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2020年12月

2020年12月29日 (火)

「幸せへのまわり道」:ホノボノのホは、ホラーのホ

監督:マリエル・ヘラー
出演:トム・ハンクス
米国2019年

米国に国民的子ども向け番組あったそうな。その名は「ミスター・ロジャースのお隣さん」。三十数年も続いた長寿番組だ。
この映画は大人気司会者のロジャースにまつわる感動実話である……と思ったら大違いですのよ、奥さま(!o!)

主人公は「エスクァイア」誌の記者で、皮肉でシニカルな記事を得意としているらしい。しかも私生活では家族を捨てた父親を恨んでいて、姉の結婚式で殴り合いを始める始末。家でも子どもが生まれたばかりで妻とはどうもうまく行っていない。要するに暗くてうっとうしいヤツなのである。
それがロジャースの取材を命じられる。時は1998年、既に番組は30年続いていて超有名人。だが主人公は子ども番組なんか興味はないと不満ブツブツ💢だ。

かなり変な映画である。作品全体がカウンセリングみたいで、主人公のアンガー・マネジメントをやっているような構造なのだ。
さらに件のTV番組はミニチュアの町に住むロジャースがお隣さんを招いて悩みを聞くという形式を取っている。その番組自体の形式とも重なるのである。

怒りを内心にため込んでいる主人公はしぶしぶ取材に行って、謎対応をされる。自分が質問しても逆に探られているようだ。果たして内面を探っているのは自分なのか、それともロジャーズの方なのか段々と怪しくなってくる。
ジワジワと染みてくるイメージ。あるいはブラックホールみたいに吸い込まれていく感じ……(>y<;)

一体、彼は世間がそう見ているように、本当に裏表なき「善人」なのだろうか。そもそも、それほどの善人がこの現実に存在しうるのか。全くつかまえ所がない。
こんな男が独裁者とか新興宗教の教祖じゃなくてよかった。もしレクター博士がこのロジャースみたいだったら、1万人血祭りにあげても誰も気にしないだろう。
そんな人物をトム・ハンクスが神技で演じている。

このように繊細で不気味な演技を彼ができるとは今まで知らず。月影先生なら「トム、恐ろしい子!」と言うだろう。オスカーとゴールデン・グローブの候補になったのも納得だ(ブラピに負けちゃったけどな(^^;)。

笑ったのは二人で地下鉄に乗る場面だ。主人公が「いつも使っているんですか?」と驚いていると(この頃のニューヨークは治安が非常に悪かったはず)周囲の乗客が一斉に番組の主題歌を歌いだす。戸惑ってあたりを見回せば、絶対に子ども番組には縁のなさそうな黒人のアンチャンたちまで楽し気に歌っているではないか。そりゃそうだろう、彼らだって昔は子どもだったのだから。
それにノレずに自分一人だけ疎外感を味わう気まずさ。うわー、いたたまれねえ~💨

一方、コワかったのは「古ウサギに会いたい」とロジャースが操る人形に言われるところ。この時、画面の中心にあって主人公に迫ってくるのは、操る彼ではなく人形の方なのである。記憶に隠された内奥のさらに奥まで侵入してくるこれは何か。まさにニーチェの「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」そのままではないか。
私はこの場面を見た時にあまりの恐ろしさに「ギャーッ(>O<)」と叫びたくなった。
これは感動実話ではない。最恐のホラーである。

人形と言えば最初にTVのスタジオを訪ねた時に、彼が姿を隠して人形を操っているのを半分だけ見せる(表情は見えない)場面も印象的だった。
監督は誰かと思ったら『ある女流作家の罪と罰』のマリエル・ヘラーではないですか。他の役者の演技の引き出し方もうまい。音楽の使い方も。

ロジャースは主人公の悩みを解き放つ。彼の番組の「お隣さん」のように。そして主人公が住む家もまた彼のミニチュアの中に納まったのだ。
でもロジャース自身は幸福になれたのかな……(^^?

この映画のチラシはゲットし損ねたのだが、宣伝やソフトのパッケージに使われている写真は、まさに番組にお隣さんとして招かれた主人公が幸せそうに微笑んでいる場面だ。しかしこんな場面は作中には存在しないんだよね。
この写真もそれを知って見るとジワジワと来る。


実は見るかどうか長いこと迷っていて公開期間の終了ギリギリになってしまったけど、見てヨカッタ(^.^)b
ただ、なんでこういう邦題にしたのかは全く不明である。いい加減にしてくれー👊

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2020年12月24日 (木)

「その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」

201224 著者:ジョディ・カンター&ミーガン・トゥーイー
新潮社2020年

数々のヒット作(と良作)を放った映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラと性暴力を報じたNYタイムズ記者によるノンフィクションである。事件そのものだけでなく、いかに取材したかがかなり詳細に描かれている。

匿名でしか話せないという被害者に連絡し、他の被害者を知っていたら紹介してもらい、実名で取材に応じられる者を探し、情報提供者に会うために飛行機に乗り--と大変な努力と周到な準備で記事が準備されたことが分かる。
しかも記事が完成したら、最後にはワインスタイン側に事前に記事の内容を明らかにし、反論を併記する準備もしなくてはならない。もちろん両社とも弁護士が控えている。

確認に確認を重ね、上司のGOサインを得て、あらゆる事態を想定しての弁護士との打ち合わせは必須。その間も取材に応じた被害者が気を変えないかハラハラして時を待つ。
当然ながら社のバックアップがなくてはできない。調査報道とはこれだけ大変なのかということがよーく分かった。

ところで、この事件の被害者だったアシュレイ・ジャッドは若い頃日本で働いていて性暴力にあったというエピソードが出てくる。
キャメロン・ディアスも同じく十代の時に日本でバイトしててイヤな目にあったとか。
日本の評判は既に地に落ちているようである(ーー;)

難点を一つ上げると、ページを開くと行間が狭くて非常に読みにくい印象を受けることだ。実際に読むと文章自体はそんなことはないのだが、本を開いてパッと見たところでそう感じてしまう。
読みやすいレイアウトにする(ページ当たりの行数を減らす)とその分ページ数が増えてしまうから苦肉の策だと思うけど……難しいですな💨

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2020年12月22日 (火)

ヴァン・ホーヴェ演出作品上映会「じゃじゃ馬ならし」:悲劇の如き君なりき

201222 会場:東京芸術劇場
2020年11月6日~8日

本来は演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴェが自らの劇団と共に来日して『ローマ悲劇』を上演するはずだったそうな。だがコロナのため公演中止。代わりに過去作品の記録映像を3作上映することになった。
私はその中でシェイクスピアの喜劇『じゃじゃ馬ならし』を見た。彼の演出作品は以前に『オセロー』の来日公演に行ったことがある。

思い返すと『じゃじゃ馬ならし』はどうも過去に戯曲を読んだこともなく舞台も見たことがないのに気づいて、事前にあらすじチェックして行った。情けない次第である。
上映時間は2時間弱なので、オリジナルの上演をかなりカットしてあったようだ。冒頭の部分は恐らく数十分飛ばしている。

この喜劇の問題は、現代の基準からすると絵に描いたような「男尊女卑」である。なので今上演する場合にはヒロインは実は夫を騙してうまく操っているという解釈でやるのと、フェミニズム的な立場から批判するという2つのパターンがあるらしい。
ヴァン・ホーヴェの演出は完全に後者だった。もうこれは喜劇ではないというぐらい。

なんたる過激で暴力的(18禁場面もあるし)なことか! 舞台の上は嵐🌀が常に吹き荒れていた。
妹ビアンカは美人・清純・貞淑なはずなのだが、ここでは男たちと遊ぶ「あばずれ」状態という設定。もはやスカートの体をなしていない超ミニスカート姿で誘惑しまくる。
姉のカタリーナは常に妹と比較されては認められず精神が不安定、ガラス張りの部屋の中で妹が男とキャッキャッ💕と騒いでいる横でイライラして暴れ憎悪する。
まさに姉妹相克。これが彼女が「じゃじゃ馬」である真相らしい。
父親というと、娘たちの結婚で利益を得ようと狙うのみである。

さらに姉妹に群がる男たちは隙あらばドタバタと互いにマウント合戦。救いがたい状況だ。
夫がカタリーナを「調教」する場面は明らかにDVであり、見ていると気分が悪くなる。彼はいきなり彼女に別の名をつけるが、そもそも異なる名前で呼ぶこと自体が虐待ではないか。
また彼女へ攻撃の刃を向ける前に、彼が使用人や服屋に執拗なイチャモンをつけてパワハラを見せつける。これもDVの典型だろう。
いかに暴れ者のじゃじゃ馬でも、この時代は親が決めた結婚なら従うしかない。それらは「愛」の名のもとにかき消されるのだ。

ラストのカタリーナの長台詞はカメラがアップで撮っていた。でも、ここは引きの画面で見たかった。しかしそうすると彼女の「涙」が見えなくなってしまうし、演出の意図も分からなくなる。ただ、明らかに観客の大半が見えないものを映像ではアップで見せるのはどうなのかね。

あとやたらと飲食物を吐き散らすのは勘弁してくれ~💥 こういう演出を他にも見かけるけど苦手。特にピザを吐き戻す場面は……(=_=)
でも、これを毎晩演じる役者はタフとしか言いようがない。

このイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『じゃじゃ馬ならし』、2009年に静岡で上演したようである。実演で見たらすごい衝撃だったろうな。

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2020年12月15日 (火)

「シチリアーノ 裏切りの美学」:我が追憶の犯罪

201215 監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ
イタリア・フランス・ブラジル・ドイツ2019年

マフィア実話ものであるが、コッポラやスコセッシの米国製とは全く異なる感触の作品。さすが本場イタリアもんは濃い~のなあ♨

主人公はシチリア島のマフィアの派閥リーダーの一人。抗争のため海外で逃亡生活を送るも、故郷では身近な者が次々と殺される。
ここら辺は義理も人情もヘッタクレもなしの殺戮戦(死者数のカウントが画面に出てきて冷汗である💦)であり、その描写は『仁義なき戦い』を思わせる。
しかし現地警察に逮捕されて本国へ移送。そこで、マフィアの一掃を目指す判事に協力を依頼され、組織を裏切ることにするのだった。

一転、後半は彼が証言する裁判劇となりまさに「仁義なき法廷」となる。よく映画で様々な国の裁判を見るとそれぞれに違うなあと感心することが多い。ここでも密告で逮捕された大勢のマフィア(100人ぐらい?)が法廷内の鉄格子のはまった小スペースに入れられて立ち会うというオドロキの状態だ。しかもヤジを飛ばし放題。まさに「野獣の檻」である。

こりゃ話を面白くするための誇張ではないの(^^?と思っちゃうが、新聞のインタビューで、ベロッキオ監督は裁判のマフィアたちの醜態は実際あった通りだと語っていた。
本作の副題に「美学」とあるが果たしてそんなものはあったのだろうか。そんな疑問を抱くのは間違いない。

その後の展開もヒヤ~ッ(;・∀・)となるようなもの。車の爆破場面はあまりに恐ろしくて呆気に取られてしまった。(あれって高架ごとやったんだよね?)

抗争勃発から経過をたどり、終盤には主人公は老境に達して回想モードとなる。思い起こすは自らの行なった犯罪である。
--というのはどこかで見たような(?_?) 思えば『アイリッシュマン』のラストもそんな感じだったな。あれも実話が元だが、犯罪と共に生きた人間は似通うのか。
製作時81歳のベロッキオ、老境どころか濃すぎる映画を作ったのだった。

難点は、人物が多数現れては消えていくのでとても覚えられないこと。特に最近とみに物忘れがひどくなってるんでキツイ(^^;ゞ
なお主人公の最後の回想に出てきた人物が誰だか分からない、という感想を幾つか見かけたが、「いつも息子と一緒にいる男」ですよ。あの場面があるとないとでは大違いだ。

シチリアの方言のなまりが強すぎて法廷で理解できないと苦情続出という場面があった。日本公開では普通に字幕が出ていて理解できたんだけど、吹替えはどうするのだろうか。いっそハナモゲラ語に……💥

それから「カミカゼ」という言葉が出て来たのも驚いた。『バハールの涙』のクルド語に続いてイタリア語でも使われているのだ。「カロウシ」と共に完全に国際語になっているのかね。
日本コワイよ(>_<)

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2020年12月 6日 (日)

「フランス・バロック・オペラの栄華」:幻の魔女対決

201206a 北とぴあ国際音楽祭2020
オペラの楽しみ方 ヴェルサイユ編
演奏:寺神戸亮&アンサンブル・レ・ボレアード
会場:北とぴあ
2020年11月22日

今年の北とぴあ音楽祭では例年通り海外から歌手を招いてリュリのオペラ『アルミード』をやるはずだった。しかしコロナ禍であえなく延期となってしまった。
代わりに規模を縮小して、リュリの様々な作品に加えてシャルパンティエやカンプラの曲もまじえて紹介する公演が行われたのであった。
オペラだといつも2日間なのだが、今回は1回だけである。

「地獄」とか「異国趣味」など曲で取り上げられている内容ごとに章立てされて進行。演奏の合間に朝岡聡と寺神戸亮の解説が入るという内容だ。
オーケストラは13人、歌手3人にさらにバロックダンスで松本更紗が入った。チェンバロの上尾直毅はいつもはバロックギターを兼任してたが、今回はパーカッションを叩いていた。また一つ新たな得意技が……。来年はさらに別の楽器をやってくれるかな(^^)

歌手は楽譜を持ちながらも振りをつけて動いたり、衣装を微妙に変えたりして色々と工夫していた。波多野睦美はさすがにベテランの貫禄。テノールの中嶋克彦はフランス・バロック向きの明朗さを持った声質なのを初めて認識した。彼は舞台の上で一曲分やっている間、床に倒れている役をやったのはご苦労さんでした。

解説はかなり詳しくて予想よりもレクチャー・コンサート味の濃いものになっていた。ただ講釈役は二人はいらなかったのでは?(一人で充分な気がした)
さらにダンスも付いてたのだから盛りだくさんである。
来年に向けての予習というよりは、寺神戸氏執念のフラバロ・オペラ猛プッシュを意図したプログラムだと感じた。

BCJのヘンデル『リナルド』と内容・人物がかぶっていて、本来ならばあちらと魔女アルミーダ(ド)対決が見られた(聞けた)はずなのに残念無念である。
来年12月は当初の予定通りクレール・ルフィリアートルが来日するらしいので今から楽しみだーヽ(^o^)丿 オリンピックよりも、こちらがぜひ実現できますように(^人^)コロナ退散👊 北区民の皆さんもよろしくお願いしま~す。

会場の座席は市松模様配置なので安心快適だった。でも採算は取れないだろうなあ。
なお北とぴあのトイレの洗面台はなんと蛇口が旧式の手で回すヤツだった。最近の公共施設では珍しい。
水を止めるには触ってひねらざるを得ず、そしてその触った手は……どーするの✋ まあロビーに消毒薬置いてあるけど。オートかせめてレバー式にしてほしい。
終演後は時間差退場をやってたが、それよりも洗面台の水栓交換をした方がよほど感染防止に効果があるのでは(^^;?
201206b

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2020年12月 3日 (木)

「LORO(ローロ) 欲望のイタリア」:怪人復活

監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:トニ・セルヴィッロ
イタリア2018年
DVD鑑賞

ソレンティーノはどうも作風が苦手だけど、以前同じく政治家もので同じくトニ・セルヴィッロ主演の『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』を見たので、今回も蛮勇を奮って鑑賞することにした。
主人公は伊首相を計9年間も務めたベルルスコーニ。メディア王にして犯罪疑惑があり、派手なセックススキャンダルにも事欠かない。
イタリア事情にうといとどんなヤツだっけ?とピンとこないが、オバマ大統領夫妻(当時)が訪れた時に「日に焼けている」などと(首相なのに)発言した人物である。そういや、トランプ大統領に似ているような。

本作もやはり社会派映画ではなく、シュールな映像にぶっ飛んだ構成である。さらに派手な美女がエロい格好でワラワラと多数登場する。
ただ150分は長すぎに感じた。そもそも元は二本の作品なのをまとめて短縮版にしたというのだから余計に訳が分からなくなる。

前半は地方でくすぶっている若い実業家が、エロくて美人なおねーさん方を集めて(オーディションまでやる)失脚し隠遁生活を送るベルルスコーニになんとか食い込もうと努力する。彼らはは日がな元首相の別荘のそばでバカ騒ぎを繰り広げる。
一方、その広大な別荘でベルルスコーニは何をしているかというと、復活を目指して陰謀をめぐらすこと、そして妻との関係を取り戻そうとすることである。
仮面のごとき笑いを顔面に張り付けたセルヴィッロが迫力である。笑っちゃうけど。

ラストについてはよく理解できない。エアコンの寒風(ゼロ℃設定!)で凍死する羊、そして災害の瓦礫の中から発見される十字架のキリスト像……宗教的な意味があるとは思えるが(?_?)

実在の政治家たちが登場するので、やはり事前にイタリアの政治情勢を予習しておかないとかなり分かりにくい。
ここでは主人公はあくなき権力欲を持っていても、もはやあがくだけの「哀れな老人」として描かれている。しかし、なんと本作が作られた後にまた国会議員として返り咲いているのだ。まさに魑魅魍魎である。
そんな権力者についてこんな映画作っちゃって監督大丈夫かしらん、と心配になったほどだ。

米・英・露・ブラジル、そしてイタリア……ろくでもないリーダーは世界のどこにでもいるのだと分かって、却って安心した。日本だけじゃないよーヽ(^o^)丿
日本版をこういう手法で作ったら面白いかも。ただ、美女盛りだくさんパーティでなくて「桜を見る会」になるけど(;^_^A それはそれで笑えそうな。

「地方都市はエロい美女がいっぱいいる」というのは……イタリアではそうなのか👀と驚いた。

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2020年12月 1日 (火)

「アメリカン・セレブリティーズ」

201201 著者:辰巳JUNK
スモール出版2020年

おおっ、私のようなゴシップ大好き人間のための一冊ではないか(*^^)v
そう思って読み始めたのだが、最近の米国音楽事情にうとい人間にはちょっと無理があった。登場する名前がレディー・ガガとかマイケル・ジャクソン以外は、多くがよく知らない名前ばかりなんである。
最近のR&Bアーティストやラッパーはもとより、キム・カーダシアンみたいにTV番組から有名になったような人については完全お手上げだった。誰?それ(^^?みたいな感じだ。

とはいえ個人についてよくは知らなくても面白いのは確か。ゴシップやスキャンダルの類いでさえも勲章代わりにして自らそれを宣伝して競い、さらには武器にする。そこまでやるかと思ってしまう。日本とはあまりに異なり過ぎて驚くのみだ。

終わりの数章は映画関係なのでさすがに知っている名前ばかりだった。
中でも、苛烈なアカデミー賞レースを取り上げた部分を読むと、どうして性格悪かったり愛想の悪い俳優は賞が取れないのかよく理解できた。事前キャンペーンで業界人たちに愛想を振りまくのも獲得に大事なことなのだ。(だからワインスタインみたいにその戦略に熱心だと「優秀」とされる)

終章は米国での「コンマリ」ブームの分析。ここでも日米の差異が明らかにされている。大統領選だけでなくこういう部分も興味深い国である。

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