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2024年4月

2024年4月27日 (土)

「奏で手のヌフレツン」

240427 著者:酉島伝法
河出書房新社2023年

この作者の本は以前『皆勤の徒』(短編集)を読んだが、タイトル作は非常に読みにくい作品だった。そのせいか結局感想を書けずに終わった。
本作はそれに次ぐくらいに読み進めにくい長編である。

恐らくは、閉ざされた球体の内側の表面(裏面?)に築かれた世界に人々が暮らしている。
その中のとある家族の年代記--といっても単為生殖し苦痛を教義として信仰する生命体なのだ。外見は細かくはどのようなものか分からない。一応、人類と同じようではある。

その球体には五つの町がある。5個の太陽がめぐり、選ばれた人々の108本の脚によって支えられ宙を進んでいく。それをコントロールするのは音楽--らしいのだがこれまたどうなってるのか正直分からない。

読みにくいというのは、文中に使用されている形容の単語が三重ぐらいに表象を裏切っているからだ。それは脳内にイメージを直接築くのを妨げる。

例えば煩悩蟹(ぼんのうがに)、節苦(せっく)、爛蛋(らんたん)、焙音璃(ばいおんり=楽器)といった奇妙な名称があふれている。それだけでない。「彗星」とはこの世界で「馬」の役割を役割を果たす生物で、その外見は大きな甲虫でありロープを伝って上下移動もするのだ。
しかし読むとどうしても「彗星」のイメージが浮かんで邪魔されてしまう。

なぜこのような異様な世界になったのか。どうも過去に何か罪悪と災厄が起こったためらしいことが匂わされている。
そうなると生活がいかにかけ離れているようでも、もしかしたらこれは人類の一部が行き着いた未来の姿なのかもと疑ってしまう。

そんな中、終末の予兆が起こる……。これは一度破滅しかけた世界が再生へと向かう力業の物語である。

難点は一族の中で歴代の主人公となる者たちが性格の違いがなくて、みな同じように思えることだ。しかも登場人物みんな名前が4~6文字の似たような語感のカタカナになってて区別が付けられねえ~( ̄д ̄)
あ、でも単為生殖だからそれでいいのか(^O^;) でもきょうだいの違いはあるんだよねえ。

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2024年4月22日 (月)

「大塚直哉レクチャー・コンサート J.S.バッハの楽器博物館」:遺産目録は語る

240421a 会場:埼玉会館小ホール
2024年2月11日

すでに長く続いているこのシリーズ、さい芸が休館中なので臨時に会場を移しての開催2回目だった。(前回はこちら
今回はなんと鍵盤4種(オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、ヴァージナル)が出動。さらにバッハ作中に登場するオーボエ、リュート&テオルボ、ガンバに焦点を当てた企画だった。
舞台にずらりと各種楽器が並ぶ光景は確かに「博物館」に違いなくて壮観である。

最初に大塚氏が鍵盤をそれぞれ弾いて、バッハの遺品目録から楽器の項目を解説した。鍵盤と弦楽器ばかりでなぜか管は一つもなしだった。
その後にまずリュート(佐藤亜紀子)の登場。どうもバッハ先生は自分で弾かずに家ではしまいこんでいたらしいとのこと。そのせいか「前奏曲、フーガとアレグロ」のフーガは非常~に弾くのが大変そうだった(◎_◎;) 弾かないで作曲したから? なおテオルボ、バロックギターも紹介。

次は作品内ではフルートよりも多く使われているというオーボエ(尾﨑温子)である。種類が多く、リードも色々あってテーブル上をずらりと占拠した。もっとも、使われている割には独奏曲は一曲しかなく(元曲はフルート)それも推測でしかないという。

ガンバ(森川麻子)もトレブルやテノールが出ていたが、演奏に使用したのはほとんどバス・ガンバだった。受難曲では待ちの時間が長く、冬の教会でやると寒さがしみるという笑えない笑い話もあった。

ここまでが前半で、既に1時間20分経過😱
後半は声楽の部分を楽器に置き換えてのアンサンブル演奏となった。カンタータや受難曲など。歌を他の楽器に変えることによってオリジナルで使われていた楽器の活躍ぶりがよく分かるという次第だ。
その間もずっと脇で支えていた感のあるオーボエだったが、アンコールの105番で俄然存在感を発揮して拍手喝さいとなった。
尾﨑さんについては私はここ数年あまり聞くことがなくて残念よ。また機会があれば聞きたいですね(^^)

今回も満員御礼だったらしい。それも納得の好企画だった。
次回テーマは改装なったさい芸に戻って「ゴルトベルク」とのこと。埼玉会館は音はイマイチだが客席の頭かぶりがないのは良かった。少し古めの建築だと天井の照明が凝った形が多くて、ここもウイルスみたいな形(球状で突起が突き出ている)のものが吊り下げられていた。掃除はどうやるのかな(^^?なんて思ったり。

240421

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2024年4月17日 (水)

「コンクリート・ユートピア」:地獄で団地祭り

監督:オム・テファ
出演:イ・ビョンホン
韓国2023年

イ・ビョンホンがしがない中年男を演じたことが話題になった一作。
日本では能登半島の地震があった直後に公開され、観客を「偶然とはいえこの時期に……」とビミョーな気持ちにさせた。

冒頭、原因不明の災害が発生。地震なのか、それ以外の天災なのか、未知の兵器によるものかも分からない。建築物は全て崩壊しソウルは壊滅状態となった(らしい)。食料・インフラ・情報、何もかもなくなってしまう。
なぜか奇跡的にただ一つだけ無事に残った団地には周辺から生存者が集まってくる。最初の数日間は穏健に過ぎていったが(まさに災害ユートピア)、やがて元の住民と避難者の対立が起こるのだった。

このような設定の背景にはソウルの過酷なまでの住宅難があるに違いない。それは階層格差に直結している(途中でそのような恨みあるセリフが出てくる)。
さらに「代表」を選んで祭り上げて規律を厳しくした挙句に、壁を築いて外部を排除し独裁国家のようになり内部の粛清まで行う。となると当然「北」のことも想起せずにはいられない。
それが特定の誰かの意志ではなくなんとなく皆の総意のようになって流されていくのが恐ろしい。

団地内の食料物資を集めてもやがては尽きてしまう。そこで周囲の店の跡を探して調達……しているうちはいいが、探し終わってしまうとさらに離れた地区へと「遠征」を始める。もはやこれは収奪ではないか💀

そして「団地祭り」が開かれイ・ビョンホンがカラオケを披露する場面をクライマックスとして(ここら辺の展開は巧い)排除の論理は破綻へと向かうのである。
コワイよ~(+o+)

多くの要素を複層的に詰め込み、ユートピアならぬディストピアの行く末を辛辣に描く。
イヤ~ンな場面が多数。その中で唯一平常心を保つ看護師の妻があまりに優等生的に見えてしまうのが難だろう。

それまでヒエラルキーと排除が跋扈していた中、やがて平等と助け合いの象徴が登場する。希望を持って描かれてはいるものの能登半島地震の某映像に似ているので、偶然だとはいえ冷汗が出てしまった(~_~;A
……と、今現在の日本で見るにはあまりにビミョーな内容だったが面白かったのは確かである🈵

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2024年4月14日 (日)

「フキダシ論 マンガの声と身体」

240414 著者:細馬宏通
青土社2023年

「いろんな種類のフキダシが紹介されてる本だろう」と、気軽な本かと思って読み始めたら全く違っていた。マンガのフキダシがいかに読者の視覚を枠やコマを超えて導いていくかという考察なのだった。

コマ割りについてはこれまで色々と論じられてきて本も複数出ている。しかしそれとはまた異なるものだ。
一つのフキダシには話し手、その相手、語られる内容がおのおの存在する。しかもそれらが必ずしもコマ内に描かれているとは限らない。複雑に絡み合って紙面での展開を認知させていく。

よくよく考えるとそれを読み取るのはある種の能力である。マンガを読むことができないという人がいるのも納得だ。
三原順作品を分析した章があるが、フキダシと読み手の視線とさらには登場人物の視線が大胆に交錯しており目が回りそうだ。
翻って考えればマンガ家はそれだけ高度な作業を恐らくはほとんど無意識で行っている?ということだろうか。凡人には不可能なことである。

取り上げられているマンガは時代もジャンルも様々である。一番古いのは『のらくろ』だ。その中の一枚絵の分析には感心した。フキダシが時間と空間を構築する。

 

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2024年4月 8日 (月)

「フランス・バロック 悲劇の女性たち」:時代を超えて!嘆き恨みつらみ

240408 古楽21世紀シリーズ7
会場:東京オペラシティリサイタルホール
2024年2月10日

寺神戸亮をはじめとする4人の奏者(前田りり子、上村かおり、曽根麻矢子)がメゾソプラノの湯川亜也子をゲストを迎えて、18世紀前半フランスの器楽曲と女性を主人公にした悲劇的な歌曲を取り上げた。
作品はラモーとルクレールのオペラ、モンテクレールのカンタータから選ばれている。どれも神話・伝説に登場する女が意中の男に裏切られて感情を爆発させるような内容である。まさに悲劇の中で女たちの恨み節が炸裂する⚡
特にモンテクレール「ディドンの死」は超が付くくらいの熱唱であった。

ルクレールの「シラとグロキュス」は王太子の婚礼祝いに一曲だけ歌劇を書いたという珍しいものだった。当時バイオリンの名手として知られる作曲家本人が演奏したそうで、寺神戸氏が彼になり代わって刺激的なフレーズを弾きまくった。

湯川氏は北とぴあ音楽祭のバロックオペラに数回出演しておなじみである。大柄で声量があり舞台映えもするので、古楽に限らず今後も活躍が期待できそうですね(^^)
ただ役に憑依するような歌唱なので好き嫌いは分かれるかも。

一方、器楽曲ではラモーのコンセールは楽器群が融解していくようなイメージにとらわれた。もう一曲はクープランの「諸国の人々」から「ピエモンテ人」。生で通して聞いてみると改めてかなりの長さを実感(+o+) 踊りながら聞くのがいいですかね。

アンコールはモンテクレールの同じ作品から、こちらは打って変わって陽気な女漁師(?)の歌だった。

この「古楽21世紀シリーズ」7回目ということだが過去に3回行っている。当初は石橋メモリアルホールでやってたんだけど……😑
こちらは第1回に行った感想。やはり「諸国~」が「長い」と書いている。進歩してません(;^o^A
また次回もよろしく。

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2024年4月 1日 (月)

「マエストロ:その音楽と愛と」:悩み相談・妻が段々コワくなっていきます。どうしたらよいでしょうか?

240401 監督:ブラッドリー・クーパー
出演:ブラッドリー・クーパー
米国2023年

ネトフリ配信前の劇場公開で鑑賞。
レナード・バーンスタインの半生を描いた作品ということで、クラオタな方々の間で話題沸騰💥……というようなことはなくて一部の映画ファンがザワザワしていたようだ。なにせプロデューサーにスコセッシやスピルバーグが入っている。
さらに直前には監督・主役を兼ねるB・クーパーの付け鼻が「いくらユダヤ人が鼻が大きいといったって大きすぎでは」と批判されたというどうでもいいニュースまで流れた。

実際見てみるとバーンスタイン像のうち「音楽」は2ぐらいで「愛」が8くらいの割合を占めている。よって彼の音楽家としての活動をよく知っている人が見るのが前提だろう。何も知識のない人が見たら、多分「音楽の偉い人」としか思えないはず。

妻とのなれそめとその後の結婚生活の紆余曲折を描いたといっても、妻の方は女優としてのキャリアを放棄したことについて不満を持っているのかどうかまず不明。子どもができてスターの妻として彼を支えてどう思っているのか。「浮気」については出てくるけど不和の原因はそれだけだったのか。

その根本のところがはっきりしないので「なぜか妻が段々コワくなっていく」という不条理な話になっちゃう。バーンスタインの方の事情も曖昧な描写なので判然とせず。
結局のところ夫婦の出会いといさかいに終始した印象だった。ドラマとして見ていて面白いかというと、観客それぞれというしかない。
まあ子どもたちが本作を全面支援しているようだから仕方ないのかね……。

美しい映像や凝った構図、面白いカメラワークには目が奪われる。巨大「スヌーピー」の出現するタイミングに驚いたり。でも前半モノクロで後半カラーにした意図は不明だ。いや、意図はあるんだろうけど効果的なのかは疑問である。

ブラッドリー・クーパーのソックリなり切りぶりは迫力である。監督・主演だけでなくさらに脚本・製作にも入っているという大活躍だ💨 妻役のキャリー・マリガンはキュートかつ怖いが果たしてオスカーにノミネートされるほどだったかはどうかな。

メイクアップはソックリぶりを助けるだけでなく、高齢になってからのシワやシミの作り込みも力業である。オスカーのメイクアップ&ヘアスタイリング部門候補も納得の出来(獲得はできなかったが)。
上映が終わった後に数人の女性客が、最後に登場する(エンドロール中に)指揮場面は本人かどうかでさかんに議論していた。
あれは本物の映像でしょう。まあそんなに分からなくなるほどにクーパーがそっくりだったというわけだ。

もう一つ印象に残ったのは喫煙場面がやたらと多いこと。みんなタバコ吸いまくっていて、それこそキスする時も吸いながらなのである。食卓で食事しながらも当たり前だ。確かに昔はみんなどこでも吸っていたが、いくらなんでもここまでやるか💀だ。

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