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2021年8月

2021年8月29日 (日)

【少女マンガ再読】「見えない秋」(樹村みのり)

210829 *初出「別冊少女コミック」誌1974年11月号、『ポケットの中の季節』第1巻(小学館フラワーコミックス1976年)所収

訳あって樹村みのりの古いコミックスを掘り返してチラ見していたら、思わずドトーのように涙を流してしまったのがこの短編である。

樹村みのりには「病気の日」という名短編があって、これは小学生の女の子が家で寝ていて「病気の日はちょっと楽しいな🎵」と思うという、ストーリー的にはただそれだけの作品なのだ。
この「見えない秋」も同じタイプで、同級生の突然の死を知った少女の心理をたどるだけで、やはり明確なストーリーはない。しかし同様に短編マンガとしての完成度は極めて高いものだ。

夏休みが終わって小学校に登校すると、担任の先生から同じクラスの少年の急な死が告げられる。

こんなふうにして その男の子は 突然みんなのあいだから いなくなってしまったのでした

主人公の少女は静かな少年の何気ない言葉や行動を何かと思い出す。それは他の子どもたちも目撃していたはずだが、実際覚えているのは彼女だけなのだ。
生の象徴である夏の終わりが近づくにつれ、忍び寄ってくる秋と同様に死もまた日常に潜んでいることを少女は感じ取る。それは根源的な恐怖と不安だ。

あんなにたしかだったことも 私が死んでしまうといっしょにうしなわれてしまうのでしょうか?

そして転校生がやってくる。その子は少年とは完全に正反対なのだが、空いていた少年の席に座ることになった。少女はそれを遠くから見守るだけ。もはや少年の存在の痕跡はどこにもない。
そして運動会の季節がやってくる。

俊足の転校生が走る徒競走、そしてくす玉割りをクライマックスとして、それまで少女の内心を代弁するように続いていた語りが突然変化する。

だから小さい子 こわがってはいけません おびえてしまってはいけません 死ぬことは死にまかせなさい

割れるくす玉に激しい生のエネルギーが重ね合わされる。そしてその後に付け加えられた転校生との短いエピソードによって、日常の生へと回帰していく。
このあたりの流れと構成は見事と言うしかない。コマ割りも素晴らしい。
夏休みに雲を追いかける光景に散りばめられた記憶、対比される秋口の路地の静けさ……。読者の視線の動きを完璧に計算しているとしか思えないようなページもある。

私はよく考えるのだが、このような巧みな表現はライター講座とかマンガ教室のような所で学べるものだろうか。おそらくは作者は本能で描いているのだろう。読むたびに感心するのだ。

言葉にもできぬもの、絵にも描けぬものを確実に表現する、そのような作品である。

樹村みのりは基本的に短編作家であり長編といっても1巻ぐらい。何十巻も続くようなものは描いていない。
やはりマンガの人気作とか代表作と言えばどうしても長尺な作品を思い浮かべてしまう。彼女のような短編作家は認められにくいだろう。残念である。

なお、彼女の作品は紙本は入手が難しいらしいが電子書籍では読めるようだ。

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2021年8月25日 (水)

「ブラック・ウィドウ」(字幕版):腐敗オヤヂ退散

監督:ケイト・ショートランド
出演:スカーレット・ヨハンソン
米国2020年

アベンジャーズの一員ブラック・ウィドウの初ソロ作品。
コロナ禍より前に撮影は終了していたらしく宣伝映像が映画館の予告枠で流されていたが、結局一年以上待たされての公開である。
シリーズ内のタイムラインでは『シビル・ウォー』の後ということらしい。

待たされただけあって大いに期待して見に行ったが、正直期待しすぎたかな~という印象だった。

本業(?)は女スパイで特殊能力や超能力の類いは持っていないブラック・ウィドウゆえ、アクションは生身の格闘系が中心である。それが長時間しかも何度も繰り返されると、見ている方も身体が痛くなってくる。あ、もちろんカーアクションもあるけど。
女性スタントの方々、お仕事お疲れさまですっ\(◎o◎)/!

その間に挟み込んでくるのが、子どもの頃にスパイ家族の一員として米国に潜入していたエピソードで、疑似家族の絆を強調。さらに米国で陰謀論的にと言っていいほど広がっている少女虐待人身売買ネットワークの存在も絡んでくる。

文字通りオヤジ臭フンプンたる野郎が作った悪のシステムを、女たちが自らの力で撃破するという展開は、昨今の風潮からするとスッキリする展開のはずである。しかし、どうもスッキリしないのはナターシャが「薄幸の女」(古いタイプの)だからだろうか。

まあ、そういう場合は悪役の顔を五輪がらみで浮上した不愉快な人物(IOC会長、モリモリ、メダルかじり市長など)に挿げ替えて見ればうっぷんが晴れるだろう。
とりあえず、主人公も「薄幸の女」から「わきまえない女」にバトンタッチするみたいだし。

監督は『さよなら、アドルフ』の人で、あれは衝撃的な作品だったが(日本では感動作として宣伝されたのが残念)途中で間延びして長過ぎるのが難点だった。今回も同様に良作ではあるけど長いと感じた。

ナターシャの妹役として登場するのはフローレンス・ピュー。そういや『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』でも妹役だった。
トム・ホランドが「永遠の弟」なら、彼女は「永遠の妹」ですかね(^^)
ウィリアム・ハートが痩せすぎててビックリした。大丈夫かしらん?

字幕版の上映回数があっという間に減ってしまって焦った💦 やはり最初の一週間に見ないとダメだね。

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2021年8月22日 (日)

「令和元年のテロリズム」

210822 著者:磯部涼
新潮社2021年

他の人の感想を見かけて興味を持ったルポルタージュ書である。
平成31年=令和元年に起こった4つの事件を取り上げている。「川崎殺傷事件」(R元年5/28)、「元農水省事務次官長男殺害事件」(同6/1)、「京都アニメーション放火殺傷事件」(同7/18)、「東池袋自動車暴走死傷事故」(H31年4/19)。

読み始めて衝撃だったのは、第1章の川崎の殺傷事件(スクールバスを待つ小学生・保護者などを襲撃)は20人もの被害者を出したのだが、私は事件以降スッパリと完璧に忘れていたことだ。
そういえば、確かにその事件あったな……と思い出した自分がイヤ~ッ(><)

この事件と長男殺害事件は明確に関連がある。同じような事件を長男が起こすのではと恐れた父親が正当防衛で殺害したのだ(と自身が動機を語っている)。
第4章は後者の事件の裁判傍聴記となっているが、一番驚いたのは同じ家にいた母親が犯行後に「事態を察し」て荷物をまとめてタクシーに乗りホテルに避難した、という件りだった。「ええー(!o!)」てなもんである。

第3章は説明も必要のないであろう京アニ事件である。
著者はこの三件の事件を広義のテロリズムと解釈している。すなわちその「恐怖が社会に対して影響をもたらす犯罪」である。そして改元時に起こったこれらの犯罪の加害者二人と被害者一人について、共通のものを見出そうとしているようだ。
居住地は川崎、練馬区、さいたまということで実際に現地を訪ねて取材している。

しかし世代が近いとはいえ彼らの生育環境や階層はかなり異なるし、その土地の雰囲気は何も語らないであろう。果たしてそこに関連あるのか。著者(および読者)の勝手な思い込みが生じているだけと思えなくもない。

ただネット上での反応は苛烈なものがある。かつて昭和時代にあったようなある種、犯罪に対するロマンチシズムのようなものは存在しない。
唯一平成の元号下に起こった池袋の暴走事故の、加害者に対する根拠なき陰謀論めいたネット論議が沸騰した。そのことが現状を示すようだ。

いずれの事件も原因は明確にならないまま通り過ぎていく。ネットを騒がせるネタとして消費されただけに終わらないように願う。


そういえば、つい最近起こった小田急線刺傷事件の犯人は登戸駅から快速急行に乗り換えたそうな。「床にサラダ油をまいて火をつけようとした」というのは明らかに京アニ事件を思い出させる。やはり悪意は伝染するのか。

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2021年8月19日 (木)

「ヴァージナルと歌で聴くイギリスの音楽」:女王陛下の鍵盤弾き

210818a 演奏:西野成一朗&大森彩加
会場:松明堂音楽ホール
2021年7月31日

過去には大塚直哉氏がコンサートで弾いたのを何回か聞いたことがあるヴァージナル、ナリは小さいが結構大きめの音が出る箱型の鍵盤である。
大陸から伝わり英国ではエリザベス女王にも愛されたとか。
この日のコンサートでは、本来はリュートと共に歌われるような英国の歌曲および独奏曲が演奏された。

ジョン・ブル、バード、ダウランドといった英国ルネサンス定番作曲家から、パーセル、アーンまで。
曲の解説は弾き手の西野氏がとつとつと語ると、その後を大森氏がスッキリまとめるという印象だった。

ヴァージナルは上から見ると普通は台形(?)みたいな形が多いが、こういうのはイタリア式。この日使用したのは長方形でフェルメールの絵に出てくるのと同じで、フランドル様式なのだという。こちらは低温が「若いブタの鳴き声」❗のようだと評されたらしい。
そ、そうなんですか(;^_^A
実際、演奏はストレートでやや武骨な響きのヴァージナルに、表情豊かな歌唱という組み合わせで楽しめた。

ただ、会場の冷房が想像を絶する寒さ(近江楽堂も負ける)で鑑賞に集中できなかった。気温30度以上あった暑い日だったが、終演後は日なたで体を温める羽目に……(+o+)トホホ
坐骨神経痛が再発してしまったですよ💨

210818b

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2021年8月12日 (木)

「アメリカン・ユートピア」:踊れば絶望歌えば希望歩く姿はエネルギッシュ

監督:スパイク・リー
出演:デヴィッド・バーン
米国2020年

D・バーンやトーキング・ヘッズの音楽はどうも苦手な部類であまり聞いてこなかった人間である。しかし評判がいいので見に行った。
元々はブロードウェイのショーとして高い人気で、それをスパイク・リーの監督で収録したとのこと。劇場に客を入れた状態で撮影していて、コロナ禍前に行なったらしい。(再演するはずだったが中止になったとか)

ほとんど装飾がない壁に囲まれたステージに、バーンの他に11人のミュージシャンが曲によって出たり入ったりする。うちパーカッションが6人もいるという編成だ。
自由自在に動き回る--といっても完璧に振り付けが決まっていて、演奏しながらのその動きは素晴らしい。相当にリハーサルやったんだろうなと思える。その隙のない完成度に圧倒される。
何より60歳代後半のはずのバーンが息切れもせず歌って踊って曲間に喋って楽器も弾く大活躍だ。恐るべきエネルギー⚡

合間のトークで、友人たちから「口パクでは?」「録音じゃないの」と尋ねられたという話をしていたが、そういう疑惑が出ても仕方ないと思えるほどだ。
ファンならずとも後半は立ち上がって飛び跳ねたくなるのは必至だろう。
衣装・照明もシンプルだが極めて効果的だった。

S・リーの考え抜かれたカメラワークは素晴らしいものだけど、時折「ここは引きで見たいな」と思ったりもした(^^ゞ
ただ、明らかに舞台の上にカメラが乗った映像もあるので、そこは後撮りだろうか。ステージ前の観客を見ると少なくとも2日間分を編集しているようだ。
やはりナマでも見たい(聞きたい)ぞと思った。

バーンの歌詞は寓意的でありネガティヴにもポジティヴにもどちらでも解釈できる訳の分からなさに満ちている。本人が「ロード・トゥ・ノーホエア」について高校生の合唱したのを聞いたらすごく明るく思えたというようなことを語っていたが、映画『未来を乗り換えた男』で使われた時は非常に絶望的な内容に聞こえたものだ。

今日は希望。でも、明日はどっちに転がっていくのだろうか。

それから選挙について語った部分では「大統領選は50%以上の投票率なのに、地方選挙だと20%」と言っていて、米国も日本とあまり変わらないんだと妙なところで安心した。(安心して……いいのか💦)

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2021年8月 8日 (日)

「フルートとハープ 600年の変遷」:時代と楽器の共奏

210808 フルートの肖像16
演奏:前田りり子ほか
会場:近江楽堂
2021年7月17日

この「フルートの肖像」シリーズは調べたら2年ぶりの開催であった。(15回目の感想

前回のテレマンから打って変わって、今回は西山まりえのハープと共演。フルートとハープ両方の歴史を中世からたどり、600年に渡る西洋音楽史をほじくり返すという攻めた内容である。
昼の回は売り切れということで夜の方に行ってきた。

使用楽器はフルート10本(12本?)、ハープは5台(←単位は「台」でいいのかな?)という豪華布陣である。古くはヒルデガルド・フォン・ビンゲン、新しくはモーツァルトまで、合間にりり子のウンチク話が冴えわたる!
西山氏も負けてはならじと、ライブ配信があった昼の回には話せなかった秘話を披露してくれたのだった。

プログラムは中世→ルネサンス→バロックと三部構成で時代順に進んだ。(中世フィドル坂本卓也、ガンバ福澤宏も共演)やはり中世フルートはあまり聞く機会がないので珍しい。マショーやランディーニの歌曲を演奏。
全曲、笛をとっかえひっかえして演奏である。ロバート・カーという人の曲が哀愁味があってよかった。16世紀のオーケストラは管楽器中心だったが、ヴァイオリンが登場してフルートの人気が下がってしまった。しかし、18世紀にまた浮上したとか。
笛は世につれ歌につれ--と言いたくなるくらいの多様さだった。

一方、ハープは構造が簡素で大きさも小さ目な中世のものから、モーツァルト時代のシングルアクション・ハープまで。西山氏がこのハープのペダルを踏んでいるのは素足なのを目撃。会場が小さくて距離が近い近江楽堂ならではのことだが、真冬も素足なのかしらん。地下足袋👣だったら滑らなくてよいのでは(^^;

それにつけてもフルートならまとめてケースに入れて運べそうだが、ハープ5台だと運送料だけでも大変そう。思わず軽トラの荷台に縛り付けて運ぶ光景が頭に浮かんでしまうのであった💥

正味2時間ビッチリで質量ともに満足できた内容だった。また次の17回目も期待しております。
相変わらず近江楽堂は寒かったですよ( -o-) sigh...

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2021年8月 4日 (水)

「マーティン・エデン」再見

210804 TVがあまりに五輪だらけなのでツ●ヤで『マーティン・エデン』を借りてきて再見した。最初の感想はこちら

長さが2時間強なのを3時間以上かけて見直した。こんなに全力で見たことは久しくないというぐらいリキを入れて鑑賞したので、グッタリと疲れてしまったですよ(^O^)
結構記憶違いしていた部分があって、これじゃブログ記事訂正しなくちゃいけないかもと思い一部訂正した。やはり一度見ただけじゃダメである。特に最近は老化現象甚だしいのでよく覚えられないのも問題💣

気が付いた点を挙げてみる。
主人公が初めてブルジョワ一家の屋敷に行った時に、令嬢エレナはドビュッシーをピアノで弾いて聞かせる。その時母親が彼女を見る視線は誇らしげに見守るようである一方、自分が丹精した花壇の花を満足気に眺めているようでもある。
これは当然「どこの馬の骨か分からないようなヤツにこの娘をやってなるものか!」という固い決意と裏表となるだろう。

エレナの方はというと、主人公がフライング拍手をしてしまった時に他の家族は「なにやってんだ」という感じなのに、彼女は「まだ終わりじゃないのよ」みたいな屈託のない笑みを見せる。基本的に性格の良い娘なのである。

あと印象的なのは、2つの場面でしか登場しないが古道具屋(?)の二人のオヤジだ。この二人の関係がどうもよく分からない。太った方が店主のようだけど、もう一人は兄弟でもなし店員でもなし、共同経営者でもないようだし、正体不明。原作には書かれているのだろうか。
母親役の女優さんを筆頭に脇の俳優がみな味がある。

後半の売れっ子作家の時期に入った最初、いきなり仮面を付けて決闘を行う場面が登場する。これはよく見ると盛装した紳士淑女が見物しているのだ。
あわやという時に友人と編集者が駆けつけて決闘相手と道化に金を渡して中止させる。道化たちが終了のお辞儀をすると見物人からご祝儀の札束がばらまかれるのだった。
決闘は池を背景に行なわれていたが、その池の向こう岸では白い服を着た人々がダンスしている……これは一体何なんだ~\(◎o◎)/!

衣装や小道具もチェックしてみた。
下宿先の奥さんに亡くなった夫のスーツや靴を借りて着せてもらうのだけど、微妙にサイズが合ってない感が出ている。さらにそれでブルジョワ一家のパーティーに行って浮いている様子が際立って見えるのだ。

古道具屋で入手したタイプライターは作家志望の時期には、まさに「作家であること」の象徴であったが、実際に人気作家になってしまうともはや彼はタイプライターを使わない。録音機や秘書相手に口述筆記するようになっているのが極めて皮肉だ。

そういえば、紙に彼の名前を何回も書いているシーンがあった。それが映っているのが手と紙だけなので実際には誰が書いているのか分からない。しかも丸っこい子どものような字体である。
その後に、元・下宿先の奥さんに豪華な家を贈る場面になるのだが、その契約書(?)に主人公がサインした文字が先ほどの丸っこい字なのだ。つまりこの時のために練習していたということか?
作家として大成した彼とその丸文字のイメージが全くそぐわず、急激に変貌した主人公の二面性を示しているように思えた。

後半の主人公の豪華な邸宅の壁には絵画と並んで、エレナが会ったばかりの頃に彼を描いたスケッチが額に入れて飾ってあるではないか。やはり未練タラタラである。

最初に見た時にもハテ(・・?と感じたのだが、劇中に登場する映画館は劇場に付属した施設のようだ。出入口が劇場内部の舞台そばに直接繋がっていて、見終わった後に観客は無人の座席の間を通って外に出るようになっているらしい。これってイタリアにはよくある構造なのか(日本では知らず)。

あと印象的なのが、主人公を導く老紳士が病に臥せっている横に置いてある巨大で豪華な装丁の聖書である。ディレッタントにして社会主義者のこの人物が聖書を!?というのは驚きなのだが、さらにその後に意外な展開が待つのだ。
そういえば、この映画には宗教的な話題は全くと言っていいほど出てこない。主人公が戦うのはあくまで「世界」であり「神」は念頭にないようだ。(代わりにハーバート・スペンサーとは?)
周囲の庶民についても同様である。それだけにあの巨大な聖書は目立つ。

姉の家に居候している時の彼の部屋には、小さな電気スタンドが置いてある。読書などろくにしない時代に何に使っていたのだろうかと思うが、これが完璧にイタリアン・モダンデザインなのが不思議。色も粋な赤である。
一台欲しい(^^)

時代色はかなり排除されていて、明確なのはオープンリールのテープレコーダー、ダイヤル式の電話、令嬢の兄のマッシュルームカット(?)、旧式なTV(ただし白黒かカラー放送初期なのか不明)ぐらいだろうか。自動車も二つの場面(多分)しか出てこない。
時代背景が周到に攪乱されていると考えるべきだろう。

ということで掘り返すと幾らでもありそうだ(^^)
でも映画館の方がやはり没入度は高い。色調も違うし。フィルム撮影というのもあるのかな?


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