「ジュリアン・オピー」:電子カラスは液晶のドット抜けをつつくか
会場:東京オペラシティアートギャラリー
2019年7月10日~9月23日
単純な色と線の絵で知られるジュリアン・オピー、過去作で一番ポピュラーなのはブラーのCDジャケットだろうか。それを担当した頃はまだ人物の顔にまだちゃんと目鼻があったのだが、最近の作品になるともはや何もない。
他には映像インスタレーションで、国立近代美術館のロビーに常設されてるものがある。広重や北斎の風景画をパロディにしたような作品で、じっとしげしげ見るようなものではなく、通りかかるたびに思い出したように眺める類いのものだ。
以前、水戸で大きな展覧会があったらしいが、残念ながら見ていない。今回はここ2年ぐらいの新作中心である。
会場に入るとチラシやポスターに使われている作品が正面にあって眼に入る。しかし、これがデカくて驚く(!o!) 高さ6メートルなどと作品リストに書いてある。
しかも平面作品かと思っていたら厳密にはそうではない。立体になるのか?不明。
壁に直接描いてあり、しかも服などの色が着いている部分は盛り上がっている、「着色した木材」を貼り付けてあるらしいのだ。
同じように都市の歩く人々を題材にして様々なメディアや形式で、いくつも展開されている。
極端に簡素化された線・色彩が人や物の個性や本質を逆に浮かび上がらせる。ノイズを消し去った果てに出現する「何か」。本来は、アートはそのようなノイズを拡張して見せて、本質を露わにするものだと思ってきたが、ここでは全くの逆である。
しかも特異なものでなく日常の光景ばかり扱っているのもいい。
笑ったのが、4人の男女がジョギングするように走っているアニメーションをLEDスクリーンで見せている作品。親と一緒に見に来ていた男の子が、「おもしろ~い」と叫びながら走る真似をしてたのだった。
他には素材の違う3匹の羊(実物大)インスタレーション、地面をつついている電子カラス(スクリーン上で)--これは作成時には実際に野外に置かれていたらしい。そうすると余計にナンセンス味を感じさせただろう。
やはり簡素化されて描かれた畑や谷の風景画は、独特の無機的な質感がある。と思ったら、アルミニウムの板に自動車塗料を使っているそうな。
最後は20枚の白黒スクリーンの連なりの中を泳ぐコイだった。実際のコイの動きをそのまま投影しているもよう。だがLEDスクリーンってずっと見ていると眼がチカチカしてくるのが難である。
音のみのサウンド作品も2点出品されていた。広い展示場に流れていたミニマルなピアノ曲みたいのが心地よかった。個人的に欲しいぐらい。こういう作品を「購入」するのってどうなるんだろう?
見応えありの展覧会だったが、同時期にやっているボルタンスキーや塩田千春に比較するとかなり客が少なかった。全点撮影可能となっていたけど、先の二つの展覧会は全体がテーマパーク風の造りになっていた。それが若い人を呼び込んでいるようである。
しかし、こちらはあくまでも正統的な展示方法を取っている。その違いなのか。
さて、例のごとく上階の収蔵品展も見に行く。池田良二という銅版画家の作品がかなりのスペースで展示されている。
ぼんやりとした建築や遺跡の写真を元にしたらしい画像、そして読み取れぬ刻み込まれた細かい文字、いくら目をこらしても何一つハッキリとしない。そして、それらは失われた記憶のように美しい。
見ているうちに、どんよりと暗く淀んだ寒々しさが脳ミソにしみこんでくる。
こ、これは……何から何までJ・オピーとは正反対ではないか。わざと合わせて(合わないように)選んだのか(^^? 見たい奴だけ見に来い!てな感じかね。
しかし、こういうの好きである。この判然としない淀みにゆらゆらと漂っていく気分になる。
そのせいか、まともに鑑賞する人はほとんどいなくて、一人貸し切り状態だった。
今はなき「新潮45」の表紙を担当していたこともあったということで、その有名人を題材にしたシリーズも展示されていた。
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