« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019年5月31日 (金)

聞かずば死ぬかも!古楽コンサート 6月版

*2日(日)マリアの賛歌(バッハ・コレギウム・ジャパン):東京オペラシティコンサートホール
*  〃  ゴルトベルク変奏曲(アンサンブル音楽三昧):近江楽堂 ♪5日にも公演あり
4日(火)上尾直毅チェンバロリサイタル 十七世紀フランス鍵盤音楽とその周辺:近江楽堂 ☆中止です
*6日(木)テオルボとの対話(ヴォクス・ポエティカ):近江楽堂
*14日(金)パーセル・プロジェクト3 様々なアンセム(青木洋也ほか):日本福音ルーテル東京教会
*19日(水)フランス・バロックの優雅な踊り(ボッシュ・コンソート):日暮里サニーホール
*  〃   流れよ、わが涙 ジョン・ダウランドリュートソング集(小倉麻矢&つのだたかし):近江楽堂
*23日(日)~30日(日)調布国際音楽祭2019
*26日(水)17世紀スペイン音楽の華 聖母マリアのカンティクム(カントゥス・アニメほか):渋谷区文化総合センター大和田さくらホール

これ以外にはサイドバーの古楽系コンサート情報をご覧ください。







| |

2019年5月29日 (水)

バッハ「マタイ受難曲」:新兵器の効果を見よ

190529 演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2019年4月13日

今年度のBCJマタイ東京公演はオペラシティで2回も開催する大盤振る舞い(それだけ人気があるということだろうが)。そのほぼ一週間前に埼玉公演があったので、そちらの方に行った。会場が小さいので間近に聴けるのがよい。

実際、迫力は十分すぎるほどだった。合唱は当然だが、正面奥に特注✨新兵器の中型パイプオルガンが設置されてデンと控えて、厚みのあるサウンドを作り出して効果を発揮していた。この新兵器は初台でも使用したらしい(分解して運んだ?)。
息子優人氏が会場側に背を向けて座って弾いていて、真後ろで父雅明氏の指揮をどうやってみるのかと思ったら、両サイドにバックミラーみたいのが付いているのだった。

録音も同時に行うということがあるからだろうか、鈴木家ほぼ総動員(ミドリ氏除く)で、ヒデミ氏もいて兄弟共演は久し振りに見た気がする。昔聞いた時も感じたが、終盤の神殿の幕が真っ二つに避ける件り、チェロが本当に神殿を本当にぶち壊さんばかりにガシガシ弾いていたのだった。

櫻田亮エヴァンゲリストはかなり演技に比重かかった歌唱で、迫力あり。イエス役クリスティアン・イムラーは深みのある声で重厚な味が濃いものだった(個人的にはもうちょっと軽めのバスが好きですが(^^;)。
第一グループのアルトのダミアン・ギアンは前半やや調子が悪い?かと思えたが後半はシャッキリと復活していた。
キャロリン・サンプソンは絶好調🎵 軽すぎず重すぎず、悲哀に寄らず歓喜に寄らず、聖でもなく俗でもなく、この作品で地上に立つ人間の声を体現していたと言っていいだろう。マサアキ氏によると、今回のレコーディングはキャロリンが「マタイ」を録音したことがないという話を聞いて思いついたそうだ。

合唱については少しバラついて聞こえた瞬間があった。座席の位置のせいかしらん。
それから、独唱の後でブラボーが飛んだ場面があって驚いた。

やはり、この会場で聞けてヨカッタ🆗 ただ楽器の保護のためか、会場が寒くて参った。上方から冷風が吹いてくるんだもん(-"-)

| |

2019年5月27日 (月)

「ちいさな独裁者」:上官は思いつきでものを言う

190527 監督:ロベルト・シュヴェンケ
出演:マックス・フーバッヒャー
ドイツ・フランス・ポーランド2017年

全員悪人--とまでは言えないが、少なくとも全員善人にあらず、という恐ろしい内容である。
第二次大戦も末期、ドイツ軍はもう敗走状態。逃亡兵たちが食料を求めて農家の納屋に忍び込んで強奪。一方、農民たちも負けてはいない。泥棒を発見したら容赦なくブチ殺すのであった。

そんな若い兵士の一人が広野をさまよううちに捨てられた軍の車と将校の制服を発見。たまたま着ていたところ、別の兵士に将校と勘違いされる。そして次々と勘違いしてついて行く者が増えていくのだった。
嘘も百人信じれば真実になる--いや例え一人でもいればそれはもう真実なのだ。
もちろん、半分疑っているヤツもいる。途中から疑い始めたけど今さらもう引き返せないヤツ、どころか最初から偽物だと見抜いているが、自らの保身のために利用するヤツもいる。

そもそも、主人公は嘘をついて全く臆することはなく、窮地に至ってもペラペラと言い逃れる、いざとなれば平然と他者を犠牲にするのだった。(こういうのをサイコパス気質というんだっけ?)
実際にこういうヤツは存在するんだよね。以前、職場にいて周囲は大変な迷惑を被っていたものだ。

さらに将校の制服の威力の甚大さ💥 本人は童顔で小柄な若者なのに、周囲はひたすらその権威に服すしてしまう。さらには、制服がなくとも権力を行使するような場面まで登場する。
制服は周りに影響を及ぼすが、着ている本人の中身もまた変えるのか。とすれば人間の本質はどこにあるのか。そもそもそんなものはないのかね。

そして成り行きで恐ろしい事態へと転がっていくのだった。
しかし、さらに恐ろしいのはこれが実話だということだ(!o!) なんてこったい。
監督は『ヒトラー 最期の12日間』を見て、ヒトラーだけに悪をすべて押しつけて他の人間は善人だったというような内容に怒りを感じ、「良いナチスが一人も出てこない映画を作りたかった」と語っている。その意気や良し👊

いや、マジに善人が一人も出てこないドライな徹底ぶりに感動した\(^^@)/
脱走兵の収容所で開かれる将校のパーティーでの余興、これが収容されている兵士の漫才で、徹頭徹尾最低最悪くだらなさの限り(しかも面白くない)で見ていてあきれるばかりだ。やる方も見て笑ってる方も正気を疑いたくなるほど。これに比べれば『第十七捕虜収容所』なぞ極楽のようなものだろう。

アイデアだけでなく、映像による心理描写も巧みである。重低音でドヨ~ンと入ってくる音楽もいい。
「サウルの息子」っぽい映像もあり。エンドクレジットの部分は完全に『帰ってきたヒトラー』のパロディとなっている。
主演の若者役もうまい。飄々とツルツルと言い抜けていく無神経さがよく表現されていた。

なお、この作品は元々モノクロだったらしいのだが、なぜか日本ではカラーで上映したというので一部で話題になった。と言っても、かなりセピアっぽい色味ではあるけど。モノクロだと世間でウケないという話を聞いたことはある。でも内容的からするとカラーだから客が増えるという映画でもないだろうに(^^?
それから、一カ所ボカシが入っていたが、遠方のシルエットなんでほとんど分からない代物である(むしろボカシで目立つ)。『ROMA ローマ』なんかモロに映っていたのにボカシなし。基準が分からない。レイティングの関係だろうか。

| |

2019年5月20日 (月)

「17世紀ヴェネツィアの音楽」

190520 A.グランディとその周辺
演奏:メディオ・レジストロ
会場:近江楽堂
2019年4月3日

以前スペインもののコンサートを聞き逃していたので、今度こそと行ったら今回は久しぶりに原点に戻ってイタリアものをやるということであったよ(+_+)

サブタイトルにある通り、グランディという作曲家の宗教歌曲が3曲、他にモンテヴェルディの作品も。グランディは16世紀末に生まれ、ヴェネツィアで活躍したらしい。
またフォンターナやマリーニなど同時代作曲家の器楽曲が交互に演奏された。

メディオ・レジストロ(古橋潤一、西沢央子、能登伊津子)のオリジナルメンバーに、仙台近辺で活躍している3人がゲスト参加。高橋絵里のソプラノはいかにも宗教曲にふさわしい清楚な歌唱だった。
他にもリコーダーとヴァイオリンの鮮やかな競演、珍しやオルガンとチェンバロの二重奏なんてのもあった。

イタリアものという定番を超える楽しさがあった公演だった。古橋氏の喋りはかなりクセがあったけど(^0^;)
ゲストは地元で地道な音楽活動を続けている方々とおぼしく、これからもご活躍願っております。

| |

2019年5月18日 (土)

「ゼフィール 春の嵐」:花見ならぬ花聞きの宴

190518 2017年度青山音楽賞バロックザール賞受賞記念演奏会
演奏:アンサンブル・レ・フィギュール
会場:JTアートホールアフィニス
2019年3月31日

4人組グループ、以前聞いたコンサートが、バロックザール賞というのを取ったので、同じくCT歌手のポール=アントワーヌ・ベノス・ジアンをゲストに招いて記念コンサートを行った。本番は翌日の京都公演で、東京でも記念にやったようだ。(ハードスケジュールですな)

時節に合わせて、春っぽいカンタータ中心。フランスはブルジョワの「ゼフィール(春の西風)とフロール(花の神)」で、合間に同じ題材を扱ったドルネルやシャンボニエール
の器楽曲を入れる。
ブルジョワのエールでツバメを歌った内容では、ヴァイオリンやフルートもツバメの声や飛翔をなぞっていて面白かった。

後半はヘンデルの歌劇のアリア(やはり春っぽい内容)とカンタータである。器楽の方もヘンデルのソナタや組曲だった。ヴァイオリン・ソナタでは榎田摩耶の演奏が豪快で拍手喝采となった。
歌手や演奏者が客席の後ろから出没するなどし、構成やパフォーマンス共に凝っていて聴き応えあった。
春気分横溢で華やかな気分になれたコンサートだった。次の公演があったらまた行きたい。

ベノス・ジアン氏はまだ二十代とのことで若い✨ これからに期待です(@^^)/~~~
アンコールはヘンデルの「ロデリンダ」より。

コンサート会場のJTアートホール行くのに今回は国会議事堂駅から行ってみたが、またも土曜なんで人通りがほとんどなく、警備の警官ぐらいしかいなかった。
首相官邸前の桜は下が芝状態だからお花見できそうだけど(この時は五分咲きぐらいだった)やるとおまわりさんに怒られるのかね)^o^(

| |

2019年5月16日 (木)

「女王陛下のお気に入り」:コート・オブ・ジェラシー 愛さないの愛せないの

190516 監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ
アイルランド・米国・イギリス2018年

アカデミー賞に9部門大量ノミネートされて話題となったこの映画、どんなもんかと見に行った。予告では正統的な歴史物かと思えたのだが……。

やっぱり変な映画でした~!(^^)! グリーナウェイの名前が挙がっていたけど、確かにそれっぽい雰囲気あり。
衣装とか美術がかなりリキが入って見事なの本格的史劇っぽいが、全体にはシニカルで史実をおちょくったような感じである。

時は18世紀初頭、イングランドのアン女王宮廷では女王の幼なじみであるサラが政治を取り仕切っていた。そこへ没落貴族の若い娘アビゲイルが転がり込み、女王のご寵愛の座を虎視眈々と狙うのであった。
これが「陰謀劇」というようなものでなく、バレエシューズに画鋲を入れるのとあまり変わらぬレベルなのだ。

そもそもアン女王がわがままで、かなりコマッタチャンな人物。
例えると、部活で大好きな先輩が受験勉強に入ったのでかまってくれなくなって、つまんな~い。あら、今度入ってきた新人の後輩、カワイイじゃない。こっちの子と遊ぼうっと💓 もういいもん、先輩なんかキライ(~o~)--みたいな調子だろうか。

これだけだと歴史上のどうしようもない女たちをクサした話かと思ってしまうが、ご安心あれ(^^)b 男たちの方はもっとどうしようもない奴らばかりなのである💥
笑える場面が何カ所もあったのに、なぜか場内誰も笑っていなかったけどな。

で、結局最後の勝者が誰かということになるとハッキリとしないままフェイドアウトしてゆくのであった。
見てて唯一の疑問は、女王が長い付き合いがあり、万事において有能なサラをなぜ疎遠にしたかということだ。実は女王は狡猾な人物だとする解釈もあり、本能的に動いているようにも見え、よく分からない。
この人も田舎貴族の奥さんぐらいの立場だったら幸せだったかもね、などと思ってしまった。17回子供ができたが一人も成人しなかったなんてあんまりである。

アカデミー賞については、女王役のオリヴィア・コールマンが主演女優賞を獲得した(他部門は残念)。
ただ、3人の女性のうち女王が主役かというとかなり疑問だ。物語の視点は大半をアビゲイルが占めていて、しかも常にアクティヴに動いているキャラクターである。だからエマ・ストーンが「主演」でも全くおかしくない。
もっとも誰が主演なのかというのは、映画会社が賞のリストに出す時に決めるそうなので単に獲得合戦の戦略でそうしたのだろうと思われる。

女優3人は誰が賞を取ってもおかしくないと思える演技だったが、男優の方はというと……折角のニコラス・ホルトも、別に彼ならこれぐらいは通常運転だろうというような印象だった。
監督のヨルゴス・ランティモスはギリシャ人とのこと。よく英国は外国人に自分の所の宮廷をおちょくったような話をやらせるなあと感心。しかも英国アカデミー賞では11部門で候補になり、7個も取ったのである。
ちなみに同監督の過去作『ロブスター』を見た知人に、この映画を誘ったところ「あの監督じゃ絶対イヤだ!」とのこと。未見だけどそんなに変な映画だったのか(^^?

さて、音楽面については劇中にパーセルのコンソート曲とダウランドの歌曲を演奏する場面あり。ただ、今時の古楽のコンサートでこんな演奏したら座布団投げられるだろうというようなレベルである。
劇伴音楽としてヘンデルが使われているが時代的には合わない。宮廷でのバロックダンス場面が登場するも、途中から現代風のダンスになってしまう。


ついでにグチる。
映画館で隣に中高年夫婦がいて、私のすぐ横は夫の方だった。そいつが映画の最初から最後までずーっとポケットティッシュを手に持っていて、二、三分おきに握ってはビニールの音をシュワシュワさせるのだ。おかげで集中できなかった。しかも映画が退屈らしくて途中でケータイ開いて見始めたのである。
さすがに頭に来て「眩しいんですけど」と注意したら止めたが、エンドロール始まった途端にまたケータイ開いてた。夫婦割引の弊害かね。退屈なら夫婦で別の映画見てほしい。

| |

2019年5月10日 (金)

「甘い死の弓矢」:ボールペンなしでもアンケートは書ける

演奏:福島康晴ほか
会場:近江楽堂
2019年4月26日

「イタリア・バロック音楽の世界vol.3」とあってもう過去に2回やっていたらしいのだが、全く知らなかった。今回も数日前に知って(チラシなど全く見かけなかったので)あわててメールで予約した次第だ。

福島氏の他はバロックギター・テオルボ高柳義生、コルネット・バロックギター・テオルボ(さらに歌も!)笠原雅仁、ガンバ・リローネ武澤秀平という顔ぶれだった。

17世紀初めに活躍したサラチーニという作曲家(初めて聞きました!)の歌曲を中心に、同時代のフェッラーリ、モンテヴェルディの作品を福島氏が歌う。加えて、合間に様々な器楽曲を挟むという構成である。

イタリアものの神髄というか、濃厚かつ切実な愛の歌の世界をたっぷりと堪能できた。
また器楽の方は主に独奏で、バロックギターありコルネットあり。また、テオルボ2つに
リローネという珍しい組み合わせでのカプスベルガーもあった。

ドイツ在住(?)の高柳氏はギター&テオルボを巧みに弾きまくり、複数の楽器に加えて歌まで担当した笠原氏はご苦労さま。ひとり武澤氏はリローネの調弦に手こずっていてこれまたご苦労さんでした。

プログラム見たら、11日間に9カ所も回るツァーやっている。すごいハード・スケジュールである。次の第4回目もやるなら聞いてみたい。
なお、アンケート記入用に配ったボールペン(主催者の企業名入りの立派なやつ)は貰ったヤッタネ◆と思って持って帰る人が多そうなので、事前に返却するようアナウンスした方がよいのでは。

| |

2019年5月 5日 (日)

「ジュリアン」:ウィークエンド・ファミリー 愛より怖く

190505 監督:グザヴィエ・ルグラン
出演:ドゥニ・メノーシェ
フランス2017年

昨今、社会問題として大きく浮上している家庭内DV・児童虐待を題材にしたサスペンス。観客に差し出されたDVの様相はあまりに恐ろしくて見続けるのがつらいぐらいだ。
見てて「うわあ」「いやだー」「やめてくれ(><)」「ギャーッ」「ヤダヤダヤダ」「なんとかしてくれ」みたいな言葉しか脳内に浮かんでこない。

冒頭、夫のDVが理由で離婚した両親の調停場面、少年ジュリアンは母親と暮らすことに決まる。しかし、共同親権のため隔週末に父親の家に行かねばならなくなる。
すると父親は家に行く度に、秘密にしてある母の住所や電話番号を教えろと執拗に迫るのであった。
そしてしつこく母の周囲に出没し始める。ここら辺は完全ストーカーである。そして遂に事態は最悪の方向に向かって爆発する。その恐怖は並大抵のものではない。DV被害者は常にこのような感情を味わっているのだろうかと、想像するしかないのだ。

後味悪いホラーかサスペンスという印象で、見終わってもホッとするよりドヨ~ンとしたままである。映画館で見てよかった。ネットやソフトで見始めたら、絶対途中で見るの止めたくなるに違いない。

--のではあるが、その後しばらくするとどうも「これでいいのか」感がなんとなく湧いてくるのであった。
終盤、エスカレートしてきた父親が襲撃してくるのはいいが、完全に怪物と化している。
特にホラーっぽいと感じるのはここの点で、実際監督は『シャイニング』を参考にしているらしいのだ。な、なるほど……。

作中の父親はいかにも凶暴で今にもバクハツしそうな外見なのだが、実際にはDV男は家庭外での外面は良くて、ズル賢く世間を欺くらしい。
また、ようやく子どもと一緒に夫から別居しても今度は、DVを目撃し被害に遭ってきた子が母親に暴力を振るうなどという例もあるそうな。
かように、映画の描写をそのまま受け取っていいものかという疑惑が浮かんでくるのは仕方ないのだった。

というわけで、これはあくまでホラー映画の怖さだということで差し引いて考えた方がよさそうである。
しかし演技でも父親役コワ過ぎて、子役の少年の精神衛生上大丈夫か気になってしまった。
いくつか意図がよく分からない描写があった。一番最初の家裁の判事(?)がマッタリとお茶を飲んでいるところ、ハイティーンの姉がトイレで恐らく妊娠検査をする場面、あと彼女が歌うライヴ場面もやたら長すぎる。

| |

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »