「フェイブルマンズ」:夫婦は互いを選べても子どもは親を選べない--ナンチャッテ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ガブリエル・ラベル、ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ
米国2022年
最初は「ロードショーじゃなくて後で見ればいいか」と思っていた。しかしツイッターの感想では『EEAAO』より好評が多かったので行くことにした次第。
宣伝などからの想像すると「子どもの頃から映画愛炸裂🌟バンザイ」みたいな印象だが、実際見てみるとかなり違っていた。むしろ映画の「罪と罰」ならぬ「罪と呪い」みたいな内容だった。どうとらえたらいいのか困る作品である。
そもそもスピルバーグの自伝的作品として喧伝されていて、大雑把に三つのパートに別れている。
(1)映画との出会い編:破壊シーンで映画に目覚める。
(2)予期せぬ応用編:映画によって知りたくなかった両親の秘密が暴き出される。
(3)実践編:映画で現実ではない幻想を作り上げる。
--というものだ。さらにおまけのように結末のシーン(J・フォード出現)が付いてくる。
既に指摘されているように「フェイブル」という名前自体がどうもアヤシイ。「寓話」一家である。果たして現実の「自伝」度はどれほどだろう。
両親にカメラを与えられ夢中になるまでは良かった。しかし家政婦ならぬ「カメラは見た!」、知りたくなかった家族のヒミツが浮上である。こりゃ呪いじゃ~👻
『EEAAO』同様、こちらも母親(対照的だけど)が問題だ。そもそもピアニストで芸術家肌、キレイな爪のために食器は洗わず、使い捨てにする。
こんな人が母だったら素敵で楽しい……というより付き合うのは大変だと思う。一方で、自分の母親(祖母)に邪魔されて思い通りの人生を送れなかったとか(--〆)
主人公は長男で母を熱愛しているわけだが、もし娘だったらどう感じるか。妹たちは側に存在しているが、感情や主張の描写は割り合いスルーされている。
母親役のミシェル・ウィリアムズはオスカー候補になったが、父のポール・ダノの演技も良かった。特に終盤で写真を眺める場面や、外見がほとんど変わらないのに微妙に段々とフケていく様子とか。
完全な理系脳、優しいけれど面白みがない、でも妻には惚れている男が浮かび上がってくる。
カメラの「呪い」のにより中断していた映画制作を、卒業旅行のドキュメンタリーを撮ることで再開する。ここが人によって解釈が分かれる箇所である。
完成した映画はとある人物を中心にして撮影編集されている。その理由を主人公がリーフェンシュタール風の身体美につい引きつけられてしまったという説あれば、仲良くしたいと(ヨイショして)作ったと単純に考えることもできる。
しかし、私は主人公の復讐説を取りたい。
過去にボーイスカウト時代に作った西部劇では友人の一人を保安官役にしてヒーローとしてカッコよく見せた。恐らく現実にはあまりパッとしない子だったのではないか。周囲は本人をよく知っているから微笑ましく見ていた。
今度はその手法を逆にして、本人の実像をねじ曲げて映画内のキャラクターの方を周囲に信じ込ませた。作られた表層的で単純なキャラクターを、である。そのようにして復讐を行なったのだろう。
第3段階ではこのように映画の恐ろしさが描かれている。
しかし次に後日譚のように巨匠との遭遇エピソードが描かれ、さらにその後の最後の最後に何やら変なシーンが出現するのだ。
これは……どう見ても「ナ~ンチャッテ💨」ではないか。全ての信憑性を揺るがし、それまでマジメに見ていたのがバカらしくなるラストである。
というように151分があっという間に過ぎていったが、見てて「面白い!」とも「好き」とも言えず、困ったもんだった。どうも近年のスピルバーグ見るといつもこういう感じなのだ。
それと、スピルバーグの映画って社会派だろうが特撮エンタメものだろうが、主役が誰であろうと結局は「男の子映画」なんだよなー。これもやはりそういう印象。
オスカー助演賞ノミネートされたジャド・ハーシュ、いくらなんでもあまりに出演時間短すぎよ(^_^メ)
| 固定リンク | 1