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2022年2月

2022年2月20日 (日)

「大塚直哉レクチャー・コンサート 7 バッハと紡ぐ未来」:さらに深き沼へ

220220 オルガンとチェンバロで聴き比べるバッハの”平均律”
出演:大塚直哉、武智由香
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2022年2月6日

大塚直哉のレクチャーコンサート、遂に平均律第2集も終了となった。
これまでダンスや映像との共演だったが、最終回はロンドン在住の作曲家・武智由香にバッハに捧げる曲を委嘱して初演する。さらにリモートで対談しつつ作曲家としての面からバッハに迫ることになった。

大塚直哉の曲ごとの解説は音階や調性に注目して行われ、武智氏は大英博物館に自筆譜を見に行った話や作曲している時のバッハについてなど。
音階にこだわり「音階まつり」と言えるほどに曲にはめ込んでいくバッハ先生。
全ての調性を使うという趣旨で曲集を作ったのに、半音があり過ぎて調性崩壊寸前。
鍵盤曲は仕事で作曲しているわけではないので、やりたい放題になっちゃう(^▽^;)
さらには、弾くのは面白いが他人が弾いてるのを聞くのはイマイチ……など、最終回だからか忖度なき解説が行われたですよ💥

その成果の偉業にして異形が、今回の22~24番なのだろうか。
しかし、対位法がらみの話はシロートには難しくてよく分かりませんでしたな(^^;ゞ

で、第2部の後半となると暖房が効き過ぎになってしまい、頭上から熱波が降りそそぐ感じだった。多分、埼京線のホーム上と気温差は30度ぐらいあったんじゃないの。
そのため曲の複雑さと相まって頭が朦朧となってしまった。

24番の終了後に武智氏の「バッハ・オマージュ プレリュード1」がチェンバロとオルガン両方を使って初演された。それをロンドンでリモートで聴くという次第。
現代曲は私の完全守備範囲外なので何もコメントできないが、コロナ禍でもほぼ埋まっている客席からは盛大な拍手が起こった。

終演後のロビーで武智氏のお母さんが嬉しそうにスタッフに挨拶している姿を見かけた。いずこも母親は同じですね(^^)

さて、このシリーズは番外編として夏に「羊皮紙研究家」を呼んで楽譜についてやるらしい。ますます深まる古楽沼である。
その後さい芸は改修工事で休館になるらしい。半年ぐらいかと思ったら、よくよく見ると一年半じゃないですかっ(!o!) その間、文化果つる地埼玉はどうなるのよ~💨

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2022年2月15日 (火)

「MONOS 猿と呼ばれし者たち」:進撃の小人

220215 監督:アレハンドロ・ランデス
出演:ジュリアンヌ・ニコルソン
コロンビア・アルゼンチン・オランダ・ドイツ・スウェーデン・ウルグアイ・スイス・デンマーク2019年

いずこの国かは不明だが、南米とおぼしき山岳地帯。8人の少年兵が米国人女性の人質を監視しつつ暮らしている様子が描かれる。詳しい説明は何もない。
たまに監視役が来るぐらいなので部活みたい。一同、遊び半分で訓練やったりして「ごっこ」っぽくもある。このように最初はのんびりした雰囲気だったのが、ある出来事をきっかけに段々と混沌と狂気へと転がっていくのだった。

指令が出て今度はジャングルへ移動すると、完全暴走してすっかり『地獄の黙示録』状態へと変わる。
緊張感が空気に常に充満し、不穏過ぎる劇伴音楽が拍車をかける。
高山の風景は壮絶だったが、その分美し過ぎて不吉だ。ジャングルの方は湿気がビッチョリして不快指数200%は間違いない。

ただ、緊張がダラーンと長く続くので観客のこちらも精神的に耐えられなくなって、見てて疲労困憊した。「一体どうなるんだろう」と思って見てたけど、結局どうにもならなかったとゆう……(*_*;
描かれる膠着状態はある種の「退屈」の連続でもあるのだが、それが作品として描かれた「退屈」なのか、作品自体が退屈なのか区別が付かないのだ。
こんな気分になるために金払ったのかなあ((+_+))と自問自答してしまった。

ランボー役やってるのは女の子だったと後で知ってビックリだ❗
監督はブラジル人とのことだが『進撃の巨人』見たことがあるのだろうか。なんとなく連想した。見たとしたらアニメだろうけど。
河の中の水泡のシーンは、以前に埼玉近代美術館の展覧会で見た映像作品を思い出した。

 

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2022年2月11日 (金)

「ハウス・オブ・グッチ」:見出しは東スポ、記事の中身は……

監督:リドリー・スコット
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライヴァー
米国2021年

恥ずかしながら、三度のご飯よりもゴシップやスキャンダルの類いが好きな性格だ。この映画、予告を見るとモロにその路線ぽいではないか。有名ブランド一族の化かし合いらしいぞ!? 期待に胸が高鳴っちゃう。
事前の予想は、もうラーメン食べに行ったら、スープの脂とダシが濃くてコ~ッテリ、太麺がドンと投入されてるし、こりゃもう食いきれねえー。これ以上食ったら血圧とコレステロール値が爆上がりだーっ⚡と白旗を上げたくなるようなドロドロの映画に違いない。
そしたら結果は

予告が一番面白かったかな……(・o・)

なんかすごーく軽い塩味で薄いスープを通してドンブリの底の模様が見える。間にヒョロい麺が数本見え隠れして泳いでる、みたいな感じなのだ。
個性のあり過ぎな人物を演技力のある役者にやらせて様々な具を投じてもケレン味はなし、スープ自体がおいしくなるわけでもなかった。

中心人物たるグッチ家のマウリツィオが「アダム・ドライバーの外見をしている」以外の個性がないのは大問題だろう。弁護士志望の青白いインテリかと思えば、妻の実家の労働者たちと仲良く付き合えるし、妻に押されてマクベスよろしく共犯関係を結んだはずが、突然イヤになって別の女に乗り換え--って、このくだりは突然の展開で前触れも伏線もなく心境の変化も不明である。

レディー・ガガ扮する妻も同様で、見た目「ガガっぽい」で全てを押し切ろうとしているかのようだ。彼女がマウリツィオに積極的にアタックしたのは欲に眼がくらんだだけではなく愛情があったに違いない--というのは、ガガのファンならそう考えたくなるかもしれないが、作品内に何一つ描かれてない以上その推測は牽強付会だと言われても仕方ない。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』では登場人物全員が見た通りの人間ではないことが明らかになるわけだが、逆にこちらの映画では全員見た通りの人間である。
というか、見た目以外の特性はない。ジャレッド・レトに至っては全身やり過ぎ感横溢している。

それと、一体何を描きたかったのか分からないのも困ったもんだ。成り上がり女の「毒婦伝」なのか、男社会の中で抑圧された「女性の自立と逆襲」か、またはセレブとなった一族の「お家騒動」、はたまた有名企業の「同族経営の弊害と危機」、あるいはファッション産業史における「老舗ブランドの栄枯盛衰」--そのいずれでもなさそうだ。
あと、ファッションを扱っているのに全くファッショナブルではないのが意外だった。

結局「こういう事件があった」という以上のものがなくて残念無念である。どうせなら、東スポ記事ぐらいにやってほしかったのにさ……。
見出しにつられて記事を読み始めたら途中で、ん(?_?)なんかおかしいなと思ってよくよく見てみたら隅に「広告記事」の文字を見つけた、てな調子だ。
やはり私は監督のリドリー・スコットとは相性が悪いようである。

そういや、グッチ家の遺族はこの映画を批判しているそうな。でも、一家がもう経営に携わっていない(と、ラストに説明字幕が入る)企業としてのグッチはいい宣伝だと考えているのではないかね。
「グッチ銀座は劇中に登場するバッグや服など、ブランドの歴史を象徴するアーカイブを店内に展示している」と新聞記事にあった。ついでに銀座の地下道の柱に映画の広告やってた(数十本の柱のモニターにずらっと同じ宣伝が流れる)のも費用出したんじゃないの。←疑り深い奴(^ω^;)

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2022年2月 4日 (金)

「スパニッシュ・ハープと奏でる古のスペイン」:思わぬところで古楽界の先達を知る

220204a 演奏:ラ・フォンテヴェルデ
会場:近江楽堂
2021年12月27日

2021年最後に行ったコンサートだった。
鈴木美登里と4人の男声陣、そして伊藤美恵演奏のスパニッシュ・ダブル・ハープ(初めて見た聞いた)によるスペイン歌曲特集である。

主に民謡・俗謡を元にした作られた世俗歌曲で、ストレートな恋愛歌あれば何やら意味深な曲もあった。曲によって一人背後から歌ったりなど変則的に位置を動かしていたが、この会場だからこその効果だろう。
そして、様々なタイプの曲を独唱そして合唱と自在に歌えるのは芸達者なメンバー揃いゆえでもある。
ハープはスペインでは人気のあった楽器だったとか。その弦の音は力強くかつ美しく、5人の声は近江楽堂の天井を揺るがさんばかりだった。

ホアン・バスケスの「私の愛しい人」というのは恋愛を歌った曲だが、何やら宗教曲のように5人の合唱が完璧にキマっていた🎵
「カッコウ」という曲では明らかに寝取られ亭主が歌われているんだけど、この鳥はそういう象徴なんですかね(^^?

220204b 時節柄クリスマスにちなんだような曲もいくつか歌われた。中でもラストに歌われた「リウ、リウ、チウ」は「ウプサラの歌曲集」(1556)からというクレジットがあるけど、私には耳になじみのある曲だった。
なぜかというとカナダのシンガーソングライター、ブルース・コバーンが1993年に出したクリスマス・アルバムに入っていて、何度も繰り返し聞いていたのだった。このアルバムにはスタンダードなクリスマス・ナンバー(「きよしこの夜」とか)が収録されているので、てっきりヒスパニックの間で今でも歌われてる曲なのかなあなどと漠然と思っていた。

が、家に帰ってこのアルバムにある彼の英語のコメント(輸入盤なので)をよくよく読んでみたら大違い(!o!)
録音するにあたり彼が歌詞を確認したら、スペイン人の友人にもよく分からない古い言葉や辞書にもない言葉だったとあるじゃないですか。(その後に歌詞の大意が数行書かれている)
で彼が何からこれを知ったのかというと、1970年代始めに「ニューヨーク・プロ・ムジカ」というグループが出したアルバムを聴いたのだという。調べると、ニューヨーク・プロ・ムジカは1950年代に結成された古楽グループとのこと。そんな昔からやってた人たちがいたんですな。


私は近江楽堂はこの日で聞き納めだった。あくまで休館とのことなので、なるべく早い復活を願っています(ー人ー)
ちゃんと復活してくれるよね……💧

代わりとなる小規模会場というと、スペース415(行ったことない)、霞町音楽堂、ムジカーザ、松明堂(東京からは行きにくいだろう)、日本福音ルーテル東京教会、ルーテル市ヶ谷センターあたりかな。
近ければいいけど、遠い所は遅い時間の公演は避けるかも。
いずれにしろ、我が古楽ライフは大激変であ~る。

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