« BCJ秋祭り「ミサ曲ロ短調」「祝祭のオール・バッハ・プログラム」 | トップページ | 聴かずに死ねるか! 古楽コンサート2024年11月編 »

2024年10月28日 (月)

イタリア映画祭2024

241028 非常に遅くなってしまいましたが、一応鑑賞記録として書きます(^^;ゞ
今年はLFJのチケ争奪戦に完敗したのでイタリア映画祭に参加することになった。もっとも朝から晩まで朝日ホールに籠る元気はありませぬ(-_-;)
てへきれば来年はLFJも両方頑張りたい。

「グローリア!」
監督:マルゲリータ・ヴィカリオ
出演:ガラテア・ベルージ
イタリア・スイス2024年

241028b ヴェネツィア、女子孤児院が舞台ときてこのタイトルとなれば当然ヴィヴァルディ🎻かと思うが、時代設定は1800年なのでもっと後の話である。
教会付属孤児院の女子オーケストラが人気となっているが、楽長である神父は音楽的才能には欠けている。

そこへ教皇が訪問するということで新曲を作って披露しなければならぬ……なんとかせねば😱と焦ることに。
そんな権力志向の塊で鼻持ちならない神父を娘たちが協力して最終的に打倒する。そこで重要な役割を果たすのがまだ世に出る前の試作品のグランドピアノ、そして喋らず楽器も弾けぬメイドの娘だ。

オーケストラは当時の曲を演奏するがつまらなくて堅苦しいというイメージで描かれ、コンマスの娘は天才肌で気位が高い。
一方、メイド娘が気ままに奏でるのは完全に現代のポップスである。そこら辺はファンタジーということらしい。個人的にはあまり面白い音楽とは思えなかった。民族音楽味が入ってればいよかったのに。
当時の風俗の再現度は高く映像は美しいが、各エピソードが散漫に綴られていて求心力に欠けるのが難。

241028c 上映後に監督のQ&Aがあった。元々シンガーソングライター兼女優で、初監督作とのことだ。
当時の女性奏者も作曲したはずだがほとんど残されていない。そのような状況は今でも変わらず、女の子たちにエールを送る意図があった。
音楽はモダンなので、映像としては当時を厳密に再現した。
キャスティングは時間がかかった。女優達に弦楽のコーチを付けて2か月半練習させた。
チェロ担当娘役は、本業は歌手で演技は初めて……などなど。

質問はすべてQRコードでスマホから送る方式。おかげで質問よりも長々と持論を述べる映画ファンが遮断されてよかった。

終了後、エレベーターで一緒になった人が「去年はすごい豪華ゲストだった、サイン貰った」などと話していた。
しかしこんな円安ではうかつに海外からゲストも呼べないのう(*_*;


241028d「ルボ」
監督:ジョルジョ・ディリッティ
出演:フランツ・ロゴフスキ
イタリア・スイス2023年

180分⌚正直言って長かった(◎_◎;) 舞台は大戦前のスイス、流浪の民イェニッシュ(「ロマ」とは起源が異なるらしい)の男が兵役に取られた間に一家離散の憂き目にあう。
実際、彼らはロクな教育を施さないからという名目で子どもたちの連れ去りが行なわれたらしい。

しかしそれは口実で子どもたちは劣悪な環境で労働力としてこき使われるのが関の山だったもらしい。主人公は子どもを探そうと悪戦苦闘し、うまく成り上がっていく。
主役のF・ロゴフスキは七つの顔を持つ男の如き活躍。ある時は移動生活者として日銭を稼ぎ、ある時は裕福な貿易商、寒さに震える国境警備兵、伊達男の女殺しなどなど。

主人公の人間像がどうも不明。大道芸で日銭を稼いでた男が、いきなり金銭を得て紳士然とした振る舞いをできるかね(?_?) なんだかロゴフスキありきで何とか成立しているような印象だった。
彼の熱心なファンのみに推奨。
過去のイタリア映画祭で同じディリッティ監督作を見た時の感想はこちら


241028e「僕はキャプテン」
監督:マッテオ・ガローネ
出演:セイドゥ・サール
イタリア・ベルギー・フランス2023年

過去に2回カンヌで授賞し、本作はヴェネチア映画祭で監督賞(新人俳優賞も)獲得し、さらにアカデミー賞国際映画賞にノミネート……というガローネ監督であるから、この後てっきり日本で公開されると思って、鑑賞予定から外していた。
とっころが(!o!)この時点ではまだ日本公開が決まっていないということが分かり、あわてて前日にチケットを入手したのであった。(結局公開されずじまい)
評論家筋には評価が低かったらしいのも一因か。

セネガルでくすぶる若者二人。冴えない毎日に飽き飽きして、ヨーロッパへ渡って音楽で一旗揚げようじゃないか(^O^)/と金を貯めていざ出発する。止めてくれるな🛑おっかさん、そして妹たちよ。しかしうまい話など世界中のどこにも存在しないのだった。
セネガル→マリ→リビア……その後はひたすら恐ろしい方向へゴロゴロと転がっていく。

「ご都合主義」「ファンタジー仕立てにして逃げている」--などという批判も見かけるが、とことんリアリズムに振ったら正視もできないような話である。
それよりラストシーンをあの時点で止めたのをどう解釈するかだ。その後に来るのは果たしてハッピーエンドなのか不吉な結果なのか。イタリア人が見れば明確にわかるのだろうか。
そういう意味ではまさにイタリア映画なのかも。

移民・難民の悲惨な実情を描いたものは最近では『人間の境界』があった。同じ年のヴェネチア映画祭でこの二つはなんと監督賞を分け合っている。
あちらでは様々な理由で自国にいられなくなり家族ごと出国する形がほとんどである。一方、こちらは食い詰めたわけでもなく単にヨーロッパに憧れて渡ろうとする。この二つを並べていいものか(・・? こんな奴らは来ないでくれとイタリア人なら言いたくなるかも。
だが、洋の東西を問わず軽薄な若者が考えなしなのはいつの時代も同じ。彼らは充分にその報いを受けたのである。


「まだ明日がある」
監督:パオラ・コルテッレージ
出演:パオラ・コルテッレージ
イタリア2023年
*オンライン視聴

どんな内容なのか全く分からず(チラシの紹介文は曖昧な文章だった)、結局後から評判がいいと聞いて映画祭のサイトでオンライン視聴をした。

1946年のイタリア、夫から激しいDVを受けている妻は何かを心待ちにしているようである。折しも古くから知り合いの修理工の男が町を出ていくという--。

フェミニズムやシスターフッドを描いて評価が高かった本作、監督兼主演のコルテッレージはイタリアでは有名な喜劇女優とのことである。そのせいとは思えないけどなんだか非常に重くてシリアスな中に笑える場面が混じっていて、ホッと一息つくというよりは「えっ、これ笑っていいの(・д・ ≡ ・д・)キョロキョロ」みたいになってしまうのは困ったもんだ。

バカ息子たちのバカ騒ぎぶりには笑いよりも殺意を抱くほどだし、夫が暴力を振るう場面は加工した映像使ったりしてぼやかしてはいるが、事前に経験者への警告を出しといた方がいいレベルである。
ということで見ててカドカドした感触がどうも合わずに終始した。

ラストはなるほどそうだったのか!と思った。イタリアと同じく敗戦国であった日本もこんな感じだったのだろうか。今では隔世の感としか言いようがない。

| |

« BCJ秋祭り「ミサ曲ロ短調」「祝祭のオール・バッハ・プログラム」 | トップページ | 聴かずに死ねるか! 古楽コンサート2024年11月編 »