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2022年12月

2022年12月31日 (土)

カヴァリエーリ「魂と肉体の劇」:宗教的エンタメ劇

221231 演奏:古楽アンサンブル・エクス・ノーヴォ
会場:シアター・カイ
2022年11月5・6日

1600年というオペラ黎明期にローマで生まれた音楽劇を、演出家を入れて演劇用のホールで上演という画期的な公演である。私は二日目に行ったが、満員御礼だった。

内容はオペラ以前オラトリオ未満な対話歌劇とでも言ったらいいのだろうか、抽象的な概念が人格となって宗教&道徳問答を繰り返すというものだ。この公演で存在を初めて知った。
エクス・ノーヴォの前回公演『ラ・ペッレグリーナ』同様、録音よりも実演でないと面白さが分かりにくそうな内容である。

抽象的なキャラクターたちは二者で対話したりコーラスしたりで、ソロ自体は少ない。耳だけで聞くのと、目の前で演じられるのとではかなりイメージが異なるだろう。従って、「劇」に力点を置いた上演方針は吉と出た。

地上で「永遠の生命」か「現世での快楽」かと思い悩む「魂」と「肉体」のカップル。二人の前にそれぞれの立場から様々な者が説得に現れる。
ここが歌手の皆さんのパフォーマンスの見せどころ聞かせどころだ。
敵陣営の「快楽」トリオがやって来て踊りつつ、現世は良いとこ楽しいぜ~🎶と歌う。お茶目でカワイイ感じの振付に笑えました(^O^)/
さらに「現世」と「現世の命」カップルは、羽振りよさげなチャイニーズマフィアとその情婦風で派手にイチャイチャしながら出現し、この世での成功を約束する。

神のいる「天上」と対置されているのは「地獄」ではなく「現世」。ということは現世をそのまま生きれば地獄への道がセットになってついてくるということか。
こんなにも強調されているということは、実際には地上のご利益を追及する人々が多かったということだろう。
今も昔も同じですね⚡

そのような各種の誘惑を払いのけて神への信仰を固くゲットするのが三幕構成で描かれる。
楽譜には演出家としても活躍したカヴァリエーリの細かい指示が書かれているとのこと。そのような当時の上演のありようを想像させる演出とパフォーマンスだった。

多くの歌手は複数の役を掛け持ちで、コーラスしたり、踊りつつ歌ったりとご苦労さんです。見てて聞いて楽しかった🎵
会場は演劇用のホールなので当然音響はデッドなのだが、却って音や声がダイレクトに伝わり聞きやすい面もあった。器楽隊とは正反対にある座席に座ってしまったので、演奏中の姿がよく見えなかったのは残念だった(音はよく聞こえた)。

このようなレアな作品を見せて(聞かせて)もらってありがとうございました~ヽ(^o^)丿

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2022年12月25日 (日)

「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」:継ぐのは誰か?!主役・ヒーロー・王の三位一体

221225 監督:ライアン・クーグラー
出演:レティーシャ・ライト
米国2022年

「行った!見た!面白かった🌟」となった『ブラックパンサー』、その続編が紆余曲折の末、遂に来たっ。何が紆余曲折かというとコロナ禍もあるが、やはり主演のチャドウィック・ボーズマンが亡くなったことに尽きる。
あえて代役を立てることはせずに、シナリオを書き直したという--で、いきなり葬式の場面から始まるのだった。

主演俳優が死んだから演じていた役の方も死んだことになるとなれば、役柄の「後継者」問題も当然浮上。それも「ワカンダの王」と「ブラックパンサーというヒーロー」の二本立てだ。
そのためこの映画は虚実を超えて三つの「弔い」と「後継」が錯綜する羽目になってしまった。で、それがどうも裏目に出た感が……💦
前作のように「面白かった~ヽ(^o^)丿」とスッパリ楽しめないのは困ったもんである。なんか事前の期待が高くなりすぎちゃったせいもあるかなあ、というのが正直なところ。

新たに出現した「敵」は敵どころか本来は共に白人の植民地主義にさらされた過去を持つ。仲間同士で戦ってどうするよと思ってしまうが、同族嫌悪というヤツかしらん。
「あいつらは敵、お前は仲間のはずだろ、だから俺につけ」というのは昨今のロシア=ウクライナ情勢を想起させる。(脚本書いたのはずっと前だろうけど)
しかも海が舞台となって『○バター』か『○クアマン』か、みたいな光景が出てきてビックリだ。

160分もあるから内容のどこに注目するかは人それぞれ。だが、どの点を注目しても物足りない部分がある。
何よりもアクション映画として見てて今一つスッキリ感がない。前作ではあんなにカッコよかったオコエ姐さんも冴えなかったしな……(T_T)グスン
TVドラマシリーズのキャラクター(これから開始するのも含めて)が登場するのも、全く見ていない人間にとってはなんだかなあである。
唯一の得点ポイントはCNNのアンダーソン・クーパーが特出したことぐらいか(*^▽^*)


取りあえず幾つかの注目点の中で後継問題を考えてみた。すなわち「主役」「ヒーロー」「王」の「身体」と「地位」についてだ。


★注意!以下はネタバレモードになります★


★自己責任で読んでください(^^ゞ★


まず「主役」-上に書いた通り代役を立てることをせず脚本を変更した。つまりC・ボーズマンの「身体」はこのシリーズおいて交代不可能であり、「後継」は存在しないとしたのだ。

次に「ヒーロー」-妹のシュリがブラックパンサーを襲名したわけだが、これは「妹」だからなのか、科学者として薬草を再生できたからなのか判然としない。
他のヒーローものを合わせて見てみると、「二代目」とか「三代目」が当たり前のように登場する。
その身体はスーツや薬物、装置などで補強可能であり唯一無二のものではないようだ。つまり後継者はいずこからか出現するように思える。

最後に「王」-ワカンダの王は何もなければ血統で引き継がれるけど、各部族から挑戦者が現れた場合はタイマンで決める……ということでいいのかな(^^?
他の人の感想で「なんで王の座を原始的な決闘で決めるのか」というのを複数見かけた。確かに科学技術が発達したワカンダのイメージにそぐわない。(ただし今回、伝統を重視し過ぎて旧弊だという設定が出てきたが)
肝心な王位を非近代的な(に見える)力ずくの決闘によって決めるということは、逆に言えば血統よりも個人の身体性を重視していることでもある。

「主役」唯一無二の身体。代替不可能ゆえ後継者なし。
「ヒーロー」自薦他薦にしろ後継者は出現。身体性は引き継がれる。
「王」血統より身体優先で決定。
全てのレベルで身体が重視されていることになる。
逆から見れば「主役」を殴り合って決められないからこそ、ボーズマンの代役は立てられなかったのである。
ということで、この三者は現実と虚構を飛び越えてゴッチャになって、互いにねじり合い絡み合っているのだ。

さてここで作中に戻って、問題なのはシュリはヒーローはやる気があるけど王はやる気なしで放棄したいようだ。(ラストのエムバクの言動だとそうなるよね)
となると、エンドクレジットの途中で登場するあのシーンが大変だ~⚡
先々代の王に隠し子が(!o!) しかもお子ちゃまだけどなんだか王様やる気満々。どうするシュリよ。てな感じで、次はお家騒動になるのか。さらにはブラックパンサー襲名問題まで発展するのだろうか。

なんにせよ、段々とどうでもいい感が増してくるのであったよ(ーー;)

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2022年12月15日 (木)

「奇跡の丘」「アポロンの地獄」:ハードディスクの底をさらって駆け込み鑑賞、パゾリーニ生誕100年記念イヤー終了直前

かなり前に録画したまま放ったままにしておいたパゾリーニの『王女メディア』『テオレマ』を、今年が記念イヤーということで発掘して感想を書いてから、はや数か月経過。
まだ残っているのではないかと探してみたらなんと2作もありました❗❗(というか、さっさと見ろよって話ですね)
ということで今年が終わる前に鑑賞&感想であります。

「奇跡の丘」
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演:エンリケ・イラゾクイ
イタリア・フランス1964年

パゾリーニと言ったらバリバリの共産主義者とのことだが、なのになぜ新約聖書からキリストさんの伝記を映画化するのか--と、見てみれば納得。原始キリスト教といいましょうか、ひたすら素朴で簡素な味わいあり。
旧弊な秩序と伝統に反抗し、貧しい民衆のために説教して歩くイエスと弟子たちの姿が率直に描かれている。

演じるのは全て素人、淡々と描かれる荒野の生活(この頃から荒野が好きだったのね)。背景に流れるはバッハの曲、かと思えば黒人霊歌と時代と地域を無視した選曲手法もこの頃からなのだった。
イエス役の青年も相当にインパクトありだが、一番迫力なのは若い聖母マリア役。美人だけど眼差しが強烈だ。ヨセフがタジタジしてしまうのも当然であろう。
なお年老いたマリア役はパゾリーニの母親が演じている(監督も共にしっかり出演)。

奇跡も描かれるが説教の場面に結構比重が置かれているので、睡眠不足の時は避けた方がいいだろう。


「アポロンの地獄」
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演:フランコ・チッティ、シルヴァーナ・マンガーノ
イタリア1967年

『王女メディア』より2年前、同様の手法でギリシャ悲劇『オイディプス王』と、その元となった神話をを映画化したものである。

不吉な神託が出た赤ん坊を殺すために山の中へ……という神話の発端から、王宮内を除いてほとんどが荒野を舞台に展開する(ロケ地はモロッコとのこと)。
成人したオイディプスが再び神託を受けに向かう神殿は、砂漠の中に立っている数本の樹でしかない。またスフィンクスは岩山にいる仮面を付けた男で、謎かけ問答もなしに死んでしまう。
などなど筋立ては神話に沿っていても相当にぶっ飛んだものだ。

やはりここでも音楽は日本の神楽やらケチャやら最後はモーツァルトまで使われている。
衣装は太い糸でザックリ編んだような長衣で、仮面や帽子は世界各地のものを集めたのだろうと思われる変なものがたくさん登場する。いずれも強烈なパワーを発している。

しかし問題はプロローグとエピローグだ。冒頭、第一次大戦後のイタリアとおぼしき所で赤ん坊連れの裕福な夫人が若い将校と浮気しているような場面が描かれる。一方、ラストはオイディプスが放浪する地はまさに映画が撮られている時点での「現在」のイタリアで、冒頭の場所に戻ってくる。
時代や境遇はパゾリーニ自身と合致していて、この映画が「パゾリーニの個人的願望を描いたものだ」と評されるゆえんだ。
つまり、超マザコン……(◎_◎;)

しかしそんな事情をさっぴいても、神話部分は面白い。あまりの野蛮さに見ていてドキドキしてしまう💫 彼が荒野の中の道で出会った「老人」を殺害する場面でのドタバタぶりは見ものだろう。
兵士の鎧や兜は変な形で手作り感が横溢している。特に主人公がぶら下げている剣はどう見てもトタン板をぶっ叩いて作ったとしか見えない。

野蛮🔥野蛮💥 洗練さのかけらもねえ~~(>O<)とはこのことだいっ🌊

と、スクリーンからあふれ出んばかりの怒涛のパワーに思わず興奮である。
ということでハードディスクの底をさらっただけの価値はあった。さすがにもうパゾリーニ作品は残っていないようだが。

ところで終盤での王妃の全裸、あれはいくらなんでも本物のシルヴァーナ・マンガーノじゃなくて、いわゆるボディダブルというやつだよね。思わずボタン押して静止画面でガン見してしまった👀

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2022年12月 6日 (火)

ヘンデル「シッラ」:英雄が来ては溺れる海辺かな

221205 演出:彌勒忠史
演奏:ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ
会場:神奈川県立音楽堂
2022年10月29日・30日
10/29

ヘンデル先生ばかりがなぜモテる💖な今シーズンでありますが、この公演もコロナ禍で2年以上待たされたものだ。
無料配布の「神奈川芸術プレス」というPR誌があって2019年10・11月号にビオンディのインタビューが載っていて、上演予定が2020年2月末からになっている。同じ冊子の中の記事を読んでやなぎみわのパフォーマンスを見に行ったのがもう大昔のように思えるぐらいだ。

私は29日公演の方に行った。神奈川県立音楽堂は5年ぶりだった。あまりに久しぶりにステージを眺めてこんなに狭かったっけ👀と改めて驚いた。これでは少しでも大きな舞台装置を入れるような演出は不可能だろう。
となると、演出家の腕の見せ所となるわけですね……(^^)

美術や衣装は歌舞伎調を取り入れていた。ズボン役(ハカマ役?)は隈取もして、衣装のおかげで小柄な女性でも体格カバーできるのが効果的だった。女性役も含めて歌手の方々はきれいなキモノを着て心なしか嬉しそう。
ただ全体的にはなんとなく外国人観光客にウケそうな「ナンチャッテ日本」ぽい感が否めずであった。

本作は上演記録がなく、さらにヘンデル先生にしては時間が短いとのことで、劇場ではなくマイナーな場所でこそっと上演されたかもしれないそうな。
ストーリーは「英雄色と権力を好む」そのままの将軍が周囲をひっかきまわして迷惑をかけるというもの。

音楽面は充実の一言。エウローパ・ガランテは演奏では全く文句はなく、ビオンディは過去の同じ会場でのオペラ上演と同様に弾き振りしながら弓を指揮棒代わりに振り回していた。
チェンバロ、チェロ、テオルボについてはやはりバロックでは芯でありキモとなる楽器なのだ、というのがダイレクトに伝わってきた。

歌手の方は錚々たるメンツ--なのだが、オペラにうとい私はあまり知識なく(^^;ゞ
でも、冒頭シッラ役ソニア・プリナ、続いてレピド役ヴィヴィカ・ジュノーのアリアの連続波状攻撃に「キタ~ッ⚡」という衝撃が押し寄せたのは間違いない。その後もいろいろと聞きごたえあり過ぎであった。
特にレピド&フラヴィア(ジュノー&インヴェルニッツィ)の「夫婦」デュエットには大いに泣けた。

演出面はステージが狭くてもうまくやっていたと思った。ただ、事前のプレトークで構造上ろくに装置が使えないとか、仕方なくプロジェクション・マッピングで、などと言い訳を先にするのはどうなのよ。デウス・エクス・マキナだって別に上からじゃなくて、どこからどんな風に出てこようと工夫次第ではないのか。
狭い舞台と言えば東京文化会館の小ホールだって相当なものだが、あそこでもちゃんとヘンデルのオペラを上演している(『デイダミーア』『アリオダンテ』)。……まあ、当時の上演形式なので振りを付けて出たり引っ込んだりするだけとはいえ。

ところで神様の代わりにラストに女性ダンサーたちが上から布を伝って降りてきたのだが、左側の人が急降下し過ぎでまるで落下してるように見えた。私の周囲の客席からは悲鳴が上がったんだけど、あれわざとじゃなかったのかな?? 事故になったら大変なところだった。

和風テイストの演出や美術のバロックオペラについては過去にも存在している。しかし今回「和服着てあの歩き方はない」などと非難が起こった(特に歌舞伎ファンはキビシイね)。
が、見てて正直これは日本国内より海外での方がウケると思った。今の時代「ナンチャッテ日本」を海外の演出家がやれば「文化盗用」と言われそうだが、日本人がやるなら問題なしだ(多分)。
そしてNHKのカメラが入っているのを見て、これ収録して海外向けに売るつもりかなあなどとうがった見方をしてしまった私を許してチョーダイ。
ともあれ、演出の評価がどうであろうと見て聴いて満足できたのは確か。簡単に比較はできないけど、チケット代も新国ヘンデルの約半額だしな💸

なお、NHK-BSで1月に放映があるということとトランペット奏者の交代があったというお知らせは、もっと目立つところに何枚も掲示してほしかった。全く気付かなかった(;一_一)


来年はBCJが『ジュリオ・チェーザレ』をやると決まっている。しかも先日、新国でタイトルロールやってたキーラントが今度はコーネリアとな。さらにトロメーオだった藤木大地がニレーノだ。
この演目ばかり人気があるのはなぜだっ(?_?) とはいえティム・ミードのチェーザレは見て(聞いて)みたいのう。

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2022年12月 1日 (木)

「古楽系コンサート情報」12月分更新

「古楽系コンサート情報」12月分(東京近辺)更新しました。
左のサイドバーにもリンクあります。ライヴ配信などは入っていません。

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