ヴァン・ホーヴェ演出作品上映会「じゃじゃ馬ならし」:悲劇の如き君なりき
本来は演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴェが自らの劇団と共に来日して『ローマ悲劇』を上演するはずだったそうな。だがコロナのため公演中止。代わりに過去作品の記録映像を3作上映することになった。
私はその中でシェイクスピアの喜劇『じゃじゃ馬ならし』を見た。彼の演出作品は以前に『オセロー』の来日公演に行ったことがある。
思い返すと『じゃじゃ馬ならし』はどうも過去に戯曲を読んだこともなく舞台も見たことがないのに気づいて、事前にあらすじチェックして行った。情けない次第である。
上映時間は2時間弱なので、オリジナルの上演をかなりカットしてあったようだ。冒頭の部分は恐らく数十分飛ばしている。
この喜劇の問題は、現代の基準からすると絵に描いたような「男尊女卑」である。なので今上演する場合にはヒロインは実は夫を騙してうまく操っているという解釈でやるのと、フェミニズム的な立場から批判するという2つのパターンがあるらしい。
ヴァン・ホーヴェの演出は完全に後者だった。もうこれは喜劇ではないというぐらい。
なんたる過激で暴力的(18禁場面もあるし)なことか! 舞台の上は嵐🌀が常に吹き荒れていた。
妹ビアンカは美人・清純・貞淑なはずなのだが、ここでは男たちと遊ぶ「あばずれ」状態という設定。もはやスカートの体をなしていない超ミニスカート姿で誘惑しまくる。
姉のカタリーナは常に妹と比較されては認められず精神が不安定、ガラス張りの部屋の中で妹が男とキャッキャッ💕と騒いでいる横でイライラして暴れ憎悪する。
まさに姉妹相克。これが彼女が「じゃじゃ馬」である真相らしい。
父親というと、娘たちの結婚で利益を得ようと狙うのみである。
さらに姉妹に群がる男たちは隙あらばドタバタと互いにマウント合戦。救いがたい状況だ。
夫がカタリーナを「調教」する場面は明らかにDVであり、見ていると気分が悪くなる。彼はいきなり彼女に別の名をつけるが、そもそも異なる名前で呼ぶこと自体が虐待ではないか。
また彼女へ攻撃の刃を向ける前に、彼が使用人や服屋に執拗なイチャモンをつけてパワハラを見せつける。これもDVの典型だろう。
いかに暴れ者のじゃじゃ馬でも、この時代は親が決めた結婚なら従うしかない。それらは「愛」の名のもとにかき消されるのだ。
ラストのカタリーナの長台詞はカメラがアップで撮っていた。でも、ここは引きの画面で見たかった。しかしそうすると彼女の「涙」が見えなくなってしまうし、演出の意図も分からなくなる。ただ、明らかに観客の大半が見えないものを映像ではアップで見せるのはどうなのかね。
あとやたらと飲食物を吐き散らすのは勘弁してくれ~💥 こういう演出を他にも見かけるけど苦手。特にピザを吐き戻す場面は……(=_=)
でも、これを毎晩演じる役者はタフとしか言いようがない。
このイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『じゃじゃ馬ならし』、2009年に静岡で上演したようである。実演で見たらすごい衝撃だったろうな。
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