「シチリアーノ 裏切りの美学」:我が追憶の犯罪
監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ
イタリア・フランス・ブラジル・ドイツ2019年
マフィア実話ものであるが、コッポラやスコセッシの米国製とは全く異なる感触の作品。さすが本場イタリアもんは濃い~のなあ♨
主人公はシチリア島のマフィアの派閥リーダーの一人。抗争のため海外で逃亡生活を送るも、故郷では身近な者が次々と殺される。
ここら辺は義理も人情もヘッタクレもなしの殺戮戦(死者数のカウントが画面に出てきて冷汗である💦)であり、その描写は『仁義なき戦い』を思わせる。
しかし現地警察に逮捕されて本国へ移送。そこで、マフィアの一掃を目指す判事に協力を依頼され、組織を裏切ることにするのだった。
一転、後半は彼が証言する裁判劇となりまさに「仁義なき法廷」となる。よく映画で様々な国の裁判を見るとそれぞれに違うなあと感心することが多い。ここでも密告で逮捕された大勢のマフィア(100人ぐらい?)が法廷内の鉄格子のはまった小スペースに入れられて立ち会うというオドロキの状態だ。しかもヤジを飛ばし放題。まさに「野獣の檻」である。
こりゃ話を面白くするための誇張ではないの(^^?と思っちゃうが、新聞のインタビューで、ベロッキオ監督は裁判のマフィアたちの醜態は実際あった通りだと語っていた。
本作の副題に「美学」とあるが果たしてそんなものはあったのだろうか。そんな疑問を抱くのは間違いない。
その後の展開もヒヤ~ッ(;・∀・)となるようなもの。車の爆破場面はあまりに恐ろしくて呆気に取られてしまった。(あれって高架ごとやったんだよね?)
抗争勃発から経過をたどり、終盤には主人公は老境に達して回想モードとなる。思い起こすは自らの行なった犯罪である。
--というのはどこかで見たような(?_?) 思えば『アイリッシュマン』のラストもそんな感じだったな。あれも実話が元だが、犯罪と共に生きた人間は似通うのか。
製作時81歳のベロッキオ、老境どころか濃すぎる映画を作ったのだった。
難点は、人物が多数現れては消えていくのでとても覚えられないこと。特に最近とみに物忘れがひどくなってるんでキツイ(^^;ゞ
なお主人公の最後の回想に出てきた人物が誰だか分からない、という感想を幾つか見かけたが、「いつも息子と一緒にいる男」ですよ。あの場面があるとないとでは大違いだ。
シチリアの方言のなまりが強すぎて法廷で理解できないと苦情続出という場面があった。日本公開では普通に字幕が出ていて理解できたんだけど、吹替えはどうするのだろうか。いっそハナモゲラ語に……💥
それから「カミカゼ」という言葉が出て来たのも驚いた。『バハールの涙』のクルド語に続いてイタリア語でも使われているのだ。「カロウシ」と共に完全に国際語になっているのかね。
日本コワイよ(>_<)
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