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2022年6月

2022年6月27日 (月)

「Sacrum et Profanum 聖と俗の対話」:弾いてもダメなら吹いてみよ

220627 17世紀オーストリア至宝の器楽作品、煌めきのナチュラルトランペットと共に
演奏:アンサンブル・アカデミア・ムジカ
会場:すみだトリフォニー小ホール

サブタイトルやグループ名だけだとどういう編成か今一つ分からないが、ナチャラル・トランペット×2、ヴァイオリン×2、ヴィオラ、ガンバ、ヴィオローネ、オルガン各1というコンサートである。

トランペット奏者の人が主催者なので2本のトランペットを大々的にフィーチャーしたプログラムかと予想して行ったら、実際はオーストリア、ボヘミアの知られざる名曲紹介という趣だった。

作曲家の顔ぶれを見るとビーバー、シュメルツァーあたりなら広く知られている。しかし、本公演でイチオシとして取り上げられたヴァイヒラインとなると名前も聞いたことがない。17世紀後半に活躍したらしいが、初めて知ったぞ(!o!)てな調子である。
この三人の作曲家の作品を中心に、様々な編成のアンサンブル曲が披露された。

ヴァイヒラインのソナタ1番は奏者全員が登場して、トランペットが左右二手に分かれる。曲はその両端の二本が歌い交わし互いに絡まり合い、先行した片方を後追いするかと思えばまた逆になったり、自由自在に転がっていくような曲だった。
聴いてて目が回る--耳が回る、かな(@_@)

また、一番迫力あったのは杉田せつ子×鷲見明香によるビーバーの「技巧と愉しみの調和」第6番だった。
二人のヴァイオリンの共演、競演、驚演は丁々発止の激突で一瞬の隙もなく、火花が飛び散るが如しである。ステージ前の座席に座ってた人はヤケドしたんじゃないのと言いたくなるぐらい。思わず口アングリ状態になってしまった。
コロナ禍で行けた公演も減る中で、こんなに手に汗握る緊張感の演奏は久しぶりだった。聞けて深~い満足を感じた。
ビーバーは「ロザリオのソナタ」だけじゃないのだと再認識した。ビーバー先生、すみませんm(__)m

また一方で、フィンガーという人のガンバ曲にはしみじみとしてしまった。弦の音色が周囲の空気にじわーっとしみていく。
開演と終演の合図にトランペットのファンファーレを楽屋の方(?)に引っ込んだまま吹いたのは面白かった。
合間には初心者から通まで様々な聴衆向けの解説もあり。ヴィオローネは後の時代に、音の上の方はチェロに、下の方はコントラバスに分かれていった--とは初めて知った。また一つ賢くなりました(^^ゞ
こんなにバラエティに富んだプログラムの演奏だったのに、お客さんの数が少なかったのは残念の一言。モッタイナーイである。次回の公演にも期待したい。

唯一の難は、やはりトランペットと弦楽器の音量のバランスが難しいことだった。当時はどうやっていたのかな(?_?) 現代の中小ホールと昔の宮廷では音響はかなり違っているだろうけど。


すみだトリフォニーの小ホールは初めて行った。大ホール同様2階を歩いて行けども入口が見つからない。1階の方にあったのだった。早く言ってくれよ~。
音響はなかなかに良く、残響が多過ぎず少な過ぎず器楽アンサンブル向きだろう。ただ問題点その1は女子トイレの半分が未だに和式……(;^_^A

その2は大半の座席が勾配がないので、私みたいにチビの人間にはかなりステージが見づらい。
この日は自由席で客も少なくゆったりと--のはずだったが、開演直前にデカい奴がやってきて真ん前に座り、ずっと首を振ったり頭を手でかきむしったりしたので、かなり鑑賞妨害となってイライラしてしまった。
後ろからクビ絞めたろかと思ったですよ💢

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2022年6月23日 (木)

「スティルウォーター」:全てを得て、全てを失う

監督:トム・マッカーシー
出演:マット・デイモン
米国2021年

「見ると聞くとは大違い」というのをまざまざと実感した一作である。
実際に見る前の、目にした予告や宣伝の印象だけだとこんなストーリーに違いないと思った。
《フランスに留学中の一人娘が殺人の嫌疑を受けて獄中に💥 米国オクラホマの田舎町に住む父親は怒り心頭に発し急遽フランスに渡り、言葉も通じぬ中で真犯人を探し回る。
ひょんなことから知り合ったシングルマザーの女性と衝突しながらも協力し、米国とは異なる制度の中で弁護士に食い下がり、マルセイユで不良と渡り合い、執念の調査を続ける中で遂に真実への糸口をつかむのであった--。》

こりゃ、よくある星条旗を背負ったアメリカ人が他国フランスに殴り込みかけて暴れるというパターンではないか。しかも主役がマット・デイモン(ジェイソン・ボーンを想起せよ)とあってはなおさらである。見る気な~し<(`^´)>
--と決め込んでいたら「そういう話じゃない」という感想を幾つか読んだ。そして考えを変えて見ることにしたのだった。

主人公は建築現場で働いているが不況で仕事は少ない。そんな中でも彼は定期的にフランスへ出かけては、数年前から収監されている娘と面会する。差し入れをして洗濯物を受け取り、弁護士に事件調査の進展状況を聞く。
娘を救おうとする地道な繰り返しに男の性格がうかがえる。食前には必ず祈り、他人との会話では丁寧に「サー」と「マム」を付ける。

しかし一方でフランス語をあまり覚えようとはせず、アメフトがスポーツの頂点でありサッカーなど児戯に等しいと考えている。平均的な保守派白人男性であり、選挙では当然トランプに投票する。
娘はそもそもそのような父親に反発して、フランス留学に行ってしまったらしいのだ。

長くフランスにとどまるうちに彼は異文化と接さざるを得ない。
応援するチームが勝ったにもかかわらずサポーターが暴れて火をつけるサッカー場。移民が多く、恐ろしい暴力と敵意に満ちた港町マルセイユ👊こわっ(>y<;)
知り合ったシングルマザーの女性にしても、マイナー劇団の女優であり排外主義を憎むリベラルな人物である。米国にいたら接点は全くない人物だろう。

やがて物語は驚く展開を遂げる。男の意外な真の姿も露わになってくる--いや、意外なことはないのだ。それは事前に全てあらかじめ告げられていたことなのだから。

あらすじを思い返せば確かに紆余曲折波乱万丈なのだが、淡々と話が進んでいくので全くそういう印象はない。だから余計にしみる。
すべての原因が結局主人公に帰していくのは見ててつらい。結末の後に思い返すと目がショボショボしてしまう。
指折り数えて人生で得たものより失ったものの方が多くなったような年齢の人間には、さらに心に刺さるものがあるだろう。静かなる力作と言える。

監督は『スポットライト 世紀のスクープ』のトム・マッカーシー。私はこちらの方が気に入った。次作に期待である。
主役のマット・デイモンについては、実はこれほどうまい役者だとは思っていなかった(すいませんm(__)m)。普段言いなれない皮肉をシングルマザーに向かって言おうとする場面とか。
そのフランス女性を演じているのは『ハウス・オブ・グッチ』で「愛人」役だったカミーユ・コッタンである。あちらではパッとしなかったけど、ここでは溌溂と魅力的で別人のよう。
娘役のアビゲイル・ブレスリン、なんと『リトル・ミス・サンシャイン』のあの子役がすっかり大きくなって✨ 私も歳を取るはずだわなー(+o+)


感想書くのが遅れて、ドタバタしている間にソフトが出て配信にもなってしまった。反省である。

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2022年6月11日 (土)

「《ラ・ペッレグリーナ》のインテルメディオ」:指揮者も弾かずばいられぬメデタサよ

220611 アンサンブル・プリンチピ・ヴェネツィアーニを交えて
演奏:古楽アンサンブル・エクス・ノーヴォ
会場:台東区生涯学習センター・ミレニアムホール
2022年5月21日

福島康晴率いるエクス・ノーヴォ、コロナ禍のせいで定期公演はなんと2年半ぶり、東京文化会館での公演以来だそうだ。

当日に配られた非常に詳しくて読み応えのあるプログラムによると、『《ラ・ペッレグリーナ》のインテルメディオ』とは、メディチ家の当主フェルディナンド1世の結婚式(1589年)で上演された幕間のパフォーマンス作品である。
合唱はもちろん舞踏あり大掛かりな舞台装置ありということで、本編の芝居を超える豪華さだったという。
題材は主にギリシア神話で、音楽関係だけでも複数の作曲家が関わるという一大プロジェクトであったようだ。

この日の公演では6つのインテルメディオうち4つが演奏された。声楽12人、管弦含む器楽11人という布陣である。
実はこの曲、かつてウエルガス・アンサンブルの録音でよく聞いていた。ただ、あまりに壮麗で美し過ぎてスルスルと流れてしまい、心に引っ掛かる部分が少ないという印象だった。
しかしやはりナマで耳&目にすると全く違~う(!o!)

合唱部分は高揚感あふれ、それに対して独唱曲では個々の力量がいかんなく発揮されていた。左右に歌手が分かれてのエコー使った曲も効果抜群だ。
合間には器楽曲が挿入されて多彩な構成である。管楽器と弦楽器のアンサンブルは混然一体となって光を放っていた。特に中央でアクセントを入れる佐藤亜紀子のアーチリュートと笠原雅仁のテオルボは特筆ものだった。他の演奏者も複数の楽器を兼ねている人たちがいてご苦労さんである。

つい解説してしまう性分らしい福島氏によると、リラ・ダ・ブラッチョとリローネが共演するのは本邦初というのは驚いた。それにしてもリローネ……13本も弦があって調弦が大変ですね。
なんでも、この日の弦の総数188本とな(!o!)
さらに指揮者の斜め前にバロックギターがずっと置いてあって、どうするのかと思っていたら、ラストの「大公のバッロ」でやおら福島氏が手に取って弾き振りし始めたのだった。

久しぶりのコンサート、歌手も器楽も全体的に堂々とした高水準の演奏を聞かせてくれた。字幕が入ったのもありがたかった✨
なお次回11月は、この「インテルメディオ」を仕切ったカヴァリエーリの『魂と肉体の劇』を演出家入れてやるとのこと。
これは絶対に行かなくては、ですよ(^.^)b


会場は初めて行ったが、上野駅から歩いたらさすがに疲れた。
区の複合施設内にあって、図書館も休憩中にちょっと覗かせてもらった。キレイで使いやすそうだったが、複合施設に中央図書館を設置というのは収蔵スペースはどうなってるのかな、などと思ってしまった。まあ、23区だと土地の確保だけでもバカにならないだろうけど。

 

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2022年6月 9日 (木)

「シチリアを征服したクマ王国の物語」(字幕版):食われる前に騙れ

220609 監督:ロレンツォ・マトッティ
声の出演:レイラ・ベクティ
フランス・イタリア2019年

原作はイタリアの作家ブッツァーティの児童文学、フランス在住のイタリア人監督がアニメ化したものである(言語は仏語)。
見ればアッと驚くのはうけあい、とにかく物語も語り口も絵柄もぶっ飛んでいる。

町を回っては芝居を見せる旅芸人の老人と少女の二人組。一夜の寝床を求めて洞窟に入ると、巨大なクマが突如出現する。食われないために二人はクマが登場する持ちネタを必死で披露しようとする。
それは、クマの王の息子が人間にさらわれてしまい亡国の危機に陥る。そのため人間の支配するシチリアへと向かうという波乱万丈の物語だった。

独特の造形・色彩による自然描写に目を奪われる。全体のイメージもキリコのパロディあれば、戦争場面はロシア構成主義が元ネタだろうか。
雪玉を転がし幽霊と踊る。変なものが色々と登場し、イノシシ風船と化け猫には笑ってしまった。魔術師にシチリアの大公--人間も怪しいキャラに欠かない。
次々と起こる奇想天外⚡子どもが吹替版で見ればさぞ楽しいことだろう。

でも、お話の方は色々と含蓄がありそうで一筋縄ではいかぬ。語り手が変わると、当初予定されていた「本編」だけでは終わらない。語り方の巧みさが面白さを2割増ししているようだ。

後から知ったが、原作には少女(たち)は登場しないそうだ。また、後半の展開も映画のオリジナルらしい。どうりでなんとなく今どきのファンタジーぽい感じがした。
とはいえ、突飛な面白さは保証付き。82分という長さもちょうどよい。

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2022年6月 3日 (金)

「プリズン・サークル」

220603 著者:坂上香
岩波書店2022年

著者は犯罪者の更生プログラムを描く『ライファーズ』、元受刑者が参加するプロジェクトのドキュメンタリー『トークバック 沈黙を破る女たち』を作って来た監督である。
最新作の『プリズン・サークル』では日本の刑務所で唯一行われている犯罪者更生プログラムを取材した。これはその書籍版だ。雑誌「世界」に連載したものをさらに加筆している。

取材に至った経緯、行われたプログラムの詳細な内容、映画では入れられなかった個人の背景やその後、さらに他の研修生のエピソード、取材の困難さ(色々とあったらしい)も描かれている。
「映画」後の状況については、現在は当時のスタッフが去ってプログラムも縮小されてしまったそうな。ショックである(!o!) 残念の一言だ。

以前とある研究者がこの映画について「性犯罪者に対しても同じようなスタンスが取れるのか」とやや批判的な意見を述べていた。ここでは、映画に登場しなかった性犯罪者たちについても一章割かれている。(なぜ映画には登場させなかったか理由もあり)

また、エピローグの著者の「告白」には驚いた。表現者と現実との相克というようなものを感じた。生きることはつらい……などと思ってしまった。

この本を読めば映画のシーンが頭に浮かびあがると同時に、また別の情景が見える。小説と映像化の関係だけでなく、ノンフィクションにおいても文章には文章、映像には映像なりに描けるものがそれぞれに存在するのだと実感した。
映画を見てない人、見た人の双方にオススメである。

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