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2025年3月26日 (水)

時代と政治と音楽ドキュメンタリー「Two Trains Runnin'」「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」

250324a ★「Two Trains Runnin'」
監督:サム・ポラード
米国2016年

ぴあフィルムフェスティバルにて鑑賞。P・バラカンの選定作品である。
ブルース(ズ)はについてはほとんど知識がないけど、極めて興味深いドキュメンタリーだった。

1964年6月のある日、ミシシッピーの同じ地区をたまたま3組の若者3人グループがおのおの車で移動していた。
そのうちの二組はブルース・オタクの若者たちだ。彼らは全く別々に数十年前に録音を残してそのまま消えてしまったミュージシャンの消息を求めていた。ニューヨークからのグループはサン・ハウスを、サンフランシスコからの一行はスキップ・ジェームスを、偶然にも同じ時期に現地で聞いて回って探そうとしていたのである。

残りの一組は公民権運動に参加・活動していた学生たちだ。州内で黒人の有権者登録を促進すために、何百人も派遣されていたらしい。この3人はそのまま行方不明となり、埋められた遺体で発見。映画『ミシシッピー・バーニング』のモデルとなった事件で犠牲となった。

全くもって運命の不思議さよ。KKK団行き交う険悪な土地で最悪の時期である。社会情勢なぞ全く気にかけず、ただブルース熱愛の一心でウロウロしていたのんきな音楽オタクたちも、一歩誤れば彼らにも何があったか分からない。しかし無事に幻のミュージシャンを発見し、新たに世間に紹介し復活の手助けをすることができたのだった。
それも二組が行方を探り当てた日と、学生たちが殺害された日が同じというのは驚き以外の何ものでもない。

基本的にこの三者の関係者にそれぞれインタビューを行いつつ進んでいくが、存命の当事者が少ないせいかインタビュー対象も限られアニメで場面を再現する部分もあった。しかし形は異なるとはいえ、その時代に生きた若者たちの夢と希望が同じ時、同じ地に交錯する。時代、政治、音楽が絡み合う瞬間を確実にとらえていた。

それにしてもサン・ハウスの演奏場面は強烈の一言だ。監督は黒人の歴史ドキュメンタリーを撮ってる人らしい。


250324b ★「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」
監督:ジョン・シャインフェルド
米国2023年

BS&Tについては最初はアル・クーパーがいたとか、ヒット曲数曲を知っている程度。ブラス・ロックの代表バンドとしてチェイスと並んで人気があったけど、その後どうなったのかは不明という印象だった。(チェイスについては飛行機事故にあった記事をよく覚えている)

彼らが1970年に米国のロックバンドとして初めて共産圏でコンサートをやったとは知らなかった。米国国務省主催という「お仕着せ」なツァーをなぜやる羽目になったのか--それにはのっびきならぬ理由があったという。
コンサートの反応は様々で、国によってかなり違うのが面白い。そしてツァーを回るうちに、当時ある意味理想化されていた鉄のカーテンの向こう側で、民衆弾圧が起こっている実情を目撃してしまう。

帰国したバンドを左右双方向から非難と攻撃の嵐が襲う。左からは「体制側に転んだ」、右からは「下品な音楽」。記録されていた公演の映像は没収の憂き目になる。政治と時代の荒波はミュージシャンと言えど放っておいてはくれず。その後彼らの活動はパッとしないものになってしまった。
残っている映像からはライブの迫力と当時の空気が伝わってくる。カウンターカルチャーたるロックと社会の関係を新たな切り口でみせたドキュメンタリーだった。

しかしメンバー9人(さらに管楽器も4人)という大所帯ゆえ、この一件だけでバンドがガタガタしたと結論付けるのは強引ではないか。きっと他にも色々あったに違いない(あくまで推測)。
BS&Tが現在半ば忘れられているのは、ウッドストックに出たのに映像が残されていないため、という説が面白かった。映像がないと後々の記憶に残らない。当時ギャラが出ない可能性があったので撮影しなかったそうな。そして同様に好機を逃したバンドは幾つもあったということである。

取りあえず家に帰ってローラ・ニーロの「アンド・ホエン・アイ・ダイ」(彼らに取り上げられている)を聞きましたよ。

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