れる。そこまで残って最後の白黒ロゴまで見ていた客は、さすがに十数人だった。
なお、私の記憶ではこの上映手順を守るようになったのは2000年代に入ってからではないかと思う。それまでは休憩もなかったし、オープニングとラストの音楽の時は客電が付いていて、私はてっきり劇場側がサントラを流しているのだとばかり思っていたのだ。

さて、映像が鮮明になることで却ってあらが見えるのではないかという噂があったが、確かにこれまで気にならなかったスクリーンプロセスとそうでない部分の差が分かるし、地球の映像も平坦気味に見えた。
でもロープとかワイヤとか余計なものはもちろん見えなかった。あ、当時からZ級SFだと見えてましたよね(^◇^)
一方でラストの寝台上の胎児の眼がかすかに動くのをようやく確認。もっとも、これは今まで私が注意不足で気付かなかっただけかもしれない。

残念ながらシネラマに比べて奥行や立体感に欠けていたように思う。これは多分、いま製作されるIMAX用の映画なら効果を発揮するのだろうと思うが、「2001」にはあまり効かなかったようだ。

音響は高音も低音もクリアで、そもそも音量が大きく設定されていた。意外にも音楽の弦の音が潰れて聞こえて、ノイズも感じられた。これはそもそも使われている音源が古いのだから仕方ないのか。それとも昔の映画館はそんなデカい音を出さなかったから、気にならなかったのかね。

字幕では問題の「ハルも木から落ちる」がやはり使われていた。オリジナル公開時とは異なっていて、なんでも2001年記念興行の際に新訳になり、その時から使われているそうだ。全くふざけている オヤジギャグと核兵器は地球上から殲滅したい。
ちなみに、少し後にNHK-BSで放映されたヴァージョンでは新しい字幕が付けられていた。確か女性の訳者だった。
HALがボーマンの絵を見ながら会話する場面も、これまでとは微妙に訳が違っていてこの時点のHALの意図も異なって感じられた。もう一度確認したかったが、録画してなかったので残念(ーー;)
ただ、このNHK版は色彩がかなり変わっていた(モノリスが紫っぽかった!)のでオススメはできない。

HALの意図と言えば、昔から「HALはボーマンに惚れていた」とか「嫉妬してプールを殺した」等の説は存在した。別に今に始まったことではない。柴門ふみが別名で某雑誌にそういうパロディマンガを描いていたこともある。まあ、それが一番手っ取り早い解釈だろうな……(*_*;

私が最初に見たのは(歳が分かるが)公開10年後のリバイバル時、テアトル東京でのシネラマ上映である。この頃のロードショー館は入替制もなく、自由席だったので、昼食用のサンドイッチと牛乳を持って午前中に入り、一日中繰り返して観るなんてこともやった。さっき右側から見たから今度は左寄りの席に行こう、なんて(^^ゞ

当時はHALが人間のような口をきくと会場から笑いが起こったものだ。今やAIが流行していて、時代は変わった。--というより時代が追い付いたのか。

今回あらためて気づいたのは、HALが情報を出力したのがパンチカードだったことである。そう言えば、光瀬龍のSFでも人間の情報がパンチカードで記録されていた。
今考えると、えーっパンチカード(!o!)となってしまうが、60年代末のTVシリーズ『プリズナーNo.6』ではコンピューターの出力は紙のパンチテープだった。そういう時代である。この手のメディアを予測するのはいかに難しいことか。『2001』で一瞬しか映らなかったのは幸運である。
それを考えるとフロッピーディスクの発明は画期的だったわけだが、そのフロッピーも若い人には「なんですか、それ?」物件だろう。

それから、思ったのは結構「分かりやすく」作ってあるということ。こう言うと、どこが分かりやすいと思うだろうが、取り上げてるテーマやメッセージは難解だが、その見せ方はそうではない。モノリスの場面は登場する度に同じ音楽が流れ惑星が直列し--とボーっと見てても何かが起こるというのが必ず分かるようになっていて親切なのだ。

それから、ラストのスターゲイトを出た後のホテル場面、ここは視線の切返しが重要になっている。ポッドの中のボーマンが外にいる自分を見た瞬間にそれまでの彼は消滅する。その後は毎回「見た側」が消える。この繰り返しである。
この「視線」は短いカットと同化している。最後にモノリスを見た彼は、モノリスから見返された時に胎児に変貌している。ここを長回しで撮らないキューブリックはダメだという意見を見たが、とんでもない。それまでと同様にカットの連続でつないでいかなければ意味がないのだ。
そして、ラストに胎児が見るのは地球--かとこれまで思っていたのだが、そうではなくスクリーン越しに観客の方を見たのだ。となれば、最後の最後に胎児は消滅して観客が残ることになる。なんたること、今頃気づくかよ(>O<)である。

次にIMAX版で見たいのはなんといっても『バリー・リンドン』である(そもそもデジタル化されているのか?)。「映画カメラマンに聞くイチ押しのキューブリック作品は?」というと、これが一位になるらしい。
あの、照明がローソクだけの場面を始め、映像がどんな風に見えるか。でも、興行的にはサエなかった作品だから無理でしょうな……。


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