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2019年7月 3日 (水)

音楽と身体その3「我らの人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」:動かざること……

190703a 出演:ローザス、ジャン=ギアス・ケレス
会場:東京芸術劇場プレイハウス
2019年5月18・19日

そもそもこれを見に行こうと思ったのはチェロのジャン=ギアス・ケラスが生演奏をするというのを知ったからである。
ベルギーのダンスカンパニーであるローザス--名前は聞いたことがあるぐらいだったが、この公演の広告をたまたま見たらチケット七千円じゃありませんか(!o!) ケラスの単独公演でも下手するとこの値段ぐらい取られそうなのに、さらに最先端のダンスとの合わせ技というのなら超お買い得である。
だからというわけではないだろうが、会場は満員だった。

しかし、ダンス公演というとどうも自分に合わないことが多いような……。かつて大枚はたいてフォーサイスを見たが「よく分からん」で終始してしまったことがある。ヤン・ファーブルについても同様だった。かなり不安あり。
ただ、昔はダムタイプが好きで何度か行ったし、少し前のノイズムも面白かった。もっともダムタイプはパフォーマンスの範疇だし、「ロミオとジュリエットたち」は半分演劇だから、純粋なダンスよりコンセプト寄りなのかしらん。

本作はバッハの無伴奏チェロを第1番から6番まで順番に、舞台上でケラスが弾くのに合わせて踊る(楽章飛ばす部分もあり)。曲ごとに四人の男性ダンサーのうち一人ずつ登場、主宰者兼振付のドゥ・ケースマイケルが途中で一緒に踊り出す(彼女はこれが最後の公演とのこと)。
5番はドゥ・ケースマイケル単独で、6番は全員で、と進行する。

ケラスはほぼ出ずっぱりで大変だー。ミスは許されない。途中でうっかり一音飛ばしちゃったらダンサーが足もつれさせて倒れたりして(^0^;;;
曲の間にダンサーがステージの上に星印(?)のような幾何学模様をテープで引っ張ったり描いたりする(1階席ではよく分からない。2階席からなら床面見えただろう)が、これはケラスのブレイクタイムの意味もあるだろう。
4番で彼が一度引っ込んでダンサーが無音で踊る場面があるのだが、すごーく小さくチェロの音が聞こえてこなかったか? 舞台の袖の奥の奥で弾いてるのではと思ったんだが。

で、結局私にはやっぱりよく分らなかったのだ💧 曲とダンスの関わりがである。あまりに身体の動きが不可解な言語のようでどうにも繋がらなかったのだ。
ゴルトベルク変奏曲聞くといつもラジオ体操を想起するのだが、今日もそれっぽい動きがあった。バッハ先生とラジオ体操は深いつながりがあるのだろうか。

唯一よかったのは5番で照明を絞った中で、ドゥ・ケースマイケルの身体が闇と光に見え隠れする部分だった。
まあ、前席に座っている二人の客の頭でステージがよく見えなかったせいもあるだろう。ステージ全体が見えるようにわざと後方の座席を選んだらこれである。二人とも男性だったがとりわけデカイという訳ではなく、劇場の構造のせいかもしれない。

その5番の中でケラスが一人真横からのスポットライトを背に浴びて弾く場面がある。その身体が放つパワーは強烈で、それを越えるものを他に見いだせなかった。
ほとんど動かず演奏し続ける彼こそがステージ上で最も雄弁であったように感じたのである。

17日18日と三日間連続で公演鑑賞したわけだが(疲れた!)、この日の彼を見て(聞いて)音楽の身体性を確認した三日間であったと再認識した。
通常、クラシックの公演では照明のような演出は行われないから、そのことは聴衆には明確に意識されないだろう。

が、優れた演奏家ならば既に音楽を自らの身体と一体化しているのだ。それを彼は闇と光のコントラストの中で明らかにして見せた。
思えば四百年前のリュートを爪弾く佐藤豊彦も、敬虔な静けさに満ちたスカルラッティを歌うエクス・ノーヴォ合唱団も、音楽の身体性を強く感じさせるものであった。

分かちがたく存在する音楽と身体、彼らは微動だにしなくともそれは明らかなのである。身体なくして音楽はなく、音楽なくしてその身体もない。
願わくば踊り手には演奏家に拮抗するだけの身体性を提示してもらいたかった。あくまで個人的な感想であるが--。まあやっぱり私はダンスはダメですな(+_+)

190703b しかし、ケラスの攻めの姿勢はすごいね。古楽グループと共演もすれば、このように異種格闘技のようなダンス公演にも参加とは。

さて、事前に無伴奏チェロを復習しておこうと思って我がCD棚を探したのだが、なんと鈴木秀美(の2回目の録音)しか見つからなかったのだ。思えば生演奏もヒデミ氏しか聞いてないような気が……。いや、スパッラのは何回か聞いたんですけど💦
CDガイドの類いを見ると、定番はモダン演奏ではカザルス、マイスキー、古楽系ではビルスマ、ヒデミとなっているようだ。
そこで既に沼(山ではない)と化している未聴CD群をごそごそと漁ったところ、引っ張り上げたのは、なんとP・パンドルフォのガンバによる演奏であった……(^^;ゞ ま、別にいいよね。




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