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2020年1月

2020年1月31日 (金)

聞かずば死ねない!古楽コンサート 2月版

あっという間に正月も過ぎていきました。

*2日(日)大塚直哉レクチャー・コンサート:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
*10日(月)ディドンの死 艶やかなフランス音楽の世界(野々下由香里ほか):近江楽堂
*  〃   バッハ ケーテン候のための葬送音楽(大塚直哉ほか):浜離宮朝日ホール
*14日(金)ヴァレンタインの日にヴァレンタインのソナタ(木村睦幸ほか):近江楽堂
*16日(日)祈りのモテット(バッハ・コレギウム・ジャパン):東京オペラシティコンサートホール
*  〃   アンドレア・マルコン オルガン・リサイタル:東京藝術大学奏楽堂
*24日(月)夕べの賛歌 リュートと一体化する17世紀歌唱の妙技(加藤加代子&櫻田亨):近江楽堂
*28日(金)リコーダーで奏でるナポリと南イタリアの原風景(桐畑奈央ほか):近江楽堂
*29日(土)時はたちどまり パルドンレーベル30周年記念コンサート(つのだたかしほか):ハクジュホール
*  〃  &3月1日(日)ヘンデル シッラ:神奈川県立音楽堂

21日にNHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」で藤原歌劇団のスカルラッティ「貞節の勝利」やります。
また、14日の「ベスト・オブ・クラシック」ではオリーブ・コンソートが!必聴。
これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。

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2020年1月28日 (火)

「鈴木秀美チェロ・ピッコロリサイタル」:旋律弾いてもスゴイんです

200128 会場:近江楽堂
2019年12月27日

鈴木秀美が全編チェロ・ピッコロのコンサートをやるというので、こりゃ珍しい⚡聞きにいかずばなるまいと、暮れも押し迫ったころの近江楽堂に行った。人もまばらなオペラシティだったが(地下の居酒屋だけは忘年会で人がいっぱいだった)、さすがに満員御礼だったようだ。同じ業界の人もかなり来ていたもよう。
共演の鍵盤は上尾直毅で、小さな会場にチェンバロに加えフォルテピアノまで並べてあった。

ヒデミ氏のチェロ・ピッコロはビルスマから譲られた楽器とのこと。リラックスした様子でピッコロ話と演奏をした。チェリストにはバッハの無伴奏チェロ曲でしか使われないこの楽器、謎が多い。
近江楽堂は静まり返り聴衆の集中度は非常に高かった。

前半はヘンデルのそれぞれガンバ、フルートのソナタから1曲ずつとテレマンのチェロ・ソナタより。
休憩をはさんで、独奏でバッハの無伴奏フルートのためのパルティータ。普段は一小節に音符が3つぐらいしかないのを弾いているので12個もあるとビックリ❗と笑いを取っていた。

その後はフォルテピアノと共にC・P・E・バッハのヴァイオリン・ソナタから。近江楽堂でフォルテピアノを聞いたのは初めてだと思うが、普通のホールで聞くのとはかなり違う響きが感じられた。
むむむ(*_*;何と言ったらいいのか、チェンバロでもなくピアノでもない不思議な音である。

アンコールはシューベルトのアルペジオーネ・ソナタだった。
終演後はミドリ氏が楽譜を片付ける姿を目撃するなど。

それにしても何故バッハは無伴奏チェロで一曲だけ特別な楽器を指定したのかねえ(?_?)

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2020年1月27日 (月)

没後20周年キュー祭り「キューブリックに愛された男」「キューブリックに魅せられた男」

200127a スタンリー・キューブリックに関するドキュメンタリー二本が公開! まとめてイッキ見した。

「キューブリックに愛された男」
監督:アレックス・インファセリ
出演:エミリオ・ダレッサンドロ
イタリア2016年

タクシー運転手をやっていて『時計仕掛けのオレンジ』の小道具(あまり人目にはさらせないあの物体)を運んだことをきっかけに、Q監督の専属運転手を30年間務めることになったイタリア人エミリオ・ダレッサンドロのインタビューを中心に構成。
既に回想録を出しているので、内容自体に衝撃の新発見の事実!みたいなのはないようだ。

近所に住んで運転だけでなく、私的な雑用係までやっていたとのこと。昼夜問わず電話がかかってきたり、メモで色々と指令が飛んできたりと、様々なエピソードを通して大変だったのが語られる。
一度辞めてイタリアに帰ろうとしたのにズルズルと2週間後のはずが2年引き止められたり、また英国に戻ったり。結局『アイズ ワイド シャット』にチョイ役で出たりしている。

ドキュメンタリーとしてはあまり出来は良くない。編集がうまくないし、Q作品の映像が使えずスチールだけなのも単調になってしまって寂しい。
ただ、エミリオ氏の屈託ない人物像(まさに愛されキャラか)に引っ張られ見てしまうのであった。
また、この人は保存魔でメモや箇条書きの指令書の実物を取ってあって、それを見られるのは面白い。あと個人的に撮ったスナップ写真も貴重だろう。

イタリアに戻ってから初めてキューブリック映画を見たそうだ。「どれが面白かった?」と本人から聞かれ、答えたのは……自作とは認められていないあの作品(^^;;


200127b「キューブリックに魅せられた男」

監督:トニー・ジエラ
出演:レオン・ヴィタリ
米国2017年

『バリー・リンドン』に主人公の義理の息子役で出演していたレオン・ヴィターリ、役者として評価され始めたのに、製作の仕事をやりたくてキューブリックの撮影現場で働くことを志願したのであった。

彼のインタビューを中心に、作品に出演した俳優たち(ライアン・オニール、リー・アーメイ、マシュー・モディンなど、お懐かしや)の話も挿入される。ステラン・スカルスガルドが出ている(結構含蓄のあることを喋っている)のは何故?と思ったら、これはレオンと『ハムレット』の舞台で共演してた関係らしい。

エミリオ氏同様、彼もアシスタント・雑用係兼任となり公私を問わず四六時中働くようになる。やはり電話と指令メモが矢継ぎ早に来る。あまりに頻繁なので、よくその電話やメモする時間があるなあと変なところで感心するほど。
『フルメタル・ジャケット』の時などはスゴ過ぎてドレイ状態に等しくなる。

とはいえ、そのように使われたのは彼が有能だからとも言える。
『シャイニング』の時はオーディションでダニー役を発見し、さらにはあの双子少女を見つけたのも彼だというのには驚いた。「ダイアン・アーバスみたいだ💥」と報告に行ったという。
加えて、全く経験ない効果音係を突然やれと命じられたとか(前任者が辞めちゃった?)、逸話は尽きず。その割には報酬をあまり貰ってないっぽいし、彼の子どもたちは父親を奪われた感じで恨み節なのであった。
ここまで来ると二人は共依存の関係にあったのではないかと思えるほどだ。

またキューブリックの死後は権利関係で色々あったらしい。まあ、これは利益と権利が絡んだりするとどこでも起こる事案だろう。

エミリオ氏の話も合わせて感じたのは、天才とは自身だけでなく才能や天分ある者を見つけて活用していくものだということ。そして才能なき凡才ならば決して近寄らず、遠くからその創造物を眺めていた方がいいということだ。

どちらの方に出てきたのか忘れたが『バリー・リンドン』(だっけ?)の「美術監督が倒れて担架で運ばれてった」なんてエピソードを聞くと、もっと他の人の言い分も聞きたくなった。

200127c なお、両作合同パンフレットはモノリス型の横長で、さらにひっくり返して後ろ側からも読むという凝った体裁。そのため、乱丁と勘違いした人がいましたよ。
同じ値段でオリジナル布製バッグも売ってて一瞬どちらを買うか迷った。



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2020年1月24日 (金)

「オリーブ・コンソート」:巨匠が来りて超絶笛を吹く

Photo_20200124205701 会場:東京文化会館
2019年12月15日

ケース・ブッケ、W・ファンハウヴェの超ベテラン組と田中せい子&D・ブラジェッティによるリコーダー・カルテットである。
「ヘンリー8世の手写本」、フェスタ「ラ・スパーニャによる125のコントラプンティ」、「ロイヤル手写本」という3種のルネサンス曲集からの曲を演奏し、その間にブッケ、ファンハウヴェがそれぞれベリオの「ジェスティ」を独演するという興味深い構成だった。

曲集の方はポリフォニー豊かで巧みなアンサンブルが楽しめた。特にフェスタの12曲が心地よい。

ベリオの曲はリコーダーやっている人には有名なのだろうか。田中せい子によると「特殊奏法は非常に難度が高いため、練習半ばで挫折する奏者の方が多い」そうな。ヒエ~ッ💥
実際にベテラン二人の演奏をそれぞれ聞いてみると、確かに超絶技巧に口アングリ状態だった。ただ、シロートとしてはうめき声とか鼻息などはどういう風に楽譜に書いてあるのかしらん、なんてことを考えたりして。

休憩無し約80分でアンコール2曲。大変に密度が高く、聞きがいのあったコンサートだった。終演後はサイン会に長蛇の列が出来ていた。
収録があって、そのうちNHK-FMで放送される予定らしい。「ベスト・オブ・クラシック」枠だと多分時間が余りそうだ。

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「ニューヨーク・アートシーン」

200124a ロスコ、ウォーホルから草間彌生、バスキアまで
会場:埼玉県立近代美術館
2019年11月14日~2020年1月19日

埼玉の数少ない文化的施設である県立近代美術館で開催。現代アートの代表的作品が作者ごとに1~3点展示されている。サブタイトルに「滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」とあり、日本国内を巡回しているらしい。

ウォーホル、ロスコ、シンディ・シャーマン、バスキア等々。デュシャンの便器もちゃんとあり。現代美術の教科書そのままと言っていいくらいに有名作品が多数展示されている。実物をまとめて見られるので学生さんや入門者にもオススメだろう。

個人的にはロスコの独り占め状態にニヤニヤとし、アド・ラインハートの黒色にやられた。黒といえばステラの「ゲッティ廟」も巨大で迫力だった。以前にも見たことがあるはずだが、ドーンと迫るものがあった。
ウエイトレスがコーヒーを注ぐ姿を描いたジョージ・シーガルの像は、よくこんな瞬間を捉えたものよ--と言いたくなるほどに密かに息づいていた。
あと、久し振りにボロフスキー作品を見た。オペラシティの「歌う男」の作者である。カバンを持った男の影だけが浮かび上がる。あの脱力ユーモアがいい。

小さい子を抱きかかえて見て回ってる若いお母さんがいて大変そうだった(ダンナの方は赤ん坊の寝ているベビーカーを押してゆっくり鑑賞)。どれを見ても「これなに?」とひっきりなしに聞かれて「おマルだねえ~」(デュシャンの便器のこと)などと答えていた。
ちと年齢的に早すぎではあるが、でも今から見せておけば将来は立派なアーティストになるかも(^^)

荷物用コインロッカーの中に常設展示されている宮島達男の作品は、まだ透明の扉の奥で数字を刻んでいた。もう25年も経っているのかと驚いてしまった。
あれは世界の電気が尽きる日まで展示されるのだろうか。
彼の作品もやはりオペラシティの外階段にある(階段に埋め込まれた数字が明滅している)が、停止しているものが結構ある。やはり野外だと維持が難しいようだ。

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2020年1月22日 (水)

「ナウシカ考 風の谷の黙示録」

200122a 著者:赤坂憲雄
岩波書店2019年

マンガ版の『風の谷のナウシカ』を民俗学の立場から俯瞰する解読の書である。論が進むにつれ著者の専門分野を飛び出し、宗教や文学のフィールドも巻き込んで読んでいく。それゆえ、現在マンガ批評の主流である絵柄やコマ割りからの分析はほとんどない。
結末に至るまでかなり詳細に紹介してあるので、マンガ読了者のみにオススメする。

アニメしか見ていないという人は多いだろうが、マンガ版は全7巻。連載途中でアニメ化されたために2巻目の途中までの内容しか入っていない。当然、結末は異なるし「青き衣」の意味も違ってくる。
マンガ後半で登場する人物もいて、クシャナなどは性格も設定も異なる。(赤坂憲雄はアニメのクシャナは『もののけ姫』のエボシ御前に近いと述べている)

途中までは過去にも書かれてきたディストピアSF、エコロジーSFの系列かと思って読んでいたが、結末に至って「えええーっ」と仰天した。それまでのSFにおける《常識》を完全にひっくり返すものだったからだ。
アニメとマンガは似て非なるものと言ってよいだろう。

この論はその結末の読解への導入として、新聞連載されたマンガ『砂漠の民』と絵物語『シュナの旅』の紹介・比較から始まる。昔、新聞連載のマンガなんて描いていたとは知らなかった。

これまで何度となくマンガ版を繰り返し読んでいたが、今まで謎だったことが幾つか理解できた。
ナウシカはなぜ過剰なまでに「母」なのか。
どうして彼女の発する破壊と混沌の匂いに、みな惹かれてついていくのか。
全てが終わった後に指導者ではなく、無名の人となって消えたのはなぜか。

それ以外にも色々と注目すべき指摘がある。

ナウシカはあくまで「族長」であり、「王」ではない。
他の宮崎作品でも同様に「母の不在」が見られる→『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫」『千と千尋の神隠し』。「不在の母がナウシカ的世界を覆い尽くしている」と。
文字で騙られる歴史によって搾取と支配が繰り返される。
……などなど。

最終章は原作のストーリーに沿って「シュナの庭」の主と「シュナの墓所」の主との対話(対決)について論じている。
ここで改めてマンガの「庭」を見てみると、美しい自然・清浄な空気・澄んだ空と陽光・穏やかな耕作地などが描かれている。さらにどうしようもなく下劣で愚かな人物であったクシャナの兄たちが、この地に入ると全てを忘却し、一転して教養あふれる芸術家に変貌するという不思議なことが起こるのだった。

しかし赤塚が指摘するように、そのような楽園の陰には支配と搾取のシステムがセットで存在するのだ。加えて生のエネルギーを甚だしく欠いた世界でもある。
そして善と悪の二元論的な戦いと黙示録的終末観を否定する物語として提示し、読解の手がかりを残して論を終了する。実に説得力ある論考である。そして猛烈にマンガ版を読み返したくなった。

難点をあげると、繰り返しが多いのが気になる(特に後半)。原作のセリフを引用し、それを著者自身の言葉で書き直し、さらに解釈を付け加えている。しかも同じ箇所が数回出て来たりするのだ。
それから、途中に「ウィキペディアで調べると--」みたいな部分がありガクッ💨となってしまった。せめて図書館で専門辞典の類を使ってくだせえ。

さて、冒頭に「関連年表」がある。それを見ると、宮崎駿はマンガ版を連載しつつ並行してその12年間にアニメ版『ナウシカ』と『ラピュタ』『トトロ』『魔女宅』『紅の豚』を作っているのだ……ハヤオ、恐ろしい子❗


以下は、『ナウシカ考』を経て再読してみたマンガ版の感想である。(ネタバレあり)

『ナウシカ考』でも詳しく考察された「シュナの庭」と「シュナの墓所」(の主との対話)--最初読んだ時、特に前者の地についてなぜナウシカがこれを否定するのか私には全く理解できなかった。最終戦争で汚染された世界を清浄化し、美しい場所で学芸を愛する人々が穏やかに暮らす。そのような未来世界が保証されているのなら結構なことではないか。なぜそれを妨げるのか。
そして実際彼女は「墓所」へ行って破壊を選択する。その瞬間も「自分の罪深さにおののきます」と自覚してやっているのだ。

それまでのSFの常識だったら、破壊された世界を元に戻すシステムが確保されていたことが判明してメデタシメデタシとなるはずなのに、完全に逆である。この行為はどうにも解せない。

ところで、先日TVを見ていたら皇居のニュースをやっていた。
映像で見ると都心にまっただ中にありながら、美しい草木に溢れ小動物が生息し穏やかな陽光が降り注ぐ、まさに庭である。
私はその時に「シュナの庭」とはこのような場所であろうかと思い至った。

考えてみればそこに住む人々もよく似ている。
ナウシカと「庭」の主との対話ではこのように語られている。「汚染されていない 動植物の原種 農作物 音楽と詩 それらを生きたままで伝えていく 客人とヒドラ……」

皇族は歌会を催し、文学について語り、クラシック音楽をたしなみ、歴史や環境について研究し、さらに儀式的な農作業(稲作や養蚕)を行う。
一方そこには工業技術に関するものは見当たらないようである。(奇しくもナウシカは「工房の技や知識」が「庭」に欠けていることを指摘している)

しかしひとたび皇居の外に出れば、そこは美とも平穏とも優雅ともかけ離れた都会が広がる。加えて、老後に二千万円貯めておかなければ生きていけない自己責任論はびこる殺伐とした世界である。
『ナウシカ』においても「庭」の外は荒野である。マスク無しに暮らせる土地でも子どもは育たず人口が減り、「森」の厳しい生態系の中では人間は一瞬たりとも生きられない。
このように二つの庭は似通っていて、「墓所」の主の計画した未来をどのようなものか考えるようとすると、皇居のありようが参考になる。

ここで人間は、皇族のように穏やかで優雅な暮らしを選ぶか、それとも過酷な生態系の中で容赦のない弱肉強食の生活をするか、秤に掛けて、どちらかを選ばなければならない。
普通ならば前者?……がしかし、ナウシカは後者を選んだ。それも人類の未来なのに一人で勝手に決めたのだ。果たして彼女にそのような資格があるのだろうか。

今回読み直して初めて気付いたのだが、ナウシカがかつての初代神聖皇帝と同じだと自ら認識する場面が2カ所ほどある。皇帝は世を救おうとヒドラを連れて「庭」から出て行くが、その姿は彼女が巡り会った者たちを引き連れて進みつつある状況と、明らかに重ね合わされている。
逆に言えば、彼女が「救世主」たる資格を持っていることも示す(「墓」でそのように認識される場面あり)。
結局彼女は救世主であることを否定し、それまでの救世主と正反対の行為を行うのだ。

そこで、いつも連想するのが光瀬龍のSFである。多分『たそがれに還る』かと記憶しているが、乗組員が誰もいない宇宙船の中で人々のデータを記録したカードが発見される。いつかそのデータが復元され生き返ることを期待してのことだ。
しかし驚いたことに、主人公はそのカード群を躊躇することなく踏みにじって捨ててしまう。そのようにものは生に値せず、そうまでして自らを残そうとするのは浅ましいと見なしてだろうか。光瀬龍は確か同じモチーフを宇宙年代記の短編でも使っており、強くこだわりを持っていたに違いない。

現在のSFでは彼のこのような考えは古くさいとされている。『攻殻機動隊』のように人格がデータとなってネットの海に漂っているような世界では、紙のカードであろうとデータ化されていれば復元できるのだから、生き続けているとみなされるだろう。

だが私は、データ化したカードを踏みにじる行為とナウシカが「墓」で行なった破壊は極めて似ていると思う。作者二人の年齢差は十数年のようだが共に戦前生まれだ。単に旧弊ということではなく「生」についての認識が通ずる所があるのではないか。


ついでに、もう一つ別の観点から見直してみよう。トルメキアが近世ヨーロッパの絶対王政を模しているなら、土着の原始宗教を駆逐した土鬼帝国はさしずめ近現代中国か(ヒドラを連れて改革を行なった初代皇帝は毛沢東?) とすれば海に近く大国の狭間で独立する風の谷は、宮崎駿が理想とする日本の姿なのか。
やはりハヤオ、恐ろしい子💥……なのである(;^_^A

200122b ←マンガの第7巻から当時の挟み込みチラシが出てきた。なお裏側は『平成狸合戦ぽんぽこ』のビデオ(12800円!)の広告。

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2020年1月13日 (月)

遅まきながら2019年を振り返る

200113a 今更ながらではあるが、一応やりました。
それにしても最近ますます記事を書くのに時間がかかってしまい(気力の問題)どうしようという感じですね。

【映画】
順序はなんとなく。完成度より好みで選んでおります。

『未来を乗り換えた男』
『あなたはまだ帰ってこない』
この二作、それぞれ裏表を成している。こういう構造の映画がつくづく好きなんだなあと自分で再認識した。
もし、今年の一作を選ぶとしたら『未来~』だろうけどそういうのに限ってロードショーをスルーしてしまい、DVDで見る羽目に……トホホ(=_=)

『ちいさな独裁者』
ほぼ全員悪人! 日本で同じような内容のものを作ったら「反日」とか「非国民」と言われるのは必至であろう。

『たちあがる女』
とにかく発想がすごい。力強いラストにも感動。

『誰もがそれを知っている』
スター俳優夫婦を迎えて甘口に、と見せかけてイヤ~ン味が5割増しになっていた。

『荒野にて』
俳優陣がみな味がある。最後に登場する人物が平凡な「普通の人」っぽいのがよかった。ハリウッド映画だとあそこにピカピカした外見の人を当ててしまうだろう。

『エンテベ空港の7日間』
『バハールの涙』
*『2人のローマ教皇』
*『家族を想うとき』
この4本の中からどれを選んでもいいかなと。

以下2本ドキュメンタリー枠。
『主戦場』
*『人生、ただいま修行中』

「トイ・ストーリー4」と「エンドゲーム」は感動的ではあるものの微妙であった。
TVシリーズでも面白いものが続々と登場。ただ、あまりに長すぎると『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ハウス・オブ・カード』みたいに終わりに近くなってガタガタになってしまうので難しい。

★部門賞
*監督賞:ロベルト・シュヴェンケ(『ちいさな独裁者』)
その根性が気に入った。
*男優賞:フランツ・ロゴフスキ(『未来を乗り換えた男』『希望の灯り』)
次点=マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』『TRUE DETECTIVE 猟奇犯罪捜査』)
*女優賞:メリッサ・マッカーシー(『ある女流作家の罪と罰』『パペット大捜査線』)
*ベストカップル賞:アンソニー・ホプキンス&ジョナサン・プライス(『2人のローマ教皇』)

*最優秀悪役賞:チョ・ウジン(『国家が破産する日』)
スクリーンに向かって物を投げたくなるほどの見事な悪役ぶり。
*最驚別人賞:ブノワ・マジメル(『あなたはまだ帰ってこない』)
事前に出演していると知らなければ、見ても分からなかった。
*最強恐怖症:『リンクル・イン・タイム』の巨大化したオプラ・ウィンフリー
そのままホワイトハウスに行って中の住人もろとも踏み潰して欲しかった。
 
*最凶邦題賞:『ビリーブ 未来への大逆転』
代案は「ルース・ベイダー・ギンズバーグここに登場 文句がある奴は六法全書かざしてかかって来やがれ」。2020年は既に『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』に決定と言われている。
 
*ちゃぶ台ひっくり返し賞:『永遠の門 ゴッホの見た未来』
この賞は、見終ってあまりの内容に思わず「なんじゃ、こりゃ~。観客をなめとんのか!」(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン と、ちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になった映画に与えられる栄光ある賞である。(あくまでも個人的見解です!
いや別に詰まらないとかではなく、見てて目が回って気分が悪くなったもんで……👀

★映画関係のトホホな出来事
その1-以前見た映画(しかも気に入らなかった)なのに、すっかり忘れてリバイバル上映見に行ってしまった。10分ぐらい見てから気付いた。
その2-シネマカリテと新宿武蔵野館を間違えて行ってしまい、ネット予約したのにチケットが出ないとスタッフのおにーさんに迷惑をかけてしまった(_ _)スマヌ
てっきり自分はもうボケてしまったかと落ち込んだが、十年以上前にもシネスイッチとシャンテシネ間違えて行ったことがあったので、これは性格だと気を取り直した💡

 【コンサート部門】
コンサートの感想も書くのが遅れ、さらに書かずに終わったものがあった。
「ヴァレア・サバドゥス&コンチェルト・ケルン」
「ルベルとルクレール」
「バルバラ・ストロッツィ 生誕400年記念コンサート」
「佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団」
「ソフィオ・アルモニコが綴る 爛熟のイタリア」
「ガブリエーリとシュッツ 神聖なる響きの大伽藍」
「ヘンデル リナルド」(北とぴあ国際音楽祭2019)

★コンサート関係でオドロキ(!o!)な出来事
その1-風と共に楽譜が飛びぬ事件
その2-ヴァレア・サバドゥス譜面台ずり下がり事件


【録音部門】200113b
2019年に日本で流通したものから。新譜ばかりを聴いてるわけではないので、数が少ない。
*「パリ・アルバム 初期フランスのトリオ・ソナタ集」(ヨハネス・プラムゾーラー&アンサンブル・ディドロ)
プラムゾーラー、少し前に来日したんだよね。他のコンサートとかぶって行けなかったのだが……行けばよかった💧
*ブクステフーデ、テレマン、バッハ「新たに生まれし嬰児 クリスマス・カンタータ集」(シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド)

*"HERE IF YOU LISTEN"(デビッド・クロスビー)
*「JONI75~ジョニ・ミッチェル・バースデイ・セレブレーション」

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2020年1月 9日 (木)

ヘンデル「リナルド」:こいつばかりがなぜモテる?

200109a 北とぴあ国際音楽祭2019
演出:佐藤美晴
演奏:寺神戸亮&ラ・ボレアード
会場:北とぴあ
2019年11月29日・12月1日

『リナルド』というと、何年か前にNHK-BSで放映されたのを見たことがある。R・カーセン演出でグラインドボーン音楽祭で上演されたものだ。その時は登場人物がハリー・ポッターみたいな制服を着ているファンタジー学園ものを模していた。確か『ET』みたいに自転車が飛んだのを記憶している。

今回は舞台上に演奏者がいるセミステージ形式とは言え、背後に巨大な割れた鏡が置かれていて、全体にも鏡(=魔法か)のモチーフが頻繁に使用されていた。

主役はBCJでもお馴染みCTのクリント・ファン・デア・リンデで、衣装やカツラで純朴青年風のイメージとなっている。ヒロインのアルミレーナ扮するフランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリは小柄でカワイイ感じ。
純粋無垢な二人に立ちはだかるのが魔女アルミーダだが、派手な出で立ちで登場するのが去年は貞淑な妻を演じていた湯川亜也子だ。全く正反対の役だが身長があるので迫力ある魔女にもピッタリだった。相手役のフルヴィオ・ベッティーニはマフィアの首領みたいに登場して笑わせてくれた。二人合わせると、ギャングとその情婦にも見える。
全体には純朴な少年少女を、大人の(倦怠期?)男女がちょっかい出して邪魔をしておびやかすという図式っぽい。

私は二日目の方に行ったのだが、初日の後に「湯川亜也子よかった」というネットの書き込みが相次ぎ、実際見てみたら本当に歌も演技もなるほど納得の出来だった。
彼女のアリアでオーケストラの通奏低音の面々の顔を撫でて回る場面があって、日頃縁の下の力持ちでスポットライトを浴びることの少ない通底諸氏をニヤニヤと喜ばせたのである。

このように、オケが舞台に乗っているので曲自体にある歌手との掛け合いの部分も目に見えてよく分かった。トランペット隊が軍隊の役割を果たす演出も面白い。ただ、戦争の場面はあっさりし過ぎていたかな。
上尾直毅は昨年同様に奥に座っていたので、ヘンデルが当時弾いたであろう華麗なるチェンバロソロの時も「音はすれども姿は見えず」状態だったのは残念である💨

十字軍の司令官ゴッフレード役の布施奈緒子とその弟・中島俊晴の身長差は30センチぐらいか(^^? わざとデコボココンビにしてるのだろう。

このように、演奏・演出など全体に大満足できた公演だった。次回はリュリの『アルミード』が予定とのこと。しかもクレール・ルフィリアートルが出演予定なので今から大いに期待である。
県民だけど、北区民の皆様のありがたい税金で楽しませていただきまーす(@^^)/~~~

ネットで200109bラモーをやって欲しいという意見を見かけた。しかしラモーはこの音楽祭の最初の頃にもう5作やっちゃってるんだよね……。当時はまだ景気のいい頃だったので、バレエを大々的に導入して大がかりな美しい舞台だった。
クリストフ・ルセが指揮した年があって、自分のコンサートがその「裏番組」になってしまった某チェンバロ奏者が公然と罵ったという逸話あり(あくまでも噂ですよ(^^;)。
なお、今年の秋に神奈川県立音楽堂でBCJがやはり『リナルド』やるそうな。ええー❗そこまでのリナルド人気なぜ? まさかコンマスはこちらも寺神戸氏じゃないよね。
 

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2020年1月 6日 (月)

「15ミニッツ・ウォー」:バスに向って撃て!

200106 監督:フレッド・グリヴォワ
出演:アルバン・ルノワール
フランス・ベルギー2018年

国際紛争による人質事件という実話を題材にしているのは『エンテベ空港の7日間』と同じだ。が、あちらは戦闘シーンが少なくて詰まんな~い(><)とお嘆きの諸氏諸嬢に、全力をこめてオススメしたい一作である。

舞台は1976年「フランス最後の植民地」💥ジブチで、独立派による小学校のスクールバス・ジャック事件が起こる。ソマリア国境近くにバスが移動し、このままだと子どもたちは殺されるか隣国に連れ去られるか、という事態になる。
そこで狙撃チームが招集され、現地へ急きょ向かうのであった。一同はいずれも優秀ながら「軍隊は規律が厳しくてやってられねえ」というはみ出し者ばかり。

さらに子どもたちを放っておくわけにはいかないと、小学校の女性教師がバスに自ら乗り込むという事態も発生。
しかしフランス本国政府は外交ルートで解決を目指していて、狙撃対が待機していてもなかなかゴーサインが出ない。彼らは緊張の中ジリジリしながら待つことになる。

ここで見てて混乱するのは、フランス軍に「外人部隊」と「憲兵隊」があって関係がよく分からないことである。狙撃チームのリーダーである主人公は元は軍にいたが、今は憲兵隊所属になっている。後で調べたら憲兵隊は半分軍隊で半分警察という組織らしい。

ということで、フランス側は組織ごとにバラバラで、犯人は犯人で隣国からの援助待ちで膠着状態が続く。
ラストはタイトル通りに終盤は期待に違わず怒濤のような銃撃が展開する。ものすごい迫力と銃弾使用量だ。『エンテベ』の時とは逆に、思わず「撃って撃って撃ちまくれー👊」と叫びたくなる。端緒となる狙撃シーンは狙撃兵だとここまでできるのかとビックリ。
一方、いくらなんでも味方にタマが当たらなさ過ぎだろう、とも思ったりした。

隊員一同の私生活の描写がほとんどないのも潔い。もろにサム・ペキンパー風の場面が幾つも登場するが、無常観あふれる後味などアルドリッチっぽさを感じさせるところもある。
ということで、この二人が好きなアクション・ファンは見て損無しだろう。

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