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2021年7月

2021年7月29日 (木)

「大塚直哉レクチャー・コンサート 6 聴くバッハ、そして観るバッハ」:転がる音像

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オルガンとチェンバロで聴き比べるバッハの”平均律”
出演:大塚直哉、大西景太
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2021年7月11日

オルガンとチェンバロ聞き比べの平均律もはや6回目。前回は「身体性」でダンスだったが、今回は視覚性ということで映像によるバッハを見る試みとのこと。
共演の映像作家大西景太はNHKの「名曲アルバムプラス」という番組でバッハの「14のカノン」を取り上げたそうである。

この日の演奏は第2集の13番から18番まで。最初に第17番やったけど、このフーガって終わりに変な展開出てこないか(^^?
それはともかく曲の合間に「オルガンはどうやって音を切るか、チェンバロはどうやって音を重ねるか」という両者の違いの話も出た。

210729b 前半の演奏が終わってから大西氏が登場してスクリーンを使って自作紹介や、バッハを題材にした過去の絵画を取り上げた。
「14のカノン」の映像はエッシャーみたいな階段の上を、曲に合わせて小さな球体が飛び回るというもの。バッハの曲の構造を目で見て取れる。

後半の14番フーガでいよいよナオヤ氏のオルガンと共演開始。あらかじめ作ったものを流すのではなくて、曲に合わせて幾何学的な構造を示す映像をその場で展開していくというものだった。
降りているのに上昇していくような感覚とか、3つのテーマが絡み合う様子などが描き出され、完全に映像による「演奏」なのだった。
ほぼ満員の会場は喝さいを声を出さずに送った✨(ブラボー禁止なので)。

アンコールでは逆に大西氏の映像を見ながらナオヤ氏が即興で曲を付けていくという、立場逆転の共演をやった。ナオヤ、恐ろしい子(!o!)とマスクをしたまま叫びたい。
目と耳、共に大いに満足できた企画だった。
なお、次回2月で第2集は終了とのことである。無事に開催できますように(^人^)


この日は非常に暑くて、思い出すと前回はひどく寒かったなあと毎回なぜか厳しい天候のさい芸である。
しかも公演の最中に雷雨があったらしく(東京ほどはひどくなかったようだが)、終演後は気温が一転して半袖では寒いくらいになってしまった。降られなかったのはよかったけど。

天気雨だったので、帰りの電車の窓からは二重の虹が見えた。でも、みんなスマホを見てるかうたた寝してるかで気付いてなかったな(~o~)

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2021年7月26日 (月)

「ハニーランド 永遠の谷」:自然と実物

監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
北マケドニア2019年
WOWOWで鑑賞

日本公開された時に見損なっていたのをようやく見た。
『パラサイト』と同じ年のアカデミー賞で、国際長編映画賞とドキュメンタリー長編賞の両方で候補になった珍しいケースと話題になったドキュメンタリーである(結局受賞はならず)。
さらに製作国が北マケドニアというのも珍しい。

中心となる人物は一見、普通のおばさん。しかし、その正体は「ヨーロッパ最後の自然養蜂家」であった!
年老いた寝たきりの母親と二人で荒涼とした土地の電気も水道もない一軒家(というより小屋か)で暮らし、近くの岩山や大木に蜂の巣を見つけては養蜂する。
それだけ見ていると第二次大戦前の話といっても通用するぐらいの生活だ。

どれだけド田舎かの話かと思って見ていると、最寄りのバス停からバスに乗れば、髪をグラデーションに染めたモヒカンヘアの兄ちゃんが乗ってたりするではないか。だからそんな田舎ではない。そして近くの町に行ってはハチミツをひと壜ナンボで売るのであった。

と、ある日隣の土地にトルコ人の大家族が移り住んでくる。子どもが大勢いて、孤独だった彼女は彼らと親しくなる。これまで変化というものに縁がなかった彼女の心境も、揺るがされるのだが……。
って、これフィクションじゃないんですか~っ\(◎o◎)/!と、その後は言いたくなるような怒涛の展開である。

見ていると1年足らずの出来事のように思えたが、実際は数年間の話でその間スタッフはずっと通って取材したのだという。その根性には感心するしかない。

全てが終わった後に彼女は荒野に出て一人たたずむ。その光景を見て思い浮かんできたのは『ノマドランド』だった。題名が半分同じだから(*^^)b……違~う💥

彼女は放浪者とは正反対で、地に根が生えたような長年の定住者。本人が移動しない代わりに隣人が来てはまた消えていく。移動し変化するのは周囲の方だ。
でも、もはや若くはない女が孤独の中に存在するのは同じ。そのような「絵」が似ている。

現実を厳しく掘り起こし、あからさまなまでに観客に見せた後に喪失感が襲う。とはいえ両者のラストの感触はまた異なる。
似ているような似ていないような--どっちだろう(^^?

それにつけても、主人公の存在感には圧倒される。いかにオスカーを獲得したF・マクドーマンドをもってしても彼女には絶対勝てない。
これだからドキュメンタリーは恐ろしい。

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2021年7月24日 (土)

「ノマドランド」/「ザ・ライダー」:演技と実物

「ノマドランド」
監督:クロエ・ジャオ
出演:フランシス・マクドーマンド
米国2020年

「ザ・ライダー」
監督:クロエ・ジャオ
出演:ブレイディ・ジャンドロー
米国2017年
アマゾンプライム鑑賞

アカデミー賞6部門ノミネートで3部門獲得、他にもヴェネチア映画祭でも最高の金獅子賞--🎀
前年の『パラサイト』に続き、この一年に話題をさらった作品と言ったらこれだろう。

キャンピングカーで広大な米国の土地で車上生活を送る中高年女性が主人公である。企業城下町で夫婦で暮らし家を建てたが、企業が撤退し(町ごと消滅💥)家も不況で失い夫が亡くなって、全てを失って追われるように旅に出る。
米国の広野には同じように暮らす人々(ノマド)が大勢いるらしい。

「現在には固執しない」と言っても、過去にはこだわっているように見える。キャンピングカーに思い出の品を山のように積んで引っ張って移動しているのだから。
「人生断捨離」という言葉が浮かぶ。捨てられぬ物があっても、それまでの人生は置き去りにできるようだ。

てな調子なので、貧困や格差という社会問題というより人間の生き方としての面が強調されている。あくまで自由な精神のありようだとして示される。主人公は定住する機会も得るけど、結局はそれを捨てて去っていくのだ。

プロの役者はフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンぐらいで、それ以外のノマドは実際に放浪生活を送っている人たちだというのに驚く。
そのせいでかなりドキュメンタリー的な色合いが強い(そもそも原作がドキュメンタリーなのだが)。
現実にこういう暮らしをするのは大変だろう。トイレも風呂もままならず、病気になったりさらには車が故障したら大変だ。

荒野の風景や人々のたたずまいの映像が極めて美しい。ただ、個人的には「いい映画なんだけど好きとは言えない」類いの作品だった。まあ、これは好みの問題である。
それと音楽は「そこでL・エイナウディ使うのか👊」と言いたくなった。

マクドーマンドの演技は本物のノマドに混ざっても浮くことなく、オスカーの主演女優賞を(番狂わせで?)ゲットするだけのことはあった。
ただワニとヘビの場面は「地」ですかね。あれも演技だったらもう平伏するしかない。

捨てたい物に埋もれている中高年に推奨。


さて『ザ・ライダー』、実は『ノマドランド』公開よりも先にクロエ・ジャオの前作ということで予習として見た。
一応、劇映画なのだけどほとんどドキュメンタリーみたいである。というのも、主要人物はみな本人が本人役を演じているからだ❗

舞台はサウスダコタ、知識がなくて見ててよく分からなかったのだが先住民居住区なのだという。
主人公の若者は馬の調教師にしてロデオ大会の優秀な選手である。ある日大会中の転落事故で大怪我を負ってしまう。怪我を治してリハビリ……するはずが、そんなまだるっこしいことやってられるかと気は焦るばかり。心は復帰したくても身体の方はそうもいかない。そんな若者の静かな焦燥の日々が淡々と描かれる。

本人役を本人が演じているのは彼の友人や家族だけではない。華やかなロデオスターだったがやはり落馬事故で車椅子生活で言葉もままならなくなった先輩も、ビックリなことに当人が演じているのだ。
ただどうしても、人間同士の場面は見てて素人の演技なので吸引力には欠ける。良作と思えど、睡眠不足の時に見たら寝てしまうのではないかという印象も感じるだろう。

一方、広大な自然の描写や主人公が馬を馴らす場面は素晴らしい。特に後者はまるで優美で緊張感に満ちたダンスのようだ。目が離せない。
そういう点ではやはりこちらもドキュメンタリー部分が勝った作品だと言えるだろう。

見てて『荒野にて』を思い浮かべた。親とうまく行かない若者の焦燥と馬と荒野が登場するだけでなく、対象とカメラの距離の取り方が似ているような印象だった。(製作年は同じ)

データベースやアマプラのジャンル分けを見ると「西部劇」になっているんだけど、それでいいのか?

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2021年7月 4日 (日)

「ヒトラーに盗られたうさぎ」:子どももつらいよ

210704 監督:カロリーヌ・リンク
出演:リーヴァ・クリマロフスキ
ドイツ2019年

絵本作家であるジュディス・カーの自伝『ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ』を映画化したものである。
児童文学なので主人公は少女だが、必ずしも子ども向き作品というわけではない。

1933年、ベルリンで豊かに暮らすユダヤ人一家の9歳の少女、父は演劇評論家、母はピアニストという知識階級だ。しかし、ヒトラーの台頭を予見した父はスイスへ逃げることに決める。
この父親の決断は重大だったろう。というのもグズグスしていて国外へ脱出できず、結局収容所送りになったユダヤ人は多かったらしい。

都市の邸宅住まいから一気にアルプスの山の中へ。これがまたアルプスの少女ハイジそのまんまな豊か過ぎる自然の中の生活だ。
しかし、このままでは暮らしていけぬとフランスはパリへ--と思ったら不穏な情勢に。さらに英国へと移住する。それにつれて財産が尽きて食うや食わずの生活になっていく。

驚くのは少女と兄はその度に違う言語を学び、異なる習慣になじんで適応できちゃうことだ。さすがは子どもはたくましい。大人だったらそううまくはいかないだろう。
しかも、父親は食料を買う金にも事欠くのに、子どもたちに立派な教育を受けさせるために学費がかかっても良い学校を選ぶのである。価値観が違~う💥

そういや、なんでユダヤ人なのにクリスマスを祝うのかな(?_?)と疑問に思って見てたら、ちゃんと少女が父親に質問してましたな。

なぜヒトラーが「ももいろうさぎ」(少女が大切にしていた)を盗んだかというと、逃亡後一家の邸宅を含む財産を没収したからである。その中にウサギを置いてきてしまったのだ。
他にも、一家を見送った父の友人が後にユダヤ人の血が四分の一流れている理由で公職を追放されたりと、日常レベルで市民がどんどん追い詰められていく様子がよーく実感できた。

ただカロリーネ・リンクの演出はよく言えばオーソドックス、悪く言うと古めかしい。今一つ香辛料が足りない印象である。
父親役のオリヴァー〈帰ってきたヒトラー〉マスッチは『ある画家の数奇な運命』でのヨーゼフ・ボイス(をモデルにした役)同様に好演だった。

ところで邦題はなぜ「盗まれた」か「とられた」にしなかったのかね。絶対に後になって検索できなくなるに違いない。

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2021年7月 1日 (木)

「知られざる名曲を求めて」:スキャンダル!五輪不正出場と二股愛

210701 アントニオ・カルダーラ生誕350年記念コンサート
歌劇《オリンピーアデ》と器楽作品
演奏:細岡ゆきほか
会場:ハクジュホール
2021年6月16日

カルダーラはイタリアで活動した後にウィーンの宮廷へ移って活躍した演奏家兼作曲家。昨年が生誕350年の記念イヤーだったそうで、細岡ゆきが企画して本当は去年の秋にやるはずだったのにコロナ禍で延期になったという。

重ねてオリンピック開催ということもあって、そのプログラムはまさに彼のオリンピックがらみのオペラ『オリンピーアデ』を中心にしたものである。
五輪開催期間はこれからという今の時節柄グッドタイミングということでしょうか。

長いオペラなので抜粋して演奏し、他の器楽作品を挟んで演奏するという趣向である。
器楽陣は総勢8人、歌手はソプラノ阿部早希子、カウンターテナー村松稔之だった。
器楽はソナタあり、シンフォニアあり、と様々な編成で多面的なところを聞かせ、オペラ部分は包容力豊かなソプラノ阿部に対し、強力な高音発揮のCT村松という対比が際立った。
あらすじはヘンデルでもおなじみ横恋慕の二股愛が発覚してというもの。当時の流行ストーリーだったのかな(^^? 加えてギリシャが舞台で五輪に身代わり出場という不正行為も発覚で、さあ大変💥だ。
アリア5曲でもう少し他のも聞きたかったなーという気もしたが、このぐらいがちょうどよかったのかな。

細岡氏の話だと今回のコンサートも実施するか迷ったそうだが、滅多に聞けない作曲家を取り上げてもらってありがとうございまーす(^O^)/
7月に有料動画配信があるそうなので、行けなかった方はぜひどうぞ。

なお座席は自由席だったけど1時間前から開場して、みな自然とソーシャル・ディスタンスを意識して一つ空けで座っていた。ところが、開演直前の客電消えた頃ににやってきて無視して隣に座るヤツは何なのよ~💢
前の方の列は空いていたのにさ。以上、グチである👊

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