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2021年9月

2021年9月27日 (月)

【旧盤紹介】ミシェル・ランベール「エール・ド・クール」

210917t 演奏:今村泰典&フォンス・ムジケ(1998年)

ルイ13世・14世時代の宮廷歌曲の美しさをた~っぷり味わえるランベール作品集である。歌手はモニカ・ザネッティ、パスカル・ベルタン、二人の歌唱が華麗で素敵✨
今村泰典のテオルボの響きは典雅の極みである。

録音から20年以上経っているが、今なお「古楽の楽しみ」でかかるのでこのジャンルの定番(定盤)と言っていいだろう。
ヴァイオリンの一人はアマンディーヌ・ベイエなのに今頃気づいた(^^;ゞ

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2021年9月24日 (金)

「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」:歌と共に時代あり、時代の陰に政治あり

210924 監督:アミール・“クエストラヴ”・トンプソン
米国2021年

ロック年表などというものがあるとしたら1969年の項にはウッドストックの野外コンサート開催と太字で書かれるだろう。
一方、同じ年にこんなことがあったのは知らなかった(!o!) ニューヨーク、ハーレムの公園で6週間にわたり無料コンサートが行われたのだという。しかも映像の記録が残されていたというのに映画にもならず長年放置されていた。
50年ぶりにその「ハーレム・カルチャラル・フェスティバル」の記録を掘り起こしたのがこの映画である。

当然ながらソウル、R&Bが中心だが、日によってはゴスペル、ラテン、ジャズなどとテーマを決めてやったらしい。それだけに多彩なミュージシャンが次から次へと登場する。
そして、参加ミュージシャンの立ち位置の紹介から、さらに当時の社会状況、政治情勢、公民権運動後における黒人の立場の変化、ハーレムという街の特徴を重ね合わせ時代と音楽を浮かび上がらせていく。
合間にその時実際に聴衆だった人々にフィルムを見せた感想や証言が挿入される。

ただし、これはコンサート映画ではない。あくまでも「コンサートについてのドキュメンタリー」なのでご注意あれ(^^)b
なので、最初から最後までかかる曲はほとんどないし、多くは曲にかぶせて回想や説明が入る。内容が政治や黒人社会に重点を置いているのは、それこそがこの無料コンサートが行われた重要な要因であり、果たした役割だからである。

そんな中で見どころ聴きどころは、マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズ(若い)怒涛の共演。迫力のあまり聞いてて椅子ごとひっくり返ってしまいそう。
ザ・フィフス・ディメンションは白人グループと誤解されることが多かったので、ぜひ出演したかったらしい。こんなカッコエエとは知らなかった。
スティーヴィー・ワンダーは天才ぶりを思うままに発揮している。これでまだ19歳とは信じられねえ~。既に大成している。ファンは必見だろう。

個人的には終盤のスライ&ザ・ファミリー・ストーンとニーナ・シモンが嬉しかった。
司会がスライたちの名前を出すとドッと聴衆がステージ前に押し寄せる(予定時間通りに始まったのかな?)。やはり突き抜けて先鋭的だ(でもなぜドラムが斜め読み向き?)。
もちろん当時同じようにファンク・サウンドを追及していたミュージシャンはいただろうが、グループが白黒男女混成というのは珍しいし(当時、ブラックパンサーから「なんで白人入れてるんだ」と非難されたとか)、煽っているようなクサしてるようなひねくれまくって360度一回転しちゃうような歌詞も好き✨

ニーナはピアノ弾き語りの毅然とした迫力に思わず拝みたくなっちゃう。アジテーションか音楽か、そのスレスレなまでに混然一体となったメッセージの強烈さが突き刺さる。ラストの詩の「朗読」にもグルーヴあり。
なお、エンドロールの後にオマケがあるのであわてて席を立たないように(^^)

これほどの無料コンサートを6週間も続けられたというのは、よほどの企画力というか資金集め能力がなくてはできないだろう。いくらコーヒー会社を後援につけたとしてもどうやったのかしらん?と謎に思っていたら、たまたま読んだ『ルート66を聴く』(朝日順子)という本にこう書かれていた。

「アメリカの市町村主催の音楽フェスは、無料か格安で参加できるものも多い。シカゴで参加したブルース・フェスティバルやゴスペル・フェスティバルは無料だった。」

な、なるほど……だからNY市長も出てきてたのか。日本では考えられない事である。


ところで、この映画を見て「音楽に政治を持ち込むな」と批判した人がいたそうだが笑止千万である。
音楽の方で政治を避けても、政治の方は決して音楽を見逃してくれないのよ💨

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2021年9月15日 (水)

【旧盤紹介】「イングランド、マイ・イングランド」

210910b 最近音楽ネタ記事が激減しているので自宅のCDの沼をさらって紹介します(^^;

これはヘンリー・パーセルの伝記映画のサントラ(1995年)である。ジョン・エリオット・ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団が音楽担当している。

ナンシー・アージェンタ、マイケル・チャンスなど歌手が多数参加しているが、映画自体は見たことがない(日本未公開)ので、彼らがスクリーンに登場するのかは不明。
サントラには器楽曲や歌劇など色々と入っていて、パーセル作品のショーケースとして気に入っている。

監督のトニー・パルマーは過去にフランク・ザッパのミュージカル❗やワグナーの伝記映画を作ってる人らしい。(ケン・ラッセルっぽい?)
脚本を劇作家のジョン・オズボーンが担当しているのに驚いた。一度見てみたいと思うが未だかなわずで残念無念である。

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2021年9月11日 (土)

「プロミシング・ヤング・ウーマン」:少女老いやすく復讐なり難し

監督:エメラルド・フェネル
出演:キャリー・マリガン
イギリス・米国2020年

今年のオスカーで5部門候補になり脚本賞獲得。キャリー・マリガンも主演女優賞の下馬評高かったが取れずに終わったものの、話題の一作である。

正直、理解に苦しむ映画だった。登場人物のほとんどが何を考えているのかよく分からないのだ。
例えば『ライトハウス』はホラーだか幻想ものだか、話自体はぶっ飛んでいて訳ワカランものであった。だが、少なくとも登場人物がその時どういう精神状態でそういう行動をするのかは大体理解できた。
しかし、こちらはその点がさっぱり理解できない。

事前の情報では友人をレイプして死に追いやった不埒な野郎たちに鉄槌を下すというような内容とのことだった。でも全く違った。
ヒロインは事件に衝撃を受け、夜な夜な町へ繰り出してわざとそのたぐいの男をおびき寄せ「お仕置き」をする(あくまでも「お仕置き」程度の教育普及活動)。危なっかしい橋を渡っている。逆ギレされたらどーするの、などと心配しちゃう。

だがなぜそこまで友人の死にのめり込んでいるのか、理由は描かれていない。長年に渡って自分を捨てて投げやりな日常を送り、自暴自棄としか思えない行動を続けているのにだ。親友だからなのか、それとも友人以上の関係だったのか?

それから小児科医の男も謎である。付き合いたいというのは分かるが、いきなり××入りのコーヒー出されて飲むか(?_?) フツー飲まないだろう。(そんなコーヒー出す方も出す方だが)
また一度、彼に腹を立てたのにまた彼女が戻ってきた理由も不明だ。唐突に元に戻っちゃう。理由は観客が勝手に推測するしかない。

終盤の「突入」の意図についても同様。
巷の感想見ると、最初から戻るつもりはないと覚悟していたという解釈を幾つも見かけたが、だとするとあまりにも無意味な行動では(?_?)
さらに最初の設定では、最後のシークエンスはなかったという……ええー(+o+;) それじゃますます無意味じゃないの。
現実に起こっている種類の犯罪をモデルにして作っているのだから、できればもっとサバイブの方向に導くものにしてほしかった。

シュシュでくくったかわいいノートに「教育指導」した奴(男に限らず)を執拗に記録していくことが、女の子っぽいやり方というのであろうか。力ある男にひねりつぶされても仕方ないというのなら、無力感にとらわれること甚だしい。

あと、映画作りの基本的なミスが見受けられたのも気になった。カットによって服の乱れが統一されてないとか、狭い場所でのカメラの位置が変とか……。シロートの私が気づくんだから専門家が見たらもっとあるのでは?と疑っちゃう。
それと「枕」のシーンだが、スタントを使わずにマリガン本人がやってたというのを聞いてびっくりした。あれこそスタントを使うところでは💦 実際、事故になりそうだったらしい。
あと使われてる曲の歌詞は訳してほしかった。オバサンは最近の流行の音楽にはうといので(^^;ゞ

というわけで、期待していたのにガッカリであった。

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2021年9月 5日 (日)

「ライトハウス」:なんで、私が灯台に!?

210905a 監督:ロバート・エガース
出演:ウィレム・デフォー&ロバート・パティンソン
米国2019年

*最後にネタバレ感想があります。

事前に「怖い映画」だと聞いていた。さらに「変な映画」だということだ。おまけにモノクロでスタンダードよりも狭い昔の画面サイズらしい。どうも嫌な予感がする。途中で映画館出たくなったらどうしようと不安であった。
しかし、狭い孤島の灯台でデフォーとパティンソンが二人きりでゴニョゴニョする話(誤解を招く表現)だとあっては、何がなんでも見に行かずばいられない。

心して映画館に向かった私であったが、予想は大きく裏切られた。「変」「怖い」に加えてもう一つ重要な要素があったのだ。
それは「笑える」であった。
なんなのよー、早く言ってよ~(^◇^)

老灯台守と組んで初めて孤島に向かう新人の若者。先輩から乾杯の酒をすすめられるが断って水を汲んで飲む。しかしその水は腐っていた。ギャハハハと嘲笑する先輩、憮然とする若者--いや、いくら何でもそんな真っ黒けな水(モノクロ映像にしても、だ)飲む前に気づけよという気がしないでもない。

その後はひたすらこき使われイヂメられる若者であった。しかも肝心の灯台には上らせてもらえない。ストレスで作業の合間に思わず××しちゃう毎日だ。
そして幻影なのかそれとも物の怪か、何かがいるような……。

てな具合で黒い水を飲んでから以降、全体の三分の一ぐらいは笑える場面だった。後半のアルコールが入ってから延々と続く二人の絡み合いとか。特に強風にあおられて●●●を浴びる場面なんて声出して笑ってしまった。
あれは爆笑するところでしょう(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハー(←懐かしい顔文字を使用してみました)

あと過去の名作の引用も多数出てくる。
ゴシックホラー味が強く『鳥』や『シャイニング』はモロにやってるし、全体の構造は『2001』っぽい(二人のキャラクターが孤絶した状態で争い、一人がスターゲイトに達する)。エガース監督は「灯台は男性のシンボル」と語っているが、ディスカバリー号も「精子の形に似ている」などと言われてましたな。
某場面はアルドリッチの『キッスで殺せ』の終盤だろう。他にも私の見ていない映画の引用が幾つもあるようだ、ベルイマンとか--。
ラブクラフトの映画化ってあるのかな(^^?

怪異譚と言ってしまえば収まりは付くが、解釈には困る作品である。
単純に考えてみると、ヘテロな男が二人狭い場所に閉じ込められればマウントを取り合った挙句、結局こうなるしかない💥ということだろうか。あまりに日常的に接近して暮らしていると、自我が溶解していく危険があるのかもしれない。

デフォー&パティンソンはほぼ二人芝居、お疲れさんです。
監督は……モロに自分の嗜好丸出しである。ああ、こういうのが好きなのだなというのが分かっちゃう。
陰鬱なモノクロ、冒頭の霧笛に始まる周到なサウンドデザイン、これに関しては映画館じゃないと迫力を楽しめないだろう。映画館での鑑賞を推奨したい。

210905b パンフレットは灯台日誌(?)風デザインで分厚くて凝った装丁である。なぜか中に6ページにわたって伊藤潤二の紹介マンガが掲載されている。こういうのは普通チラシに載せるものだけど、なかなかにコワイ。
個人的には吉田戦車で見てみたい。あとパロディ調の青池保子で少佐とZの組み合わせ--あまりにもモロかしらん。当然第三の男は部下Gだろう。


さて、私は観ている間まったく思い至らなかった解釈があるのだが、ネタバレなので行を開けて書く。

 

 

 ★★注意! 以下ネタバレがあります
             自己責任でご覧ください★★

 

 

他の人のツイッターでの解釈だが、老灯台守と若者は同一人物だというのだ。
な、なるほど!(ポンと手を打つ)
老人とは若者の罪悪感の表れであり脳内に出現したもので、そもそも灯台が実際に存在するのかも怪しい……というのである。
確かに二人が互いに語る過去はなんだか似通っているし、老人が若者のことを何もかも見透かしているというのもある。
ラストシーンもそれまでの状況からするとおかしい。現実とは思えない。

何より、若者が乗って逃げ出そうとしたボートを老人が壊してしまうのだが、その後の口論では彼は「お前が壊した」と事実と逆のことを言うのである。しかも若者はそれに反論しない。
二人ともボートを壊した犯人ということで、自分と自分で闘っているのである。

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