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2022年11月26日 (土)

「バビ・ヤール」:ご近所の虐殺

221126 監督:セルゲイ・ロズニツァ
オランダ・ウクライナ2021年

次々と新作を発表しているロズニツァ監督のドキュメンタリーがまた公開された。自国ウクライナが蒸し返されたくない歴史を記録映像だけで掘り起こした問題作だ。

第二次大戦中1941年、ソ連邦の一部であったウクライナ西部をドイツ軍が侵攻した(もっとも元々はポーランド領だったという複雑な経緯があるらしい)。キエフまで進軍する中で市民は熱烈歓迎し、スターリンの絵を引き裂いてヒトラーの肖像を掲げる。また将校たちを招いて歓迎イベントを開く。
その熱狂ぶりは様々な折に記録されており発掘映像が続くのだった。

ところがキエフで公共施設のビルの連続爆破事件が起こり多数の死傷者が出る。この爆発映像はかなりの迫力だ。実際は違うにもかかわらずユダヤ人の行なったテロとされ、直ちに在住するユダヤ人全員に出頭命令が下る。
その数、3万4千人弱。ドイツ軍の指揮下で近くの渓谷地帯に集められ銃殺された。バビ・ヤールとはその渓谷の名前である。
その手順は戦争捕虜に広大な溝を掘らせ、ユダヤ人を殺害して落として埋めるというものだった。

さすがに虐殺自体の映像はない。残るは前後の状況を撮ったスナップ写真のみである。よくよく考えたらそんな映像をわざわざ残しておくはずもないわな。急に静止画像になってしまうのがまた怖い。
映像の代わりに存在するのは目撃者の証言である。そして「ウクライナにユダヤ人はいない」という詩の一節が流れる。
問題はキエフの一般市民はそれを見過ごした--どころか進んで協力した者もいたらしいということだ。

ところが1943年再びソ連軍がドイツ勢を追い払いキエフに戻ってくる。すると市民は今度はヒトラーの写真やナチスのポスターを引きはがして歓迎するのであった……。

事前の情報ではユダヤ人虐殺事件が中心の作品かと思っていたら、かなりの時間を割いてソ連→ドイツ→ソ連と支配者が交代するたびに、手のひら返しの熱烈なエールを送る民衆の姿を容赦なく暴きだしている。
もっともウクライナに限らず日本だって敗戦時の墨塗り教科書事案などがあるので、あまり他人のことは言えないだろう。

それにしても戦闘にしろ破壊にしろ80年前と現在とほとんどやってることは変わらないのはどうしたことよ。
平原を渡る戦車、爆破されたビル、壊された橋、捕虜の列、民家を燃やし遺体を埋め、掘り返して葬りなおす。統治者が変われば旗を引きずり落とす。現在でも行われていることだ。
こういうことについて「進化」はないのか。

さらに戦後すぐにソ連によるこの事件の裁判が開かれ、捕虜のドイツ兵を含む証言者の映像が登場する。
続くは、被告の独軍人たちの公開処刑の一部始終である。万単位の市民が広場を埋めて興奮し見守る。なるほど公開の絞首刑とはこういう風に行うのかなどと興味深く見てしまう……場合じゃなーい(>O<) これまたショッキング過ぎる映像だ。
もしかしたらユダヤ人虐殺を内心は肯定していたかもしれない市民が、今度はその犯人たちの死刑に熱狂する光景はなんとも形容できない思いが浮かんでくる。

このドキュメンタリーで描かれてきたのは死、暴力、破壊である。
その最後のダメ押しというべきなのが、戦後に事件の現場である渓谷をそのまま産業廃棄物で埋め立ててしまったことだろう。このラストの光景も圧倒的である。

ウクライナ映画アカデミーから除名されてしまった(こちらに経緯あり)ロズニツァによる、まさに「非国民」的作品である。
なお作中に遺体が度々出てくるので苦手な人はご注意を。


ところで以前『ドストエフスキーと愛に生きる』というドキュメンタリー映画を見たことがある。その時には全くと言っていいほど理解できていなかった主人公の背景が、今回の紛争の報道で少しは分かったような気がした。
父親がスターリンの粛清により亡くなり、通訳となってドイツ軍と共にウクライナを去る--それがどういうことだったのか。
高校生たちに授業を行ったのは確かキエフの学校だったかな? 明るい瞳をした彼らはもう30代のはず。今、戦争で辛酸をなめている世代だろう(T_T)ウウウ

注-地名については本作での表記に従いました。

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