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2020年10月

2020年10月30日 (金)

「日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー」

201030 経産官僚の暴走と歪められる公文書管理
著者:ヒロ・マスダ
光文社新書2020年

「クールジャパン」の美名(?)の下に、映画・アニメに税金をつぎ込んで企画された事業を複数取り上げ検証している。その総額1000億円超……(!o!)
ただし民間が関わっているためにちゃんとした情報公開はなされていないという。

税金から出された予算がことごとく怪しい人物や団体(それらは互いにお仲間同士)へと流されていき、結局制作現場には益なく一銭も渡らずに終わるのが明らかにされるのであった。
なにせ作品の企画段階だけで数億円の金が支出され、しかも結局作られないままに終わろうと関係ないというのだ。
読んだ後は呆れるだろう。

ここ数か月のコロナ禍における給付金やアベノマスク発注を巡る騒動を体験するより以前に、この本を読んだら「ええっ、こんなことが(!o!)」と驚いたに違いない。しかし、今となっては「やっぱりこの業界でも同じだったか」としか思えないのが実に嘆かわしいことである。

また、どうして日本が舞台である『沈黙』や『水俣』が日本で撮影されなかったのかという事情も知ることができた。
それから映画の見本市であるカンヌに「くまモン」が出現した経緯も(^▽^;)

ただ、シロートには長くて詳細過ぎるのが難点である。
それと個人的には「この映画の企画時のウラ話」的なのがあまりないのが残念だった。

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2020年10月26日 (月)

「透明人間」:見えなきゃ怖いが見えたらもっと怖い

監督:リー・ワネル
出演:エリザベス・モス
米国2020年

『アップグレード』がB級ぽいとはいえ好評だったリー・ワネル、新作は立派にA級の完成度だった。
既に古典と化している透明人間ネタとストーカーの恐怖を合体させた発想はお見事である。

DV男である恋人の豪華な邸宅から女が密かに逃走する。友人の家に匿ってもらうのだが……誰もいないはずが何かの気配が(>O<)
「誰かがいる、見張られている!」とヒロインが主張しても、観客以外の人物にはその恐怖はノイローゼか精神錯乱としか見えない。

周囲で不可解な出来事が起こり平静が保てず、身近な人間をどんどん失っていくつらさと絶望はまさにストーカー被害者の孤立だろう。そして最大の恐怖とは女の心身を支配したいという相手の男の欲望に他ならないことが明らかにされていく。
何もない空間を意味ありげにとらえるカメラ、波の轟音から微細な気配まで感じさせる音響が巧みだ。(音の良い映画館がオススメです)
音楽もかなりなもん。エンドクレジットで弦の音がグルグルとスクリーンを囲んで回っている(ように聞こえる)のには仰天した。

展開も二転三転、気が抜けずにハラドキしながら注視である。
ほぼ出ずっぱりのE・モスはスクリーンを一人で背負って立つ力演だった。正気を失った表情が迫力あり。
監督にはこれからも期待したい。

ただ、主人公と刑事の関係が今一つ不明だった。「異性だけど親しい友人」でいいのかな?(説明なかったような) 本当なら女刑事にした方がシックリくると思うのだが。それだと「男対女」みたいになっちゃうから避けたのか。

予告に出てくる場面なので書くが、この透明人間は白いペンキをかけられるよりコーヒーの粉の方が効果があるのでは?
監督の前作でも本作でも、孤独な若い富裕な男が超モダン建築な家(海辺というのも同じ)に住んでいるのだが、モダン邸宅ってこの手の映画では定番過ぎの設定だろう。
たまには緑と自然あふれるベニシアさんの庭✨みたいな家に住んでる富豪が見たいのう。

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2020年10月24日 (土)

「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」:結婚は女の墓場か花道か

201024 監督:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン
米国2019年

恥ずかしながら原作未読であります(^^ゞ
ということで事前にあらすじと作者オルコットの生涯について解説してある求龍堂グラフィックの「若草物語 ルイザ・メイ・オルコットの世界」を図書館で借りてきて、手っ取り早く予習した。

その上でこの映画を見ると、作者自身の実話とジョーを完全重ね合わせたメタフィクションの構造となっている。で、公開決定時から「なんじゃ、この邦題は~💢」と非難轟轟だったタイトルが、この構造を実は示していた事に驚いた。……でも、やはりサブタイトルに回した方がよかったとは思うがな。
それも含めて美術や衣装から役者のキャスティングまで色々な要素がよく出来ていて完成度が高かった。
だからと言って手放しでほめたいかというと微妙である。まあ単に好みの問題だが。

あと、過去と現在形の部分を映像の色調を変えているけど区別しにくいし、過去の方が暖色系というより黄色っぽくて汚ならしい色なのが難点である。

テーマについては、「女」の問題は現代も昔も変わらないねえ。
「結婚は女の花道」とか「自立か従属か」とか「先立つものは金」とか……。
ここに口出してくるローリーって、鬱陶しいヤツだなと思っちゃった(^^;ゞ 原作でもあんな感じの男なのかしらん?

彼は長女のメグに合コン(?)目的のダンスパーティーで出会って、難癖付けて偉そうに説教するんだけど、この場面でピンクのドレス着たエマ・ワトソンがまたよく似合っててかわいいんだよねー。(衣装さん、もっとダサいドレス選んで~🆑……アカデミー賞の衣装デザイン賞取ったけどさ)
お前のようなチャラ男には言われたくねえな~(`´メ)という感じだ。逆に、女が美貌を武器にエエ男を探して何が悪い👊すっこんでろと言いたくなっちゃう。
もちろん、演じているT・シャラメはそのイヤミな部分もちゃんと出していて適役だと思いましたよ(^^)

四姉妹でどう見てもベスよりエイミーの方が年上に見えるのはわざとなのか。役者の実年齢もそうらしいけど。ベス役は『シャープ・オブジェクツ』の妹役だった。だから「妹」感が強いのかな。
脇も母親ローラ・ダーンに伯母メリル・ストリープという最強の布陣のキャスティングである。ただ、クリス・クーパーは分からなかったですよ……💦

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2020年10月13日 (火)

「その手に触れるまで」「ルース・エドガー」:男のいない男たちの世界

201012a 「その手に触れるまで」
監督:ダルデンヌ兄弟
出演:イディル・ベン・アディ
ベルギー・フランス2019年

「ルース・エドガー」
監督:ジュリアス・オナー
出演:ナオミ・ワッツ
米国2019年

今回のお題は「構ってほしい、異文化のはざまに立つ良い子の少年」である。共通項は「女教師」「母親」「女の子」だ。

『その手に触れるまで』はカンヌの常連ダルデンヌ兄弟がやはり監督賞を獲得した新作。
ベルギーに暮らす移民(モロッコ系?)の少年アメッド、少し前まではゲームに夢中だったのに今はネットでイスラム過激思想にはまり、地元の指導者の元に通いだす。そして母親や言葉や勉強を教えてくれた女性教師に反発するのであった。

まだ13歳なのでその直情ぶりは融通が利かず笑っちゃうほどなのだが、教師への敵意はただならぬもの、しかもシツコイとなると話は違ってくる。
とはいえ、いくら彼が幾ら信仰の鎧で身を固めてようと、現実の少女の前では崩壊してしまうように付け焼刃である。あるいはそんな中二病的世界観では健康で無邪気な牧場女子のリアリティに太刀打ちできないというべきか。

純粋ゆえの過激と無謀さを淡々と描き、そのように幼い価値観があちこちにフラフラと曲がってはぶつかる様子を見守る映画である。
もっとも私は根が疑り深い人間なので、ラストに至っても「まだやる気か(!o!)」などとドキドキしてしまったですよ、トホホ(^^;ゞ
そのラストで邦題の意味が判明するが、それでもなんだか生ぬるい感じがするこのタイトルはどうにも気に食わねえ~っ👊

言葉ではなく反復する動作を積み重ねていくのは、いつものダルデンヌならではである。
少年がイスラムの教えに沿って執拗なまでに手洗い(といってもコロナウイルス以降の世界では珍しくもなくなったが)、口の中を洗う動作の反復、そして農作業の身体の動きの積み重ね……。
こういう単純な動作をダルデンヌは撮るのがうまい。つい見入ってしまうのであった。


201012b さて、『ルース・エドガー』は宣伝や広告でかなり観客をミスリードしているが、実際には『その手に触れるまで』と構図や設定がほぼ同じである。予告がサスペンスっぽい作品のように見せていても全く違う。

主人公の高校生は常に賢くてよい子である。というのも元はエリトリア(?)の少年兵という出自で、今は米国中産階級の白人夫婦の養子になっているからだ。「更生」の証として、また養父母の期待に応えるためにはそう振舞わねばならない。そのような状況ににウンザリしている
その不満からか、身近にいる女性教師に敵意を向けるようになる。

もっとも大人をなめくさって自らの能力に疑いを持たない傲慢な若者はどこにでもいる。ただこの場合常軌を逸している。『その手~』のアメッドと同様で異様なほどに執拗なところまでそっくりだ。

『その手~』では少年の父親は不在ということだったが、こちらには身近な男性がいることはいる。しかし場当たりな反応の養父や調子のよい校長はいてもいなくても存在でしかない。
結局のところ若者の相手をしてやっているのは、やはり女性教師と母親と同じ学校の女の子であり、彼が敵対するのも利用するのもみな女なのだった。

これはまたもや「不満を抱く若者を構わざるを得ないのは女」事案ではないか。(過去の例→『ブレッドウィナー』『家族を想うとき』
「なんで女にばかりコマッタ若いもんの尻ぬぐいをさせるかなー。どうしてそんなに女に頼るの。男もちゃんと相手してやればいいのに」と思ってしまったのは事実である。

原作は芝居ということで、ほとんどは役者の会話で進行する。ここはダルデンヌ兄弟とは大きな違いだ。そして(日本でも同様なのだが)この手のあえて不愉快さをまき散らすタイプの芝居を書く者の、鼻持ちならない尊大さに辟易してしまった。

さらに加えて人種差別を扱っていながら、別の偏見を強化するような内容なのはどうよ。出自や生育環境が複雑な人間は信用できないとか、子どもの頃に暴力的な環境に育った人間は本質的に変わらず暴力的であるとか--そういう言説を半ば肯定しているのではないか。
また作り手のミソジニーがにじみだしているような部分も感じる。標的の教師はフェミニストっぽいし、東洋系のガールフレンドはまるでエイリアンのように不気味な存在に撮られている。そして母親は「愚か」である。

ナオミ・ワッツやオクタヴィア・スペンサーをはじめ、いい役者を揃えているのにねえ。モッタイナ~イ💨

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2020年10月 4日 (日)

「コリーニ事件」:裁かれる法

201004 監督:マルコ・クロイツパイントナー
出演:エリアス・ムバレク
ドイツ2019年

ドイツの弁護士兼作家のフェルディナント・フォン・シーラッハのミステリー小説の映画化。原作は未読。なんと原作は読んだらしいのだが全く記憶にない💦

新米弁護士が国選弁護士として引き受けた事件はなんと、彼が子どもの頃に世話になった人物の殺害事件だった。しかも、犯人は動機や関係など一切黙秘という不可解さ。
それでもなんとか弁護しようと奮闘する。

謎の解明に向かう後半にから終盤になって畳みかけるような展開に意表を突かれた。米国とはまた違うドイツの裁判模様も面白い。新米弁護士の成長譚にもなっている。

久々に見ごたえありの重厚作品だといえるだろう。容疑者黙秘の不可解な事件から浮かび上がる過去、個人が行った過去の問題行為もさることながら、さらにそれを容認する社会と法の告発へと向かう。そういうところに現代ドイツならではの作品だと感じた。

原作ではない設定らしいが、主人公はトルコ系である。かつて親しかった被害者の孫娘が主人公に向けて放つ一言が心をグッサリ刺す。あらわになるその本心がコワいのよ……。

語らぬ犯人をフランコ・ネロが演じていいて、まさに重鎮という言葉を思い浮かべてしまった。役者としても役柄としてもだ。

難点をあげると構成や展開がスッキリせず不器用な印象だった。あと音楽がちょっとうるさかった。
主人公が弁護をすると利益相反にならないんだろうか⁉
あと先輩弁護士はなぜ事件を引き受けるように勧めたのかな(?_?)

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