【少女マンガ再読】「見えない秋」(樹村みのり)
*初出「別冊少女コミック」誌1974年11月号、『ポケットの中の季節』第1巻(小学館フラワーコミックス1976年)所収
訳あって樹村みのりの古いコミックスを掘り返してチラ見していたら、思わずドトーのように涙を流してしまったのがこの短編である。
樹村みのりには「病気の日」という名短編があって、これは小学生の女の子が家で寝ていて「病気の日はちょっと楽しいな🎵」と思うという、ストーリー的にはただそれだけの作品なのだ。
この「見えない秋」も同じタイプで、同級生の突然の死を知った少女の心理をたどるだけで、やはり明確なストーリーはない。しかし同様に短編マンガとしての完成度は極めて高いものだ。
夏休みが終わって小学校に登校すると、担任の先生から同じクラスの少年の急な死が告げられる。
「こんなふうにして その男の子は 突然みんなのあいだから いなくなってしまったのでした」
主人公の少女は静かな少年の何気ない言葉や行動を何かと思い出す。それは他の子どもたちも目撃していたはずだが、実際覚えているのは彼女だけなのだ。
生の象徴である夏の終わりが近づくにつれ、忍び寄ってくる秋と同様に死もまた日常に潜んでいることを少女は感じ取る。それは根源的な恐怖と不安だ。
「あんなにたしかだったことも 私が死んでしまうといっしょにうしなわれてしまうのでしょうか?」
そして転校生がやってくる。その子は少年とは完全に正反対なのだが、空いていた少年の席に座ることになった。少女はそれを遠くから見守るだけ。もはや少年の存在の痕跡はどこにもない。
そして運動会の季節がやってくる。
俊足の転校生が走る徒競走、そしてくす玉割りをクライマックスとして、それまで少女の内心を代弁するように続いていた語りが突然変化する。
「だから小さい子 こわがってはいけません おびえてしまってはいけません 死ぬことは死にまかせなさい」
割れるくす玉に激しい生のエネルギーが重ね合わされる。そしてその後に付け加えられた転校生との短いエピソードによって、日常の生へと回帰していく。
このあたりの流れと構成は見事と言うしかない。コマ割りも素晴らしい。
夏休みに雲を追いかける光景に散りばめられた記憶、対比される秋口の路地の静けさ……。読者の視線の動きを完璧に計算しているとしか思えないようなページもある。
私はよく考えるのだが、このような巧みな表現はライター講座とかマンガ教室のような所で学べるものだろうか。おそらくは作者は本能で描いているのだろう。読むたびに感心するのだ。
言葉にもできぬもの、絵にも描けぬものを確実に表現する、そのような作品である。
樹村みのりは基本的に短編作家であり長編といっても1巻ぐらい。何十巻も続くようなものは描いていない。
やはりマンガの人気作とか代表作と言えばどうしても長尺な作品を思い浮かべてしまう。彼女のような短編作家は認められにくいだろう。残念である。
なお、彼女の作品は紙本は入手が難しいらしいが電子書籍では読めるようだ。
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