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2019年10月

2019年10月14日 (月)

「ベルリン古楽アカデミー×ソフィー・カルトホイザー」:歌心あればオーボエ心あり

191014 会場:トッパンホール
2019年9月29日

ベルリン古楽アカデミーのコンサートは多分5回目。(前回の感想はこちら
今回のコンマスはベルンハルト・フォルクという人である。武蔵野でも公演あり、完売という人気だった。

前半は器楽のみのプログラム。J・SならぬJ・B・バッハって誰(?_?)と思っちゃうが、「ヨハン・ベルハルト」でバッハ先生の又いとこだそうだ。その「管弦楽組曲」の第1番は6楽章からなる。1730年頃にコレギウム・ムジクムで演奏されたものらしい。
バッハ先生の同名タイトルの曲に比べると流麗で滑らかな聴き心地である。ただ、それ故に面白味に少し欠けるような印象だった。

続いて息子カール・フィリップ・エマヌエルの作品よりオーボエ協奏曲。独奏として前回公演でも神業で吹きまくっていたクセニア・レフラーが登場した。第1楽章での空間を埋めるような重層的な弦の躍動感に続いて、第2楽章ではレフラーのオーボエが叙情たっぷりに歌ったのだった。

後半はソプラノのソフィー・カルトホイザーも加わり、ヘンデルのソロ・カンタータ「愛の妄想」を演奏。イタリア時代の作品とのこと。
歌の内容は恋人を亡くした女の悲痛な嘆きである。それを怒濤のようにたたみ掛けて歌い上げる。まだ若い頃の曲なのに、器楽には煽り立てるようなヘンデル節が既に潜んでいるようだ。オーボエ、ヴァイオリンとの絡みも見事。

しかし、歌詞は冒頭と最後のレチだけ第三者からその女を描写している。狂的な一人称の愛情表現から終盤の三人称による描写の冷静さへと、内容に則した微妙な切り替えをカルトホイザーは巧みに表現していた。
ヘンデル先生の時代もこのように強力なソプラノが聞き手を圧倒していたのだろうな、などと考えつつ拍手したのだった。アンコールは「ジュリオ・チェーザレ」より。

彼女は古楽畑での公演や録音が多く古楽歌手と言えそうだが、もっと後の時代のオペラでも十分通用しそうなタイプの歌唱だと思えた。


コンサート自体は良かったのだが、参ったのは隣の女性が最初から最後まで口に指突っ込んで歯に挟まった食べカスを取ろうとして(多分)、ずっとクチャヌチャ音を立ててたこと。
全ての音符と音符の合間、カルトホイザーの声と重なって、それが聞こえてくる。照明も割と明るめなので何してるか丸見えだったのだ。
気になってしまってかなり消耗した(-_-;)

休憩時間中は隣の印刷博物館でやってる「現代日本のパッケージ2019」というのが入場無料なので覗いてきた。デザイン大賞を取ったのはソニーのアイボのパッケージだった。
全体的には今は「和もの」が流行っているんだなあ、と。
191014b

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2019年10月10日 (木)

「未来を乗り換えた男」:終着の港

191010 監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:フランツ・ロゴフスキ
ドイツ・フランス2018年
*DVDにて鑑賞

久方ぶりに「映画館で見ておけばよかったと大後悔」案件に出会ってしまった。思えばハネケの『ピアニスト』以来である。
どうしてロードショー時に見なかったかというと、同じ監督の作品『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』は見ていた。しかし「面白いけど今ひとつ」な感じだったのである(特に『あの日』の方)。それで今回はどうしようかと迷っているうちに公開終了……と見送ることに。
とっころが(!o!)そういう場合に限って面白かったりするのだ。

冒頭、カフェで二人の男がドイツ語で会話している。その内容からどうもドイツからパリに逃げてきているらしく、ドイツ軍が迫りつつあるので新たな逃走先を探している様子だ。
となればこれは時代は大戦中、パリのユダヤ人の話かと思うが、人々の服装も街中を頻繁に疾走するパトカーも現代のものにしか見えない。

主人公の男はたまたま自殺した作家の遺品を手に入れ、その身分証や旅客船の切符を利用しようとする。そしてマルセイユに向かうのだった(これも命がけ)。
港町では国外脱出を図る人々であふれ、米国の領事館ではビザを得ようと長い行列が待っている。時間だけが経つ。残された時間は少ないというのに。
そこで、別れた夫を探して街中をさまよい歩く女に出会うのだった。

原作はユダヤ人作家によって1942年に書かれたにも関わらず、背景である街並は現在のものである。従って過去の話ではなく、新たにこれから発生する難民問題を近未来的に描いているようにも見える。

さらに不思議なのは、語り手のナレーションと映像の描写が異なることだ。
全てを観察しているとある登場人物が語り手で、「その日はすごく寒かった」と語っているのに映像では初夏の日差しで人は袖を腕まくりして歩いている。「二人は熱烈なキスを繰り返し」とあるが、彼らは喋っているだけだ。あるいは既に知り合いである親子について、初めて会ったような説明が入る。
そのような矛盾した語りが幾度も挿入されるのだ。これは恐らく原作の文章から取っているのだろうが、映像との齟齬が強烈な違和感を生む。ほとんどめまいに近い感覚である。

明るい陽光の下、大きなトランクを転がす観光客たちが闊歩する。窓から臨む輝く青い海と高層ビルそして客船、バルの外の舗道を行き交う乗用車--ここに何かが起こっているとは到底思えない。
しかし明るい港町は同時に暗い迷宮であり、主人公はその地を亡霊のようにさまよう。彼が隠れるホテルは沈鬱で、国外へ逃れようとする人々が絶望と共に息を潜めて待つ。何を待つ?--破滅なのか。この落差は大きい。
不穏、不穏、いずこにも不穏さが充満している。そこから逃れようはないのだ。

遂に町へ侵攻してきたドイツ軍は、同時にテロリストを捜索する警官のようにも、また反政府デモを鎮圧に向かう機動隊のようにも見える。もはや区別は付かない。
だが、それらの全ては明晰で影一つない風景の下で起こるのである。

それにしても終盤の展開には意表を突かれた。ええーっ(>O<)と驚いてしまった。加えて、断ち切られたようなラストがまた衝撃。その後のクレジットにかかるトーキング・ヘッズが明るい曲調にも関わらず(歌詞の訳が付いててよかった)ますます不安をかき立てる。
とにかく全編緊張感に満ちていて目が離せなかった。

さて、船旅で脱出がダメならピレネー山脈を越えるルートがあるというセリフが出てくるが、ベンヤミンは実際に米国へ渡航しようとするもビザが下りず、徒歩でスペインに向かうが国境で拒否されて山中で自殺したそうである。

主演のフランツ・ロゴフスキは見ただけでは思い出せなかったけど、ハネケの『ハッピーエンド』でプッツン息子をやってた人。あのカラオケ(?)場面には笑った。
『希望の灯り』では内向的で地味でサエない若者だったが、本作ではもっとアクティヴで外見もスッキリしていて別人のようだ(同じ顔なのに)。ただ、双方とも人妻を追いかけるという点では似ている。
出演作まだ4本? 今度は全く違う役柄で見てみたい。今後の注目株だろう。
相手役のパウラ・ベーアは、同じ監督の過去作に出ていたニーナ・ホスに似ているような。

思えばデュラス原作の『あなたはまだ帰ってこない』と、この映画は表裏を成しているようだ。『あなたは~』ではパリが舞台で女が捕らえられた夫を探してさまようが、こちらはマルセイユで夫を捜し回る女を、さらに主人公が追い求める。
ただ前者はフォーカスをぼかしたり鏡を使うなど凝った映像で幻惑する女の心理を表していたのに対し、こちらは明るい陽光の下、鮮明な光景の中で全てが繰り広げられる。
いずれも戦争の混乱の中で現実が溶解していく。両者を見比べてみるのもいいかもしれない。

最初に書いたように、大きなスクリーンで見たかった--特に明るく迷宮的な町並の映像を。
一方でDVDなら不明に思った所を何度も後戻りして見られるから、このような謎めいた構造の作品を見るには向いているとも言える。
よく映画館でリアルタイムで見てて分からない部分があったりすると「TV放映かDVDでまた見直すぞー」と思うんだけど、実際に見直すことはほとんどないからね(+_+)

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2019年10月 3日 (木)

「クァルテット in Paris 2」:風が吹けば……

191003 パリジャンを魅了したエスプリの香気
演奏:AYAMEアンサンブル・バロック
会場:近江楽堂
2019年9月20日

後期--というより終期バロックにおけるパリの音楽状況を、粋すなわちエスプリという観点からそのままに体現してみせた4人の女性奏者によるコンサートである。
取り上げられた作曲家はギユマン、カンタン(二人とも知らなかったです)、ラモー……と聞いてみるとなるほど、ここにおいてはバッハも古くさくて野暮というしかない。

さらに、何よりもテレマンの「パリカル」が見事。当時の人気作曲家としてパリに招かれた彼の「最先端」ぶりがよく分かる演奏だった。
しかし実は、私個人はもうちょい古めかしいのが好きなんである。古風なヤツと呼んでくだせえσ(^_^)

この日の会場内の配置は奏者がドーム型の真ん中に位置して客が周囲に座るという形だった。チェンバロを中心にフルート、ヴァイオリン、ガンバが囲む。
何回かここで同じような配置でやったのを経験したことがあるけど、この方式の問題は奏者を見てるとついでに反対側の客を凝視してしまうことである。しかも時折目👀が合ったりして……恥ずかし(>ω<)キャッ

さらに、中心にエアコンの風が来るようになっているのだが、会場の気温が上がってきたのでエアコンを強くしたら、なんと楽譜がその風で飛ぶという事案が発生したのであるよ(!o!)
長らく近江楽堂で聴いてきたが楽譜が飛んだのは初めてだ~。人生何が起こるか分かりませぬ。

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2019年10月 2日 (水)

「ドッグマン」:ホール・ロッタ・ラヴ で、飼い主はどっちだ?

191002 監督:マッテオ・ガローネ
出演:マルチェロ・フォンテ
イタリア・フランス2018年

ガローネ監督は『ゴモラ』が衝撃で、その後も『リアリティー』『五日物語』も見た。後者は映像はキレイだけど話自体はなんだかなあという印象だった。
今回の作品はどれかと言えば『ゴモラ』系ではある。

舞台となるはイタリアの田舎町。これがまた、よくぞこんな場所見つけてきたものよと言いたくなるほどの寂れ具合である。
主人公は街の商店街の一角で犬のトリミングサロンを開いていて、腕前は良いようだ。時折商店街の仲間とサッカーしたり飲んだりする。妻とは別れているようだが、小学生ぐらいの娘を溺愛していて、訪ねてくるとエラいかわいがり様だ。

一方、彼には長い付き合いの友人がいる。こいつが大男で非常に乱暴で凶悪で、犯罪も平気で犯す。小柄で優しく気弱な主人公とは対照的。彼を脅しつけては様々なことを命じる。で、主人公は常にあらゆることでその大男に追従してしまう。悪事にもだ。
しまいには男をかばって刑務所にまで入っちゃう。娘が前科者の父を持つことになるのを考えないのだろうか? ご近所から冷たい目でで見られてもいいのか(?_?)

正直、見ててこの主人公の心理や行動がよく理解できなかった。大男に引きずられるだけではなくて、わざわざ自分の方から近寄っていく。さらには仕事でやってる犬相手のように対処しようともする。出来るわけはないのに。
これは一体どういうことなのだろうか。
……と訳ワカラン状態なのであった。

しかしSNSでとある人が若い頃の回想をしているのを読んで、男性同士の友愛の一形態として「支配-服従」というものがあるのではないかと私は感じた。このような関係に互いにとどまることこそがまさに友愛の印なのである。
「男性」だけでなく女性にもあるのかも知れないが、私は現実でもフィクションでも女性については見た記憶がないからとりあえずそう考えた(家族内の関係はまた別として)。

そう考えると、この主人公の言動は分からなくもない。
彼と大男の関係は、そのまま彼と犬との関係に逆転写されている。自分が危ない状況になるのに犬を助けに行く場面は極めて示唆的だ。

これはなんと実際にあった事件を元にしているそうだ(!o!) 多分、監督なりの解釈ということなのだろう。
空虚さと小汚さのまじった町、安っぽくケバケバと浮遊してるようなクラブ、居並ぶ各種の犬たち--そんな光景の中で不条理な人間たちが不条理な行動をとるのを、顕微鏡で微細な所まで拡大する。見てて決して心地よくはならない、快作ならぬ不快作だろう。
あと私は犬がどうも苦手なので、その点でも見るのがちと苦しかった。

主演のマルチェロ・フォンテはカンヌで男優賞取っただけのことはある「小心者」演技である。
なおカンヌではパルムドッグ賞も受賞。初めて見る人はどのワンコ🐶が取ったのか当ててみましょう(^o^)b

 

ところで、監督に「8月に日本公開されますが日本の観客に一言」とインタビューしたツイートが流れてきた。監督の答えは「えっ、8月公開。イタリアじゃ8月に映画なんか誰も見ないよ」だったそうな^^;

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