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2019年3月

2019年3月31日 (日)

聞かなきゃ損々!古楽コンサート 4月版

平成が終わっても古楽愛は不滅ですっ(>O<)

*3日(水)17世紀ヴェネツィアの音楽 A.グランディとその周辺(メディオ・レジストロ):近江楽堂
*13日(土)スティルス・ファンタスティクスの妙技 ファンタジーと霊感に導かれた17世紀ドイツ・オーストリア音楽(アンサンブル ソヌス エト コルティス):日本キリスト教団本郷教会
*19日(金)フランス・バロック音楽の夕べ(花岡和生ほか):近江楽堂
*19日・21日(日)バッハ マタイ受難曲(バッハ・コレギウム・ジャパン):東京オペラシティコンサートホール ♪さいたま芸術劇場公演もあり
*20日(土)聖週間のフランス・バロック(高橋美千子ほか):日本福音ルーテル東京教会
*  〃   ルネサンス音楽 de 美と雅の舞踏(濱田芳通ほか):紀尾井ホール
*27日(土)古楽の興5 リコーダー&チェンバロ4カ国の競演(ハルモニア・レニス):鶴見区民文化センターサルビアホール
*  〃   バロック・オーボエの世界3 フランスの組曲、トリオ、コンセール(大山有里子ほか):近江楽堂
*29日(月)弦の系譜2 ウード・ビウエラ・ギター&うた(常味裕司ほか):近江楽堂

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。

大型連休の予定、全く埋まっていません。今年はLFJも行かないし。家で大人しくしているほかないかのう。

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「グリーンブック」:ドライビング・トゥ・ヘル ミートソースかフライドチキンか、それが問題--じゃな~い

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監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ
米国2018年

雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言ったものよ。まさにオスカー取らずば叩かれまい、という事態になったのがこれだ。
アカデミー賞ノミネートの発表前から助演男優賞獲得は確実と言われていた。ゴールデングローブ賞の作品賞取った時あたりから(米国作品対象の賞なので「ROMA」は除外)何やらきな臭い話がモヤモヤと発生♨
主演のヴィゴに差別発言があったとか、監督露出狂だったなど話題は尽きぬ。

作品内容についても色々とケチが付き初め、遂にオスカーの作品賞取った時は、スパイク・リーが腹立てて背中を(正確には尻を)を向けただの、ホールの外に出ようとして係員に止められたなんて話まで流れたのだった。
作品賞取らなければ「いい話」の映画で終わったかもしれないのだけどね。

しかし、🎵ヴィゴ・モーテンセン×マハーシャラ・アリ🎶の共演となれば、万難排しても見に行かずばなるまいよ。
ヘッヘッヘッヘッヘッ(^Q^)
ん⁉誰だ!下卑た笑い声を漏らしているのは💢 おっと自分の口から漏れ出ているのだった。いかんいかん💦

発端は1962年ニューヨーク、失業した下町育ちで偏見バリバリのイタリア男が雇われたのは、浮世離れした天才黒人ピアニストのドクター・シャーリーに、その運転手としてであった。このコンビで人種差別激しい南部まで旅する数か月のコンサートツァーに出ねばならない--。

確かに脚本は小技が効いてて、パトカー停車や札束見せての買収の場面を二度繰り返し、しかもそれぞれ二度目は意味が違ってくる件りや、妻への手紙の顛末などうまいと思った。
また、M・アリは繊細で複雑な背景を抱える人物を完璧に演じて、誰も文句付けられないぐらい。こりゃ助演男優賞総ナメも当然だろう。ファッションもキマっていてカッコエエです(*^_^*)
ヴィゴも主演男優賞候補になってメデタかったけど、これは体重増量して2倍以上ふくらんで見える努力賞かな🎀
「バイス」のクリスチャン・ベールもそうだけど、そんな無理して増量するんだったら最初から太めでイタリア系(に見える)役者をキャスティングすればいいんじゃね(?_?)と思っちゃうのは事実である。

脚本については、見ていてよく分からない部分が複数あった。冒頭の「帽子」のエピソードは主人公トニーが大物に取り入ろうとしたんだろうけど、結果的に大物が腹立てて店が取り潰しになって失業ってことになったんじゃないのか?(あらすじを見ると「店が改装するので」書いてあるが)
収入が必要なのに結局職を失う--って、このエピソードは何を表わしているのか。主人公が後先考えない性格であることを強調しているのか。意味不明である。

車中の「フライドチキン」場面については、現在においては黒人とフライドチキンの結びつきを強調するのは差別的案件に当たるということから、「トニーがドクターに食べろとすすめるのは差別について無知だから」と述べていた人がいた。しかし、どう見てもこれはドクターが「同胞に付き物の料理を知らない浮世離れしたヤツ」を強調するエピソードでしかなかった。(従って、フライドチキンの差別的イメージについては製作者はスルーしていることになる)

さらに南部の道路で車がエンコして停車中に、畑で農作業中の黒人労働者が手を止めて二人を注視する場面。彼らは一体何を思って見ていたのか? これもよく分からない。
白人の運転手つきの車に乗っているなんて--珍しいという好奇心なのか、あり得ない!と驚愕しているのか、あんな同胞もいるのかと素晴らしいことだと思っているのか、そして後部座席のご当人の方はどう感じたのか、いくらスクリーンを凝視しても見えてこない。
観客の多様な解釈可能な描写にするということと、曖昧でよく分からんということは違うと思うのだが。

そう言えば似たような場面のある映画が過去にあった。『夜の大捜査線』である。
自動車の運転手と雇い主ということから『ドライビングMissデイジー』と比べられることが多いが、類似度から言えばこちらの方がよく似ている。
すなわち「頑固で偏見を持ち差別的な中年白人男が、有能で優秀な(しかもそれは社会的に認められている)黒人にたまたま遭遇して認識を改める」というストーリーである。

製作年は1967年で『グリーンブック』の背景となる1962年とは5年しか違わない。この間に公民権運動の盛り上がりは激しく、かなり社会に影響を与えただろう。
南部の田舎町の警察署長がニューヨーク市警(だったと思う)殺人課の黒人刑事と遭遇&衝突。しかもそいつは自分よりもサラリーが高い、なんてこったい💢
で、彼が刑事を車の後部座席に乗せて運転していて綿畑の脇を通ると、農場の黒人たちが綿摘みに黙々と従事している。刑事が無言のままそれを眺めていると、署長は「なに、あんたは奴らとは違うさ」と能天気に言い放つ。しかし、刑事の方は何も答えない。

かつてジェームズ・ボールドウィンは、この映画を『招かれざる客』『手錠のままの脱獄』と並べて批判し、「見ろ、この二人は今にもキスしそうだ」とクサした。これが作られてから50年後の『グリーンブック』はどうなのか。進歩したのか、それとも同じままなのか。
『夜の~』の方が無言の刑事の内心のモヤモヤが感じられるだけ、その分退歩してしまったとも受け取れるかも。
スパイク・リーがケツ向けたくなるのもよく分かるのであった。

しかし『夜の~』でオスカー受賞したのは白人のロッド・スタイガーに対し、こちらで受賞したのはM・アリだからその分は進化したかも知れない……。と言いたいところだが、署長とピアニスト、それぞれ相手役より背後に色々とある複雑な役柄だから、複雑な人物を完璧に演じれば評価されるのは当然だろう。
二人とも揃って相手に弱みを見せてしまう場面がある。特にアリによるその場面は、傲慢ぐらいに思われていたそれまでのイメージがホロリと崩れるような演技でお見事の一言だろう。(S・リーは気に入らないだろうが)

ドクター・シャーリーのトリオ編成はピアノ+チェロ+コントラバスって、ジャズだとこの編成珍しくない(?_?) ジャズはあんまり知らないからよく分からないけど、かなり特異なサウンドだと思った。
「私には私のショパンがある!」と言い切って、その後に弾く場面が出てくるのはよかった。
どうでもいいことだが、エンドクレジットに出てくる実物の奥さんがすごい美人✨で驚いた。トニー氏、どうやって口説いたんだ?

 

【追記】
車中でカーラジオからアレサ・フランクリンがかかる場面がある。クラシックをもっぱらやっていたピアニストがアレサを知らなくても仕方ないと思うが、トニーは自分の方がよっぽど黒人の文化を知っていて黒人っぽいじゃないかなどと指摘する。
しかし、ピーター・バラカンのFM番組聞いてたら、この時代にトニー氏がアレサを知っていた可能性は低いと言っていた。
確かにこの頃だと彼女は数枚しかアルバム出してなくて、ヒットチャートもあまり昇っていない。
それを、いくらドクターが「黒人離れ」していることを強調したいとはいえ、こんなセリフを出すのはまさに白人による「黒人文化の収奪」ではないか。
ということで、スパイク・リーが尻を向けたくなる理由がまた一つ追加されたのだった。

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2019年3月22日 (金)

「ルベルとルクレール」:31年分の変遷

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趣味の融合の申し子たち
演奏:天野寿彦ほか
会場:近江楽堂
2019年2月26日

タイトルになっているこの二人、フランスバロックのコンサートでは付け合せみたいな感じで登場することが多く、なかなか単独で主役を張る機会はない。かなり珍しいプログラムと言えるだろう。
編成はヴァイオリン2(もう一人は吉田爽子)、ガンバ(平尾雅子)、チェンバロ(辛川太一)である。

ルベルはクープランとほぼ同年代で、ルクレールはその31歳年下、もはやバロックのどん詰まりの世代という差がある。
二人の曲を年代順でなく、前半ルベル1曲ルクレール2曲、後半はその逆という配分の構成だった。

ルベルの作品はクープラン、マレなど同世代の作曲家同様にタイトルがついている。イタリアの影響をそことなく受けているとはいえ、やはり全体に落ち着いた感触。
ただ「輝き」というタイトルのソナタはその名の通りに躍動感に満ちていた。

ルクレールのソナタの方は2台のヴァイオリンの弦が闊達に絡み合い、刃飛び散る白熱が感じられる作品だった。時代的なこともあるせいか、バロックという定型を超えて飛び出していく勢いがある。
天野・吉田両人の切れ味よく勢いのある演奏に思わず拍手~(^^)//
ドイツともイタリアとも違う、フランス特有の弦のつややかさと活きの良さがくっきりと浮かび上がったコンサートだった。

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2019年3月16日 (土)

ナショナル・シアター・ライヴ鑑賞記

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最近、行ってみたNTLの感想をまとめて書く。
芝居の収録というと昔のNHKの「劇場中継」みたいのを思い浮かべるが、昨今は進化していて、中には映画もどきのカメラワークのものもある。収録を前提にして演出した部分もあるんじゃないか(その上演時だけ?)と思ったりして。
実際の観劇では、役者の顔をアップで見たり、座席とは異なる位置から見ることは出来ないのだから、果たしてそれでよいのか。これも良し悪しだろう。

*「ジュリアス・シーザー」
観客参加型(?)演劇で、フロアで立ち見の客がローマ市民となりシーザーに旗を振ったり、ブルータスの演説に拍手したりする。(立ち見が疲れる人は見下ろす形の二階席がちゃんとある)
美術や衣装の設定は現代の都市になっていて、カフェで噂話のように交わされる密談、大統領を想起させるシーザー--市民「注視」の下に繰り広げられる暗殺と権力争奪戦は今まさに行われているようにスリリングである。

元は男性である人物が何人か女性が演じていて意外に感じたが、今はこういう方式が多いとのこと。確かにそうでもしないとこの芝居はほとんど男優しか出番がない。

進行に従ってステージがせりあがったり沈んだりして形がどんどん変わっていくので、スタッフが常に観客の「交通整理」をしていてご苦労さんだ。
こういうスタイルの舞台ならカメラが中に入って動いて中継するので、鑑賞に有効だろう。

冒頭ではロックバントが数曲演奏して(やや古めの曲のカバー)客を煽る。そのバンドも役者で脇役を演じていたので驚いた。皆さん達者である。
しかし冒頭がそれなら、ラストにはラップで高々と勝利宣言でも一発やって欲しかったところだった。


*「イェルマ」
原作はスペインの詩人ロルカの戯曲だとのこと。第二次大戦前に子どもが出来ない妻を主人公にした作品というのなら、家父長制的な家庭の中で苦しむ話だと想像するのだが(実際に封建的な農村という設定らしい)、この上演は翻案ということで現代のキャリアウーマンになっている。

巨大な水槽のようなガラス板に囲まれたスペースがあって、観客はそれを四方から取り囲むように座っている。最初はどこから人物が出入りしているのかと不思議だった。そこにいる客は当然、自分の座っている側からしか見られないので、舞台上の全てを見ることは不可能である。(役者が背を向けてたら表情や仕草も分からん)
やはりこういう場合は映像で見ると有利である。

設定を現代にしたはいいが、そうするとなぜ主人公がそこまでして自分の血を引いた子どもを欲しがるのか不明である。養子でもダメだと断言する。最初はちょっと際どいカップルもの海外ドラマみたいなノリだったのが、見ていて段々苦しくなってくる。
人工授精を繰り返しても失敗が続き、夫を怒鳴って喚き散らし暴れる彼女は、まるで理解不能な怪物である。最後までそんな調子で、芝居の作り手の意識の方を疑ってきたくなる。
そういや、音楽や効果音もなんだかホラーっぽい。 主役は女優賞取るのにふさわしい熱演とは思うが、水吐いたりして騒ぐのが果たして名演技なのかと疑問に思ってしまった。

演出家がこの脚本の方も担当したらしい。かつて私が段々と芝居を見なくなってしまったのは、小賢しい演出家兼脚本家が過激さを気取って先端的だと勘違いしているのにウンザリしたからだが、それを思い出させるものだった。


*「フォリーズ」

ミュージカルほとんど見ない人間だが面白そうなので行ってみた。
取壊しが決まった古い劇場で、レヴュー・ダンサー達の同窓会が開かれて30年ぶりに顔を揃える。
中心となるのは二人の元ダンサーとその夫たち。彼らは過去に四角関係(?)みたいないきさつがあって、未だに未練が残っているのだ。その未練は同時に失われた時代への哀惜と郷愁に重なるのだが。
その過去のいきさつが4人の若い役者たちによって、「今」の4人と絡むように演じられる。

さらに今回の上演での演出らしいのだが、それ以外のダンサーたちの過去の美しい分身が付きまとうように現れる(もちろんセリフはない)。
廃墟のように崩れかけた劇場のセットの合間に、華やかな衣装を着けた踊り子が幽霊のようにスーッと現れては、奥に見え隠れし佇む。曲もダンスも往年のミュージカルへのオマージュのようで過去と現在が幻の如く行き交う。

中心の二人の片方をイメルダ・スタウントンが演じている。彼女は「メアリーの総て」での優秀なメアリーに対するクレアのようなポジションで、ダンサーとしては大したことなく、ちょっと滑稽な印象を与える人物だと設定されていると思える。
だが恐るべし怪女優(注-褒め言葉である)、彼女はなんと若い自分役の女優さんよりも遥かに可愛く魅力的に見えてしまうのだった。

と、色々と面白いミュージカルだったのだが、撮影では複数のカメラを移動させたりクレーンを使って高い所から見下ろしたりする。おかげで折角の回り舞台の威力が半減してしまった。目の前で装置が回って変化していくのが見てて面白いのに、一緒にカメラが回っていったんじゃしょうがない。
あと、役者中心に映すので背後の無言のダンサーたちがほとんど画面に入っていないのも残念無念であった。
映画と舞台のいいとこ取りのはずが、どっちつかずになってしまった例と言えよう。


*「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」

1962年初上演。映画ではエリザベス・テイラーとリチャード・バートンが夫婦共演して賞を多数獲得した。いずれにしろタイトルのみ知っていて初めて見る。

中年大学教授とその妻、かつては出世コースを目指していたはずが挫折して、今では二人は何かあれば罵倒をぶつけ合っている。そんな深夜に新任の若い教授夫妻が訪れる。
ということで、4人の言葉のレスリングが開始。押しては引き、引いては投げ飛ばし隙を見せたら付け込まれると容赦ない。互いに傷つけあっても気にしない。
そういや、「イェルマ」の演出家がやりたかったのはこれの再現かしらんと思ってしまった。舞台美術の担当者は教授宅の絨毯をリングに例えていたのだが、「イェルマ」の巨大ガラス水槽もリングのようだったなあ。
でも、こんな悪態合戦は一つ作品があれば十分のような……

4人とも夜通しずっと酒を飲み続けている設定で、当然役者たちは酒に似せた飲料を飲んでいるのだろうけど、トイレ行きたくならないのかしらん(?_?)としょうもない疑問を抱いた。
それぞれ少しずつ退場する場面があるのはトイレ休憩用かな、とか(^^ゞ

難点はキャスティング。イメルダ・スタウントンとC・ヒル(「ゲーム・オブ・スローンズ」のハゲの人髪の毛あるので全く気付かなかった)の夫婦が挫折したインテリというより、なんとなく野暮というか田舎っぽい感じなことだ(フィルマークスでもそう評している人がいた)。
若夫婦の夫はエリート臭ふんぷんで鼻持ちならない自信家な設定だと思うが、「ボブ猫」の人なんで頼りない青二才風だし、妻は「地味な若妻」というより典型的「派手なブロンド・ヘアで中身は空っぽの娘」に見えた。

まあ、役者が変わっても一度見たら二度目はもう結構(ーー;)と言いたくなる芝居だった。


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2019年3月10日 (日)

「ビュークルズ・アンサンブル」:ハプニングとチョコレート付き

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会場:武蔵野市民文化会館小ホール
2019年2月14日
→こちらはマスタークラスのチラシです。

前日の近江楽堂に続きまたも笛2本登場する公演に行った。--というより、たまたま連チャンで行ったらここにもダブル笛がという感じだった。

主役のパトリック・ビュークルスは30年間に渡りコレギウム・ヴォカーレ・ゲントの首席フルート奏者を務めているというベテランである。
そのアンサンブルは同じくベテランのチェンバロ奏者エリザベート・ジョワイエ、ガンバのロミナ・リュシカを加えた3人が中心で、あと日本人のフルート奏者柴田俊幸が2曲、L・ヴァン・デル・ヴォールトという若い女性ヴァイオリニストが1曲参加した。

ただ、アンサンブルと言っても全員で演奏するというより、個々の芸をそれぞれの曲で披露するという性格が強かった。
テレマンのターフェルムジークを4人で演奏したかと思えば、サント・コロンブのガンバ・ソロ、その次はクープランのチェンバロ曲といった具合である。
前半最後、バッハのフルートソナタはなんと前日のハルモニア・レニスでもやった曲だった。編成同じだと演目も重なっちゃうのかね。

迫力だったのは、バッハ息子・ヴィルヘルム・フリーデマンのフルート二重奏曲。息もつかせぬというか、息継ぎ大変そうな曲を、聞いてる方まで息苦しくなりそうになりながら、柴田氏と二人でぴったりと吹き通した。以前聞いたコンサートで、有田正広が「W・F・バッハは天才」と言っていたが、なるほどと思わせる。
ただ他の曲についてもそうだが、このぐらいの編成の古楽公演だとやはりはちょっとこちらの会場ではちょっと厳しいものがあった。もうちょっと狭い所がいいだろう。

この2日前のヴァレア・サバドゥス&コンチェルト・ケルンに続き、この日もハプニング発生した。最後のバッハのトリオ・ソナタ開始直前になって、突然ジョワイエの具合が悪くなってステージで鼻血を出してしまったのだ
それまで、ベテランの鍵盤奏者なのになんかちょっとおかしい所あったような(?_?)それとも私の気のせいか、などと首をひねっていたのだけど、やはり体調が悪かったようだ。結局、彼女は退場して通底をガンバだけでやることになった。(アンコールで復活して第1楽章をまた4人でやれたのでヨカッタ)

ガンバのリシュカは地味だけど技術あり。逆にヴァン・デル・ヴォールトはいかにも若々しくて元気ありの演奏だった。1曲だけの登場が残念に思えた。
柴田俊幸はプロフィールを見ると「大阪大学外国語学部中退、渡米」という珍しい経歴。一体この時何があったのかと、聴衆の好奇心をかきたてたのである。

なお、この日はバレンタインデーということで、ベルギーの「日本未出店の超有名ショコラティエ」(The Chocolate Lineという所らしい)のチョコレートのプレゼントが客全員にもれなくあった\(◎o◎)/!
どうも「訳あり品」らしかったけど、形がなんだというのだ 味は超が付くぐらいおいしかったですう またよろしくお願いしまーす。

チラシの方も「恋するバロック」とか「音楽も、恋も本気だ!」と煽っていたが、こちらはいくらなんでも誇大広告だったんじゃないの……。


↓チェンバロは日本の製作者のもの。美しい絵は有元利夫っぽいけど違うよね。
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2019年3月 6日 (水)

「縦と横のファンタジア」:縦横笛尽の大活躍

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演奏:ジャック・アントワーヌ・ブレッシュほか
会場:近江楽堂
2019年2月13日

ハルモニア・レニスはリコーダー水内謙一、チェンバロ村上暁美の二人組ユニットで、過去に彼らが参加したコンサートは「コレッリへのオマージュ」「シェイクスピアの春夏秋冬」を聞いたことがある。いずれもひと工夫ふた工夫した面白い内容だった。

今回はヨーロッパで活躍中のブレッシュを招いてのコンサート。彼はフルートとリコーダー両方をこなす、そう、両笛使いの演奏家だったのだ
彼は6回も来日しているという親日家で、なんと銭湯好きだそうな(昨日も入ったとのこと)

取り上げた作曲家はテレマン、オトテール、ドルネル、バッハ、クヴァンツだった。基本はリコーダー(ボイスフルート)とフルート(とチェンバロ)の組み合わせである。
オトテールについてはブレッシュ氏が持ち替えて純粋にリコーダーのみの二重奏。しかも会場の横の特設コーナーで照明を絞って雰囲気たっぷりの演出による演奏だった。会場に染み入る、対話するような笛の音--だだ私が行ったのは昼公演で明るかった(天井に窓がある)ので、夜の方がもっと効果的だったかも。

バッハではブレッシュ氏単独のフルート芸を堪能。ラストのクヴァンツは「フルートとリコーダー、通奏低音」と極めて珍しい笛の組合せが指定されている作品だった。
かと思えば、ドルネルの曲は二種の笛が同じように聞こえるように吹いたとのことで、縦も横も大いに楽しめたプログラムであった(^O^)/
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チェンバロ独奏は、あのバッハと演奏対決直前に敵前逃亡したという(あくまでも伝説だが)マルシャンのプレリュードだった。
このチェンバロがシノワズリーの陶器のような極めて美しいもので、オリジナルの楽器はバッハが特注して使用したものと推測される。終演後は人だかりがしていた。
以前のコンサートでも説明していたが、このチェンバロの爪は村上氏が実物の鳥の羽を削って作成している。鳥はハクチョウと、なんとハゲタカ(!o!) ハゲタカの方がしっかりした強めの音が出るそうだ。
ハゲタカは日本にいないので海外に行った時に入手するとのこと。他の鳥だったらどうだろうなどと考えてしまった(^^ゞ 大きさが同じくらいだから、フラミンゴ、ダチョウ、とか

次回の公演は驚きの「英独仏伊バロックユーロカップ」だって 前半に4カ国の曲をやって客に投票してもらい、後半に上位2カ国で決勝……聞いてみたいですう(^◇^)
でも場所が鶴見というのはビミョーな位置なんで、検討中


↓こういうアンケート用紙が配られたのだが、来たきっかけの選択肢が「強要されて」というのは初めて見た。何人がマルを付けたのかぜひ知りたいところである。
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2019年3月 1日 (金)

「ヴァレア・サバドゥス&コンチェルト・ケルン」:譜面台下がるも熱気は落ちず

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会場:武蔵野市民文化会館
2019年2月13日
→こちらは紀尾井ホール公演のチラシです。

今人気上昇中カウンターテナーのヴァレア・サバドゥス……といっても、実は全然知りませんでした(^^ゞ なのに、何故このコンサート行く気になったかというとコンチェルト・ケルンを聞きたかったから。以前、ギエルミ・アンサンブルの公演に出て目立っていた平崎真弓がコンミスなのである。
しかも、もう一人いるコンマスが急病(インフルエンザらしい)で来日できず、彼女一人で仕切るということに。

録音でも聞いたことのない歌手がメインのコンサートに行くというのはかなりな賭けであったわけだが、今回の賭けは勝てた!

プログラムは器楽だけがダッラーバコ(←知らない作曲家)、ヘンデル、ヴィヴァルディなど。前半はまだ大人しい様子だったが、後半に至ると平崎真弓が乗ってきたきたせいか装飾音入れまくり。怒涛のような演奏となった。「調和の霊感」なんかもう押せ押せの勢いだった。

歌曲の方はヘンデルとポルポラが中心で、主役のサバドゥスは登場時から聴衆の耳目を引き寄せ、緩急自在に声を操って圧倒した。歌っている時は当然だが、声を出していない瞬間も支配しているかのようだった。まだ若いせいもあるだろうけど、会場の隅々まで押し寄せるパワーが感じられた。

もちろん客はどの曲についても拍手喝采だった。隣のカップルは「ファジョーリとはまた違う歌い方だね」などと興奮気味。近くの奥さんは友達に誘われてよく知らないまま来たらしく、始まる前は「あら、歌が結構あるのね」などとプログラム見てたのが、最後は立って拍手するに至ったのであった。

一番良かったのは、他の人の感想でも上がっていたけど、やはりカルダーラの「アベルの死」からのアリアだろう。激情を表現するような歌曲とは正反対、羊飼いが日々の暮らしを歌った静かで悲しげなものである。それをしみじみと歌い上げ、聞く者の心に沁み込んでくるよう。
コンチェルト・ケルンの演奏もまた哀愁味があってジワジワと煽ってくるという趣である。このダブルしみじみ攻撃には参りましたm(__)m
コンマス急病の穴を埋め尽くして、さらに上に山を築くくらいに平崎真弓は大活躍だったのは間違いない。

ハプニングは譜面台ずり下がり案件があった。サバドゥスが使っている譜面台が歌っている最中に段々とずり下がっていき、最後には一番下まで落ちてしまったのである(譜面使って歌うのとそうでない曲があったのだが、どういう違いか?) その前にヘンデルの「リナルド」のアリアをやった時既に、歌と競い合うように独奏するファゴットの譜面台がやはり下がり気味(上に動かない)。長身の奏者が身を折るようにして吹いていたのだった。
さらには別のヴァイオリン奏者のも壊れていたらしく、遂に交換する羽目に。もう買い替えの時期が来たのでは(^^;

アンコールは他の公演同様三曲。二曲目はなんと石川啄木の詩による「初恋」という日本歌曲だったらしいのだが、日本語には全く聞こえなかった イタリアの曲かと思った。コンチェルト・ケルンの演奏も完全バロック仕様になってたせいもあるだろう。私は元々この曲を聞いたことがないのだが、声楽やってる人には有名なのだろうか。
「京都ではもっと日本語に聞こえなかった」などと話している人がいて、やはり追っかけの人がいるのだなあと感心した。

京都公演ではサイン会やったらしいが、こちらではなかった(紀尾井公演でも同様とのこと)。やったら長蛇の列になったことだろう。

↓武蔵野公演のチラシ。なぜかコンチェルト・ケルンが大きく出ていてサバドゥスの方は小さい。
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