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2020年8月 3日 (月)

「萩尾望都と竹宮惠子」

200803 大泉サロンの少女マンガ革命
著者:中川右介
幻冬舎新書2020年

少年マンガ史における「トキワ荘」に比較されるのが、少女マンガでは「大泉サロン」だ。
名前はよく聞き漠然とした知識はあるものの、では実際にどういう人たちが集まってどのぐらいの期間続いたのか、ということはよく知らなかったりする。

実際の期間は2年間(1970~72年)で、しかも肝心の萩尾と竹宮は「サロン」の中心人物ではなかった。集まってくるマンガ家志望者仲間たちと熱く語り合っていたのは増山法恵であったという。増山は元々は萩尾の友人で、後に竹宮のマネージャー、原作者となる。(恐らく増山はプロデューサー、編集者的な才能があるのではないかと思った)

--というようなことを、複数の資料から引き出していくのが本書である。
その資料も『私の少女マンガ講義』や『少年の名はジルベール』は近年出たもので入手しやすく私も読んだが、古い雑誌の記事や対談も多く含まれている。
ご当人たちが書いているものでも記憶違いで時期や事実関係などが異なっていることは珍しくない。それらを突き合わせて年代順にまとめて事実をチェックするのはかなりの手間だったろう。

しかもその集った少女マンガ家たちを輩出した『COM』や、他の少年誌などの動きも並行して記述されている。まさに労作だといえる。勃興期の少女マンガに興味のある人は読んで損なしだ。

竹宮は優れた作品を描き続ける萩尾にコンプレックスを抱き、傍にいられなかったというのが「サロン」の終了の理由である。だが、それはあくまでも竹宮が語っていることで萩尾の方はどう思っていたのかは謎だ。
彼女ら三人の間に何があったのか、真実は今となっては推測するしかない。創造する者同士の桎梏だったのだろうか。

単に少女マンガの読者としては、竹宮惠子は常に安定して活動を続けていたという印象がある。多岐に渡るジャンルの連載を次々と続け、商業的にも創作者としても成功していると当時は思っていた。
よもや「どうすれば開放(*)されるのか。せめて離れたかった。」(*「解放」?)とまで思い詰めたことがあったとは想像もできななかった。

本書へのただ一つの疑問点は、当時の萩尾作品の評価についてである。「サロン」当時の彼女は優れた短編を幾つも世に出し、竹宮よりも高く評価された--という見解(これは竹宮本人もそう述べていたと記憶する)だが、そんな高評価は『COM』読んでいるようなマニアの間だけではなかったのか。一般読者(主に小中学生)についても同じだったのか?と疑問に感じた。

私はその当時はリアルタイムでは読んでいないので知らないが、その頃の短編を雑誌から切り取って保存しておいたほどの萩尾ファンの友人がいた。なぜそれほどのファンだったかというと、当時誰も他にそんな絵柄で描いている少女マンガ家はいなかったから、だそうだ。
で、ある時同じ小学校のクラスの女の子に萩尾マンガをどう思うか聞いたところ「地味でつまらない」と答えたそうだ。これが一般読者の反応だったろう。
過去には『トーマの心臓』が人気がなくて連載打ち切りになりそうで大変な苦労をしたと、萩尾自身が語っている。

本書を読んで当時を知らない若い読者は、萩尾作品が一般にも受け入れられて人気があったと誤解してしまうのではないだろうか。
商業誌に描いていて人気のある無し(特にアンケートはがきによる人気投票)は無視できたとは考えられないので、そこら辺の事情も入れてほしかった。

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