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2021年8月 4日 (水)

「マーティン・エデン」再見

210804 TVがあまりに五輪だらけなのでツ●ヤで『マーティン・エデン』を借りてきて再見した。最初の感想はこちら

長さが2時間強なのを3時間以上かけて見直した。こんなに全力で見たことは久しくないというぐらいリキを入れて鑑賞したので、グッタリと疲れてしまったですよ(^O^)
結構記憶違いしていた部分があって、これじゃブログ記事訂正しなくちゃいけないかもと思い一部訂正した。やはり一度見ただけじゃダメである。特に最近は老化現象甚だしいのでよく覚えられないのも問題💣

気が付いた点を挙げてみる。
主人公が初めてブルジョワ一家の屋敷に行った時に、令嬢エレナはドビュッシーをピアノで弾いて聞かせる。その時母親が彼女を見る視線は誇らしげに見守るようである一方、自分が丹精した花壇の花を満足気に眺めているようでもある。
これは当然「どこの馬の骨か分からないようなヤツにこの娘をやってなるものか!」という固い決意と裏表となるだろう。

エレナの方はというと、主人公がフライング拍手をしてしまった時に他の家族は「なにやってんだ」という感じなのに、彼女は「まだ終わりじゃないのよ」みたいな屈託のない笑みを見せる。基本的に性格の良い娘なのである。

あと印象的なのは、2つの場面でしか登場しないが古道具屋(?)の二人のオヤジだ。この二人の関係がどうもよく分からない。太った方が店主のようだけど、もう一人は兄弟でもなし店員でもなし、共同経営者でもないようだし、正体不明。原作には書かれているのだろうか。
母親役の女優さんを筆頭に脇の俳優がみな味がある。

後半の売れっ子作家の時期に入った最初、いきなり仮面を付けて決闘を行う場面が登場する。これはよく見ると盛装した紳士淑女が見物しているのだ。
あわやという時に友人と編集者が駆けつけて決闘相手と道化に金を渡して中止させる。道化たちが終了のお辞儀をすると見物人からご祝儀の札束がばらまかれるのだった。
決闘は池を背景に行なわれていたが、その池の向こう岸では白い服を着た人々がダンスしている……これは一体何なんだ~\(◎o◎)/!

衣装や小道具もチェックしてみた。
下宿先の奥さんに亡くなった夫のスーツや靴を借りて着せてもらうのだけど、微妙にサイズが合ってない感が出ている。さらにそれでブルジョワ一家のパーティーに行って浮いている様子が際立って見えるのだ。

古道具屋で入手したタイプライターは作家志望の時期には、まさに「作家であること」の象徴であったが、実際に人気作家になってしまうともはや彼はタイプライターを使わない。録音機や秘書相手に口述筆記するようになっているのが極めて皮肉だ。

そういえば、紙に彼の名前を何回も書いているシーンがあった。それが映っているのが手と紙だけなので実際には誰が書いているのか分からない。しかも丸っこい子どものような字体である。
その後に、元・下宿先の奥さんに豪華な家を贈る場面になるのだが、その契約書(?)に主人公がサインした文字が先ほどの丸っこい字なのだ。つまりこの時のために練習していたということか?
作家として大成した彼とその丸文字のイメージが全くそぐわず、急激に変貌した主人公の二面性を示しているように思えた。

後半の主人公の豪華な邸宅の壁には絵画と並んで、エレナが会ったばかりの頃に彼を描いたスケッチが額に入れて飾ってあるではないか。やはり未練タラタラである。

最初に見た時にもハテ(・・?と感じたのだが、劇中に登場する映画館は劇場に付属した施設のようだ。出入口が劇場内部の舞台そばに直接繋がっていて、見終わった後に観客は無人の座席の間を通って外に出るようになっているらしい。これってイタリアにはよくある構造なのか(日本では知らず)。

あと印象的なのが、主人公を導く老紳士が病に臥せっている横に置いてある巨大で豪華な装丁の聖書である。ディレッタントにして社会主義者のこの人物が聖書を!?というのは驚きなのだが、さらにその後に意外な展開が待つのだ。
そういえば、この映画には宗教的な話題は全くと言っていいほど出てこない。主人公が戦うのはあくまで「世界」であり「神」は念頭にないようだ。(代わりにハーバート・スペンサーとは?)
周囲の庶民についても同様である。それだけにあの巨大な聖書は目立つ。

姉の家に居候している時の彼の部屋には、小さな電気スタンドが置いてある。読書などろくにしない時代に何に使っていたのだろうかと思うが、これが完璧にイタリアン・モダンデザインなのが不思議。色も粋な赤である。
一台欲しい(^^)

時代色はかなり排除されていて、明確なのはオープンリールのテープレコーダー、ダイヤル式の電話、令嬢の兄のマッシュルームカット(?)、旧式なTV(ただし白黒かカラー放送初期なのか不明)ぐらいだろうか。自動車も二つの場面(多分)しか出てこない。
時代背景が周到に攪乱されていると考えるべきだろう。

ということで掘り返すと幾らでもありそうだ(^^)
でも映画館の方がやはり没入度は高い。色調も違うし。フィルム撮影というのもあるのかな?


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