« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年7月

2019年7月30日 (火)

聞かずば死ねない!古楽コンサート 8月版

待ち望んだ梅雨明けヽ(^o^)丿 しかし湿度は変わらず気温が上がるだけというのはどうしたもんでしょうか⚡

*1日(木)技巧と調和 17世紀ドイツ・オーストリア珠玉の器楽作品(天野寿彦ほか):近江楽堂
*7日(水)”フレンチ・カンタータの時代”の音楽4 オルフェ(横町あゆみほか):近江楽堂
*9日(金)ナポリの香り F.マンチーニとその周辺(向江昭雅&平井み帆):近江楽堂
*14日(水)~17日(土)ダ・ヴィンチ音楽祭in川口:川口総合文化センター・リリア
*17日(土)運命の輪ツィクルス ギヨーム・ド・マショー/カルミナ・ブラーナ(ルドン絢子ほか):近江楽堂
*21日(水)今こそ別れのとき(セブンティアーズ・コンソート):近江楽堂
*23日(金)古楽オーケストラLa Musica Collana:五反田文化センター
*24日(土)・25日(日)東京リコーダー音楽祭(東京文化会館小ホール)
*28日(水)フェデリコ・アゴスティーニ&岡田龍之介:ルーテル市ヶ谷センター ♪29日に横浜公演あり
*30日(金)ノートルダム大聖堂再建支援チャリティーコンサート:近江楽堂
*31日(土)Ut/Faコンサート2019(宇治川朝政&福間彩):近江楽堂

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。
WOWOWにて23日にローザス「ブランデンブルク協奏曲inパリ・オペラ座」の放映あります! 加入している者はバッハ先生の「ラジオ体操み」を確認せよ。
ついでに、一部で話題となってたジョン・レジェンドの「ジーザス・クライスト・スーパースター」(17日放映)もありますな。

|

2019年7月25日 (木)

「〈性〉なる家族」

190725 著者:信田さよ子
春秋社2019年

これまで語られず闇へと葬られてきた家族内のDV、性虐待、セックスレス、トラウマなどをあからさまにして論ずる書である。特に母→息子、どころか母→娘への性虐待は読んでて恐ろしい。かなりヘコむ。
そも、近親「相」姦という言葉自体に虚偽が既に存在するのだ。そこには双方の上下・権力関係を覆い隠す効力がある。

家族のシステムを支えるロマンティック・ラブ・イデオロギー、個人の問題だけではない不妊治療、虐待によるPTSD、WeToo運動など問題は多岐に渡る。

そして最後は、国家の暴力と家族間の暴力の類似性を明らかにする。それは外部から見えにくく、内部では容認されていることで共通している。

それを端的に表すのが、国家の暴力の最たるものである戦争神経症だ。元々は第一次大戦で注目され、ヴェトナム戦争では帰還兵が社会的問題となった。
日本国内の問題としては知られなかったが、少し前のNHKのドキュメンタリーが太平洋戦争時の兵士を取り上げて大きな反響を呼んだという。

常時の暴力的な状態から帰還した戦争神経症の日本兵は、今度は家庭内暴力を振るった。国家の暴力である戦争が、家族にダメージを与える……。
私はこのドキュメンタリーを見ていないが、この本に紹介されている事例を読んで、私の父親もこれに当てはまるのではないかと初めて思った。
二十歳前に徴兵されて、満州に派遣され、終戦後はシベリア送りとなってから帰還した父親は、その後に酒で家族に多大なる迷惑をかけた。それは若い頃よりも歳をとるにつれ顕著になった。(結局、酒の飲み過ぎで死んだ)
今でも思い出すのが嫌になる。まあ、私より母や兄の方がもっと長い年数付き合ってたんだから、よけい大変だったろう。
本当に戦争神経症だったのかは分からないが。

ここに国家の暴力と家族の暴力がピタリと転写されている姿を見ることができる。覆い隠されたシステム内でのほころびである。

「家族、そして性については再学習」し、再定義し、過去を変えること--と著者は語る。「家族」に疑問を抱く人にお勧めしたい。
いや、逆に「家族」なるものに全く疑いや不安を抱いていない人にもお勧めしよう。

|

2019年7月24日 (水)

「誰もがそれを知っている」:ファミリー・アフェア 後から効く~

190724 監督:アスガー・ファルハディ
出演:ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス
スペイン・フランス・イタリア2018年

ファルハディ監督の新作はスペインを舞台にして、ペネロペ・クルス&ハビエル・バルデム夫婦共演という大ネタを投入である(もっとも、役柄自体は夫婦ではなくて「元恋人」という設定)。

スペインの田舎町からアルゼンチンの資産家に嫁いだ女が、妹の結婚式のために子どもたちと共に帰郷する。しかし、十代の娘が誘拐され身代金の請求が……。
スペインでは実際に悲惨な誘拐事件が起こっていて、かなり国中を揺るがす大きな騒動となったらしい。それを踏まえて話が展開する。その事件の記憶があるためにうかつに警察へも訴えられない。
だが、どうもこの誘拐事件は見ていると何かが引っかかるのであった。

バルデム扮するかつての恋人の男は、元カノに降りかかった災難に対し奔走する。自分の農場で働く季節労働者(その多くは移民らしい)や、自分の妻が教えている矯正施設の生徒を疑う。そこには普段は隠された差別感が緊急時には露呈するということが、さりげなく描かれている。
また、そもそも女の父親は元地主で、対外的にはその強権的な性格が嫌われているし、家族内もドロドロしている。
と、ファルハディお得意のイヤ~ン案件が続出するのであった。

しかし、どうしたことであろうか。これまでの監督作品にあった人物を追い詰めるような緊迫性はなく、スター俳優二人を迎えたためかなんとなくライトな仕上がり。メロドラマ調に流れているような印象で、物足りないままに終わってしまったのだった。本来ならば「うわー、もうイヤだー」とパッタリ倒れたくなるような内容なのが普通だろう。
--と、思っていたのだ、当初は。

だが、段々と時間が経つにつれて思い返す度にイヤ~ン味が増して感じられるようになってきたではないか。こ、これは……相当にひどい話じゃないの!(詳しい内容は、下記のネタバレ線以下に記述)。
時間差でイヤさ全開になるとは、監督の芸風もますます磨きがかかってきたようである。
今回も彼は身近な家族内にペタリとくっ付いている、善とも悪とも決めつけられないけど醜悪な部分を掘り出すのに成功したようだ。

190724b 娘役のカルラ・カンプラがなかなかの演技を見せる。若いのでこれからの期待株か。情けない父親役のリカルド・ダリンは「瞳の奥の秘密」などで知られる渋い二枚目俳優。こういう役も完全にこなしているのはさすがである。

大判のチラシにあった辛酸なめ子イラストのストーリー紹介があまりにも的確で笑ってしまった。→確かに、ペネロペ・クルスの憔悴ぶりの落差はすごい。


------------------------★ネタバレ注意★-----------------------

以下は完全ネタバレです。自己責任でお読みくだせえ( ^o^)ノ


バルデム扮する男は農場を失い、妻も彼の元を去る。しかし、最後に彼は自分に娘がいたことを初めて知って、その幸福感にベッドに横たわってかすかに微笑む。

だが、その一方でそれに等しいぐらい身近な近親者である兄が自分を裏切っていることを知らない。そのやり口は狡猾で、警察に通報させないためにわざわざ警察OBのアドバイザーを紹介までする。
扱いやすい子どもの弟の方ではなく、わざわざ十代の娘を誘拐するからには完全な部外者の犯行ではなく、男の財産も狙っているのは明らかだが、「誰もが知っている」のだから容疑者は町の住民全員でおかしくはない。

それを、期せずして攪乱するのがアルゼンチン人の夫の存在である。性格は神頼みで成り行き任せ。そのような人物だからこそ娘は生を受けたわけだが、全くの他人である男が自分の身代金を払ったことを娘に問われても何も答えない。
こりゃ、後々まで禍根を残すだろうなあ……と想像すると、ますますイヤさ加減が増すのであった

|

2019年7月20日 (土)

「大塚直哉レクチャー・コンサート 2 「フーガ」の苦しみと喜び」:鍵盤を押してもダメなら弾いてみな

190720 オルガンとチェンバロで聴き比べるバッハの“平均律”
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2019年7月7日

前回は自由席でほぼ満員だったため、長蛇の列が出来てしまったレクチャー・コンサート、第2回以降は座席指定になったことで、混乱もなく粛々と入場できた。

「平均律クラヴィーア曲集第1巻」をチェンバロとオルガンで聴き比べるこの試み、前回は大幅に時間オーバーした上に、予定まで終了できなかったので、今日は11~17番と控えめな(^O^;設定であった。
チケットがお手頃価格のためかこの日もかなりの入りだった。

11番から順にナオヤ氏がそれぞれのフーガの構造など説明しては弾いていく。鍵を押すのにチェンバロは「どう始めるか」、オルガンは「どう終わらせるか」が問題、などという話も出た。

チェンバロでまず聴けば「あ、いいなあ」と思い、その後オルガンで同じ曲を聴くとまた「こちらの方がいいか」と考え直す。順番が逆になって弾いてもそれぞれ聴く度にそう感じるのだった。
ただ、チェンバロの方は全体に溶け合った音だけど、オルガンは低音がクッキリ分かれて聞こる印象だろうか。

途中でヴァイオリン若松夏美が登場。しばしナオヤ&ナツミのフーガ談義を繰り広げた。
ナオヤがフーガはどうも苦手でと辛さをしみじみ語れば、ナツミが「でも好き!(^^)!」と笑いながら返す。フーガは肉体的にも頭脳的にも大変、というのは二人とも一致してたようだ。

この後、ナツミ氏が「無伴奏」の2番を披露して、迫力ある演奏に会場の喝采を受けた。時間が足りなくてオナヤ氏の鍵盤編曲版の演奏を聞けなかったのは残念。「古楽の楽しみ」の公開演奏版で弾いたヤツだよね。

アンコールは、プログラムでは二人一緒にできなかったのでと、BWV1026の「フーガ」を。これはE・ガッティ&アレッサンドリーニの録音でラストに入っていた曲ではないですか。録音ではチェンバロだったが、こここではオルガンを使用。また異なった味わいだった。
短いながらいい曲だと思うんだけど、これって偽作の疑いがあるの(?_?)

第3回も既にチケット購入(セット券は合計で400円お得なのだ)。来年2月だが、18~24番楽しみにしてまーす。

|

2019年7月19日 (金)

「たちあがる女」:アイスランディック・ソウル 不屈の闘い

監督:ベネディクト・エルリングソン
出演:ハルドラ・ゲイルハルズドッティル
アイスランド・フランス・ウクライナ2018年

「変な映画」は数あれど、それにプラスして面白いというのはあまりない。しかし、このれがまさにそうであった。こんな映画を生み出したアイスランド恐るべし。

表の顔は中年女性、アマチュア合唱団の指導者。しかしてその実体は--環境を守るため破壊工作に日夜はげむコードネーム「山女」であったのだ!
疾きこと風の如し、矢を放っては送電線をぶっ壊し、大地や風の動きで追っ手を素早く察知、姿を潜める。
ただ、逃走経路は計画段階でちゃんと確保した方がいいと思うんだけど……💨

映画の感想では「女ランボー」などと評されていたが、不動の意思をもって美しい野山をひた走る主人公はさながら中年ナウシカのように見える。
宮崎駿の原作マンガでは結末でナウシカは市井の人に戻ったと書いてあるが、あたかも中年になったナウシカが環境破壊に怒り再び立つ(*`ε´*)ノ☆となったら、こういう感じではないか。なにせドローンの接近を素早く聞きつけちゃうんだから。

現在の標的は拡張計画中のアルミ工場で、中国資本がらみらしいのが描かれる。以前、この本を読んだ時に中国のアフリカ大陸への食い込み具合に驚いたが、実際ヨーロッパにもかなり進出しているそうだ。アイスランドというと、日本と違ってもっとゆったりとした国だというイメージがあるものの、監視カメラやドローン・警察のヘリによる追跡、ネット盗聴など物騒な面も登場する。

しかしこの映画の一番の驚きは、本来劇伴として背景に流れるはずの音楽を実際にミュージシャンが画面に登場して演奏することなのだ(!o!) オルガン、ドラム、スーザフォン(変わった組み合わせ)の奏者が付かず離れずヒロインと共に行動して(たまに休憩したりする)、その状況に合わせて音楽を奏でるのだ。
こんな発想見たことも聞いたこともねえ~。驚きである。
途中からは地声3人の女性コーラスも加わる。ブルガリアン・ヴォイスっぽいけどアイスランドにもあるんだーと思っていたら、ウクライナの伝統音楽らしい。

音楽だけでなく映像のセンスや編集のテンポもいい。この監督、これが2作目だというからこれからも期待大だろう。
あと、ヒロインの「活動」に巻き込まれて毎度必ずトバッチリを受ける外国人観光客のおにーさん。笑っちゃうのだけど、監督の前作にも登場しているそうな。次作にも出して欲しい。

ラストの光景はぼーっと見ていて気付かなかったのだが、主人公の活動と直に関わっていたのだった。恥ずかしながら他のネットの感想読んでて気付きましたよ(^^ゞ ヒントは自室で流れているTVニュースである。
最後まで演奏団を付き従え、断固として進む彼女の姿に感動である。

また邦題に文句つけたい。主人公はとっくに「たちあがって」いるのだから(「立ち上がる」じゃないので検索もしにくい)、ここは一つ「不屈の女」ぐらいにして欲しかった。

ところで、本作はジョディ・フォスターの監督・主演でハリウッド・リメイクの予定らしい。彼女がやったら余計に中年ナウシカっぽいかも。

|

2019年7月15日 (月)

「クリスチャン・ボルタンスキー lifetime」:墓無き者に

190715a 会場:国立新美術館
2019年6月12日~9月2日

ボルタンスキー50年間にわたる活動の大回顧展来たる! 元々、単品では日本でも紹介されることの多かったアーティストだが、その性質上まとまっては見ることが出来なかった。過去に東京都庭園美術館で中規模の展覧会は行われている。(その感想はこちら

外は暑くてムシムシしている日だったが、中は冷房が効いていてかなり涼しい。上着持ってくればよかったというぐらい。
最初に観覧者を迎えるのは初期作品の映像だが、まともに見て(聞いてると)ゲゲエとなってしまうので、適当に飛ばす(^^; こんなのを過去に作っていたのかと驚きだ。
なお、上部の天井近い所にも「出発」という作品があるのでお見逃しなく。

入場時にやはり庭園美術館の時と同じく広げるとA2用紙の作品リストを渡される。客は暗い中をそれをゴソゴソと開いて作品をチェックすることになる。私のようにド近眼&老眼の人間にはかなりツライですな💨

広いスペースを取って展示されているのは「モニュメント」「聖遺物箱」「死んだスイス人の資料」など死者を扱った一連の作品である。二つの連続した展示室に祭壇のような幾つも連ねられている。死者の写真や引き出しのような箱、小さな電球が、ひんやりと暗く死の存在を伝えてくる。しかし箱やトランクケースは古めかしく、写真はぼんやりとしているのでその人物の姿は曖昧でしかない。
あたかも死の集積が存在の証であるようだ。なぜなら生きていなければ死ぬこともできない。忘れ去られた人が生きていたことを確かに伝えるのは死の事実だけなのである。

190715c もう一つの大きな空間は「ぼた山」で黒い服が巨大な山のように積み上げられている。
それの一画では「アニミタス」のシリーズが巨大スクリーンに映されている。今回、多数の風鈴が下げられているのはなんと冬のカナダの雪原で、そこは吹雪いている。
頭上からは冷房の風が吹き付けていて、真夏に見たら完全にかき氷を食べる以上に涼しくなれるだろう。
さらに別の巨大映像作品もあり(これはかなり音がウルサイ)。天井からも作品が下がっていたが、これはちょっと見にくかった。

190715d 黒服の山の周囲には、これまた黒服を着た簡略化された人型が数体点在している。こいつにはスピーカーが仕掛けてあり、そばに立つとそれぞれ異なる内容を喋るんである。「あなたはお母さんを一人で置いてきたの」みたいな結構シビアな語りかけだ(ーー;)
一体だけ無言のヤツがいるので注意。

その先には「来世」のネオンサインがペカペカと輝く。これを見ると彼の作品の基本は仏壇ではないかと思えてくる。思わず手を合わせる。

190715e


残りの作品は展示スペースが今ひとつ狭くて残念な感じだった。膨大な数の様々な衣服が壁に垂れ下がっている「保存室」は、もっと広い部屋だったら迫力だったろうけど……。
期間中に毎日3個ずつ電球が消えていく「黄昏」も狭い所に押し込められているようだった。ドーンと広い場所で見たい。
逆に小さな紙人形を使った「影」シリーズは、前に庭園美術館の小部屋で見た方が作品に合っていた。難しいもんである。
影の天使はチラシの写真だと古い教会の丸天井に飛ばしていたようだ。今回は下手すると気付かずに通り過ぎちゃう人も……。

190715b ボルタンスキーは死につつあることを証明するために生のイメージをも援用しているように思える。
ヒンヤリとした死の記憶と冷たい風景、そして小さくおぼろげなものへの郷愁--まことこの展覧会はお盆の時期に見るのにうってつけのようである。墓参りの代わりに行くのも一興だろう。

撮影可能スペースを一部に限定しているのはよかった。しばらく後に同じ六本木での塩田千春展行ったら、ほぼ全域で撮影できてみんな撮りまくっていた--のはいいけど、ハッキリ言って作品鑑賞のジャマ!であった。

なお、地下のアートショップやカフェのある無料フロアで、ボルタンスキーの過去をたどる映像(約50分)を常時やっているらしい。後で知って行けばよかったと思ったがもう遅いのであった(T_T)
また、表参道のルイ・ヴィトンでは関連企画で「アニミタス」シリーズの他作品をやっているとのこと。こちらは11月までと、かなり長期間だ。

|

2019年7月12日 (金)

「G.Ph.テレマン ターフェルムジーク 食事を楽しむ音楽」:食べる前に吹け!

シリーズ「フルートの肖像」15
190712 演奏:前田りり子ほか
会場:近江楽堂
2019年7月6日

前田りり子が主催するシリーズ、過去に皆勤とは言えないが半分は行ってるかな。一日二回公演でこの日は夜の方を聞いた。
今回はタイトル通りにテレマンの「ターフェルムジーク」からフルートの入っている曲を演奏する。
この曲集は有名だが、よくよく考えるとまとめて演奏会で聞くことは滅多にない。りり子氏解説によると元々「食卓の音楽」というのは、王侯貴族の来客をおもてなしするための音楽のジャンルであって、食堂の隣室や頭上のバルコニーから演奏家たちが奏でたという。
しかし、テレマンの曲集は用途を限らず気軽に楽しめる曲を厳選したものとのこと。おかげで当時の楽譜出版の予約者が多数付いたらしい。

第1~3集まで2曲ずつの演奏だった。そのたびに編成は変わるが通底のチェロ山本徹とチェンバロ渡邊孝は不動である。
2本目のフルート(野崎真弥)、ヴァイオリン(秋葉美佳)、オーボエ(三宮正満)それぞれ色々な掛け合いの妙が堪能できた。特に第2集のトリオソナタでのフルート×オーボエはさすがの巧みさと面白さで、やはりここはベテラン同士じゃなくてはできない演奏。テレマンは楽しいだけじゃないんですう(>O<)と言いたくなった。
全員でのアンコール(序曲と終曲の編曲版)も活気あってよかった。

りり子氏は曲間に「テレマンは4回目なのでもう喋るネタがなくなった」と、秋葉氏と三宮氏にガット弦とリードについての質問コーナーを設定。その秘密に迫るため価格までしつこく聞き出そうとしていた💣
その鋭いツッコミ……探求精神大切ですよね(^^)b

オーボエのリードの材料アシは南仏某所の畑のものが世界中の奏者で奪い合いとか、曲がっているものは使えないので買っても4分の1は廃棄--とか、タメになるかどうかは不明なれど面白いお話でしたよ( ^o^)ノ

|

2019年7月 7日 (日)

音楽三昧2019「ゴルトベルク変奏曲」:バッハ30変化

190706 演奏:アンサンブル『音楽三昧』
会場:近江楽堂
2019年6月2日・5日

このグループは5人の器楽アンサンブル。過去にバッハの鍵盤曲を器楽用に編曲して演奏したCDを2枚出しているが、この度「ゴルトベルク」も出したので発売記念公演をやった。過去にはこちらを聞いたことがある。

私は2日の方に行った。折しも裏番組ならぬ裏公演としてお隣のオペラシティコンサートホールではBCJをやっていた。しかしほぼ満員だった。

構成は前半で短く「イタリア協奏曲」をやった後、休憩後に「ゴルトベルク」イッキ弾きというもの。この手の演奏では編曲の巧みさがカギとなる。
フルート+チェンバロ+弦の組み合わせでまさに「変奏」の極みというか、多彩な楽器の組み合わせで表情がクルクル変わる印象。楽器もヴァイオリンとガンバ、チェロとヴィオラ持ち替えたりして大忙し。やはりここは田崎瑞博の編曲の腕前が際立っていたようである。

例えば第25変奏ではコントラバスとチェロだけでガシガシと懸命に低音を弾きまくる場面があったりして、そこだけ切り取ったら一体何を演奏しているのか(?_?)みたいな不可思議な気分になる。

オリジナルメンバーはフルートが菊池かなえだったのだが、なんと故障休場とのことで、急遽代打として中村忠が入っていた(お疲れ様です)。そのせいかプログラムに記載のバロック・ピッコロは使われなかったもよう。
しかし、6月4日に予定されていた上尾直毅の公演も中止になっちゃったし、近江楽堂何かあるのか。そのせいか?えらく冷房が効いていてマイッタ。


【追記】6月末になんと中村忠氏が急逝されたそうです。この公演ではお元気だったので衝撃……。(上で近江楽堂がどうのと書いたのはジョークです)
ご冥福をお祈りします(-人-)

|

2019年7月 5日 (金)

音楽と身体その4「トッド・ラングレン THE INDIVIDUALIST TOUR」:失われた情熱を求めて

190705 会場:すみだトリフォニーホール
2019年5月22日

トッドのコンサートはかなり前に3回(多分)行ったことがある。ただし、そのうち1回は中止になってしまった。当日知らずに(まだネットがない時代)仕事早退きして渋谷まで行ったら「中止」の張り紙があったとゆう……(=_=)
近年も彼は何回か来日しているが、今回のツアーは過去のヒット曲満載🎵らしいということで、久し振りに行ったのだった。

会場はクラシックやアコースティック系専用のホールだと思っていたのだが、最近はロックもやるようである。この規模のホールが老朽化などで、都心では数が少なくなっているせいだろうか。
客の男女比は65:35ぐらいか? ネットの感想で「男性がほとんど」というのを見かけたけどそれほどではない。

登場したトッドはさすがにかなり体重増という印象だったが、年齢を考えると(この時点では70歳)仕方ない。
曲は1970年代から80年代初頭の名曲でほとんど構成されていた。例外は休憩後1曲目の「インディヴィデュアリスト」とアンコールの「ウォント・オブ・ア・ネイル」だけ(大阪公演では曲目違ったらしいが)。
バックメンバーにはお馴染みのカシムや、元カーズの人(名前失念)などベテラン揃いだった。

途中でトッドが本がどうのこうのと話していたが英語よく理解できず(~_~; 後で調べたらどうも自伝を出したのでそれに合わせた選曲だということらしい。

驚いたのはスマホやカメラで撮り放題&録音し放題だったこと。客の年齢が高いからまだしも、これで若い人が多かったらもっとスマホ乱立がすごかったろう。
ボブ・ディランなんか会場で一人でもスマホ撮影してたら歌うのを止めてしまうらしいから、この差はスゴイ。

ステージの背景には当時のアルバムのジャケットやトッドのスナップ写真が映される。かくして懐かしのあの曲、この曲オンパレードで会場も盛り上がった。
私より年齢高そうなオジサンオバサンも熱狂し、英語で歓声をを上げる。

トッドの声は往年ほどの艶はなかったが、声量は変わらずに歌いまくり健在ぶりを見せて、息切れもなく動き回る。さすがにミック・ジャガーには負けるが、その次ぐらいには元気だったですよ(o^^o) 彼のギターの調子が良くなくて、ちょくちょく音が消失してたことぐらいしか問題はなかった。

しかし、どうしたことだろうか。あんなに元気なトッドなのに何かが違う……。以前聴いた時とはよく分らないがどこかノリ切れない。なんなのだろうか。
と、不意に私は思い至った。トッドに変わりがないのなら、変わったのは私の方だろう。
かつてあれほど彼のコンサートで感動し熱狂した私はもういないのである。もはや私は熱狂する身体を持ってはいないのだった。

もう私は昔のように音楽を楽しめないのか……。かくして私はガックリとして、ショボショボ(v_v)と錦糸町駅に向かい総武線に乗ったのであった。

|

2019年7月 3日 (水)

音楽と身体その3「我らの人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」:動かざること……

190703a 出演:ローザス、ジャン=ギアス・ケレス
会場:東京芸術劇場プレイハウス
2019年5月18・19日

そもそもこれを見に行こうと思ったのはチェロのジャン=ギアス・ケラスが生演奏をするというのを知ったからである。
ベルギーのダンスカンパニーであるローザス--名前は聞いたことがあるぐらいだったが、この公演の広告をたまたま見たらチケット七千円じゃありませんか(!o!) ケラスの単独公演でも下手するとこの値段ぐらい取られそうなのに、さらに最先端のダンスとの合わせ技というのなら超お買い得である。
だからというわけではないだろうが、会場は満員だった。

しかし、ダンス公演というとどうも自分に合わないことが多いような……。かつて大枚はたいてフォーサイスを見たが「よく分からん」で終始してしまったことがある。ヤン・ファーブルについても同様だった。かなり不安あり。
ただ、昔はダムタイプが好きで何度か行ったし、少し前のノイズムも面白かった。もっともダムタイプはパフォーマンスの範疇だし、「ロミオとジュリエットたち」は半分演劇だから、純粋なダンスよりコンセプト寄りなのかしらん。

本作はバッハの無伴奏チェロを第1番から6番まで順番に、舞台上でケラスが弾くのに合わせて踊る(楽章飛ばす部分もあり)。曲ごとに四人の男性ダンサーのうち一人ずつ登場、主宰者兼振付のドゥ・ケースマイケルが途中で一緒に踊り出す(彼女はこれが最後の公演とのこと)。
5番はドゥ・ケースマイケル単独で、6番は全員で、と進行する。

ケラスはほぼ出ずっぱりで大変だー。ミスは許されない。途中でうっかり一音飛ばしちゃったらダンサーが足もつれさせて倒れたりして(^0^;;;
曲の間にダンサーがステージの上に星印(?)のような幾何学模様をテープで引っ張ったり描いたりする(1階席ではよく分からない。2階席からなら床面見えただろう)が、これはケラスのブレイクタイムの意味もあるだろう。
4番で彼が一度引っ込んでダンサーが無音で踊る場面があるのだが、すごーく小さくチェロの音が聞こえてこなかったか? 舞台の袖の奥の奥で弾いてるのではと思ったんだが。

で、結局私にはやっぱりよく分らなかったのだ💧 曲とダンスの関わりがである。あまりに身体の動きが不可解な言語のようでどうにも繋がらなかったのだ。
ゴルトベルク変奏曲聞くといつもラジオ体操を想起するのだが、今日もそれっぽい動きがあった。バッハ先生とラジオ体操は深いつながりがあるのだろうか。

唯一よかったのは5番で照明を絞った中で、ドゥ・ケースマイケルの身体が闇と光に見え隠れする部分だった。
まあ、前席に座っている二人の客の頭でステージがよく見えなかったせいもあるだろう。ステージ全体が見えるようにわざと後方の座席を選んだらこれである。二人とも男性だったがとりわけデカイという訳ではなく、劇場の構造のせいかもしれない。

その5番の中でケラスが一人真横からのスポットライトを背に浴びて弾く場面がある。その身体が放つパワーは強烈で、それを越えるものを他に見いだせなかった。
ほとんど動かず演奏し続ける彼こそがステージ上で最も雄弁であったように感じたのである。

17日18日と三日間連続で公演鑑賞したわけだが(疲れた!)、この日の彼を見て(聞いて)音楽の身体性を確認した三日間であったと再認識した。
通常、クラシックの公演では照明のような演出は行われないから、そのことは聴衆には明確に意識されないだろう。

が、優れた演奏家ならば既に音楽を自らの身体と一体化しているのだ。それを彼は闇と光のコントラストの中で明らかにして見せた。
思えば四百年前のリュートを爪弾く佐藤豊彦も、敬虔な静けさに満ちたスカルラッティを歌うエクス・ノーヴォ合唱団も、音楽の身体性を強く感じさせるものであった。

分かちがたく存在する音楽と身体、彼らは微動だにしなくともそれは明らかなのである。身体なくして音楽はなく、音楽なくしてその身体もない。
願わくば踊り手には演奏家に拮抗するだけの身体性を提示してもらいたかった。あくまで個人的な感想であるが--。まあやっぱり私はダンスはダメですな(+_+)

190703b しかし、ケラスの攻めの姿勢はすごいね。古楽グループと共演もすれば、このように異種格闘技のようなダンス公演にも参加とは。

さて、事前に無伴奏チェロを復習しておこうと思って我がCD棚を探したのだが、なんと鈴木秀美(の2回目の録音)しか見つからなかったのだ。思えば生演奏もヒデミ氏しか聞いてないような気が……。いや、スパッラのは何回か聞いたんですけど💦
CDガイドの類いを見ると、定番はモダン演奏ではカザルス、マイスキー、古楽系ではビルスマ、ヒデミとなっているようだ。
そこで既に沼(山ではない)と化している未聴CD群をごそごそと漁ったところ、引っ張り上げたのは、なんとP・パンドルフォのガンバによる演奏であった……(^^;ゞ ま、別にいいよね。




|

2019年7月 1日 (月)

音楽と身体その2「アレッサンドロ・スカルラッティのレスポンソリウム」:光と声の空間

190701a 演奏:エクス・ノーヴォ室内合唱団
会場:神田キリスト教会
2019年5月18日

福嶋康晴率いるエクス・ノーヴォ室内合唱団、今回の定期演奏会は父スカルラッティの宗教曲である。
当時は人気オペラ作曲家であり、他には器楽曲などがよく知られるが、宗教曲となると録音でも耳にしたことは少ない。さらにコノレスポンソリウムは対位法重視の古い様式で書かれていて、日本ではほとんど演奏されたことがないそうだ。

レスポンソリウムは聖書のテキストによる典礼のための厳密な音楽で、三日間に渡って聖書朗読と共に演奏されるとのこと。
事前の福島氏の解説で、一日九曲をさらに三つに分けそれごとに主音が一つずつずれていくように作曲されているという話があった。今回は木曜と金曜を演奏(土曜日は省略)。

メンバーは各パート3名ずつで、これに佐藤亜紀子のテオルボと梅干野安未のオルガンが付いた。
小さな教会に、古めかしい様式であえて書かれた飾り気のないコーラスの響きが満ち渡る。それは敬虔な別次元の空間へと誘うようである。それも歌手の皆さんの巧みさがあってのことだろう。
歌詞の内容は聖書のイエスの受難から取っているが、ちょうどイエスが十字架にかけられる場面になったところで、教会上部正面のステンドグラスに陽光が当たって眩しい輝きが座席上に降りかかったのだった。
……感動です(/_;)

190701b 会場の教会は秋葉原の一画、外にはオタク諸氏諸嬢ひしめき、街頭の賑やかなざわめきももれ聞こえてくる。
しかしながら、歌い手の声は圧倒するように空間に満ち、同時に静謐な世界を形作っているようだった。

|

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »