「ソフィオ・アルモニコが綴る 爛熟のイタリア」:装飾なしでは始まらぬ
器楽を彩るディミニューション
演奏:ソフィオ・アルモニコ
会場:近江楽堂
2019年10月6日
ルネサンス・フルート集団のソフィオ・アルモニコ、この日はリュートの坂本龍右を迎えてディミニューション特集である。
そもそも「ディミニューション」って何(^^?などとシロートは思ってしまうのだが、ルネサンスから初期バロックへと音楽が変化する中でより劇的に複雑化していった装飾--ということでいいんですかね。
ジョスカンの時代に対位法完成→後は装飾音を使いまくり→遂に崩壊→メロディと和声のバロック世界へ、となるとのこと。
前田りり子を始めとするメンバーの解説によると、フルートという楽器はルネサンス期が最盛期。しかしその特性として劇的ではない、柔らかい音、そして音量も小さい……ということから、バロックの過渡期の音楽の変化について行けない。
ルネサンス・フルートでは複雑な曲の演奏は難しく、装飾が付いている曲は装飾音を抜くと間延びしてしまう。ツィンクやヴァイオリンなら全く問題ない。で一度は衰退して、フルートが復活するのは17世紀後半になってからだそうだ。
このコンサートでは、そんなフルート激動の時代を実際に曲を演奏し、装飾音を通してたどった。古くはオルティスの変奏曲(リュート独奏曲はもっと古いダ・ミラノ)からフレスコバルディの四声の曲まで。フルートはどう生き残ってきた(あるいは生き残れなかった)かが目の前(耳の前)で明らかになる。
低音の特注楽器も登場、野崎真弥によるハーディガーディの特別出演も交えつつ、ルネサンス・フルートの限界に立ち向かうのであった。
しかし古楽に興味のない人からすれば、なぜ不自由な楽器を使って困難な曲をわざわざ演奏しようとするのか全く理解できないに違いない。全く意味の無いことに思えるだろう。
だけど、それが古楽人の生きる道よ(T^T)クーッ
もちろん実際に聞こえてきた音楽は全く「不自由」ではなかったのであるが。
本日の失敗は休憩時に会場へ再入場する際に、バッグの中のチケットつかんで出して通ったら、後で見ると昨日のオランダ・バッハ協会の半券だったこと。わざとじゃないんですう(>O<)
教訓:終わったコンサートの半券は素早く処分すること
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