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2019年10月19日 (土)

「ロケットマン」:黄昏のスター路

191018 監督:デクスター・フレッチャー
出演:タロン・エガートン
イギリス2019年

「見たいエルトンより見せたいエルトン」--なんとなくそんな言葉が浮かんでくる。そりゃそうだ、自伝ミュージカルにご本人が製作総指揮で入っているのだから。

父に嫌われ母に疎まれ、音楽の才能を発揮するも家族の愛情は得られない。つらい、苦しい、暗い……信田さよ子の『〈性〉なる家族』に出てくる事案そのままみたいな家庭に生まれたエルトンの恨み節。冒頭から次から次へと見せつけられる。

名コンビとなる作詞家のバーニー・トーピンと出会うけど、ゲイとしての愛情は受け入れては貰えず。しかし、そのエルトンの心境をトーピンが成り代わって詞を書いて寄越し、また彼が曲にして歌うっていうのは……どういう関係なんだ? 当時は二人がそんな微妙な関係とはつゆ知らなかった。
さらにミュージシャンものでは定番とも言える悪徳マネージャーに引っかかって、大ヒットしてスターになっても幸福ではない。見ているこちらはどんどん落ち込んでくるのであった。

「伝記」ではなくて、エルトンの過去に対する想いを自作曲と共に描く、と言った方がいいだろうか。依存症治療の施設で自分を振り返って語るという形式で、あまり正確な時系列に沿ってはいない。
脚本の問題なのか、その想念の描き方が身の上話を独白で語り、再現映像で見せ歌でも歌う。屋上屋を架すがごときだ。
最後は「幸せになりました」でカタルシスには乏しい。落ち込む上にスッキリしないのではなあ……。
ということで、『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットで起こったクイーン特需のようなブームを洋楽市場は狙っていたようだけど、残念ながら不発に終わったようだ。

主演のタロン・エガートンのパフォーマンスは演技・歌唱(自分で歌っている)共に素晴らしかったので、そこが今ひとつ残念だった。オスカー候補確実の評はダテではなかったといえる。

見ていて、歌詞の字幕の付け方に疑問が残った。劇中で人物が歌う場面はコンサートの場面も含めて付く。ただしそれはエルトン作の曲のみで、他人の作品だと出ない。(例-ピンボールの魔術師)
劇伴でバックに流れる当時の曲などはエルトン作かどうかに関わらず出ない。
なんだか基準がよく分からないんだけど(^^;ゞ

さて思い出話になるが、私は当時全米トップ40を毎週チェックするのに熱中し、ラジオでFENをかけっぱなしにしていた。その頃のエルトンほど売れに売れたミュージシャンは知らない。ビートルズのレコード売り上げやチャートの記録を吹き飛ばし、自家製ジャンボジェットを初めて購入。さらに全米で収入(主にライブによるもの)ランクでも第1位となった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
なので、この映画ではその時代のことがあっという間に通り過ぎてしまったのは肩すかしだった。きっとご本人にとってはいい時代ではなかったのだろう。

なお、作中でキキ・ディーとのデュエット場面が出てくる。あの曲のビデオクリップをそっくりそのまま流用しているような感じだ。
彼女はエルトンの婚約者として売り出した。でもいつまで経っても婚約者のままで結婚することはなかった……💨
変だなあとは思っていたが、後から考えるとゲイであることを隠そうとするための攪乱作戦だったのか(?_?) しかし、実は「誰それの婚約者」というのは新人売り出しによく使う手法だそうである。

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