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2023年9月15日 (金)

見たら今イチだった! 世評は当てにならない映画その2:「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

監督:サラ・ポーリー
出演:ルーニー・マーラ
米国2022年

事前に伝わって来た評判がよくても実際見てみたら、自分にはどうもなあ~という案件の続きです。

オスカー脚色賞受賞作。一言で言えば見ててしんどい内容だった。最近見た中では『対峙』に似ていた。閉ざされた場所で限定された人々の対話だけで話が進む。しかも苦しく暴力的な事件が発端だ。役者の技量が試される。

予想よりも遥かに抽象的哲学的な議論が続くので驚いた。しかも根底に流れるキリスト教信仰。理解するのがハードである。字幕を見ていて頭が追い付かない。老化脳だからかしらん(^^;ゞ
しかも昨今のフェミニズムの議論が見事に凝縮されている。なぜフェミニズムを嫌う女がいるのかも明らかにする。

教育、特に文字を読み書きすることは重要であるのを実感した。見ていて思い浮かぶのは、女子の教育機会を与えない一部の国々、『侍女の物語』、山下和美の『ランド』(これは女子に限らないが)。
しかし、彼女たちは話し合いによって最後に自らの行くべき道を選択したのである。

--と、最初は評価した。しかし時間が経って後から考えると思考実験的な設定が大きくて現実性には欠けるような印象だ。元々の「男たちの犯罪」は実話であるとのこと。ただ、その後の設定と展開自体はかなり仮構的なものだ。
男たちは一人を残してなぜか?全員出かけてしまい、女たちだけでどうするか三つの方針に投票が行われる。多数決で決まるのかと思ったら、結局それぞれの意見を代表する3家族がなぜか❔納屋にこもって話し合うのだという。ところがその中の一つの家族は早々に離脱してしまう。なんで❓と巨大なハテナ印が浮かぶのは仕方ないだろう。

思考実験の枠の中で、女たちは読み書きができなくとも意見を主張し高度な抽象的議論を戦わし、他の助けを借りずに独自に結論に至れる、ということをこの映画は示したかったのだろう。
また、それを横から口を挟んだりせず黙って見守ることのできる男が存在することも、である。

しかし、現実には『侍女の物語』のリディア小母みたいな人物が複数いて、女同士で最初から抑圧してきそうだ。若い子や弱った年寄りは一言も喋れない。
高度な議論が可能かどうかは、一応教養ある人々の間で日々SNSで行われている論争のレベルを見よと言いたくなる。
果たして、本当に書記係のような男がいるのかどうか? そりゃ一万人に1人ぐらいはいるだろう。
……などと言っても仕方ないことではあるな( -o-) sigh...

某有名曲が異物の如く作中に闖入してきたのには驚いた。これは良かった点だ。『アフターサン』の監督はこういう使い方を見習ってほしい。
エンドロールでは歌詞の字幕を付けてほしかったぞ(~o~)

最後に書記係のオーガストかわいそうなどと思ってしまった。ベン・ウィショー、泣き顔の似合う男だぜっ😢
画面がモノクロっぽくて暗いのはわざとやってるのかな。映画館以外で見たら何が映っているかよく分からなかったりして。

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