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2022年7月21日 (木)

「ゲルハルト・リヒター展」

220720a 会場:東京国立近代美術館
2022年6月7日~10月2日

今季話題の展覧会の一つには間違いないだろう。6月末に、暑かったけど素早く行ってきた。事前学習のために買った「ユリイカ」も「BT」もろくに読んでないままという無謀さである。
地下鉄の駅から美術館まで徒歩数分しかないのだが、この日はその距離でも全身の血液が沸騰しそうな猛暑だった。

会場配布のリーフレットには「順路はない」と書いてあるが、やはり入口に近い「アブストラクト・ペインティング」か連作「ビルケナウ」から見てしまうのは仕方ないだろう。
初期(1965年)の写真を元にした「モーターボート」のような古い作品もあるが、大半は2000年代に入ってからのものである。それでもかなりの多様性があり、70歳過ぎてからも相当精力的に制作し続けていたらしいのがよく分かる。
これではすべての年代を網羅した回顧展なぞやったら大変なことになりそうだ。

220720b 他には幾何学的な面を見せる「カラーチャート」シリーズと横長に超大な縞々「ストリップ」も目を引く。ラッカー塗料とガラス板から成る偶然の産物の「アラジン」、風景写真の絵葉書(?)に異化作用のように油絵具を塗った「オイル・オン・フォト」など--ずっと見ていくと絵の色や形よりも、その画材の質感こそが一番重要だと思えてくる。
しかしそれは印刷物や他のメディアを通してではなく、実物を見てみないと分からないものなのだ。

「アブストラクト~」で、ある部分はヘラでこそぎ取られ、またある部分は照明を反映してギラリンと輝く油絵具。チラシにも220720c 使われている「エラ」の絹の表面のような質感。ツルリとしたガラス絵。
それらは表象を超えて、あたかも材質こそが本質であるかのように見る者に迫ってくる。
そういえば、リヒターが鏡やガラスにこだわりを持った作品を作り続けているのも初めて知った。

そう考えると、どうとらえていいのか分からないのはやはり「ビルケナウ」である。
ユダヤ人収容所内をとらえた恐ろしい4枚の写真--といっても、物的にはモノクロのボケたスナップなのだが、作者が長年こだわり続け作品にしようとし、遂には全てを塗りこめてしまった4つの大作だ。
外見的には「アブストラクト~」の範疇に入るだろう(色彩の傾向は若干異なる)。しかし部屋の入口に写真が展示され、それを下敷きにして描かれたと解説してあれば見る者は当然4枚の絵画を凝視し、その悲惨な光景を必死で透かし見ようとするのは当然だ。
でも、それはできるはずがない。元の絵は完璧に塗りこめられているのだから。

さらに謎なのは、反対側の壁にその4作の完全原寸大写真コピー(ただし区切り線が入っている)を対置していることなのだ。
さきほど私は「材質こそが本質」と書いたが、ここでは当然オリジナルの材質感は完全に消去されツルリンとした表面となっている。
これはどういうことなのだろうか? すべての質感を消し去った先に何があるのか。

塗りこめられた過去の恐怖と、その物体としての存在感を消し去った写真コピー。そのはざまが「見る」という行為の意味を激しく問いかけてくる。
そして部屋の奥の薄暗い巨大なガラス(鏡?)が両者の間で戸惑ってウロウロとする鑑賞者の姿をぼんやりと映し出すのだった。

なおホロコーストを題材にした大作というと、キーファーの「マイスタージンガー」を思い出してしまった。「ビルケナウ」は抽象画だが、こちらはあくまで具象画である(とはいえかなり抽象度が高い)。しかし両者とも塗り込め度の執念はかなり似ている。
「マイスタージンガー」はタイトル以外の情報がないまま見たとしても何やら怖い。歌合戦の場面だろうと思って見てもやっぱりマジに怖い。

220720d そこに抽象と具象の差異があるのだろうか。🎵抽象と具象の間には深くて暗い河がある🎶と言ってよいのか。

所要時間は意外に短くて45分ぐらいで一回りできた。おかげで行ったり来たりして、「ビルケナウ」は三回も見てしまった。土日は混んでいるだろうから分からないが。9月あたりにもう一度見たい気もする。
だが入場料2200円⚡で「ユリイカ」、「BT」、図録と揃えたら、諭吉が一枚飛んでっちゃう。文化的生活を送るには金がかかるのであるよ(+o+)

なお、コレクション展の2階にもリヒターの小コーナーがあるのでお忘れなく。
同じフロアに会田誠や村上隆の昔の作品(日韓の女子高生が旗振ってる屏風と、タミヤのシリーズ)があってもはや「懐かしい」という感じだった。光陰矢の如しとはこのことだいっ。
常設展は冷房効き過ぎて、半袖では震え上がりそうだった。


ところで昔はよく買っていた「BT」誌、隔月刊だったのがこんどは季刊になっちゃうのを編集後記で知った。やはり雑誌メディアは厳しいのだな。
「芸術新潮」みたいに年に一度ヌード特集(さもなくば春画特集)やればよかったのかも💨

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