« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

2019年6月

2019年6月30日 (日)

聞かずば死ねない!古楽コンサート 7月版

ジメジメジメ……この湿気の後には猛暑が控えているのでしょうか(=_=;

*1日(月)パーセルの一日 テオルボと歌う楽しみ(波多野睦美&瀧井レオナルド):近江楽堂
*6日(土)フルートの肖像15 テレマン ターフェル・ムジーク(前田りり子ほか):近江楽堂
*7日(日)大塚直哉レクチャー・コンサート2 「フーガ」の苦しみと喜び:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
*8日(月)Vanitas イタリアルネサンスの不協和的情感(アンサンブルXENOS):大森復興協会
*9日(火)ナポリのサルヴェ・レジーナ(阿部早希子ほか):近江楽堂
*14日(日)ヴェルサイユの宗教音楽(フォンス・フローリス):石橋メモリアルホール
*17日(水)フォリア!(髙橋美千子ほか):日本福音ルーテル東京教会
*23日(火)夏の夜のルソン・ド・テネブル(鈴木美紀子&美登里ほか):ハクジュホール
*29日(月)音楽の庭 ヴィオラ・ダ・ガンバとリュートで巡るヨーロッパのバロック(ホアン・マヌエル・クィンターナ&野入志津子):横浜市イギリス館

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報」(東京近辺、随時更新)をご覧ください。

|

2019年6月29日 (土)

ルース・ベイダー・ギンズバーグ祭り「ビリーブ 未来への大逆転」&「RBG 最強の85才」

190629a「ビリーブ 未来への大逆転」
監督:ミミ・レダー
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2018年

85歳にして米国の現役最高裁判事、女性では史上二人目だというルース・ベイダー・ギンズバーグ。その人生をたどる。
法律家を志し名門ハーバード大学院に入学するも、なんと当時の女性の割合は0.1パーセント以下。しかし、家事が彼女より得意な夫と共に家庭を築きつつ首席で卒業。
だが、どこの法律事務所も女を雇ってはくれなかったのである……。仕方なく大学の教員業に。

伝記ものの問題は、大きな功績を成し遂げた人物が波乱万丈な人生を送っているかというとそうとは限らないことだ。
画期的な裁判を勝ち抜いてきたとはいえ、殺人事件のような犯罪ではなく行政訴訟の類いだから、衝撃の事実が今明らかに(!o!)なんてことはなく、あくまで弁論で進行する。しかもすこし気が緩むと「あれっ、今なんて言ってた?」てな字幕見逃しが頻発するのだった。

娘との世代対立など盛り込むも、監督の演出は一本調子でメリハリに欠ける。内容からして客は女性が多いのかと思ったら、意外にも中高年男性がほとんど。どうも社会派映画だと受け取られたらしい。後ろの席ではイビキが聞こえ、近くの高年男性は途中で帰っちゃった。
主役のフェリシティ・ジョーンズは「よくやってる」感はあるけど、実際のご本人はもっと興味深い人物なんじゃないの💨などと思ってしまった。むしろ家事でも仕事でも妻を支える優れものの夫役アーミー・ハマーの方が、好感ポイントが上だったのは仕方ないだろう。

個人的には、大学の授業で取り上げられた事件の判例の一つが少し前に日本で起こったのと似ていて(ひどいDVを夫から受けていた妻が逆襲したのを、罪を問われる)、性差別案件は米国の50年遅れなのが分かってガックリきた。

既に今年の最凶邦題賞に決定確実なタイトルであるが、「ドリーム」「ビリーブ」と来て……次は「トラスト」かな。長音入るなら「スピーク」「ウォーク」あたりか。


190629b「RBG 最強の85才」
監督:ベッツィ・ウェスト、ジュリー・コーエン
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
米国2018年

さて、そのRBGご本人を取材したドキュメンタリーである。
アカデミー賞では長編ドキュメンタリーと歌曲の2部門でノミネート。さらにMTV映画賞ではリアルライフ・ヒーロー賞に加え、格闘シーン賞「ルース・ベイダー・ギンズバーグ対不平等」👊でも候補になるという評判ぶりだ。

冒頭彼女の大衆的な人気の高さが描かれる。若い女性を中心に支持され、グッズが作られ、SNLでもネタになるというぐらいキャラクター化しているのだった。これはトランプ以後に最高裁判事(大統領が任命する)のリベラル×保守の比率を彼女の存在が握っているという理由もあるだろう。とにかく日本では想像も出来ない人気なのだ。(その分、毀誉褒貶が様々にあって大変そう)

その半生は『ビリーブ』で描かれたのと大体重なる。そして肝心の本人は、小柄で特徴ある華奢な声で穏やかに喋る。予想より遙かに静かでチンマリとした外見。ただし、弁舌を振るう時を除いて、だ。
彼女の人物像を語る人々としてビル・クリントンやグロリア・スタイネムも登場するとは知らなかった。

しかし、さらに予想を裏切ったのは夫マーティンであろう。映画で好評だったアーミー・ハマー版よりももっとユーモアあって楽しい好人物だった(料理得意なのは事実)。こういう人が共にいたから先駆的な活動が出来たのだなあとヒシ感じた。
というわけで、やはりフィクションより実物の方が面白かったのだった。

マスコミやTVで騒がれていることについて、娘と息子が「母は家のTVの付け方知らないはず」と言っているのには笑ってしまった(*^O^*)

なお、取り上げられている裁判例の一つに、妻を早く亡くした夫が子育てをしているのに男は育児手当を貰えないのはおかしいと行政を訴えたものがあった(映画だと介護手当になっていた)。その夫は「男性差別」だとG・スタイネムに文句を言っていたけど、それはお門違いであろう。
そもそも男女の伝統的な性別役割分業に基づいて、当時は「介護や保育は女の本能であり、男のやることではない」「男であればそんなことはしない」「そんなことをする者は男ではない」という観点から手当は女にしか支給しないと決められたのである(それを決めたのも男であろう)。そしてそのトバッチリを受けたわけで、根源は男女の格差なのだ。

|

2019年6月23日 (日)

「牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って」

190623 著者:三浦英之
小学館2019年

著者は朝日新聞社の記者で2014年からアフリカ特派員だった。その時期のルポルタージュである。

象牙は「サバンナのダイヤモンド」と呼ばれるそうな。1キログラム約20万円で闇取引され中国へ密輸入される。地元の政府職員や高官も抱き込んで組織的に行われ、一部はテロリストの資金にもなっているという。
主な消費地は中国に加え日本である。印鑑用だ。日本では既に国内にある物だけを使用しているはずだが、限りなく疑わしい。
しかし、密猟を放置すればもはや十数年でアフリカゾウは滅亡するらしい。象が死んでいなければ牙を取ることは不可能なのである。

著者は主にケニアやタンザニアで密輸組織の実態を調べようと試みるが、困難を極める。ただでさえ治安は悪く、簡単に協力してくれる関係者は見つからない。
そして浮かび上がる謎の中国人の存在……。
こう書くとまるでサスペンス映画のようだが、現実には劇的な展開はなかなか起こらない。
ここで驚くのは中国のアフリカ各国への食い込み度がかなりのものであること。事態の陰に中国政府ありだ。
昔は日本も「エコノミック・アニマル」などと言われたこともあったが今では完全に負けている。

そしてワシントン条約の締結国会議で、中国の突然の豹変と日本が示した「ゴネ得」の結果は?
とまあ、小説や映画と異なってスッキリしないのであった。これが現実というものだろう。

しかし、需要が減れば供給も比例して減るだろうから、闇市場撲滅を目指して日本では象牙の印鑑を作るのを止めればいいはず。高価なものは贈答用で人気があるらしいが、お高い印鑑を欲しい人には水晶製をオススメしたい。
親戚が印鑑製造をやっていたのだが、水晶というとクリスタルみたいな透明な物を思い浮かべてしまうけどそういうのではない。実際には様々な色の水晶があってパッと見には材質が何か分からないぐらいだ。
ということで、贈り物には水晶製印鑑をどうぞ(^^)/

この本の終章に、アフリカゾウよりもさらに絶滅目前のキタシロサイをケニアで取材したエピソードがある。ツノに薬効があるとされ(実際には効果はない)密猟されたあげく、この時には三匹しか生き残っていなかった。著者はそのうちの唯一のオスを見せて貰ったとある。この時、そのサイは既にかなりの高齢だった。

さて、たまたまこの本とほぼ同時に読んだ「ビッグイシュー」誌360号(2019年6月1日号)に、なんと著者が見たとおぼしきキタシロサイが老衰で死んだという記事と写真が載っていた。
記事によると、野生の最後の一頭が2004年に密猟されたために、2009年にチェコの動物園に残っていた4頭がケニアの保護区へ移送されたのだという。
三浦氏が見学した時には残っていたのは3頭とあるから、その前に既に1頭は死んでしまったことになる。
そして件のオスは2018年3月に息を引き取った。残るは高齢のメスだけで絶滅は決定的となったようだ。

記事中には草原で草を食むサイを密猟者から守るために、ライフルを構えた数人のレンジャーがものものしく警護している光景の写真もある。思わずなんだかなあ(T_T)と物寂しい気分になってしまった。
190623c
←のんびりと食事中のサイと武装レンジャーの対比が強烈である。




【訂正】タイトルを含めて「密猟」を全て「密漁」と変換していたですよ(+_+)トホホ 訂正しました。

|

2019年6月20日 (木)

音楽と身体その1「ウィーンのリュート音楽」:消えゆく人

190620 演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2019年5月17日

齢400年✨のリュートのグライフ使用、今回のバロックリュートリサイタルは、発売されたばかりのCD「ウィーンのリュート音楽」の収録曲を全曲演奏するものである。
CDではギンター→サン・リュク→ヴァイヒェンベルガーという収録の順番だったが、調弦の関係でサン・リュクの方が先になっていた。

ギンターは17世紀末、ウィーン宮廷合唱団のカストラート歌手にしてリュート奏者だったという珍しい経歴の持ち主である。当時カストラートになる少年は外見の方も良いのが理想条件だったらしいのだが、美声であっても彼はその点について今イチ今ニ……だったそうな。しかし父親の意向でカストラートにされ短命だったとのこと。
リュート曲作品はほとんど残っていず、組曲として完全に残っているのはこの作品だけらしい。

そのギンターが亡くなった時に追悼曲を捧げたのがサン・リュクという因縁である。
両者の曲は短調で暗く地味である。サン・リュクはトンボーで始まるから当然とは言え、ギンターの方はさらに寂しさ横溢な印象。佐藤豊彦はそれを、自分の運命に対する達観から作曲されたと解釈していた。
グライフは相変わらずひなびた(と形容してよいか)響き。サンリュクの終曲メヌエットは微細の極み--といった静けさで、この近江楽堂でなければ聞き取ることさえ不可能なものだったろう。

それだけに客が発する小さな音でも響き渡ってしまい、普段よりも雑音がやたらと大きく聞こえた。
さらに加えて近くにいた奥さんが、椅子が合わないらしく常時身体を動かしていた上に、さらにうめき声やため息を乱発したのでマイッタ(+_+)

次はさすがに明るい作品でギンターと同時代の(しかし遙かに長生きした)ヴァイヒェンベルガーの組曲である。さらにアンコールはCD同様に作者不詳のシチリアーナで締められた。

正味70分の演奏会だったが、なんと休憩なしのイッキ弾きである。佐藤氏の説明によると、昔はLP盤のアルバムに合わせたプログラムだったので、A面B面に分けたところで休憩を入れていたそうな。今はCD時代なのでうまく二つに分けられないのが理由の一つ。
さらにグループで演奏するなら他の人がいるので休憩後にまたボルテージを上げられるが、一人だと戻すのが難しい、ということだった。

早逝した作曲家、曲は現在まで生き残り、彼の倍以上の年齢を生きる演奏者がその作品を弾く。それを奏でるのは4世紀も前に作られた(作曲家よりさらに半世紀も以前に!)リュートである。しかしその音は微細で一瞬のうちに消え去る。
最もはかなくもろいのはどれだろうか。

|

2019年6月17日 (月)

「キャプテン・マーベル」:あなたの掻いた左目が痛い

190617 監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
出演:ブリー・ラーソン
米国2019年

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の最後の最後に名前だけ登場して気を持たせたヒーローが満を持して登場である。
                      ここにグースのシッポが❗→

しかも巷の噂によると女性でMCUシリーズ最強のパワーだというじゃありませんか💥

期待大で見に行った。がしかし、これもまた情報量が多くてあっという間に二転三転と話が進む(@_@) 「あっ、見逃した」「あれ?今なんて言った」状態が多発。とても脳ミソの活動がついて行けません。
もう一度見て色々と確認したかったけど行く機会を逃した。レンタルかTV放映待ちである。

話のツボは記憶を失った主人公が自らの過去を見いだし取り戻し、さらに真の敵を認識すること。そして、それがかつて「女だから」と押さえつけられていた抑圧を跳ね返す姿と同期することである。
こう、文字にすると教条的で真っ当すぎる印象だが、ストーリーと映像の合わせ技で見せられると感動が押し寄せてくるという次第だ。

舞台は90年代でまだお肌がツルピカなフューリーが登場する。現在のS・L・ジャクソンが演じた映像を修正したそうな。スゴイね、もう何でもありだ。
背景の描き方を見るともはや90年代も懐古の対象になったかという印象である。
バックに流れるのはグランジ系。ナイン・インチ・ネイルズあたりはメジャーだけど、他は名前は知ってる程度、あるいは名前も聞いたことないバンドもあり。やはりこの時代はロックの細分化が進んだ時代だからか。

もう一つの注目点は猫のグースの大活躍。猫ファンは必見だね(^_^)b フューリーは「ネコちゃ~ん=^_^=」とまさに「飼わせていただいている」状態のかわいがりよう。でも『アベンジャーズ』シリーズには出てこないからその後どこに行っちゃうの?
ここは一つ、岩合さんによる「銀河ネコ歩き」を制作してもらいたいものである。
「今回は視聴者のご要望によりブラックホールに来てみました。やあグース、いい猫(こ)だね~。はい、ブラックホールの淵でゴロゴロしてみて」

主演のブリー・ラーソンは、闘う女性ヒーローとして終始仏頂面を維持。愛想笑いも見せねえぞという気概を感じさせるキャラクターで、ここまでくると潔い。
遂に彼までヒーロー物に参戦かい(!o!)と感慨を抱かせるジュード・ロウは「謎の上司」として登場しつつ、ちょっとコメディ・タッチが入ってたようだ。

そして『インフィニティ・ウォー』の続編ではきっと大活躍を見せてくれるに違いないと思っていたのだけどね、この時は……。

ところで、フューリーは『ウィンターソルジャー』では信頼していた人物の裏切りにあって片目を失ったと語っていたらしいが(観たけど忘れました)いいのか(?_?)こんな経緯にして。
ネコがらみでは、とある場面で昔懐かしTVドラマ「素浪人・月影兵庫」を思い出してしまったのは私だけであろうか。(一定の年齢以上じゃないと分からないネタ) 焼津の半次~♪ってヤツですよ。

|

2019年6月15日 (土)

「バッハ家の音楽会」:息子もよろしく

Photo 演奏:エマニュエル・ジラール&大村千秋
会場:近江楽堂
2019年5月11日

昼と夜の部、それぞれ別内容だったので二つ合わせて感想を書く。
昼はチェロ・ピッコロ使用で、バッハの無伴奏チェロの6番。冒頭の低音がガンガンとすごい反響で驚いた。ジラール氏の解説(よく聞き取れなかった)によるとこのチェロは祖母(奥さんのか?)の家にあった桜の木で作ったらしい。トップの飾りは弁天様の顔で奥さんをモデルにしたとか。(と言っていたと思う、多分)

そしてチェンバロと共に父バッハの無伴奏から50年後に作曲された息子ヨハン・クリストフ・フリードリヒのソナタを演奏。父の無伴奏とは正反対の非常に穏やかな曲調だった。ちょっと穏やか過ぎたかも……💤
最後はオルガン曲のトリオ・ソナタ5番である。オルガンの右手の部分をチェロ・ピッコロが担当するという珍しいものだった。

夜の部はガンバに持ち替え--となると、当然ながらガンバとチェンバロのソナタをやるに決まっている。最初と最後にそれぞれ1番と2番を演奏した。

間に挟んでカール・フィリップのやはりガンバとチェンバロのソナタ。彼はこの組み合わせで三曲作ったらしい。古典派風に極めて明晰で穏当な作品だった。
もう一曲はヴィルヘルム・フリーデマンのチェンバロ曲のファンタジー。大村氏の話では、時代を超えたスタイルのために当時は受け入れられなかったとのこと。なるほど、彼の天才ぶりがよく分かるような、意表を突いた展開の曲である。

このようにバッハ家の家族音楽会は進んだのだが、やはり音楽的に時代の変転期にあたるだけに、父と息子の違いが際立ったような印象だった。
実際にバッハ先生は息子の曲をどれぐらい共演したんですかね?

二人とも夜の部は衣装を変えて出演。ジラール氏の茶と青緑のコンビの靴がとても気になってしまったですよ(^^;
元気な小学生の男の子がウロチョロしていたけど、ジラール氏のお子さんのようだった。

|

2019年6月13日 (木)

「金子文子と朴烈(パクヨル)」:アナーキー・イン・JP

190613_1 監督:イ・ジュンイク
出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ
韓国2017年

私が金子文子に興味を持ったのは、岩波書店のPR誌「図書」でブレイディみかこが連載してた「女たちのテロル」を読んでである。こんな人物がいたのかと初めて知って驚いた。
で、もっと詳しく知りたいと思ってご近所の図書館に行って借りたのが、なぜか大逆事件についての本。完全に管野スガと取り違えていたのだった。無知である(+_+)トホホ

時は1920年代初め、「社会主義おでん屋」で働く文子は差別を強烈に描いた朴烈の詩を読んで彼に惚れ込み、二人でアナキストグループを作って活動。ここに破天荒な無政府主義カップルが誕生したのである。
しかし関東大震災発生、朝鮮人虐殺が起こってその騒ぎに乗じて彼らも逮捕されてしまう。さらに爆弾計画が発覚、死刑宣告となり社会を揺るがす。

と書くと暗い話だが、映画のトーンは深刻ではなく、わざと軽いノリを加えている。特に検事の尋問や裁判場面など笑えるシーンも多い。
神も仏も、国家も陛下も信じないのさ、ルン♪みたいな感じで一貫している。

しかし、何せ人物や事件自体が強烈で目立ちすぎるので、映画自体の出来はゆるみがあるのが残念。まあでも日本映画では取り上げられないような題材なので一見の価値はある。
それから朴烈はその後あっちへ行ったりこっちへ来たりと、ジェットコースタードラマのような波乱万丈の人生を送ったらしいのだが、そこら辺は全く描かれていない(その点について批判があった)。思い込んだら突っ走る性格の人なのかね。
原題では朴烈の方が主人公のようだが、金子文子も負けず劣らず中心人物である。ここは邦題通りカップルで主人公ってことでよろしく。

韓国人の役者の日本語は皆さんうまくて感心した(もちろん日本人や在日の俳優も参加している)。ただ肝心の「十五円五十銭」の若者役の人についてはちょっと怪しかったかも……(ーー;)
文子役のチェ・ヒソはすごい美人💡 美人過ぎて出てくるたびに見とれてしまった。

「怪写真」事件はやっぱり謎である。何であんな写真が撮れたのだろうか(チラシは怪写真をそのままなぞっている)。単に昔は警察も検察もユルユルだっただけなのか。

なお、ブレイディみかこの連載をまとめた単行本『女たちのテロル』は岩波書店より発行されたばかり。金子文子だけでなく『未来を花束にして』の登場人物も取り上げられている。

|

2019年6月10日 (月)

「バロック・オーボエの音楽 3 フランスの組曲、トリオ、コンセール」:低音の魅力

190610 演奏:大山有里子ほか
会場:近江楽堂
2019年4月27日

オーボエ奏者の大山有里子を筆頭として4人でオーボエ曲を聞かせるコンサートである。シリーズとしてもう3回目までやってるとは知りませんでした(^^ゞ

他のメンバーはヴァイオリン小野萬里(この日もお衣装が素敵✨)、ガンバ矢口麻衣子、チェンバロ岡田龍之介である。
サブタイトル通りにフィリドル、オ(ッ)トテールなどフランスの作曲家の作品を編成を変えつつ演奏。

途中の解説で初めて知ったのだが、バロックオーボエは17世紀最後の15年間に作られて普及したのだという。そうだったのか(!o!)とビックリ。オペラが流行って歌と一緒に演奏するためにオーケストラで使用したという。

バッハのカンタータでオーボエはよく耳にするが、フランスのものはドイツより長くて細いそうな。確かに音色が異なる。

クープランの「王宮のコンセール」のような有名曲もあり、オーボエが入るとまた印象が変わってくる。
もちろん、いずれの曲も明確にオーボエを指定しているのではなく、使用してよいぐらいのものらしい。
一番聴き応えあったのはドルネルとショヴォンという人の組曲だった。
「ショヴォン」というと (´・ω・`)ショヴォーン を連想してしまうのは仕方ないよね。クープランの弟子でオーボエ奏者(多分)だったそうである。各曲に標題が付いていて、多彩な曲調が楽しめた。

ヴェルサイユ・ピッチを使用しているので低めの音であるとの解説があった。近江楽堂だからチェンバロの音も低音が特に響いて「ゴリッ」とか「ブリン」というように聞こえたのには驚いた。

連休の初めだったせいか、ただでさえ少ない若い人がさらに少なくて、会場に白髪頭が多数だった。
よく近江楽堂はコンサートホールと間違えてくる人が多いが、この日は新国立劇場(駅は同じで隣の建物)と間違えて来てた人がいた。さすがに珍しい……。

|

2019年6月 8日 (土)

「あなたはまだ帰ってこない」:ファントム・オブ・ラブ 死者に繋がれ生きるのなら

190608 監督:エマニュエル・フィンケル
出演:メラニー・ティエリー
フランス・ベルギー・スイス2017年

予告や宣伝を見ると、戦争中の夫婦愛を謳う悲劇作っぽいものになっていたが、原作がマルグリット・デュラスとあっては絶対違うだろう(>o<)と行ってみたら、予想通りやはり違っていた。

原作は戦争中の日記や手記をそのまま載せたというだけあって、明瞭な起承転結があるような物語ではない。
ナチス占領下のパリで密かに夫と共にレジスタンス活動をしていたデュラスであったが、ゲシュタポに夫を逮捕されてしまう。一体夫はどこへ連行されたのか。不確かな情報として流れる他国の収容所の噂。そこで何が行われているのか。

そこへゲシュタポの男が彼女に接触してくる。向こうは夫の情報をちらつかせ気があるそぶりを見せるが、互いに秘密を探ろうともする。

これらの描写はかなり幻想的だ。アウトフォーカスや鏡を使った場面も頻出し、デュラスの心象風景が執拗なまでに描かれる。

パリが解放されても夫は帰ってこない。収容所の残酷な噂も、人々は気にしてないようだ。浮かれるパリに違和感を感じつつ彼女は夫の影を探し回り街をさまよう。
期せずして、私は大貫妙子の『Tango』にある「激しく不在にさいなまれて」という一節を思い浮かべてしまった。

ここで意外だったのは--いや当時としては当然のことなのかもしれないのだが、パリ市民は近隣国の収容所で虐殺が行われているなどということは想像もしてなかったということだ。聞いたとしてもそんなバカなことをするわけがない❗と思うのが普通の反応なのだろう。

その後、結末にいたる彼女の言動は不可解である。不可解ではあるが、不可解であるということは理解できる(変な言い方だが)。
果たして不在こそが愛の実在だったのか。そして幻想が全てを覆う。

監督は日本では作品初公開らしいが、息苦しいまでのデュラスの惑乱を見事に描いていた。
すっぴんメイクのメラニー・ティエリーもその世界になりきっている。
一方、ゲシュタポ役のブノワ・マジメルにはビックリである。ものすごく恰幅よくなっちゃって、そのまま暗黒街の顔役になれそう(!o!) 『グリーンブック』のヴィゴは太ってても分かったけど、こちらは事前に出演していると知らなければ確実に気付かなかったに違いない💥それほどに別人感あり。
別に太ってるのが必要な役柄とは思えんが……今は素でこんな体格なのか(?_?)

字幕の訳者として寺尾次郎のクレジットが出てきたのは驚いた。映画の公開は死後数か月経った頃だと思う。よほど前から訳していたということだろうか。


さて、結末についてだが、ちょうどこの映画を見たのと同じ頃にマーガレット・アトウッド『昏き目の殺人者』を読んでたのだが、それぞれのラストシーンがすごくよく似ているのだ。以下、引用する。

だが、女は見られない。男に焦点を定めることができない。男はじっとしていない。輪郭がぼやけて、キャンドルの炎のように揺れているが、明るさはない。ああ、彼の目が見えない。
 死んでいるのだ、当然。当然ながら死んでいる。だって、訃報を受け取ったではないか?

これはどういうことか。監督がアトウッドに影響受けたのか? それともアトウッドの方がデュラスをなぞったのか。(原作を読んでいないので不明)

|

2019年6月 4日 (火)

「全ロック史」

190603 著者:西崎憲
人文書院2019年

人文書院がロックの本を(?_?) しかもその分厚さたるや510ページである。表紙がソフトカバーだからまだしも、これでハードカバーだったら重くてうかつに持ち歩けない。
しかし、読了した\(^^@)/ 読み飛ばしなし、である✨ もちろん、ちゃんと中身を理解しているかどうかは置いといて(ちょっと自信なし)。

冒頭、ブルースとカントリーの歴史から始まる。これはロック史としては当然のことだろう。その後50年代→60年代と進むが、60年代末から70年代にかけての一般にはロック勃興期とされる時期が妙に「薄く」感じた。
そしてさらに読み進めると、パンク以降の方が叙述が長かったのだ。これは意外だった。だが著者はロックの中で最も重要なのはパンクだと主張しているのである。

「ロックのジャンルのなかで一番重要なのものは何だろう。(中略)パンクであると答える人間は少なくないだろう。」

その後はジャンル別に記述が進む。80年代後半から90年代にかけてこれほどにジャンルの細分化が進んだのかと驚くほどだ。これでは同時代的に聞いてたとしても、「全ロック」をその時点で捉えるのはもはや不可能だろう。
だから読者から「あのバンドがないのはどうしたことか」と文句が出るのは(著者はあらかじめ予想しているが)致し方ないことだ。

特にハードコアパンク、ヘヴィーメタルについては極めて詳細。「こんなにたくさんサブジャンルあったの……」と驚いちゃうほど。詳細すぎてほとんどバンド名の羅列と化している部分もある。
ただ、その合間に「優れたバンドである」とか「いいデュオである」などというフレーズが出てくるけど、これは何がどういいのか不明で、あってもなくても変わらない無意味な記述ではないだろうか。

他に特徴としては英米中心、またバンド中心である。ソロミュージシャン(女性も多く含む)は数が少ない。また、バンドの後に長いソロ活動を続けているような人物は独立後の活動はあまり取り上げられてない。(例:ウォーレン・ジヴォン、ジェフ・ベック)スプリングスティーンやプリンスは「分類不能のバンド」の章にある。
非常に人気があって売れたバンドであっても、ないものはない。(例:ボストン、ジャーニー、シカゴ)

また歌詞の訳が頻出するのも意外。著者は翻訳家でもあり、そもそもこの本は訳詞集として企画されたそうだから当然のことか。「ロックが基本的に言語を必要としている」のであれば歌詞について語るのは不可欠ということになる。
となればこれは単に音楽やサウンドをたどるというよりは「全ロック精神史」なのだろう。精神を取り上げるのならば、売れたかどうかなどは関係ない。それであれほどヒットチャートを賑わしたあのバンドこのシンガーはいないのだ。

思えばロックはメビウスの輪のよう。正統と異端、メインストリームとオルタナティヴが裏返ってつながって、またひっくり返る。その精神は常に再生と死を繰り返すのであろう。

その膨大な流れを記した大部の力作、よくぞまとめたものよ。というわけで著者にはお疲れ様でしたm(_ _)mと言いたい。
とはいえ、やはり「ロック産業史」(「産業ロック史」ではない)みたいなものも読んでみたくなるのがファンというものだ。誰か書いてくれんかなー(あくまで他力本願)。プロデューサー名の羅列になりそうな気もするが……。


しかし、やはり文句言いたくなるのは仕方ないことであろう。完読した者には一カ所ケチつける権利を許してほしい。椹木野衣だって書評でマリリン・マンソンが一行しか出てこないと書いてたぞ。
U2よりデフ・レパードの記述の方が長いというのは全くもって納得いかない!(U2三行、デフ・レパード五行) せめて同じ行数にしてくれ(--#)

 

|

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »