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2019年12月

2019年12月30日 (月)

聞かずば死ねない!古楽コンサート 1月版

年末年始は意味もなくアセアセ(;^_^Aしています。

*5日(日)フランチェスコ・ドゥランテ ナポリ・対位法の魔術師(リクレアツィオン・ダルカディア):近江楽堂
*8日(水)鈴木雅明×若松夏美デュオ・リサイタル:紀尾井ホール
*10日(金)G.B.ヴィヴィアーニ 朝吹園子バロックヴァイオリンリサイタル:近江楽堂
*14日(火)チェンバロ競演 ヘンデルとスカルラッティ(中川岳):近江楽堂 ♪入場無料
*22日(水)深淵なるバロックの響き2 サクバットを中心に17世紀初期のウィーンの響きを(青木洋也ほか):日本福音ルーテル東京教会
*25日(土)ヘンデル ヨシュア(ヘンデル・フェスティバル・ジャパン):浜離宮朝日ホール
*29日(水)上尾直毅チェンバロリサイタル ルイ・クープランの世界:近江楽堂

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。

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2019年12月29日 (日)

やなぎみわ展「神話機械」&ライブパフォーマンス「MM」

191229 会場:神奈川県民ホールギャラリー
2019年10月20日~12月1日

やなぎみわは昔、写真を中心に活動していた頃は東京で展覧会があって何回か見ることができた。その後、関西に拠点を構えて演劇やパフォーマンスをやるようになってからは縁がなくなってしまった。
神奈川芸術劇場でも上演したことがあったのだが、気付いた時には終わっていた。今回は、事前に展覧会があると知って行くことが出来たのである。
期間の終わりの二日間だけライブでパフォーマンスをやるということで、埼玉から何回も行くのは面倒なので、両方同じ日に見ることにした。ライブのチケットで展覧会にも入れるのだ。

展覧会は大型写真作品と巨大演劇空間「神話機械」、演劇作品4本のアーカイブからなる。
写真の方は2000年代初めのものが中心。女の子が童話の登場人物や自分が老婆になった時を創造してその姿に扮する。(過去の感想
中に映像作品で、少女と老婆が互いに寝かしつけようと格闘するのが笑えた。最後には童話風のセットそのものが崩壊していく。

「次の階を探して」は架空のエレベーターガールたちを美しいが無機的な空間に配置した、初期のシリーズの一つ。1996年作品で今となっては懐かしい。赤いハイヒールの革作品は初めて見たけど #KuToo の先取りかも。

広いスペースを使った「神話機械」は最近の作品。動きがプログラムされたマシンが4台あって、空間の中を動き回って無人のパフォーマンスを行う。これは時間を決めて日に3回稼働していた。
痙攣してのたうつような動きをするだけのものもあれば、ベルトコンベア上のドクロを壁に向かって投擲するマシンもある(当然ドッカンと大きな音がする)。と思えばセリフを語って移動するものもあった。
動いてない時は巨大インスタレーションとして見ることができる。

また演劇アーカイブ・コーナーでは過去の作品4作が資料と映像でたどれるようになっていた。東京ローズを題材にした「ゼロ・アワー」が面白そう。中上健次の原作による「日輪の翼」はトレーラーで移動し各地で上演したらしい。横浜に来た時に見たかった。

191229a

さて、二日間のみのライブ・パフォーマンスはギャラリー閉館後に行われた。
「神話機械」のスペースでトランスジェンダーの役者とマシンが共演するというもので、「ハムレット」とハイナー・ミュラーのテキストを使用。音楽も奏者は観客からは見えないが即興でその場で付けているとのことだった。
一時間ぐらいの長さで、シェークスピアやギリシャ神話の登場人物が交錯する。ミュラーの作品を知らないと難解な部分を感じた。
役者の身体と言葉が神話と権威に絶えず疑問と異議を唱える。床でのたうったり拍手喝采したりドクロを壁に投げつけたりする機械は、その良き助演者というところだろうか。

終了後は、やなぎみわとハイナー・ミュラーの翻訳者、神奈川県立近代美術館の館長のアフタートークがあった。各地を回るうちに内容は変化しているとのこと。劇場ではなく美術館という開放的なスペースでやることに意味がある、などという話もあった。

埼玉からはさすがに遠くてトークを聞いて帰ったら11時過ぎていた。おまけに寒い日だったし{{ (>_<) }}ツカレター
最初の方にも書いたが、最近は関西中心の活動なので情報を得にくい。今回この展覧会を知ったのはたまたま見た「神奈川芸術プレス」というPR誌に紹介記事が載っていたからである。
表紙が来年の二月末に神奈川でヘンデルのオペラ『シッラ』をやるファビオ・ビオンディで、インタビューも入っている。これを読むために貰ったら、その次のページがやなぎみわ展の記事だった。そうでなかったらこの展覧会が開催されたこと自体も知らなかったろう。
191229b

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2019年12月23日 (月)

「ジョーカー」:タウン・ウィズアウト・ピティ 誰でも3分間は悪のヒーローになれる

191223 監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス
米国2019年

今年最大級の話題作といっていいだろう。バットマンシリーズのスピンオフながらヴェネチア映画祭で受賞したし、日本でも興収ランク第1位が続いた。前評判も高く、私は公開されて勇んですぐ見に行った。

しかし、開始5分でその期待も見事にしぼんだ。善人ながら悲惨な境遇の主人公を配して、残酷でことさら刺激的なエピソードをだけをつないで煽っているように思えた。もちろん手法としてそういうのもありだろうが、なんだかなあである。
過激な行為を連ねた雑な脚本を、ホアキン・フェニックスによる渾身の演技と、クセの強い(よく言えば印象的な)映像でなんとか見せているようだった。

主人公の行為によって暴動が起こるけど、それにノッて暴れている人々はそもそも冒頭で彼を叩きのめして看板奪ったような奴らや、最初のTV映像見て嘲笑してた奴らと重なるんじゃないのかね。そこら辺についての疑問や葛藤は全くない。

所々に曖昧な場面を出てくる。冷蔵庫に入るとか、撃った銃弾の数が合わないなど--。ラストも含めて、このように「夢オチ」を仄めかしてお茶を濁そうとする根性が気にくわない。(←あくまでも個人的感想です)

また、肝心な場面は直接描かない。私はてっきりシングルマザーに危害を加えたのだと思って見ていたのだが、あそこは何もしなかったと見なす人が大多数なので意外だった。見ている限りはどちらとも解釈できる。
まあ、あそこで害を加えたとハッキリ描いたら主人公に共感する観客は90%減だろう。そういうところを曖昧にする根性も気にくわない。(←あくまでも個人的感想です)

ということで最初から最後まで気にくわずに終了したのであった。

一部で執事アルフレッドの描き方があまりにひどいという意見があった。一方、ウェイン父についてはトランプ(大統領)味が少し入っていた。

さて、このしばらく後にWOWOWでTVドラマシリーズ『ミスター・ロボット』の第1シーズンを見た。2015年制作で日本でも他の局で既にやっていたのだが私は全く知らなかった。ラミ・マレック主演で『ボヘミアン・ラプソディ』関連で今になってWOWOWで放映されたようだ。
これがまた『ジョーカー』と共通点が多いのだ。
 ・主人公が信用できない語り手である。どこまで事実か明示されない。
 ・孤独で、障害を抱えていて精神が不安定。
 ・カウンセラー/ソーシャルワーカーと対話を繰り返す場面あり。彼女から薬の処方箋を貰っている。
 ・不在の父を探し求めている。「父」の正体が分かる。
 ・メディアに彼に関連する映像が流れ、それによって仮面の人々が蜂起する。

個々にはよく出てくる状況だが、全部入っている作品というのはなかなかないのではないか。かなりの一致度である(~o~; これどうなのよ。
もっとも『ミスター・ロボット』自体も某有名作品(名前を一文字言っても分かっちゃうぐらい有名)のアイデアを戴いているんで、なんだかなあ……💨である。

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2019年12月18日 (水)

「ガブリエーリとシュッツ 神聖なる響きの大伽藍」:上野にあの大聖堂出現

191218 演奏:エクス・ノーヴォ室内合唱団
会場:東京文化会館小ホール
2019年11月11日

ガブリエーリ(ジョヴァンニ)とシュッツ、日本ではなかなかナマで聞ける機会は少ない作曲家である。
この二人、なんか関係があるの(^^?なんてシロートは思ってしまうが、若きシュッツはヴェネツィアに留学して晩年時のガブリエーリに学んだそうである。そして十数年後に再びヴェネツィアを訪れたシュッツは、大規模な合唱からオペラや小編成のものに流行が変わっていて驚いたそうだ。シュッツの作品自体も作曲年によって大きな変化が起こる。
なんて話が開演前に福島康晴から解説あって本番突入である。

総勢合唱が9人、器楽11人が曲によって頻繁に入れ替わる。特にコルネット×2、トロンボーン×4という布陣は豪華。往年のヴェネツィアの輝かしい響き、そしてその後に移り変わっていった変遷(シュッツが目の当たりにした)を二人の作品から聞かせてくれた。

コーラス総出の華やかな曲があれば、マドリガーレの影響を受け情念を前に押し出して表現したものもある。
そんな中で非常に印象が強かったのは、シュッツの「我が息子アブサロムよ」。珍しくも歌手がバス一人でトロンボーンは4人という編成に、亡くなった息子を悼む内容である。サウンド的にはかなり風変わりではあるが心に迫ってくるものがあった。

その他、様々な組み合わせで楽器と声の響きを楽しめた。例えば、ガブリエーリの「会衆の中で主をたたえよ」はコーラスの第2グループはほとんど「ハレルヤ」しか歌わない。さらに楽器のグループも別にあって、その掛け合いが見事で華やかだった。

ラストのガブリエーリ「マニフィカト」は17声で4グループに分かれ、その半分以上は作曲者が器楽か声楽か指定してなくて、演奏者が決めることになっているそうだ。
今回は、扇状に広がる会場の座席後方に二つのグループを左右一つずつ配置するという大胆なものだった。しかもそこに入る楽器が管楽器ばかりなので、エコーを大胆に伴うド迫力なサウンドである。
かくして東京文化会館の小ホールがサン・マルコ大聖堂に変身。往年の輝かしい分割合唱の響きとはこのようなものであったか……と古楽ファンとしては感動の涙であった(T^T)クーッ

なお、休憩後の最初には本来このコンサートに出演予定だった故・渡邊さとみ氏への追悼演奏があった。ビクトリア「わたしの竪琴の音は哀しみとなり」で管楽器も全員参加。これにも泣けました。
福島氏によると、彼女はスペイン留学中にW・クリスティに才能を見込まれてスカウトされたとのこと(すごい✨)。亡くなる直前までメールでコンサートについて連絡を取っていたけど、健康上のことには全く気付かなかったそうである。合掌(-人-)

盛りだくさんで内容充実、事前解説付きでチケット4500円とは超得公演だった。
次回は5月にA・スカルラッティ、12月にモンテヴェルディ聖母の晩課とのことだ。

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2019年12月13日 (金)

燃える秋のパイク祭り「プライベート・ウォー」&「エンテベ空港の7日間」

191213a「プライベート・ウォー」
監督:マシュー・ハイネマン
出演:ロザムンド・パイク
イギリス・米国2018年

ロザムンド・パイクが戦乱の地を取材した実在のジャーナリスト、故メリー・コルヴィンに扮して半生を描いた映画。「バハールの涙」で登場した女性カメラマンのモデルとなった一人でもある。

英国の新聞記者として紛争地を巡っていたが、スリランカで地雷のために片目を失う。その後PTSDで入院したり、終始タバコを手離せずやアルコール依存、さらに夫とは離婚……というような状況が、回想とも幻想とも付かぬ状態でフラッシュバックと共に入り乱れるのだった。

リビア、シリア、アフガンなど戦闘状態の描写が恐ろしく迫力ありすぎて「こ、こんな所で取材するんか」と震え上がってしまった。--と思ったら監督はこれまでずっとドキュメンタリー畑だった「カルテル・ランド」の人だった。特に最後のシリアは本当に恐ろしい。こんな所で一日も暮らせないとヒシと伝わってくる。
戦闘下の病院で取材される役のエキストラは実際に難民だった女性たちを起用したとのことだ。

演出スタイルは戦場とPTSDの描写が続く中、「情」と「事実」の均衡がやや危うくなっているように思えた。
戦場や難民の描写は迫力あるのだけど、それ以外の心理描写や感情表現などは割と類型的なパターンで終わってしまっているような。その点が今ひとつだった。

上司である編集長の意図が不明。単にスクープ記事が欲しかったのか、そうではないのか。結果的に彼女を死地に追いやったように見えた。

ロザムンド・パイクは「荒野の誓い」とはまた異なる方向の熱演で圧倒。ニコ中アル中オバサン演技に全裸も辞さずである。実話ものによくあるように、最後に本人の映像が登場するが非常にそっくり。話し声も区別が付かないほどだ。
なお、彼女の死は爆撃に巻き込まれたようだが、ピンポイントで狙われた暗殺という説があるらしい。

予告を見た時に、これから公開の「エンテベ空港の7日間」と合わせて「秋のパイク祭り」と出たのには笑ってしまった。
ただチラシの「挑む女は美しい」のコピーは野暮の極みですね👊


191214b「エンテベ空港の7日間」
監督:ジョゼ・パヂーリャ
出演:ロザムンド・パイク、ダニエル・ブリュール
イギリス・米国・フランス・マルタ2018年

同じくパイク祭り💥……とはいえ主役はD・ブリュールの方である。
1976年の史上有名なハイジャック事件を、発端からイスラエル軍部隊が突入する「サンダーボルト作戦」までの顛末を描いたものだ。といっても、犯人の心理や政治の駆け引きが中心で、過去に三回映画化されたようなアクション・ファンが見てスッキリするような軍事ものではない。

イスラエル人が多数乗った飛行機をハイジャックした犯人4名のうち、ドイツ人の二人をブリュールとパイクが演じている。
クールマン(パイク)は過激派同志のマインホフを信奉しており、冷徹でユダヤ人に差別的で容赦ないのだが、もう一人のボーゼは元・編集者という「文弱の徒」だけあってどうもフラフラと逡巡して定まらない。
ハッと気付けば自分のやってることはナチスと変わらないではないかと悩み、パレスチナ人の仲間からもなじられる始末。
鬼💢のパイクに揺れるブリュール--といった調子である。彼はこの手の弱気演技をやらせたら天下一品といえるだろう。

彼らは所詮「ガイジン部隊」に過ぎなかったのか。背後にPFLPや着陸地ウガンダの悪名高きアミン大統領などの思惑が交錯する。
イスラエル側ではラビン首相と国防相のペレスが対応を巡ってチクチクとやり合う。ペレスを演じているE・マーサンは普段いい人役が多いが、ここでは老獪さを巧みに見せていて注目だろう。

結局、イスラエル軍がウガンダ完全無視で勝手に突入するが、ここら辺の戦闘描写はあっさりとしたものだ。人質の死者はほとんどなく、イスラエル軍が1名。
なのにウガンダ兵の死亡者が45名⚡と、桁違いに多かったのがラストで明らかにされる。これは驚いた。他国の紛争が原因で殺されては浮かばれまい。なんだかなあという気分になってしまった。
なるべく事実に即して描いているということで、まさにヒーローのいない闘いなのだった。監督は若手のブラジル人。これからも期待である。

さて、兵士の一員の恋人がダンサーという設定で劇中にそのダンスシーンが数回挿入されている。チラシや宣伝などを見ても全く言及されてなくて知らなかったのだが、イスラエルの有名なバットシェバという舞踏団とのことだ。
これがネットの感想を見ても批判が圧倒的に多い。ラストの突入シーンには交互にステージ本番を迎えたダンスが入る。クライマックスに余計なものを入れるなという意見だろう。
しかし私には非常に面白くて興奮した。むしろ現在からの批評的な視点を感じさせ緊張感を高めているのではないか。

ずらりと並べた椅子に座った人々が順繰りに同じ素早い動きを行い、服を脱ぎ捨てていくが、一人だけ同じに出来ずに何度も床に倒れ伏してしまう。人々が着ているのが伝統的なユダヤ教徒の服装であることから、監督は世界の和平への動きについていけないイスラエルの孤立を表すと考えているそうだ。
だが、一方で逡巡する主人公の姿を表しているようにも見えた。他の人々はみな良きにつけ悪しきにつけ自分の確たる考えを持ち突き進んでいくのに、自分だけは同じようにできずに傷つき倒れてしまう。そんな焦燥感を感じさせた。

エンドクレジットの「ウサギとカメ」みたいなダンスも面白かった。常に速い速度を保ってきれいなフォームで走っている者はいつまでもゴールにたどり着けない。
しかし、まともに真っ直ぐには進めず這うようにして歩き、コースを外れてフラフラと曲がりくねりつつ行く者の方が先に到着する……これまた極めて示唆的である。

このダンス絶対ナマで見たい!来日したら必ず行く(!o!)と思ったら、なんと3月にさいたま芸術劇場に来るではないの❗ なんだよ~、どうせだったら映画がらみで宣伝してくれればいいのにさ。大人の事情とかあるのかしらん。
191214c

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2019年12月 7日 (土)

「エマ・カークビー ソプラノ・リサイタル」:降りるは簡単、上るは苦難、ステージへの道

191207 北とぴあ国際音楽祭2019
会場:北とぴあ さくらホール
2019年11月7日

今年も来ました恒例の北とぴあ。北区民のありがた~い税金による音楽祭であります。
この音楽祭とエマといえば数年前の『妖精の女王』が思い出される。今年はオペラの参加はなくて単独コンサートだ。

前半はつのだたかしのリュート共に英国ルネサンス歌曲。後半は寺神戸亮率いるアンサンブル(総勢9人)との共演でバロック名曲選、という盛りだくさんな超お得プログラムだった。

ルネサンスものの方はダウランド中心で、他にキャンピオン、J・ダニエルも。会場は多目的で1300人収容という広さで、この手の音楽には向いていない。でも、か弱そうなエマの声は驚くほど鮮明に大きく届いた。歳は取ってもやっぱりエマ✨であった
ただ、さすがにリュートの音については苦しいものがあった。

バロックの方はヘンデルの信奉者だったというW・ヘイズの声楽曲で開始。歌詞の中に登場するホルンが実際に加わって演奏した。
英国ものなら定番パーセルの後は、なぜかその後バッハ。やはりバッハを入れないとダメなのかしらん。
しかし、事前のチラシでは最後の演奏が「コーヒー・カンタータ」からになっていたのを変更して、「やはり今年のオペラはヘンデルなんで」ということで結局ヘンデルに差し替えられたとのこと。
ということで、バッハはロ短調ミサからの1曲だけで、ヘンデルが「メサイア」と「アルチェステ」からとなったのだった。

エマの歌唱はパーセルやバッハよりもヘンデルの方が冴え渡っていて、この変更は吉と出たのである。
器楽曲ではバッハの「オルガン小曲集」をアンサンブル用に編曲したのがよかった。対位法の心地よさが満ちあふれるように感じられる~(^^)~

アンコールは「結婚カンタータ」より。
カーテンコールでエマと寺神戸亮が手を目の上にかざしてしきりに客席を見ている。何かと思ったら前半のつのだたかしが客席にいるはずなので、探していたらしい。
そして、手招きされてつのだ氏が客席から立ち上がり、ステージ上へ……行くはずが、なんと客席のフロアから壇上へと上がる階段がないのだった(!o!) かくしてステージの下にいるまま彼は会釈するという羽目に。
階段ないのは、興奮して上ってくる客を防止するためでしょうかね⚡

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2019年12月 4日 (水)

「僕たちは希望という名の列車に乗った」:人生片道切符

191204 監督:ラース・クラウメ
出演:レオナルド・シャイヒャー
ドイツ2018年

ベルリンの壁ができる前、東独の学校で起こった事件。ハンガリー動乱によって市民が犠牲になったのに対し、教室で授業時に黙祷したのが大事になる。
恐らく高校生たちがあまり深く考えずにノリで始めたことと思うが、当時の東独は日本と同様に敗戦国で占領中。ソ連がらみの事案なので許される事ではない。政府から首謀者を出せと迫られて、友情にも家族にも亀裂が入る。
血気盛んな若者たちと、ワケありの過去を背負って生気を失った影のような親世代の対比が痛々しい。

教室で「多数決」って久し振りに聞いた気がする。同時に、呪文のようでもあるな。正義の呪文。
終盤の感動的なシーンは某名作史劇映画を想起させるものだったけど、この部分も実話なのだろうか。

邦題はネタバレしてる割には、実は何も言ってないのと同じじゃないのかね。原題は「沈黙する教室」で「飛ぶ教室」をもじったって本当か?

男子生徒役の若い役者たちの顔力(かおぢから)が強かった!
特にクルト役の子がブラピとディカプリオ足して二で割ってさらに濃くしたような顔立ちであった。

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2019年12月 2日 (月)

「模倣か独創か パーセルとイタリアのマエストロたちのトリオ・ソナタ」:ソナタ・ワールドカップ英×伊は勝負より融合

191202 演奏:レザミ・ドゥ・バルバスト
会場:近江楽堂
2019年11月2日

ヴァイオリン天野寿彦、コリーヌ・オルモンド、チェロ山本徹、チェンバロ辛川太一という4人で、パーセルのソナタを中心として英国バロックの変遷を聞くコンサートである。
C・オルモンドはフランス出身。バルバストという土地で開かれた古楽講習会で天野・山本と知り合い、アンサンブルを組んだという。今回は10年ぶりらしい。

パーセルというと声楽曲系がよく演奏されるけど、実際には器楽曲も多い。30代半ばで亡くなったのによくこれだけ多岐に渡る作品を残したと感心する。長生きしていればどれだけ名作を生み出していたかと思う。

プログラムは前半がパーセルに影響を与えたとおぼしきローズ、M・ロックにウィリアム・ヤングと、パーセルのソナタを交互に演奏した。
英国では「ソナタ」という言葉はなかなか定着せず、「ファンタジー」「組曲」「エール」などと呼んでいたそうな。ヤングという人は初めて曲集に「ソナタ」を使ったらしい。

後半は「イタリア趣味の音楽の台頭とパーセルのトリオ・ソナタへの影響」でマッティス、カッツァーティ、コレッリ、ヴィターリの作品が登場。
ジェームズ2世がイタリア貴族のメアリーと結婚したため、イタリア人音楽家たちがロンドンへ向かい人気を博したそうである。
パーセルは初めて「ソナタ」としてイタリア風トリオ・ソナタ集を出したとのことだ。これらを交互に演奏していくことで、類似点や影響を探っていく。

このように意欲的なテーマの下の凝ったプログラムだったけど、演奏は決して古びた音楽ではなく躍動的かつホットなものだった。
しかし内容が地味なせいか空席が目立った。(ほとんど身内だった?) 聞き応えたっぷりで充実してたのに~、残念。

4人目のメンバー辛川氏はまだ20代半ば?、J・ロンドーよりもっと若い。先輩方を引き立ててそつのない演奏。将来有望ですね、オバサン応援しちゃう(@^^)/~~~


ところで、近くにいた外国人男性が頻繁にスマホを取り出して(ほとんど楽章ごとに)何かをチェックしているので、なんなんだ💢これは!と思ったけど、後から考えるとラグビー・ワールドカップ決勝の経過を確認していたらしい。
「どっちが勝ったんですか?」って聞けばよかったかしらん。

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