「落下音」:曖昧な母
監督:マーシャ・シリンスキ
出演:ハンナ・ヘクト
ドイツ2025年
今期最大の恐怖、といっていい映画だった。
ドイツの農村地帯に立つとある家、そこで四つの異なる時代の住人たち、少女とその家族の存在が脈絡なくスイッチして描かれる。よほど注意深く見ていないとどれがどの時代やら混乱してしまうだろう。
時代順にみると、第一次大戦下・1940年代・1980年代(東西冷戦下)・現代となる。三つ目までは同じ一族だが、「現代」は廃屋となった家に越してきた家族が住人だ。
いずれの時代も少女が中心となって描かれる。彼女たちの目撃した光景、あるいは体験した出来事が不穏さと共に周囲の空気に溶解していく。
彼女たちの生きづらさ、あるいは苦痛、暴力--これらは耐えがたいものでありながら、いつでもどこでも普遍的に存在するものでもある。そして絶え間ないノイズ、かすかに存在する視線はどこから発しているのか。
分からない。分からないことだらけである。
第一の時代は閉鎖的で露骨な家父長制下での子どもたちの受難。第二の時代では敗戦による女たちの混乱が描かれる。
最初は気付かなかったのだが、第三の時代の少女アンゲリカが性虐待を受けているという指摘にはハッとした。あの自暴自棄に近い奔放さと挑発的なしぐさはその表れだったのだ。思いも及ばずうかつであった。
では一見平穏そうな第四の時代についてはどうか。何もなさそうだが、夫婦が自らの性行為を子どもに見せるのは立派な虐待である。その証拠に、その場面のすぐ後で幼い妹が泣く場面が挿入される。
姉の方も鬱屈を抱えている。それは近所に越してきた年上の少女を見るまなざしに収斂される。
この映画を思い返すたびに何か既視感が強まっていったのだが、今ここに至ってゲルハルト・リヒター「ビルケナウ」の元となった強制収容所の写真だと思い至った。あの曖昧さと遠さ、何かが起こっているのだが何なのか判然としない。しかし恐怖が感じられる。そんな印象だ。他にもリヒターを意識したような場面があった。(リヒターだけでなく別のアーティストや作品の引用もあるらしいが)
しかし、見ていて一番の恐怖は第一の時代--そこにおいて直接的には描かれなかった子どもたちの母についてである。
亡くなった幼い娘の遺体と共に写した写真の中、撮影する間にも悲しみで慟哭しているのだろうか。静止していることができないため、その姿は完全にぶれていて形も定かではなく亡霊のようだ。娘へと延ばされた腕とおぼしき白い影もぶれて曖昧である。しかしそこから執念に近い強い感情が発せられている。その内心は決して明かされない。
語られず顧みられぬ母、曖昧で消えゆく母。歴史の中に溶け行く母。私はこの光景に耐えがたい恐ろしさを感じた。夜中に思い出すと眠れなくなる。これ以上の恐怖はない。
しかも彼女はこの後、息子や娘を死地へと追い込む役割を夫と共に果たすのだ。
これを鑑賞することは滅多にない体験だが、面白いとも楽しいとも言えない。万人にはとてもお勧めできない映画だろう。
以下ネタバレになるが、多分パンフレットの誤った内容(勘違い?)のせいだろうか、誤解している人が多い箇所を2点指摘したい。
*第一の時代で両親が長男を突き落としたのは、息子を戦場に送るのが忍びないという親心からではない。末の娘がはっきりと「労災」のため、つまり金のためだと述べている。
*第二の時代で女たちを川に入っていくのは入水自殺のためではない。向こう岸に渡って逃げようとしたからだ。渡りきることができずに亡くなった者もいたということだろう。
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