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2022年2月11日 (金)

「ハウス・オブ・グッチ」:見出しは東スポ、記事の中身は……

監督:リドリー・スコット
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライヴァー
米国2021年

恥ずかしながら、三度のご飯よりもゴシップやスキャンダルの類いが好きな性格だ。この映画、予告を見るとモロにその路線ぽいではないか。有名ブランド一族の化かし合いらしいぞ!? 期待に胸が高鳴っちゃう。
事前の予想は、もうラーメン食べに行ったら、スープの脂とダシが濃くてコ~ッテリ、太麺がドンと投入されてるし、こりゃもう食いきれねえー。これ以上食ったら血圧とコレステロール値が爆上がりだーっ⚡と白旗を上げたくなるようなドロドロの映画に違いない。
そしたら結果は

予告が一番面白かったかな……(・o・)

なんかすごーく軽い塩味で薄いスープを通してドンブリの底の模様が見える。間にヒョロい麺が数本見え隠れして泳いでる、みたいな感じなのだ。
個性のあり過ぎな人物を演技力のある役者にやらせて様々な具を投じてもケレン味はなし、スープ自体がおいしくなるわけでもなかった。

中心人物たるグッチ家のマウリツィオが「アダム・ドライバーの外見をしている」以外の個性がないのは大問題だろう。弁護士志望の青白いインテリかと思えば、妻の実家の労働者たちと仲良く付き合えるし、妻に押されてマクベスよろしく共犯関係を結んだはずが、突然イヤになって別の女に乗り換え--って、このくだりは突然の展開で前触れも伏線もなく心境の変化も不明である。

レディー・ガガ扮する妻も同様で、見た目「ガガっぽい」で全てを押し切ろうとしているかのようだ。彼女がマウリツィオに積極的にアタックしたのは欲に眼がくらんだだけではなく愛情があったに違いない--というのは、ガガのファンならそう考えたくなるかもしれないが、作品内に何一つ描かれてない以上その推測は牽強付会だと言われても仕方ない。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』では登場人物全員が見た通りの人間ではないことが明らかになるわけだが、逆にこちらの映画では全員見た通りの人間である。
というか、見た目以外の特性はない。ジャレッド・レトに至っては全身やり過ぎ感横溢している。

それと、一体何を描きたかったのか分からないのも困ったもんだ。成り上がり女の「毒婦伝」なのか、男社会の中で抑圧された「女性の自立と逆襲」か、またはセレブとなった一族の「お家騒動」、はたまた有名企業の「同族経営の弊害と危機」、あるいはファッション産業史における「老舗ブランドの栄枯盛衰」--そのいずれでもなさそうだ。
あと、ファッションを扱っているのに全くファッショナブルではないのが意外だった。

結局「こういう事件があった」という以上のものがなくて残念無念である。どうせなら、東スポ記事ぐらいにやってほしかったのにさ……。
見出しにつられて記事を読み始めたら途中で、ん(?_?)なんかおかしいなと思ってよくよく見てみたら隅に「広告記事」の文字を見つけた、てな調子だ。
やはり私は監督のリドリー・スコットとは相性が悪いようである。

そういや、グッチ家の遺族はこの映画を批判しているそうな。でも、一家がもう経営に携わっていない(と、ラストに説明字幕が入る)企業としてのグッチはいい宣伝だと考えているのではないかね。
「グッチ銀座は劇中に登場するバッグや服など、ブランドの歴史を象徴するアーカイブを店内に展示している」と新聞記事にあった。ついでに銀座の地下道の柱に映画の広告やってた(数十本の柱のモニターにずらっと同じ宣伝が流れる)のも費用出したんじゃないの。←疑り深い奴(^ω^;)

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