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2020年5月 2日 (土)

「家族を想うとき」:ステイ・ホーム 止めてくれるな妻よ子よ

200502 監督:ケン・ローチ
出演:クリス・ヒッチェン
イギリス・フランス・ベルギー2019年

ケン・ローチ83歳、参りました~(_ _) 前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』よりさらに強力になり、自己責任論の名の下に行われる搾取を直撃する作品である。

宅配ドライバーは形式上は個人事業主だが、実際にはノルマを課されて過酷な労働条件で働かねばならない。主人公は自分の家を持ちたいという願いをかなえるために、そんな世界に飛び込んでしまう。しかも、それは他の家族にも犠牲を強いるものであった。

車を売らざるを得なかった介護士の妻は訪問介護の仕事がうまく回らなくなり、元々そりが合わなかった息子は学校で問題行動を起こす。妹娘は一人やきもきする。
効率だけを求める劣悪な労働状況だけでなく、破綻しつつある家族の問題も同時に描かれているのに留意しなければならない。

そもそも夫はこれまでも家庭内で他を顧みず独断専行してきたふしがある。
例えば珍しく4人揃ってテイクアウトの夕食をとる場面があった。そこに妻が担当している高齢者から急な呼び出しの電話がかかってくる。夜なのでバスの時間を気にする母親を見て、息子が男に対して仕事用のトラックを出してくれと頼むのである。普段仲が悪いのに、非常にへりくだった感じで「もし父さんが良ければ……」と気を使いながら言うのだ。
しかし、妻が困ってれば夫の方から言い出すのが普通だろう。だが男はそれに思い至らない(思いついたとしても「なんでおれが(-_-メ)」とやる気にならないだろう)。ここに日常的なこの家庭内の非対称性が浮き彫りにされている。

このような状況で、男は父親の威厳をかけて極限まで突っ走って行くのである。この映画はそこを感情移入し過ぎず、突っ放しもせず冷静に描いているのだった。
それが印象的なラストシーンに凝縮されている。チラシには「感動作」と書かれているが、違うだろうと言いたい。

さて、妻は仕事に加えて、家庭内の感情ケア労働を常に担っている。学校から呼び出されればまず彼女が行き、夫と息子が険悪になるたびに間に立って取りなす。
このような場面が繰り返し登場するので、段々とモヤモヤした気分が募りこちらがイライラしてくる。なにか既視感があるなあと思ったら、この少し前に見たTVドラマシリーズ『トゥルー・ディテクティブ』の1作目だった。こちらでも父権をかざす夫と反抗する子どもの間を取りなす役割が妻だったのである。

しかし、疲れた「男」を慰めてやる余裕が女にもはや無くなる時がくる。そうなれば代わりにケアを行い家族を取り持とうとするのは「子ども」、すなわちこの映画で言えば妹の役割になってしまうのだ。しかし、子どもはそれに耐えられない。

さらに、追い立てられた男たちが常にガミガミしていてそれに対し女が気を使ってオロオロしている--というやはり見てて疲れる構図も見覚えがあった。『ブレッドウィナー』である。
英国とアフガニスタン、遠くて離れて体制も違う国のはずが、どちらも「家族」を背景にして社会の行きづらさが明らかになる。いずこも同じなのだろうか(+_+)

邦題には賛否があるがやはり微妙に違うと思った。肝心の所から逸れているような……。ラストに判明する原題の意味を日本語にするのはかなり難しいだろうけど。
なんだか、搾取のシステムの実像を家族愛の物語として回収してしまうタイトルではないか。それは監督の意図とは異なるだろう。
やはり同様に「この邦題、違うんでは(^^?」と感じた『人生、ただいま修行中』と同じ配給元ですね。なんとかしてくれい💥


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