ベロッキオ監督とこだわりの誘拐事件特集
監督:マルコ・ベロッキオ
出演:パオロ・ピエロボン
イタリア・フランス・ドイツ2023年
イタリア映画祭続きでベロッキオ監督作を。これは確か昨年の映画祭で上映して、今年本邦劇場公開となった。
ついでに--2010年の映画祭でベロッキオが来日した時のエピソードをこの記事の後半に書いた。ここでは彼の返答した内容は書かなかったが、「どこの国にもそれぞれいいところと悪いところがある」(だから自国を断罪しても仕方ない)というような意味の発言だった。
1850年代半ば、ボローニャのユダヤ人家族から教会の指示を受けて6歳の少年が連れ去られる。理由は赤ん坊の時に洗礼を受けたから……。そうするとキリスト教徒になるという理屈らしい。そもそも洗礼って聖職者でなくても誰でもできるんかいっ(!o!)などと異教徒には理解不能な事案である。
誘拐事件として当時は周辺国だけでなく米国にも伝わって大騒ぎになったという。
少年は修道院に入れられ環境が激変する。社会への衝撃よりも、取り戻そうとする両親の苦闘と少年の困惑に重点が置かれて描かれる。
それから傲慢の塊のような教皇の醜態も相当なもんである。ロスチャイルド家から多額の借金をしながら、地元のユダヤ人コミュニティに対してはちまちまと脅して恫喝する……思わずムカーッ<`~´>
イタリア映画祭の『グローリア!』も合わせて見ると、イタリア社会の一部では教皇を頂点とする教会の権威主義が相当憎まれていると思えた。
役者の演技と重厚な画作りは素晴らしいが(ちょっと画面暗めだけど)、成人になってからのエドガルドの心理状態がよく分からなかった。家族から引き離され異質な世界に放り込まれたことによるアイデンティティの不安定さなのか、それともPTSDなのか。
イタリア近代史とカトリック信仰を知らないと難しい部分がある。この事件がきっかけで内戦が起きたということなのかな(?_?)
終了後、パンフレットの見本を手に取って中身を見るふりをしながらスマホで撮影しているヤツを目撃した(某評論家の論考ページだった)。
諸物価高騰の折、仕方ないとはいえるけどセコイ👊セコイ過ぎるぞっ🆖
監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ファブリツィオ・ジフーニ
イタリア・フランス2022年
そもそも全6編のTVシリーズとして制作されたようなのだが、イタリアでは放映前に前後編に分けて劇場公開。日本も同様の形で公開となった。私は映画館に2回通ったが、朝から籠って通しで鑑賞した人も多かったようだ(^^;
ベロッキオ監督はモーロ元首相誘拐事件を以前にも描いている。それなのに再び、しかも今度は全6話で人物ごとのオムニバス形式で作るとはよほどのこだわりだ。それだけの大事件だったわけだが。
結果は……重量級340分を見たかいがあった\(~o~)/
前半3章はモーロ本人と解決に奔走する者たち(内相と教皇)を描き、後半は犯人の女性テロリストとモーロ夫人が主人公、そして終章を迎える。確かに配信ドラマシリーズっぽい構成ではある。
そんな中で何やら怪しい陰謀が背後にうごめいているのがちらちらと垣間見えるのであった。そして第一章冒頭の「え、これはどういうことか?」と疑問符が浮かぶ謎の場面の意味が判明する。
教会で一番偉い教皇が救おうと力の限りに祈っても神は応えない。ならば他の誰が祈っても無理だろう。さらに地位とコネを使って身代金を集め交渉しても無駄に終わるのなら、地上の権力など意味はないということだろうか。もっとも、イエスのように十字架を担いで歩いている者をもはや救えるわけはないのだが。
それなら政界の権力者はどうなのか🙄 そこには神ならぬ妖怪どもがうごめいているようだ。
狐や古狸が跋扈するイタリア政界は日本に似ている所がある。政権を取ると大臣や政務官のポジションを順に回したり。さすがにイタリア料理店でディナー食べながら密談をしたりはしないようだ(^O^)
当時の政治状況をやはり予習していくべきだったと思った時には後の祭りだった。人物の把握のためにも結局プログラムを買う羽目になった。
長丁場とはいえグイグイ引っ張っていく。既に起こったことを変えようもないが、激動の歴史を渾身のパワー(ベロッキオ85歳🌟)をもって今新たに問い直す力作といえるだろう。
映像的には照明の使い方が目を引いた。役者についてはそもそもベテラン勢ぞろいだが、元々監督は「目力の強い女」を描くのを得意技としてきたということで、モーロ夫人役のマルゲリータ・ブイが複雑な心境をを好演。
なおついでに声を大にして叫んじゃうのだが、上映館ル・シネマのオンライン・チケットのサイトやたらと使いにくいぞ~💢 嫌がらせじゃないかと思うほど。なんとかしてくれ。
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