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2021年10月

2021年10月29日 (金)

「戦火の馬」と「計画」なき家父長

211029 ナショナル・シアター・ライヴの『戦火の馬』(2014年)を見た。

原作はマイケル・モーパーゴの児童文学(1982年)で、過去にスピルバーグが映画化している(未見)。
舞台版では馬が3人がかりで操る巨大なパペットとして登場し、その動きと戦闘場面の大仕掛けが見ものとなっていた。

見ていて気になったのが主人公である若者の父親の存在だ。その父は自分の兄と非常に仲が悪く、馬の競売で買う予定もないのに一頭の馬を兄と競り合いを始めて、意地で最後に競り落としてしまう。そして借金を返すために持っていた大金を全て費やす。
しかもその馬は競走馬で、自分の農場では役に立たないのだ。

馬を連れて帰ると母が罵る。結局、父は息子に競走馬として調教することを押し付けてその場から去ってしまう。

馬が競走馬として立派に育った頃、父はまた自分の兄と無謀な賭けをする。競走馬なのに農耕機をつけて畑を耕すというのだ。彼は自分で馬に機具を付けようとして失敗する。そしてまたしても息子がその役目を負うのだ

やがて第一次大戦の影響が英国の田舎町にまで迫って来た時には、なんと父は勝手に馬を軍用馬として政府に売ってしまう。馬が金になったと喜んで帰宅すると、自分の分身のように思っていた息子は衝撃を受け、その年齢に達していないのに馬を追って軍に志願するのだった。

いくらなんでもいい加減すぎる父親である。しかし、どうも見ていて「こういう父親どこかにいたような(^^?」と既視感を抑えられなかった。
と、見終わってしばらくして思い出した。『ハニーランド』だっ(ポンと手を打つ)⚡

こちらはドキュメンタリーだが、女性養蜂家の隣に越してくる大家族の父親がよく似た感じなのである。
そもそもは家畜を飼っていたのだが、主人公の見よう見まねで養蜂を始める。ド素人にもかかわらず彼女に教えを乞うたりはせず、いきなりハチを自宅の庭に持ってきて子どもたち(幼児もいる)は刺され放題となり大騒動だ。
その後も強引なやり方で息子と衝突したり、主人公に迷惑かけたり、周辺のハチの生態をぶち壊したりする。

このように父親の無謀な思い付きで無計画にことを行ない、妻や子どもを巻き込んだ挙句に自分だけは無傷に終わる(しかも妻子は従い続ける)--というのが共通しているではないか。

そこでもう一つ思い出したのが『パラサイト』である。
これを見た時に今一つ分からなかったのが「計画」という言葉である。セリフに何度も登場するが、これは何を指すのだろうか? はて、文字通りの意味なのか、それとも韓国では特別な意味を持つのか。感想や批評を幾つも読んだがこの「計画」について触れたものはなかった。

『パラサイト』の父親は、先に挙げた二作品のような父権を振り回す強引な人物ではない。しかし、家族から「計画はあるの?」と聞かれれば「計画はある」と力強く頷いて見せざるを得ない。でもその後で息子にだけ「実は計画はない」ともらすのだ。
この「無計画」の結果どうなったか。やはり妻子や周囲を巻き込んで取り返しのつかない事態になる。さらにここでも父親だけは無傷なのである💢

これら三作品に共通なのは、計画を持たない父親の決定や行為がいかに家族を翻弄し混乱させて苦痛を与えるか、その弊害を描いていることだろう。
『戦火の馬』では母の「あの人も昔、家を背負って苦労した」という言葉で家族の絆に回帰する。
『ハニーランド』では家族自体が主人公と観客の目の前から突然消えてしまう。(恐らく父親はあのままだろう)
『パラサイト』となると、もはや父親が家長として復活するのはありえない事が最後に明示される。息子がそれを継ぐのも不可能だ。
「父」や「夫」の価値が称揚されることなく沈没していく。『パラサイト』はそんなシビアな社会状況を提出している。


さて、私はこれまでコロナ禍への日本政府の対策の混迷ぶりを見て「ああ『パラサイト』の〈計画がない〉というのはこういうことだったのか」としみじみ思った。
このような「無計画」の極みを成し混乱と苦痛を生んだ当事者の行く末は、果たしてどうなるのだろうか……。

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2021年10月26日 (火)

【旧盤紹介】カヴァッリ「聖母マリアの夕べの祈り」

211012t 演奏:コンチェルト・パラティーノ(1995年)

17世紀半ばヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂の楽長を務め、一方で人気オペラ作曲家だったカヴァッリ。残っている彼の作品としては数少ない宗教曲だ。
当時、大聖堂で演奏されたそうで、その壮麗さと美しさを十二分に味わうことができる録音である。

コルネットとトロンボーンのアンサンブルはブルース・ディッキー、シャルル・トートを始めとする10人。バーバラ・ボーデン、マーク・パドモア、ゲルト・テュルクなど歌手は8人、他にヴァイオリンはエンリコ・ガッティ✨(聞けばすぐ分かる)、テオルボはスティーヴン・スタッブスという強力布陣だ。

特に3人の男声を美しくフィーチャーした「めでたき海の星」、続いて管弦声が入れ子のように組み合わされた3声の「マグニフィカト」にかけての流れが非常に素晴らしい。
また合間に配置された管の器楽曲の輝かしい響きは言葉に表せないほどである。

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2021年10月22日 (金)

「ルート66を聴く」

211022 アメリカン・ロード・ソングは何を歌っているのか
著者:朝日順子
青土社2021年

ルート66って名前はよく聞くが具体的には……よく分かりません(^^ゞ などと曖昧な知識しかないのだが、シカゴからロサンジェルスまで米国の3分の2ぐらいを横切る道路である。しかし、やがて州間高速道路のインターステイトが使われるようになってさびれてしまったそうな。(ピクサーの『カーズ』の背景はこれなのね)
イメージとしては、時代遅れの「各駅停車」といったところなのだろうか。
そのような道路沿いにミュージシャンたちが暮らし、あるいは移動する中で生まれたロード・ソング、それをたどっていくのがこの本の趣旨である。
著者は滞米歴が長いだけあって、その土地に根差した曲が生まれたエピソードがリアリティをもって浮かび上がってくる。

取り上げられているのは有名どころではドリー・パートン、チャック・ベリー、プレスリー、イーグルス、ボブ・ディランと幅が広い。
中にはオザーク・マウンテン・デアデヴィビルスなんて懐かしい名前も登場する。聞いたのは恥ずかしなから「ジャッキー・ブルー」ぐらいだが、ヒッピー・カルチャーを背景を持ったバンドだったのを初めて知った。

ザ・バンドに関しては、彼らの歌に出てくるような米国像は架空のものだという論(グリール・マーカスの説だとは知らなかった)が定番だが、著者は長い過酷なツアー生活の中でのリアルな体験や感情から生まれたものだとして否定している。
また、レーナード・スキナードのロニー・ヴァン・ザントが「素晴らしい詩人」というのは全くの同感である。「スイート・ホーム・アラバマ」がかつて(今も?)派手に「炎上」したのはその文才だからこそと言えるだろう。

大きな特徴として、一般に無視されがちなボストン、ジャーニーといった「産業ロック」(こんな名称考えたヤツは責任取れ💢と言いたい)のバンドも取り上げているのが嬉しい。

「ビジネスの規模にかかわらず作り手の情熱が無ければ、聴き手は耳を傾けないはずだ」

自宅の地下室で一人で黙々と宅録……というのは今だったら珍しくもないが、トム・ショルツは時代が早すぎた。「天才」とは呼ばれていたものの完全に「変人」扱いされていたよね。
その後のバンドのトラブルは、恐らく彼が地下室で作り出した音楽自体と「個人作業」のイメージのギャップが大きかったことによるものだろうか。

他には、50人しかいない客の前でピアノを弾き語りするレオン・ラッセルを5ドルの入場料で見て、その数年後エルトン・ジョンによってカムバックしたというエピソード。
また、ストーンズのライヴでキースが歌い始めると客のトイレタイムになる(^^;目撃談が印象深い。

中学生の頃から中古盤漁りしてエドガー・ウィンターのファンだった⚡という著者は「筋金入り」という印象である。一方で都会派やパンク、ニュー・ウェーブは興味がないようで、読者を選ぶ本ではある。
似たような内容でフー・ファイターズでが過去に映像シリーズ「ソニック・ハイウェイ」を出している。巡っている土地も結構重なっているのが興味深い。当然、取り上げているバンドは当然異なるが、取材に応じているベテラン・ミュージシャンはこの本にも登場する(例えばドリー・パートン、バディ・ガイなど)。

やはり米国の広大さが音楽の重層性を支えているんだろう。日本だと地域の差はあるとはいえ、そこまで行かないよね。

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2021年10月17日 (日)

「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」:主役はどっちだ?

監督:シャカ・キング
出演:ダニエル・カルーヤ、レイキース・スタンフィールド
米国2020年
DVD視聴

アカデミー賞5部門候補になり2部門獲得!なのによもやのDVDスルーとはどうしたこったい(!o!) 『プロミシング・ヤング・ウーマン』も同じく5部門候補で、獲得したのは一つだけでも公開されたっていうのにさっ💨 やはり黒人が主人公だと敬遠されるのかね。
などと文句を言いつつツ●ヤの新作棚から早速借りてきた。

60年代末の米国シカゴ、ブラックパンサーの州支部に若干21歳で頭角を現した若い幹部がいた。FBIは危険人物としてマークし、ケチな車泥棒で捕まった男をスパイとして内部に送り込む。

教養豊かで演説がうまく統率力あるハンプトンという人物と運転者役で潜り込むオニールを、『ゲット・アウト』コンビであるD・カルーヤとL・スタンフィールドがそれぞれ対照的に演じる。
ハンプトンは投獄された挙句、最後には謀殺されるのだから確かに「救世主」と「ユダ」に違いない。さらに「ユダ」の後日譚もまた……。

ただ予想に反して、この二者が直接に親密な関係を示す場面は少ない。あくまで近くにいながらも部下の一人である。リーダーたるハンプトンに対し、オニールは側にいる脇役でしかない。両者の共通項は「裏切り」の実行者と被害者ということだけだ。そのことが後者の目を通して冷静に描かれる。
従って国家による犯罪が堂々と行われるというショッキングな内容とはいえ、人間関係の盛り上がりとドラマ性を求める人にはやや物足りなく感じられるかも。

演説場面に見られるように、卓越したカリスマをカルーヤはまさに熱演している。一方、スタンフィールドは裏切りの泥をかぶって生きるしかない男の卑小さを演じ、甲乙つけがたしである。
ここで、誰もが思うであろう疑問💣 この二人が揃って各賞で「助演」男優賞候補というのはなんでなの? どの部門に該当するのかは映画会社の方で決めるらしいが、この年の「主演男優」はC・ボーズマンに決まっているから勝てないと考えて二人とも「助演」にしたのだろうか。

アカデミー賞では二人とも同一部門ノミネートで、結果カルーヤが獲得した。通常だったら彼が「主演」でスタンフィールドが「助演」のダブル受賞もあったかもしれないのに、割を食ってしまったといえる。
他にFBI役ジェシー・プレモンスもよかった。

ところで、アカデミー賞授賞式後の記者会見で、カルーヤは他作品でノミネートされていたレスリー・オドム・ジュニアと間違えられて質問されたという非常識な事件が発生したらしい。
世評では「よく怒らないでガマンした」ということだったが、ここでブチ切れると「だから黒人は……」とか言われちゃうんだよね。つらい(=_=)

さて、ブラックパンサーというと「危険」⚡「過激」💥「暴力」👊というイメージが思い浮かぶ。しかしここに描かれているFBIの策謀を見ていると多分に情報操作があったのだろうと思えてくる。真実はどうだったのかね。
それとハンプトンは『シカゴ7裁判』にも登場していた知ってビックリ(◎_◎;) ちゃんと役名がクレジットされているではないの。最初だけ共同被告になっていた黒人の支援者で、傍聴席にいた人物だろうか?(よく覚えていない)

そういえば、マルコムXの場合も護衛係が密告者だったはず。至る所にスパイあり、だ。
もっともこういう手法はFBIに限らずどこの公安警察も使用するもののようだ。日本でも組合や学生運動盛んな時代はスパイを送り込んでいたらしい。どの集団だか忘れたが、確かナンバー2にまで上り詰めた例もあった。こうなると組織の乗っ取りである。

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2021年10月 7日 (木)

「ホロコーストの罪人」:善き隣人の犯罪

監督:アイリク・スヴェンソン
出演:ヤーコブ・オフテブロ
ノルウェー2020年

ノルウェーでユダヤ人家族に起こった実話を映画化。辛い話で、見てて涙でマスクの内側が濡れてしまったほど(T^T)クーッ

主人公は若いボクサーで、親の意向に反して宗教熱心ではない。ノルウェーの国旗を背負って試合をし、結婚相手もユダヤ人ではない女性を選んだぐらいだ。
しかし、いくら自分ではノルウェー人だと思っていてもナチスドイツが侵攻して占領下に入ると、見逃してはもらえない。

劇的なことが起こるわけでもなく、静かに調査・確認・峻別・隔離が進んでいくところが怖い。市民がユダヤ人に対してを面と向かって罵倒するわけではないが、粛々とお上の意向に従って排斥に協力する。

収容所への移送計画を立てる警察副本部長は立派な集合住宅に住んでいて、隣室はユダヤ人の弁護士一家である。恐らくは、日常は善き隣人として付き合いをしているのだろうがいざとなれば平然と迫害を行うのだ。
そんな描写がとても恐ろしい(>y<;)
そしてラストの突然の無音シーンがさらに恐怖と衝撃を与えるのだった💥

ノルウェー政府が「強制連行」(直接虐殺したわけではないからだろう)の罪を認めたのは、なんと今から10年前だそうだ。それを考えるとよくぞここまで厳しく描いたという印象だ。推測するに、占領下で命令されて仕方なくアウシュヴィッツに送ったんだから罪はない--というような理屈があったのだろうか。
原題は訳すと「最大の犯罪」だそうで、邦題は似て非なるものだと言いたい。

主人公が国内の収容所で将校からボクシングの相手をしろと言われる場面がある。
それで思い出したのは、『生きるために』(1989年)という映画だ。ギリシャが舞台でウィレム・デフォーが実在したユダヤ人のボクサーを演じていた。
そちらではナチスの将校たちの前で試合をやらされるのだが、ボクサーのどちらか片方が死ぬまで終わらないという恐怖の試合だったですよ……👊

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2021年10月 6日 (水)

【旧盤紹介】「バロック・ギター・トリオ」

211003t_20211006212301 演奏:バロック・ギター・トリオ(1999年)

その名の通りバロックギターの3人組がテレマン、バッハ、ロウズの作品を編曲して演奏したものである。
親しみやすいテレマン、落ち着いたロウズに比べ、何事も極めなければ気の済まないバッハ。トリオ・ソナタでは、あくまでも対位法を鬼のように追及している音像が浮かび上がってくる。

期せずして、そのようなバッハ先生の「鬼」ぶりが立体的な音として実際に迫ってくる好企画といえるだろう。

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2021年10月 1日 (金)

「グリード ファストファッション帝国の真実」:ローマは安価にして成らず

監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:スティーヴ・クーガン
イギリス2019年

英国に実在するファストファッション経営者をモデルに、虚飾以外に何もない男をブラックユーモアで描いている。イギリスでは有名な人物らしいからこの映画の存在自体、スキャンダルの一端と言えるかもしれない。しかも実際に彼の部下だった人物が出演していたりする。

若い頃から既に傲岸不遜にしてあくどいやり口で資産を増やしていく。これを果たして経営と呼べるのであろうかと言いたくなるレベルだ。
富を築いてからは『グラディエーター』の台詞をいつも口にして、自分をローマ皇帝に模した誕生日パーティーを開こうとする。もっともその計画は非常にいい加減だ。

母親がまた強烈な人物で、元妻や娘はまるでリアリティショーのセレブ家族のように振舞う。見ててバカバカしいことこの上ない。
そして、並行してファッション業界の東南アジアを中心にした搾取的な労働の告発に至る。

--というのはいいんだけど、ウィンターボトム監督の作品っていつも中途半端な印象なのだが本作もそうだった。つまらなくはないのだが(ーー;)
強欲な人物のブラックなドタバタ劇にするのか、ファッション産業に内在する搾取の社会的な告発にするのか、疑似ドキュメンタリーの形式を取るなら取るで一貫してほしかった。
主役のS・クーガンはバカバカしい人物をうまく演じているけど、あまり報われていないように思えた。

ところでパーティーに来てたキース・リチャーズは偽物だよね? かなり辛辣なボノへの告発があったけど本気かな。

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