« 「クァルテット in Paris 2」:風が吹けば…… | トップページ | 「ベルリン古楽アカデミー×ソフィー・カルトホイザー」:歌心あればオーボエ心あり »

2019年10月10日 (木)

「未来を乗り換えた男」:終着の港

191010 監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:フランツ・ロゴフスキ
ドイツ・フランス2018年
*DVDにて鑑賞

久方ぶりに「映画館で見ておけばよかったと大後悔」案件に出会ってしまった。思えばハネケの『ピアニスト』以来である。
どうしてロードショー時に見なかったかというと、同じ監督の作品『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』は見ていた。しかし「面白いけど今ひとつ」な感じだったのである(特に『あの日』の方)。それで今回はどうしようかと迷っているうちに公開終了……と見送ることに。
とっころが(!o!)そういう場合に限って面白かったりするのだ。

冒頭、カフェで二人の男がドイツ語で会話している。その内容からどうもドイツからパリに逃げてきているらしく、ドイツ軍が迫りつつあるので新たな逃走先を探している様子だ。
となればこれは時代は大戦中、パリのユダヤ人の話かと思うが、人々の服装も街中を頻繁に疾走するパトカーも現代のものにしか見えない。

主人公の男はたまたま自殺した作家の遺品を手に入れ、その身分証や旅客船の切符を利用しようとする。そしてマルセイユに向かうのだった(これも命がけ)。
港町では国外脱出を図る人々であふれ、米国の領事館ではビザを得ようと長い行列が待っている。時間だけが経つ。残された時間は少ないというのに。
そこで、別れた夫を探して街中をさまよい歩く女に出会うのだった。

原作はユダヤ人作家によって1942年に書かれたにも関わらず、背景である街並は現在のものである。従って過去の話ではなく、新たにこれから発生する難民問題を近未来的に描いているようにも見える。

さらに不思議なのは、語り手のナレーションと映像の描写が異なることだ。
全てを観察しているとある登場人物が語り手で、「その日はすごく寒かった」と語っているのに映像では初夏の日差しで人は袖を腕まくりして歩いている。「二人は熱烈なキスを繰り返し」とあるが、彼らは喋っているだけだ。あるいは既に知り合いである親子について、初めて会ったような説明が入る。
そのような矛盾した語りが幾度も挿入されるのだ。これは恐らく原作の文章から取っているのだろうが、映像との齟齬が強烈な違和感を生む。ほとんどめまいに近い感覚である。

明るい陽光の下、大きなトランクを転がす観光客たちが闊歩する。窓から臨む輝く青い海と高層ビルそして客船、バルの外の舗道を行き交う乗用車--ここに何かが起こっているとは到底思えない。
しかし明るい港町は同時に暗い迷宮であり、主人公はその地を亡霊のようにさまよう。彼が隠れるホテルは沈鬱で、国外へ逃れようとする人々が絶望と共に息を潜めて待つ。何を待つ?--破滅なのか。この落差は大きい。
不穏、不穏、いずこにも不穏さが充満している。そこから逃れようはないのだ。

遂に町へ侵攻してきたドイツ軍は、同時にテロリストを捜索する警官のようにも、また反政府デモを鎮圧に向かう機動隊のようにも見える。もはや区別は付かない。
だが、それらの全ては明晰で影一つない風景の下で起こるのである。

それにしても終盤の展開には意表を突かれた。ええーっ(>O<)と驚いてしまった。加えて、断ち切られたようなラストがまた衝撃。その後のクレジットにかかるトーキング・ヘッズが明るい曲調にも関わらず(歌詞の訳が付いててよかった)ますます不安をかき立てる。
とにかく全編緊張感に満ちていて目が離せなかった。

さて、船旅で脱出がダメならピレネー山脈を越えるルートがあるというセリフが出てくるが、ベンヤミンは実際に米国へ渡航しようとするもビザが下りず、徒歩でスペインに向かうが国境で拒否されて山中で自殺したそうである。

主演のフランツ・ロゴフスキは見ただけでは思い出せなかったけど、ハネケの『ハッピーエンド』でプッツン息子をやってた人。あのカラオケ(?)場面には笑った。
『希望の灯り』では内向的で地味でサエない若者だったが、本作ではもっとアクティヴで外見もスッキリしていて別人のようだ(同じ顔なのに)。ただ、双方とも人妻を追いかけるという点では似ている。
出演作まだ4本? 今度は全く違う役柄で見てみたい。今後の注目株だろう。
相手役のパウラ・ベーアは、同じ監督の過去作に出ていたニーナ・ホスに似ているような。

思えばデュラス原作の『あなたはまだ帰ってこない』と、この映画は表裏を成しているようだ。『あなたは~』ではパリが舞台で女が捕らえられた夫を探してさまようが、こちらはマルセイユで夫を捜し回る女を、さらに主人公が追い求める。
ただ前者はフォーカスをぼかしたり鏡を使うなど凝った映像で幻惑する女の心理を表していたのに対し、こちらは明るい陽光の下、鮮明な光景の中で全てが繰り広げられる。
いずれも戦争の混乱の中で現実が溶解していく。両者を見比べてみるのもいいかもしれない。

最初に書いたように、大きなスクリーンで見たかった--特に明るく迷宮的な町並の映像を。
一方でDVDなら不明に思った所を何度も後戻りして見られるから、このような謎めいた構造の作品を見るには向いているとも言える。
よく映画館でリアルタイムで見てて分からない部分があったりすると「TV放映かDVDでまた見直すぞー」と思うんだけど、実際に見直すことはほとんどないからね(+_+)

|

« 「クァルテット in Paris 2」:風が吹けば…… | トップページ | 「ベルリン古楽アカデミー×ソフィー・カルトホイザー」:歌心あればオーボエ心あり »