「「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで」
意外な視点から見た刺激的な日本近代音楽史である。
なぜ日本のポピュラー音楽では「未熟さ」が愛好され支持されるのか。レコード産業の誕生・発達と密接にかかわるこの流れを童謡、宝塚、ナベプロ、ジャニーズ、グループ・サウンズ、スター誕生に始まるオーディション番組……とたどっていく。
その共通点は、第一次大戦後に都市部を中心に形成された近代家族をターゲットにしていること。その茶の間では子どもの存在が大きく「子ども文化」が次々と消費される。そこは音楽ファンやマニアではなく「女・子ども」の世界である。
歌い手側は養成機関として「寄宿学校」形式を取り「卒業」を前提とする(「高校野球」との類似に注目せよ)。一方、人々は歌い手の未熟さを前提にした「成長」をメディアを通し見守り楽しむのだ。
それらは既存の音楽の枠組みを崩し、新たなメディアや産業構造を生み出していく起爆剤でもある。レコード、ラジオ、テレビ、楽譜、雑誌、大劇場……など。そして茶の間と音楽の関係を展開させていく。
そも、このようなシステムがなぜ出来上がったのか? その理由も解き明かされている。
大正~戦前の童謡、宝塚の形成については全く知らなかったので特に面白かった。そもそも童謡がそれほど人気があったというのが驚きだ。また「家庭音楽」(家庭団らんで楽しむためと喧伝された西洋音楽)という存在も初めて知った。
グループサウンズのメルヘンチックな歌詞は童謡の系譜を引き継いでいたというのは衝撃である。
宝塚が「未熟」というのは今の状況だと想像がつかないが、昔は「お嬢さん」として卒業退団したら家庭に入るというのが通常だったらしい。
当然、秋元康についての論考も読みたいところだが、頁数の関係だろうか、その時代へ行きつかずピンク・レディーで終わっている。残念である。
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