「フェラーリ」:車と納骨堂
監督:マイケル・マン
出演:アダム・ドライヴァー
米国2023年
なぜか巨匠たちに愛される男💖アダム・ドライバー。今回の彼が演じるはフェラーリの創始者だっ。いくらなんでも60歳には見えないなどという批判が相次いだが気にしない。どのみち自分が世界の中心の王様だと思っている人物を描いているのだから、年齢など意味はないしイタリアなまりの英語だって構いやしないのだ。
自社の業績よりレース第一🏁 勝利するために全てを優先。レーサーが事故で死んでも支障にはならない。
舞台となる1957年は息子が若くして亡くなったばかりである。気落ちする一方で愛人との間に生まれた子どもを後継者にしようかなどと考える。その愛人を立派な邸宅に住まわせていて、周囲にはナイショで通う日々である。
そんな彼の最大の敵はライバル社よりも、家で待ち構える共同経営者にしてコワ~い古女房だ。演じるペネロペ・クルスの背後には怨念💢が溜まっている。
愛人からは子どもの認知を迫られ、自分の母親からはうとまれて……と3人の女の三つ巴をもっと描いたら面白かったのではないか。もっとも監督がマイケル・マンゆえ、そういう方向には行かないのである。
ともあれ作中で起こる不吉な出来事の7割以上は主人公のせいに違いない。その極めつけは終盤クライマックスの「ミッレミリア」というレースだ。三十年も続く伝統があり、なんと公道を延々と走ってイタリア全国を巡る。そこで優勝を目指すが、恐ろしいアクシデントが起こる。
その場面は描写がダイレクト過ぎて、見る者は皆あっけに取られるだろう。もっとも、実際はさらにひどかったというからコワ過ぎである。ヒュルルル(血が引く音)😱
一般道をあんな高速で走るとは正気の沙汰ではない。事件のことは知らなかったので見てて思わずギャーッと叫んだ。
周囲を顧みず我が道を行き文字通り死屍累々となった男の肖像が浮かび上がる。しかし世の人の何割かはそれを男らしいとほめたたえるであろう。
利害のあるタテの関係は深掘りされている。では、ヨコの人間関係はどうだったんだろうか。描かれないままだし、そもそもそんな関係が存在しない人物だったのかなどと考えてしまった。
彼が墓地で一家の納骨堂を訪れる場面があるのだが、『夜の外側』でもモーロ元首相が同様に納骨堂に行く場面があった。イタリア人壮年男性特有のこだわりなのかな(?_?)
レース場面についてはこれまで見た同じような題材の映画とは異なる印象で、ゴツゴツした感触がありスマートな映像ではない。それがかえって印象に残る。
とりあえず、マイケル・マン健在でよかった👍
♪ 命を賭ける マシンはフェラーリ~ 🎵
あ、また大貫妙子歌っちゃった(^^;ゞ
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