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2019年11月

2019年11月30日 (土)

聞かずば死ねない!古楽コンサート 12月版

秋の怒濤のコンサート・ラッシュが過ぎればはや師走です(+_+)ショボ

*1日(日)ローレンス・ドレフュス氏を迎えて 上野学園大学古学研究室演奏会:石橋メモリアルホール
こちらも聞きたかったのに、先に北とぴあのチケット取っちゃってたもんで……。
*  〃  ヘンデル リナルド(寺神戸亮&レ・ボレアードほか):北とぴあさくらホール
*5日(木)Now may we syngyn 中世イギリスのキャロル(トルブール):近江楽堂
*8日(日)選り抜きダウランド(つのだたかし&波多野睦美):松明堂音楽ホール
*13日(金)有田正広&有田千代子 in明日館
*15日(日)オリーブコンソート:東京文化会館小ホール
*24日(火)リュートとテノールによる英国歌曲の夕べ(水越啓&佐藤亜紀子):近江楽堂
*25日(水)木の器 クリスマスコンサート:近江楽堂
*27日(金)鈴木秀美チェロ・ピッコロリサイタル:近江楽堂
*30日(月)ビストロ・バロック!:スペース415

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。

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2019年11月25日 (月)

「アンサンブル・マレッラ」:本場フレンチのかほり

191125 会場:近江楽堂
2019年10月31日

エマニュエル・ジラール率いるフランス人4人と日本人ヴァイオリニストによるアンサンブル。レパートリーはロマン派まであるそうだが、この日はマレ、フォルクレ、ルクレールというモロに「18世紀フランスバロック黄金期」(チラシより)をやった。
かつてベルサイユに流れた本場の音を味わえて嬉しかった( ^o^)ノ。

前半がマレ特集で、この少し前に石橋ホールで聞いたマレの「聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの鐘」をここでも聞くことが出来た。冒頭の「鐘」のフレーズはテオルボの演奏で開始だった。
ヴァイオリンの神谷未穂は豪快な弾きっぷり。モダンのオーケストラでも活躍しているとのことだ。

親密な曲調のヴィオール曲からルクレールのヴァイオリン・ソナタまでメンバーの息もぴったりと合って、これぞアンサンブルの醍醐味だろう。

もう一人のガンバ弾きL・デュブランシェは日本に留学していたということで日本語うまくて驚いた。
テオルボのT・ルッセルは、俳優の誰かに似ているような気がして(二枚目!)コンサート中ずーっと考えていたが、思い出せぬまま終了。かなり攻めな態度の通奏低音であった。
一方、通常鍵盤弾きの人は自分が弾いてない時はじっと譜面を見たりしているものだが、今回のS・ドセは違っていた。腕を組んで曲に合わせて身体揺らしたり、隣にいるルッセル氏が通底弾くのをチラっと見ては「おぬし、やるな( ̄~ ̄)ニヤニヤ」したりして……ちょっと変わっている。

またバロックもののコンサートをやってもらえたら聞きに行きたい。

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2019年11月24日 (日)

映画落ち穂拾い 2019年前半その3

191124a「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」
監督:フレデリック・ワイズマン
米国2016年

これもまた、最初見た時にはロングランヒットになるとは予想も付かなかったドキュメンタリー。
205分、さすがに長かった! まあワイズマンは長いのが芸風だからなー。年齢も89歳だというからその分ビヨ~ンと伸びた感じ(過去にもっと長い作品があるけど)。
通常の図書館仕事はあえて省いて、対外サービスや文化イベントに絞って取り上げている。それと館長とスタッフによる予算獲得対策会議。

税金+寄付で成り立つ公共図書館を通して、米国の一地域の様々な「知」の在り方を示して見せたようにも思えた。だから講演やトークの内容に長く時間を割いているのかな、と推測。
でも本がピョンと宙を飛んでスポッとコンテナに入る仕組みとか、その本がどこへ行くのかということも見たかった。

エルヴィス・コステロやパティ・スミスが出てくるとは知らなかった。あと一番最後に「キース・ジャレットからパーセルまで」と紹介されたのは誰?(パンフ買わなかったので不明) エドマンド・ドゥ・ヴァールという人か(?_?) でも音楽じゃなくて美術評論家なんだよね。
木管楽器4本のコンサートは聴衆の盛り下がり度がかなりのもんだった。


191124b「アベンジャーズ/エンドゲーム」(字幕版)
監督:アンソニー&ジョー・ルッソ
出演:アベンジャーズの皆さん
米国2019年

今更ながらではあるが一応感想書いておく。
最初見た時は感動して涙ぐみ、二度目見た時は結末が分かっていたので余計に泣けた。
……のではあるが、どうにも納得できない点が段々と気になってくる。タイムパラドックスに手を出したのはやはりマズかったのではないか。
この手の話はどうしたってほころびが出てくるのである。
とはいえ代わりに新たな展開をやり放題となり、ドル箱シリーズは永遠に継続可能ということにもなる。

アントマンはもう少し持ち上げてやってもバチは当たらないと思う。あと、ガレージの中にいたネズミもだ。あのネズ公がいなければ何も起こらなかったはず。

今年の埼玉でのSF大会に行ったら「エンドゲームが終わらない!」という分科会があった。全シリーズネタバレ御免で、展開や結末の不自然な部分の代替案を語り合う内容である。やはり不満に思っている人はいるらしい。
あげられた矛盾点になるほどと思い、出された代替案の方にスッキリ感じた。

全シリーズで最初に見ようと思ったのは『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』であった。あれから5年……(遠いまなざし👀) ズルズルと芋づる式に見てしまい、シリーズで見ていないのは1作だけ(どの作品かはヒミツ)となってしまった。こんなはずじゃなかったのに~。
おかげですっかりMCU脳になってしまい、「スターリン主義」を「スタン・リー主義」に空目するという羽目に(´。`)トホホ


191124c「コレット」
監督:ウォッシュ・ウェストモアランド
出演:キーラ・ナイトレイ
イギリス・米国2018年

フランスの女性作家コレットの半生を描く作品。期待しすぎたせいか今イチだった。
辛口のキリリと冷えた白ワインか、毒々しい色合いの強烈なカクテルが出てくるかと思ったら、やや甘のぬるいロゼが出てきたような。
レズビアンや異性装者が登場するものの、パリの爛熟した文化よりも、年の差夫婦の諍いの描写が中心となっている。

あくまでも家庭内争議風に展開である。年下の田舎娘だった妻であるコレットや知人に小説書かせて自分の名前で出して、ちゃっかり人気を得て大金稼ぐ夫はクズ男として描かれている。主人公が最後に啖呵を切る場面に胸がすく思いになったのは確か。
チラシに「ココ・シャネルに愛され、オードリー・ヘプバーンを見出した」とあるが、その時代までは描かれてない。
キーラ・ナイトレイは◎、脚本は△といったところか。

昔の家庭で女が園芸や家の手入れを懸命にするのは、他に自分で自由に出来るものがなかったからだろうか。私の母もネコの額ほどの庭の植木を一人でひたすら手入れしていたが、結果はあまりはかばかしくなかったものだ。


191124d「希望の灯り」
監督:トーマス・ステューバー
出演:フランツ・ロゴフスキ
ドイツ2018年

場面により異なる色調が素晴らしかった。黄色みを帯びた巨大スーパー、青く沈む戸外、闇にヘッドライト行き交うアウトバーン……。
歴史に翻弄された旧東独を背景に、スーパーで働く人物それぞれの在り方が迫ってくる。孤独な男を演じるフランツ・ロゴフスキはまさにハマリ役である。(ただ風呂を覗くのはカンベンしてくれ~)

フォークリフトは人生の象徴か。振り返ってみるとブルーノは最初から心を決めていたようだ。
ただ、途中で中だるみを感じる所あり。観る人によってどのあたりかは異なるようだが。私はちょうど中間あたりだった。三部構成はあまり効果がないと思えた。
最近の映画には珍しいタバコの煙モクモクであったよ!
『2001』っぽい「青きドナウ」の使い方に笑った。こちらはフォークリフトだけど……。

なお、ストーリー上終盤にならないと明らかにならない事案を予告でネタバレしちゃってるのはどういうことよ。知らないで見ていたら衝撃の展開になったろうに💢ムカー

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2019年11月22日 (金)

「主戦場」:ふたりはいつも

191122 監督:ミキ・デザキ
米国2018年

私がこれを見た時は単館上映だったが、いつの間にか方々で上映される話題(問題)作になっている。(出世?)
慰安婦問題の正否について日・米・韓の様々な論客・研究者にインタビューしていくドキュメンタリー。そして観客の興味をそらすことなく、映画の流れはなぜ歴史修正主義者はそのような主張をするのか、という問題へと最後に行き着く。そこには隠された深~い理由があったのだ。
その回答をスリリングに(これ以上行くと陰謀論に💥というギリギリまで)提示してみせる。

2時間強の中身がビッチリ詰まったドキュメンタリーだった。変な言い方だが見甲斐があったと思う。
直接対象にアタックして問題を掘り起こし、たたみ掛けていく展開の仕方に「マイケル・ムーア以降」の世代を感じた。ムーアが嫌いな人はこれも気に入らないだろう。
ただ、編集とナレーションでテーマを展開していくような手法は、間違うとプロパガンダに流用される恐れがあるかも。

「とある人物の発言に唖然」という評判を聞いていたが、本当にアゼンとした。トンデモ発言として処理される案件だ。

取材相手から訴えられているらしいが、事前に映像見て許可出しているそうだから向こうは勝てないのでは?
それにしてもAbeが登場する映像の背後に必ずもれなくAsoが付いてくるのはなぜ。あの二人なんなのよ~。

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2019年11月18日 (月)

「アルツハイマーと僕 グレン・キャンベル音楽の奇跡」:音楽が終わった後も

191118 監督:ジェームズ・キーチ
出演:グレン・キャンベル
米国2014年

グレン・キャンベルってヒットチャートでは耳にしてきたが、それ以上に接することはなかった。活躍するジャンルがカントリーというのも理由の一つだ。
だがそもそもはセッション・ギタリストとして活動を始め、ビーチボーイズにも短期間だけど参加していたというのは知らなかった。

彼がアルツハイマー病にかかり、あえてそれを公表してラストツアーを決行する。その行程を記録したドキュメンタリーである。ステージだけではなく診察や日常生活も映像として公開することで、この病に関する啓蒙活動とするのを意図したようだ。

病気がなくてももういい歳だというのに、1年以上かけて全米150カ所回ったというのはすごい。だが、ツアーが進むにつれて病気も段々と進行する。それでも音楽は続く。続けられたのは年下の奥さんがまだ若くて元気なのと、子ども達がバンドのメンバーに入っていて側で支えたからだろう。

演奏中にカンシャク起こしたり、メンバー紹介で子どもの名前言えなくなったり、同じ曲を二度やろうとしたり……(^^; しかし聴衆は最初から分かって来ているので、優しく見守っている次第。
ステージを見て感激したP・マッカートニーが楽屋を訪れる場面があるけどあれ、もしかして誰が来たのかキャンベルには分かっていないんじゃないかと怪しく思った。「どっかで見たヤツだな、まあいいか🎵」みたいな感じだ。
病状の進行を順々に見せられて正直つらいところあり。最後にはスタジオで歌詞一行ずつしか歌えなくなる。
しかし本人が良しとしてればそれでいいのだろう。まさにミュージシャンの魂、百までもである。

クリントン元大統領やスティーヴ・マーティンを始め、色々な人が登場してコメントしているが、レッチリのフリーやスプリングスティーンも出て来たのは意外だった。二人とも家族がアルツハイマーだったとのこと。

歌詞にちゃんと字幕の訳がついてたのは良かった。どうせなら曲名も出してくれたらありがたかったのに--って、贅沢言いすぎかな(^^ゞ

これを見る気になったのは、彼が亡くなった時に山下達郎のFM番組でキャンベルのラストアルバム「アディオス」(日本未発売)を紹介したのを聞いたからだ。この映画を作っているのと同時期(?)に録音したようである。
アルバムに最後に収録されているのはジミー・ウェッブ作のまさに(リスナーに別れを告げる)「アディオス」(-o-)/~~~であった。元々は1989年にリンダ・ロンシュタットが歌ってヒットした曲だ。
私は最近ウェッブを好きでよく聞いているので、それを知って興味を持ったのである。

キャンベルは彼の作った歌をよく取り上げている。大ヒットとなった「恋のフェニックス」「ウィチタ・ラインマン」「ザ・ムーンズ・ア・ハーシュ・ミストレス」などなど。いずれも名曲揃いだ。
映画でウェッブは友人として登場しコメントしたが、ほんの数秒だけだった。残念。

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2019年11月13日 (水)

「ミューズの力 恋する女性たち」:通底弾けば鐘が鳴るなり聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン

191113 フランス・カンタータの世界
演奏:クレール・ルフィリアートルほか
会場:石橋メモリアルホール
2019年10月20日

ル・ポエム・アルモニークで活躍してきたソプラノ歌手クレール・ルフィリアートルを迎えて、フレンチ・カンタータに登場する女性を浮かび上がらせる。
日本側の奏者は寺神戸亮、上村かおり、前田りり子、曽根麻矢子という布陣である。

リュリの「町人貴族」で開始で、前半一番盛り上がったのはモンテクレールのカンタータ「恋の繰り言」であった。レチとアリアの繰り返しの中に恋する女の激しい感情の波が浮かび上がる。

後半では終盤の二曲続けて、クレランボーの「メデ」とカンプラの「アルテ」から、で最高潮になった。扱っている神話は異なるものの、「最愛の者を手にかけざるを得なかった悲劇の女性」が主人公である。

ルフィリアートルの歌唱は怒濤のように全てをさらけ出すというのではなく、抑制された中に感情を表現しているようだった。このジャンル特有の甘美なる哀しみが存分に味わえた。
バロックの修辞や装飾法などは素人なのでよく分からないが、フランス語歌曲の美しさはさすが本場の人は違う✨と感じた。アンコールはランベールだった。

当時の器楽曲も交互に演奏された。一番の聴き応えはやはりマレの「聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの鐘」だろう。寺神戸亮のヴァイオリンは「メデ」でも活躍、「飛び回れ、悪魔よ♪」という一節では見事に悪魔を飛び回らせていた。


全くの余談だが、会場の入口に「ぶらあぼ」が山になって積んであったので「おっ、最新号🎵」と思っていそいそと貰った(毎月18日に発行)。そうしたらなんと先月に出たヤツだった。もう最新号出てるのに~。
私以外にも数人だまされて持って行った人がいたようである。

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2019年11月11日 (月)

映画落ち穂拾い 2019年前半その2

「ハンターキラー 潜航せよ」
監督:ドノヴァン・マーシュ
出演:ジェラルド・バトラー
イギリス2018年

潜水艦ものは結構好きである。大昔の『原子力潜水艦シービュー号』とか『眼下の敵』などなど。マンガの『サブマリン707』も読んでた。
魚雷に機雷にソナー、この手の戦闘には欠かせぬ要件がテンコ盛りの上に、さらに特殊部隊による地上極秘任務(派手な銃撃戦付き)ありの大サービスである。あ、加えて「信頼できる艦長」も必須条件ですね。出来に文句なしっ。
定番の音探知の場面では客席も思わず雑音を出さず静まりかえっていた。

潜水艦ものによくある見えない敵の作戦の探り合いというのは、相手がまともな思考をするならいいけど、ひねくれた奴とかサイコパス気質だったら無理じゃないのと思ったりして。
ここではハト派のロシア大統領がクーデターに遭うという設定だが、現実のプーチンだったら自分の手で直接100人ぐらい殺しそうである(^^;
折角のゲイリー・オールドマン特出なんだから、もう少し見せ場を作って欲しかった。


191111a「アレッポ 最後の男たち」
監督:フェラス・ファヤード
デンマーク・シリア2017年

アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネートされた作品。
ロシア軍の空爆下、シリアのアレッポで爆撃後の瓦礫から人を救出する「ホワイト・ヘルメッツ」の活躍を取材したものだ。そう聞くと勇猛果敢な感じがするが、実際はかなり沈鬱なトーンである。
なぜなら瓦礫の中で人を発見しても既に亡くなっていることが多いからだ。これでは救出にならない。

表向きは町に留まると広言はしても、陰では家族のことを考えると難民扱いでもトルコへ逃げることを考える。が、行くも地獄とどまるも地獄である。
ラストは衝撃の一言。ここに至ってタイトルの意味が分かる。洗練さもなく武骨な作りだが事実の重さが存在していた。

短い停戦期間に作られた小さな遊園地(というか公園)に、子どもそっちのけで大人たちも遊具に乗って遊ぶ光景が微笑ましい(&悲しい)。


「KIZU-傷- シャープ・オブジェクツ」
米国2018年

エイミー・アダムス主演のTVドラマ・シリーズ、レンタルで鑑賞。
故郷の田舎町で起こった少女連続殺人を女性記者が取材するために帰郷する。待ち構えるは優しく恐ろしい毒母(パトリシア・クラークソン)である。
原作が『ゴーン・ガール』の人なんでイヤさが充満し、意味ありげなフラッシュバックが炸裂する。照明の使い方が心理を反映して極めて効果的。

主人公は飲んだくれてフラフラ徘徊しているだけなんだが目を離せない。心臓がドキドキしてくる。そして掛け値なしの衝撃のラスト……ギャー(>O<) 見返すとちゃんと伏線が散りばめられているようなのだが、とても見返す元気はない。
オリジナルの劇伴音楽は使わず全て既成曲(それも有名な)を使っている。使用料かなりかかっただろうな。

191111b「幸福なラザロ」
監督:アリーチェ・ロルヴァケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ
イタリア2018年

これは個人によって解釈がバラバラになりそうだ。
すごい山奥の村で侯爵夫人が村人をだまして戦後も小作人としてコキ使い続ける(実際にあった事件)。それが発覚して村は消滅する。しかし、この事件が主題ではない。

誠実で無垢な若者ラザロは、夫人に搾取される村人の中にあっても、堕落した都市の中でも全くスタンス(だけでなく、外見も)は変わらない。それは奇跡か、それとも?  もはやファンタジーの領域に入り込む。
聖書中にラザロは二人出てくるそうな。一人はイエスが墓から復活させた男。もう一人は、貧しい病人の男で死後に天国へ行く。そのどちらでもあるようだ。
途中で観客全員が息をのむあの場面、私も驚いた~(!o!)

後半がややまとまりないように感じた。発想と出だしはいいけど、結末を付けかねたような印象である。
でもあのラザロ役の子をよく見つけたものよと感心。キャスティングで80%成功している。

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2019年11月10日 (日)

「ある少年の告白」:矯正を強制して共生せよ

191110 監督:ジョエル・エドガートン
出演:ルーカス・ヘッジズ
米国2018年

シビアでつらい物語、というか実話である。
大学生活で同性愛が発覚した若者が、閉鎖的な矯正施設に送られてしまう。そもそも父親が牧師だからとても許されない。
事前の予想よりストーリー上の宗教の比重が大きかった。まあそもそも同性愛が禁忌とされたのは聖書にあるからだが。

いったん終わるかと思わせてまだ続きがあったのは意外な展開。父母と息子の物語でもあることが分かる。そこまではニコール・キッドマンが母は強し演技で目立っていて、父親役のR・クロウはパッとしなかった。
しかしラストでちゃんと彼は不安定な父親像を演じて見せた。やたら太ってて大丈夫かい!と思ったら、実際の父親があの体型らしい。(そこまで似せなくても)
主役のヘッジスも繊細な演技。ラストで怒りを見せるところもうまかった。

レッチリのフリーが恐ろしい施設職員役で出演していたけど、結構小柄でやせてて驚いた。ステージの映像だとすごく巨大&強力に見える。
エドガートン扮する施設長は、最後の字幕でその本質が明らかにされる。うっかり見逃す可能性があるのでご注意。

邦題は原題(「消された少年」)を生かした方がよかったのではないか。
日本だったらあの矯正施設は「」ではなくて、某ヨットスクールみたいに「根性」で打ちすえるのだろう。イヤダー(>y<;)

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2019年11月 8日 (金)

「テレマン ベスト・オブ・トリオソナタ」:タテ笛奏者百人に聞きました、あなたの好きな作曲家は?

191108 演奏:レ・タンブル&ハルモニア・レニス
会場:近江楽堂
2019年10月8日

二つのグループ合体(計5人)コンサート、前回はシェイクスピアがらみで、今回はテレマン尽くしである。本当は小金井のホールでイタリア・バロック特集をやったのだが、残念ながらオランダ・バッハ協会と重なってしまい、こちらの方になったのだ。(小金井宮地楽器ホールってまだ行ったことないから生きたかったのよ(+_+)トホホ)

この合体グループの特徴は鍵盤弾きが二人いて、チェンバロ二台にさらに片方はオルガン重ねだから三倍の迫力である。あと、前回もやっていたのをさらに進化していたのが木製の特設演奏台だ。
詳しくはU岡氏のブログに写真が載っているが、客席からだと「高い台上で三人演奏してるな」としか見えなくて、詳しい構造はよく分からない。写真で見るとこんな所でよく演奏をしたものよ--と思うのは確かだ。
この秘密兵器によってガンバ、ヴァイオリン、リコーダーの音響がより豊かになるのであった。

様々な楽器のために多彩な曲を書いたテレマン、曲ごとに編成を頻繁に変え、それぞれ楽しむことができた。中には、二人が一つのオルガンを弾く「4手のためのフーガ」なんてのもあった。そんなのも作ってたのかと驚き❗のテレマンである。

水内謙一のリコーダーも大活躍、縦笛吹きはやはりテレマンが大好きなのだなあと感じた。その持ち味をよ~く味わえたコンサートだった。
次回は来年の5月か6月にあるとのこと、また行きますよ( ^^)/

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2019年11月 6日 (水)

「荒野の誓い」:ビッグ・カントリー 広くても行き場はない

監督:スコット・クーパー
出演:クリスチャン・ベイル
米国2017年

時は19世紀末の米国、長年先住民との戦争を戦ってきた騎兵隊大尉の主人公は、かつての宿敵である族長を刑務所から居留地に護送するように命令される。
このような設定だと想像できるのは、激しくいがみ合う両者が道中で予期せぬ襲撃などアクシデントに遭って、互いに理解し合うようになる。
--と思ったらちょっと違った💨

主人公は積年の恨みに決着付けようと首長に決闘を挑むのだが、相手は孫までいて家族と静かに暮らしている上に、大病を患っている。もはや闘う気は皆無なのであった。彼の憎悪は空回りしてしまう。
もちろん別の部族が襲撃してきたり、家族が襲われ一人生き残った人妻を救出というようなアクシデントは起こる。

見ていくうちに、これは西部劇の形式を取ってはいるものの実は戦争の帰還兵や後遺症を描くという、極めて現代的なテーマを持っていることが分かってきた。退役が迫ってくる年齢になっても、戦争の影から逃れられず平和な生活など送れそうにはない。そんな陰々滅々とした思いが、ワイエスの絵のような美しく悠揚たる自然を背景に描かれる。
さらに殺人の罪で逮捕されたかつての部下の護送も途中で依頼される。この男がまた以前の自分の分身であり、過去の亡霊の如きで兵士たちを苦しめるのだった。

平和になった現在において過去についてどう折り合い、謝罪と和解ができるかどうか。一人の男の変容を通して、明確に答えを出しているといえるだろう。これは他国の過去だけの話ではないのはもちろんである。
唯一の救いはラストのラストでわずかにホッとできるということか。ただ、あの少年がこれからうまくやっていけるのかはちょっと不安。

設定や展開はよくできているとは思ったのだが、どうも脚本が今ひとつの部分がある。人物が会話で説明過剰と思えば、説明少なくてよく分からない場面もあり。死人も多すぎるんではと思う。
救出された後、砦に着いたのに女性がその後も部隊に同行する理由がよく分からなかった。(同行しないと話が進まないというのは分かるが)
それから、主人公や戦友の内心の動揺の描写が中心となっているため、どうしても先住民側の描写が薄くなってしまったのは残念だった。

主役のクリスチャン・ベイルはまさに「鬼気迫る熱演」とはこのことか!としか言いようがない演技で全てを圧倒していた。最後の殺人の後の姿はあまりの迫力で正視するのも恐ろしいぐらい。
さらに『バイス』とどちらを先に撮ったのか不明だが、あの映画と比べると痩せこけてて胴回り三分の一、顔の幅は半分くらい(^O^;)と言っていいだろう。とても同一人物とは思えません。
人妻役ロザムンド・パイクの、狂気でイっちゃった眼も負けずにコワかった。さらに元部下のベン・フォスターも出番は短いが見事な悪役ぶりである。
出番が短いと言えば、チョイ役でティモシー・シャラメが出ていたのには驚いた❗ あっという間に退場しちゃうのだが、2017年製作なので彼がブレイクする直前に撮ったのだろうか。

さて邦題についてだが、これがまた問題(原題は「敵対者たち」)。この手のタイトルは後から区別が付かなくなる案件なのである。例えば「誓いの荒野」でも「荒野の決意」でも全く変わらない。正確に思い出せなくなってしまう。
もっとも「タイトル見ただけで西部劇と分かる」という意見もあり、なるほどそういう面はあるかと思った。確かに場内は西部劇ファンとおぼしき高齢男性多数であった。
『マルリナの明日』でも高齢男性の観客がやたら多かったのだが、あれは西部劇(というかウェスタン)ファンだったのだなと思い至った。

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2019年11月 3日 (日)

映画落ち穂拾い 2019年前半その1

191103a「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」
監督:デヴィッド・バッティ
出演:マイケル・ケイン
英国2017年

60年代英国で階級をぶち壊して勃興した労働者階級のユース・カルチャーをたどるドキュメンタリー。マイケル・ケインがナビゲートし、音声のみのインタビューに答えるのはマッカートニー、ツイッギー、マリー・クワント、
ロジャー・ダルトリー(P・バラカン監修につき「ドールトリー」表記になってる)など。音楽中心かと思ったらファッションやアートにもかなり時間を割いていた。
秩序立てて紹介している訳ではないので、当時の雰囲気を知りたい人向けか。(特にファッション関係に興味ある人)

いずれにしろ過去の若ケイン、現在の老ケインどちらもカッコエエです。名前の由来があの過去の名作とは知らず。
あと、ツイッギーにドジな質問をして逆襲されるのが、あの監督とは……(ヤラセ)


191103b「共犯者たち」
監督:チェ・スンホ
韓国2017年

韓国ドキュメンタリー、上映最終日に滑り込み鑑賞した。二代の大統領政権下で放送局が、社長をすげ替えられて政権の「広報」と化す。アナウンサーや記者がスケート場に左遷され、局員はストで対抗するも冬の時代が続く。 韓国内で起こった事件や政情を分かっていないと、やや難しいかも。

ここで描かれている状況と、今の日本のマスコミがほぼ同じなのでトホホ(+o+)となってしまう。日本の方は変わることができるのかね。 局をクビになって独自に突撃取材する監督は、今現在は局の社長に選ばれたって本当?すごい激動である。 それにしてもセウォル事件の報道はひど過ぎ……。


191103c「ナポリの隣人」
監督:ジャンニ・アメリオ
出演:レナート・カルペンティエリ
イタリア2017年

久しぶりに「金はもういいからせめて時間を返してくれ~」案件の映画だった。家族とコミュニケートできない中高年男性が見たら満足感を得るようなストーリーで、脚本も演出もエピソードをグダグダと連ねるだけで終始。父親に冷淡な娘が途中で態度を変える理由が全く描かれない。

主人公を始め、登場する男たちが揃ってダメダメなのには参った。 やはりイタリア映画の家族ものは敬遠した方がいいね。こんな映画を選んで見てしまった自分の不徳の致すところであるよ。


「ROMA/ローマ」
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ
メキシコ2018年

やっと見た。確かにサウンドがすごい。実際に街角に立って聞こえるような音が本当に聞こえてくる。もっと設備のいい映画館なら効果もさらに増すだろう。
ただ全体的に見て好きな映画かというと「うーむ(-"-)」となってしまう。一見の価値はあると思うがそれ以上ではなかった。

一部にこれみよがしな場面があって「ここでそれをやるんだ……」と思っちゃうと、興ざめする。(あくまでも個人的意見)
それに子どもの時にあんな優しくてかわいい若い女の人に世話してもらったら、そりゃ忘れられないよなあ、などとも思う。

あの棒振り場面にボカシ入っていないのには驚いた。「ちいさな独裁者」なんかあんな遠くてロクに見えないのにボカシあったのに。基準はなんだ?
これを映画館で見る時には周囲が空いている座席を吟味して選択することを推奨。隣でポップコーンなぞシャリシャリ食べられたら殺意が湧くのは間違いない。


191103d「ブラック・クランズマン」
監督:スパイク・リー
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン
米国2018年

形は警察官二人組ものの体裁を取っていて、娯楽作品として十分通る(終盤の活劇は原作にないらしい)。が、冒頭うさん臭いA・ボールドウィンから中盤のブラックスプロイテーション談義、最後のニュース映像まで至ると、実はストーリー仕立ての差別論議映画に思えた。

つまりS・リーの意図は客を感動させることより、疑問を抱き考えさせ意見を戦わせることかなと。
私は最後までアダム・ドライヴァーがいつマイクが見つかるか、絶対見つかって危機一髪💥になると確信してたので、ハラハラしっ放しだった。
あのバッグの中身が結局どういう経緯でああなったのか?分からなかった。

学生会長は「スパイダーマン ホームカミング」の女の子だったのか!立派な女優さんになってご両親もさぞお喜びでしょう。
「アイ、トーニャ」の自称工作員男が似たような役柄で出ていて笑った。この路線でずっと行くのかね。
ハリー・ベラフォンテのシーンでは監督も一瞬映ったよね。

アカデミー賞の授賞式で脚色賞を取った時、嬉しさのあまりスパイク・リー(小柄、緑色のスーツを着ていた)はプレゼンターのS・L・ジャクソン(大きい)にカエルのようにピョンと飛びついたのだが、なんとご本人はそれを覚えていなかったという……。(直後のメディア会見で記者たちに確認する始末)

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