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2021年11月17日 (水)

「ミス・マルクス」:父の娘の夫の妻

211117 監督:スザンナ・ニッキャレッリ
出演:ロモーラ・ガライ
イタリア・ベルギー2020年

この映画を見るまで「マルクスの娘」のことは知らなかった!
彼には4人の娘と2人の息子がいたそうだが、他の子は幼い頃に亡くなったそうで映画内に登場するのは娘3人である。主人公は末っ子のエリノアだ。
彼女は政治・文学の才能があり、死後に父の跡を継ぐ存在となる……はずなのが、浪費家&プレイボーイのダメ男に引っ掛かったのが不幸の始まりであった。
そもそも妻帯者である上に浮気し放題、借金しまくりのためあきれてエリノアの友人たちも徐々に離れていくという次第。

彼女の社会活動家・フェミニストとしての面も描かれているが、映画の中心として描かれているのはこの疫病神っぽい夫(内縁の)との関係と葛藤だった。
なぜそんな関係を続けたのかというと、偉大な父親の影を相手の男に求めてしまうためのようだ。典型的な「父の娘」である。
夫をかばって彼なしには暮らしていけない姿は、一種の共依存のように見える。
ただ、作品内では彼はどうにも冴えない男にしか見えず、主人公を含めて複数の女を垂らし込んだほどの魅力があるとはとても思えないのが難である。

パンクロックをバックに流して威勢良さげに見せても、その真実は旧弊な「父の娘」から抜け出せなかったというのが結論とあっては、甚だしく落ち込む。「旧弊さ」に反抗しても、結局それに吸い取られていくのが女の宿命だと語っているようだ。

党の集会で演壇に上がっているのは男だらけで、女はエリノア一人--という場面が出て来て、今も昔も女の立場は変化がない(`´メ)と思わせる。
しかし一方で「親の七光り」と書いている映画評を目にした。確かに彼女がマルクスの娘でなかったら一顧だにされなかったろう。
そういう意味では「父の娘」であることは有効なのかもしれない。

それにしても伝記映画で、その人の業績よりも男女間や家庭のイザコザに比重を置いて描かれるのが多いのはどうなのよ💢 例えばジミ・ヘンドリックスを主人公にした『JIMI:栄光への軌跡』なんかその最たるものだろう。
逆に人生で波乱がほとんどなかった人物(例:バッハ)はどんな業績があろうと映画にはなりにくいのだ。

教訓:男の不実さに主義主張は関係なし
付記:エンゲルス、善い人過ぎ~💨

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