「アメリカン・エピック」:歌えば歴史の音がする
1920年代後半に米国各地での民衆の音楽の録音が残されていた。それを今たどり直す全4回のドキュメンタリーである。
映画館のスケジュールの関係で私は3・4→1・2の順番で分割鑑賞した。さすがに1日に4作まとめて見るのは無理無理🆖
当時の最先端の音楽メディアはラジオ。その流行に対抗してレコード会社は新開発の録音機を運んで米国各地を回り演奏者を発掘し録音したのである。マイク一本のみの一発録りで、そこには多様な音楽の歴史が全て詰まっている。
いずれも演奏者たちの子孫や関係者が登場して、録音の中だけではない実在の人物としての息吹きを伝える。
「1」はアパラチアの山奥から現れた「カントリーの祖」(でいいのか?)カーター・ファミリー、黒人街から生まれたメンフィス・ジャグ・バンドを扱っている。
カーター・ファミリーは後年活躍したが、元々は夫婦と妻のいとこによって始まった。録音のオーディションに車で一日がかりで行ったという、まさにド田舎のヒルビリー出身と言える。
後者は金がないのでフィドル以外は手作り楽器を使う。パーカッションは洗濯板だ。ドラム缶とロープ❗でできた一本弦のベースには驚いた。
管楽器は大きなビンを代用し(だから「ジャグ」なのか)その口に吹き込む息の強さと唇の動きだけで演奏する。見てて思ったのだが、もしかして彼らならナチュラルトランペットも楽々演奏できるのでは(!o!)
「2」アトランタの教会の牧師、炭鉱の採掘人、綿花摘み労働者が登場する。音楽と生活の密接なかかわり、というより苦しい生活の中で音楽が唯一の彩りだったことをヒシと感じさせるエピソードが続く。
レコードが出たと言っても数回録音しただけでそのまま忘れ去られた者もいる。炭鉱夫の一人の息子は父親がレコードを出したことさえ全く知らなかったという。
しかし人は死んでも曲は残る。楽譜がフォークの歌集に収められ数十年後に復活したという話にはしみじみとしてしまった。
綿花畑で働いていたチャーリー・パトンは写真は一枚しか残っていないが、ハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソンなどそうそうたる面子の後輩たちにギターや歌を教えたことで名前が後世まで残っている。
最後に現れたブルースじいさん3人組(90歳超)には笑ってしまった(*^▽^*) ブルース歌うには畑仕事でロバを追い立てる大声が必要なそうな👄
「3」はハワイアンやケイジャン、メキシカンなど様々な民族音楽を紹介している。
先住民が国会議事堂前で「秘儀」を披露する映像には驚いた。あえて衆目にさらしたのは儀式を行う権利を保障する国会決議のためだという。
ハワイアンのパートではスティール・ギター誕生のエピソードも紹介。
また録音後、数十年間忘れ去られていたミシシッピ・ジョン・ハート「復活」のエピソードは感動--というより数奇な運命に驚くのみだ。
「4」は消失していた当時使われた録音機を修復・再現し、それを使って現在のミュージシャンたちに収録曲を再演してもらうというプロジェクトの記録である。
とはいっても、必ずしも同じ曲とは限らない。30年代の曲や伝統曲、さらにはオリジナルもあり、アレンジは現代的でエレキ楽器も使用している。しかしある種の古楽的アプローチであるともいえるだろう。
録音機はベルトに下げた重りが床に届く数分間だけ機械が回るという仕組みで驚いた。途中でベルトが切れてしまうというアクシデントが発生💥 プロデューサー役のJ・ホワイトが急きょベルトをミシンで縫ったのだが、その手際が良くて--普段から自分で洋裁やってるのかな(^^?と思ってしまった。
最年長(?)ウィリー・ネルソンからリアノン・ギデンズなど、さらにはエルトン・ジョン(&バーニー・トーピン)が登場。完全一発録りとはいえ、粗削りで活力ある遠い昔のサウンドが耳と心に染みてくるのであった。
もっともベックがゴスペルグループと録音する場面は音量のバランスが取れなくて四苦八苦していた。
本当は「4」を見るつもりはなかったのだが、「3」を見てしまうとやはり見ざるを得ない。同じことを感じた人がやはりいるようだった。朝の「1」からずっと見続けていたらしい中高年女性客がいて、ドリンク注文しながら「ここまで見たら止めるわけには行かなくて」とスタッフにぼやいていた。
音楽の膨大な広がりと繋がりを感じさせる見ごたえありのドキュメンタリーだった。米国音楽ファンはもちろんオーディオ・ファンにも鑑賞をオススメしたい。
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