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2023年8月24日 (木)

「TAR/ター」:立てば指揮座れば作曲歩く姿はハラスメント

230824 監督:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット
米国2022年

今年度上半期最大の話題作・問題作なのは間違いなし⚡
ケイト・ブランシェットが、ベルリン・フィル初の女性主席指揮者にして同性愛者、激しい権力志向、セクハラ、パワハラ当たり前という特異な人物を、事前の予想を遥かに超えて見事に体現していた。主人公の秀でた才能(と実は必死の努力も)と共に尊大さ、卑賎さを容赦なく描き出している。
彼女の個人芸をみっちり見せられたという感があり、もう頭からしっぽまでケイト様がギュギュッ🈵と詰まっていると言ってよい。

人事権を振り回し、能力無視でお気に入り奏者をえこひいき、専横のナタで一刀両断、小学生に対しても手心は加えず。返す刀で「差別野郎のバッハの音楽は聞かない」という学生を厳しく問い詰めてとことんやり込める。

だが一筋縄にはいかない。映画としては持って回ったようないわくありげなシーン続出、どうも鼻をつままれたような気分だ。そもそも常に彼女を隠し撮りしているのは誰だ? ラインで悪口書き合っている二人も誰かは明確でない。演出脚本編集映像、何一つそのままには受け取れぬ。頭が混乱してくる。
一体どう見たらいいのか(◎_◎;) そもそも一回見ただけでは分からない(一瞬で通り過ぎる場面が重要だったり)箇所が多数というのもなんだかなー。

ホラーっぽいのも余計に混乱に拍車をかける。幽霊やら怪奇現象が主人公の混乱による幻影でなくて、実際に出没しているという設定ならもはや何でもありだ。
そのせいか、人によって解釈が様々に分かれる。いや、見た人の数だけ解釈はあると言っていいだろう。

そもそも敵が多いうえに、栄光の極みでキャンセルカルチャーがらみで失脚する。その没落後の描写に結構時間をかけているのに驚いた。これが鼻持ちならない横暴な中年男だったらラストシーンは皮肉だと思えるが、ブランシェット扮する主人公はあまりに魅力的なのもあって、どん底を脱した前向きな結末に見える。

ラストをアジア蔑視、ゲーム音楽差別と見る人も多いようだ。しかし、それまでを思い返してみると指揮者と演奏家(あと作曲家も)の中だけで展開して「聴衆」は登場しない。なにせ冒頭のインタビューで「リハーサルですべて完成してしまう」と語っているぐらいだから、本番の演奏で聴衆がどう反応しようと関係はないのだ。
作曲家-指揮者-演奏家で成立する閉ざされたサークル--しかしラストで初めて聴衆が登場するということは、主人公にとって新たなフェーズに入ったことを示している。過去の因縁の堆積、栄光と失敗の歴史などからほぼ逸脱しているジャンルと聴衆だからこそ新しい未来は可能となる🌟と思えた。

変な映画に違いないが面白かったのは確か。158分もあっという間だ💨 ただトッド・フィールド監督の作品は初めて見たが、他のも見たいという気にはあまりならなかったりして……。
ケイト・ブランシェットは実際にオーケストラを指揮したり、バッハをピアノで弾きながら講釈したりと驚くべき役作り。さらにほぼ画面に出ずっぱりだが全く飽きさせない。
最終的にアカデミー主演女優賞を取り損ねた問題については、たとえ神技に近い怪演といえどアカデミー賞の性格上、投票者が「ケイトはもう既に貰ってるし、これからもまたチャンスがあるはず」と考えてミシェル・ヨーに投じても仕方ないなと思う。私だってそうしたかも。

また、クラシック音楽についてのウンチク話や議論がかなり多かった。指揮者論に始まり、音楽と時間の関係、過去の作曲家についてなどやたらと長く語られる。クラシックファンが食いつきそうな内容なのだが、燃え上がっているのは映画ファンの方が圧倒的に多かったのは不思議だ。
クラシック音楽業界の歴史というかゴシップというか、あまり詳しくないのでこちらのブログ評はかなり参考になった。過去の指揮者の因縁、レコード蹴っ飛ばし場面の意味、英国音楽は下に見られている、などなど。

そして問題の「バッハは20人も子どもを産ませた差別主義者だから作品を聞かない」である。まあ、わざと分かりやすくバカバカしい例を選んだのだろうと思うけど(^^;
この発言した学生への攻撃を主人公はやり過ぎだという意見を幾つも見たが、冗談ではない。私だったら廊下の端まで投げ飛ばしてやる~(`´メ)
バッハ先生の名誉のために、同時代作曲家の子どもの数を調べてみた。正直言って作品数はあるが実際の子どもについては記述のないものが多い。

テレマン10人、ドメニコ・スカルラッティとブクステフーデ5人、シュッツとラインケン2人。ヘンデルは諜報活動にいそしんでいたためか0人、あとヴィヴァルディもなし--って一応カトリックの司祭だから当たり前か。
ということでバッハの20人はさすがに多いという結論になる。もっとも最初の奥さんと添い遂げてたらこんなに多くはなかったと思うが。
そんなことを言ったら、今の世に8人目の子どもができたと発表したジョンソン元英首相はどうなる。ミック・ジャガーも8人いるらしいがあくまで公称で、はて実際は😑

それと現在だって子どもが多くても犯罪にはならない。一方、ジェズアルドなんか浮気した妻と相手の男とついでに自分の子どもまで殺害している。現在の日本の基準で言えば死刑間違いなし(゚д゚)! でもジェズアルド作品は普通に聞かれてるよねー。


今回他の人の解釈を知りたくて色々と検索したが、文章よりYouTubeでの動画投稿で語っている人が遥かに多いのに驚いた。米国からスクリプト取り寄せてまで分析している人がいたり。
もはやテキストベースで周回遅れで映画の感想書いている時代ではないのね(+o+)トホホ 自らの無知を反省である。

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