「パラサイト 半地下の家族」:ハイヤーグラウンド 高望みの芝生
2020年前半最大の話題作(あらゆる意味で)なのは間違いないだろう。カンヌからアカデミー賞まで各映画賞にノミネート&受賞、字幕作品の韓国映画としては珍しく米国ではランキング入り、日本でもロングランのヒットとなった。(コロナウイルスの影響で新作が公開されなくなったせいもあるが)
これまでダルデンヌなど貧困や格差問題を取り上げて映画祭で高評価をされても、いざ公開となると実際に見るのは少数の観客だけということが多かった。
しかし、これはエンタテインメント性もほぼ完璧というところが異なる。特に前半の「順調」感が突然転調して、後半の展開が予想できない方向に暴走していくところはお見事。
しかも細部に潜んでいるメッセージが色々と読み取れるので、観た後に色々と語り倒したくなる。映画マニアからそうでない一般客までそれぞれウケる要素があったといえよう。
様々な面からの感想や批評が出ており、特に格差問題については多数論じられているので、ここでは三者の「家長」について見てみたい。「父親」としたいところだが、全員が「父」かどうか不明(作中で言明あったかもしれないが、一度しか見てないのでよく覚えてないので(^^;)こう書く。
この三者は全員とも災難に遭う。それぞれに立場も階層も境遇も異なり、善人ではないがことさらに悪人というわけでもない。ある者は家長の務めを果たそうと無理をしているし、また頑張っていても頼りなくうまく行かなかったりする。
まずロクな職に就けず劣悪な環境の住居に住む半地下一家が、高台の豪邸に潜り込もうとするのが前半に描かれる。
資産家の住む邸宅は元々高名な建築家が設計して自ら住んでいて、亡くなった後に彼らが購入したという設定である。建築家に仕えていた家政婦はそのまま続けて雇われている。
ここで思い出すのがヒッチコックが映画化した『レベッカ』である。広大な屋敷に後妻として来たヒロインを脅かすのがコワい家政婦長だ。彼女は屋敷と一体化している。
一方、こちらの家政婦はちょっと天然ぽい資産家奥さんを適当にあしらいつつ、背後で操っているように見える。内心ではこの家にふさわしい住人たちではないと思っているのを、半地下息子が訪れた時に仄めかす。
本来は邸宅にふさわしくない、いるべきではない、しかし留まろうとする家族たちの間に目に見えぬ争いが起こりつつある。結果、それぞれの家長である男たちは家族から切り離されて消滅する。
皮肉なことに後からやってきて邸宅の住民となるのは完全に異質な外部の者である。彼らは闘争の対象とはならない。
もはや「家長」たる「男」はいない。果たして家をめぐる欲望が彼らを「家長」たらしめていたのか、それともその逆なのか。
半地下住居から脱出してまともな家に移るという一家の父の計画なき計画はついえた。それでも息子だけは父の「計画」を引継ぎ、邸宅の住人となることを夢見る。だが『家族を想うとき』の父親同様に家の獲得をかなえることはもはや不可能に近いのだ。
家や部屋が人物描写に重要な要素を占めている映画は近年多いが、単に雰囲気の描写ではなくテーマにまで深く関わっているのはあまりない。これはその数少ない一つだろう。
『レベッカ』で観客の前に立ち現れるのは陰鬱なゴシック調屋敷だが、こちらは明晰なモダン建築である。現代のホラーはこういう場所を背景にして生じるのか。
元々は演劇として構想されたという話を聞いたが、なるほどステージ上に全ての舞台を展開したら面白いかもしれない。そう言えば役者たちの演技も舞台仕様でアンサンブル的である。
それにしても辛辣にして冷徹、加えて毒に満ちている。笑いの要素がありエンタテインメントでもあり、だが人物に対して独特の距離感を保つというポン・ジュノ芸が大いに発揮されている。
さらに彼は毎度のことながら料理や食物の描写が鮮やか。『スノーピアサー』を見た時には突如出現したマグロの握り寿司にヨダレを垂らしてしまったもんである。今回も韓国の麺の使い方がうまくて思わず見入ってしまう。私は辛い物が苦手なので、食べたーい(^Q^)というところまでは行かなかったけど。
賞レースではかなりの成績を上げてアカデミー賞でも6部門候補になった。事前の予想では国際映画賞は確実だが、他の賞は無理だろうという印象だった。ところがフタを開けてみれば4部門獲得✨である。こりゃ驚いた。
最初に脚本賞を取った時に、ポン・ジュノは挨拶して次にもう一人の脚本家がスピーチしている間、その背後に隠れるようにしてオスカー像を上から下までジッと眺めていたのは微笑ましかった(^▽^;) 感無量というところか。 ※最初、脚本賞を編集賞と勘違いしたのを訂正。
さらに国際映画賞の次、監督賞の時にはまさしく「気配り受賞スピーチ」のお手本を披露。ここで会場が「え、監督賞まで持ってっちゃうの💦」みたいな雰囲気になりかねないところを、まず「学生の頃はげまされた」と本の一節を引用。通訳(←この人もグッジョブ💡)が英語に訳した後に韓国語で喋りかけるも、すぐに自分のブロークンな英語で「それはマーティン・スコセッシの本です!」と畳みかけると、会場全体がこのベテラン監督に対して総立ち喝采となったのだった。
『アイリッシュマン』で自らの監督賞を含めて10ノミネートされてたのに例の如くオスカー運が悪くて無冠だったのだから、これは嬉しかったろう。
スピーチの続き、今度は返す刀で「無名の時から取り上げてくれた」とタランティーノに感謝を捧げ、残りの二人の監督には「テキサス・チェインソーでオスカー像を5等分したい」とヨイショした。
こういう経緯で作品賞は『1917 命をかけた伝令』が本命と見られていたのを、初のアジア産外国語映画が獲得してもすんなりと受け入れられたと思える。
それにしても韓国作品は短編ドキュメンタリー部門でも候補に入っていたから大したもんである。
しかし、思えばこの時には既にコロナウイルスの影が忍び寄っていた。次回のアカデミー賞のノミネート基準は配信作品に緩くなったし、そもそも次の授賞式が通常通り行えるかどうかさえ分からない。
そう考えると、ステージ上で作品賞受賞に喜ぶ『パラサイト』一行の姿が、コロナ災厄以前の時代の輝かしい栄光の最後のイメージとして焼き付くのかもしれない。
でもきっとポン・ジュノならコロナウイルス後の新たな映画を送り出してくれるはず。今から次回作に期待(^o^)丿
ポン・ジュノ過去作の感想はこちらもあり。
『グエムル 漢江の怪物』『母なる証明』
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