映画(タイトル「ア」「カ」行)

2019年3月31日 (日)

「グリーンブック」:ドライビング・トゥ・ヘル ミートソースかフライドチキンか、それが問題--じゃな~い

190330
監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ
米国2018年

雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言ったものよ。まさにオスカー取らずば叩かれまい、という事態になったのがこれだ。
アカデミー賞ノミネートの発表前から助演男優賞獲得は確実と言われていた。ゴールデングローブ賞の作品賞取った時あたりから(米国作品対象の賞なので「ROMA」は除外)何やらきな臭い話がモヤモヤと発生♨
主演のヴィゴに差別発言があったとか、監督露出狂だったなど話題は尽きぬ。

作品内容についても色々とケチが付き初め、遂にオスカーの作品賞取った時は、スパイク・リーが腹立てて背中を(正確には尻を)を向けただの、ホールの外に出ようとして係員に止められたなんて話まで流れたのだった。
作品賞取らなければ「いい話」の映画で終わったかもしれないのだけどね。

しかし、🎵ヴィゴ・モーテンセン×マハーシャラ・アリ🎶の共演となれば、万難排しても見に行かずばなるまいよ。
ヘッヘッヘッヘッヘッ(^Q^)
ん⁉誰だ!下卑た笑い声を漏らしているのは💢 おっと自分の口から漏れ出ているのだった。いかんいかん💦

発端は1962年ニューヨーク、失業した下町育ちで偏見バリバリのイタリア男が雇われたのは、浮世離れした天才黒人ピアニストのドクター・シャーリーに、その運転手としてであった。このコンビで人種差別激しい南部まで旅する数か月のコンサートツァーに出ねばならない--。

確かに脚本は小技が効いてて、パトカー停車や札束見せての買収の場面を二度繰り返し、しかもそれぞれ二度目は意味が違ってくる件りや、妻への手紙の顛末などうまいと思った。
また、M・アリは繊細で複雑な背景を抱える人物を完璧に演じて、誰も文句付けられないぐらい。こりゃ助演男優賞総ナメも当然だろう。ファッションもキマっていてカッコエエです(*^_^*)
ヴィゴも主演男優賞候補になってメデタかったけど、これは体重増量して2倍以上ふくらんで見える努力賞かな🎀
「バイス」のクリスチャン・ベールもそうだけど、そんな無理して増量するんだったら最初から太めでイタリア系(に見える)役者をキャスティングすればいいんじゃね(?_?)と思っちゃうのは事実である。

脚本については、見ていてよく分からない部分が複数あった。冒頭の「帽子」のエピソードは主人公トニーが大物に取り入ろうとしたんだろうけど、結果的に大物が腹立てて店が取り潰しになって失業ってことになったんじゃないのか?(あらすじを見ると「店が改装するので」書いてあるが)
収入が必要なのに結局職を失う--って、このエピソードは何を表わしているのか。主人公が後先考えない性格であることを強調しているのか。意味不明である。

車中の「フライドチキン」場面については、現在においては黒人とフライドチキンの結びつきを強調するのは差別的案件に当たるということから、「トニーがドクターに食べろとすすめるのは差別について無知だから」と述べていた人がいた。しかし、どう見てもこれはドクターが「同胞に付き物の料理を知らない浮世離れしたヤツ」を強調するエピソードでしかなかった。(従って、フライドチキンの差別的イメージについては製作者はスルーしていることになる)

さらに南部の道路で車がエンコして停車中に、畑で農作業中の黒人労働者が手を止めて二人を注視する場面。彼らは一体何を思って見ていたのか? これもよく分からない。
白人の運転手つきの車に乗っているなんて--珍しいという好奇心なのか、あり得ない!と驚愕しているのか、あんな同胞もいるのかと素晴らしいことだと思っているのか、そして後部座席のご当人の方はどう感じたのか、いくらスクリーンを凝視しても見えてこない。
観客の多様な解釈可能な描写にするということと、曖昧でよく分からんということは違うと思うのだが。

そう言えば似たような場面のある映画が過去にあった。『夜の大捜査線』である。
自動車の運転手と雇い主ということから『ドライビングMissデイジー』と比べられることが多いが、類似度から言えばこちらの方がよく似ている。
すなわち「頑固で偏見を持ち差別的な中年白人男が、有能で優秀な(しかもそれは社会的に認められている)黒人にたまたま遭遇して認識を改める」というストーリーである。

製作年は1967年で『グリーンブック』の背景となる1962年とは5年しか違わない。この間に公民権運動の盛り上がりは激しく、かなり社会に影響を与えただろう。
南部の田舎町の警察署長がニューヨーク市警(だったと思う)殺人課の黒人刑事と遭遇&衝突。しかもそいつは自分よりもサラリーが高い、なんてこったい💢
で、彼が刑事を車の後部座席に乗せて運転していて綿畑の脇を通ると、農場の黒人たちが綿摘みに黙々と従事している。刑事が無言のままそれを眺めていると、署長は「なに、あんたは奴らとは違うさ」と能天気に言い放つ。しかし、刑事の方は何も答えない。

かつてジェームズ・ボールドウィンは、この映画を『招かれざる客』『手錠のままの脱獄』と並べて批判し、「見ろ、この二人は今にもキスしそうだ」とクサした。これが作られてから50年後の『グリーンブック』はどうなのか。進歩したのか、それとも同じままなのか。
『夜の~』の方が無言の刑事の内心のモヤモヤが感じられるだけ、その分退歩してしまったとも受け取れるかも。
スパイク・リーがケツ向けたくなるのもよく分かるのであった。

しかし『夜の~』でオスカー受賞したのは白人のロッド・スタイガーに対し、こちらで受賞したのはM・アリだからその分は進化したかも知れない……。と言いたいところだが、署長とピアニスト、それぞれ相手役より背後に色々とある複雑な役柄だから、複雑な人物を完璧に演じれば評価されるのは当然だろう。
二人とも揃って相手に弱みを見せてしまう場面がある。特にアリによるその場面は、傲慢ぐらいに思われていたそれまでのイメージがホロリと崩れるような演技でお見事の一言だろう。(S・リーは気に入らないだろうが)

ドクター・シャーリーのトリオ編成はピアノ+チェロ+コントラバスって、ジャズだとこの編成珍しくない(?_?) ジャズはあんまり知らないからよく分からないけど、かなり特異なサウンドだと思った。
「私には私のショパンがある!」と言い切って、その後に弾く場面が出てくるのはよかった。
どうでもいいことだが、エンドクレジットに出てくる実物の奥さんがすごい美人✨で驚いた。トニー氏、どうやって口説いたんだ?

 

【追記】
車中でカーラジオからアレサ・フランクリンがかかる場面がある。クラシックをもっぱらやっていたピアニストがアレサを知らなくても仕方ないと思うが、トニーは自分の方がよっぽど黒人の文化を知っていて黒人っぽいじゃないかなどと指摘する。
しかし、ピーター・バラカンのFM番組聞いてたら、この時代にトニー氏がアレサを知っていた可能性は低いと言っていた。
確かにこの頃だと彼女は数枚しかアルバム出してなくて、ヒットチャートもあまり昇っていない。
それを、いくらドクターが「黒人離れ」していることを強調したいとはいえ、こんなセリフを出すのはまさに白人による「黒人文化の収奪」ではないか。
ということで、スパイク・リーが尻を向けたくなる理由がまた一つ追加されたのだった。

|

2019年2月 2日 (土)

「恐怖の報酬 オリジナル完全版」:デンジャラス・ロード 爆走!トラック野郎は止められない

190202
監督:ウィリアム・フリードキン
出演:ロイ・シャイダー
米国1977年

「短縮版」の方は××年前に、多分レンタルビデオで見た。その後、オリジナルのクルーゾーの方も借りて見て、やっぱりクルーゾー版には負けてるなと思った記憶がある。しかし、あまりに昔なのでよく覚えていない(^^ゞ

それが今になって「完全版」の出現である。監督に無断で30分もカットされていたのをようやく元に戻せたのだという。その長さ121分

それぞれヤバイ案件で自国から逃げ出した4人の男が、南米某国の油田のある町に吹きだまり、正体を隠して働いている。油田での作業は過酷な労働で事故で死人まで出る。このあたりの経緯は、どうしても今の日本で話題の外国人実習生を思わず連想してしまうじゃありませんか(>y<;)

報酬に釣られて危険なニトログリセリン運搬に応募する。2台のトラックに分乗してソロソロと進むが……。

冒頭のエルサレムでの爆破シーンからして、これ絶対にケガ人出ているよなと確信できるド迫力。
暴風雨の中ボロボロの吊り橋を渡る場面など一体どうやって撮ったのよ(?_?)と思うほど。見てて身がすくんじゃうのである。なんでも放水塔から水まいて上空にヘリコプターを旋回させたそうだ。(5回もトラックが転落したらしい)
もう恐ろしくて見てて目が離せない。ドキドキして死にそうだ~(@_@;) タンジェリン・ドリームのサウンドがさらに拍車をかける。

そういや『七人の侍』でも終盤の嵐シーンは近くの消防車を数台借りて放水したとかいうから、撮影現場の行く着くところは同じようである。
ロイ・シャイダーはじめ役者の方々はご苦労さんm(__)m
他にも油田事故の炎上場面など「どうやって撮った」案件続出である。事故だけじゃなくて村人の暴動場面もクドイほどに渦巻くような描写だ。
いずれも情緒をそぎ取ったような素っ気なさが特徴的である。

ラストは短縮版ではハッピーエンドだった(?_?)らしいが、こちらでは観客をホッと油断させといて、最後の最期でひっくり返すような展開を取る。
似たような結末だとヒューストンの『黄金』、キューブリックの『現金に体を張れ』があるけど、諦念も皮肉も感じさせないのがフリードキンたる所以だろうか。
この完全版を見る価値は十分にありとタイコ判を押したい。ただ、クルーゾー版の方もまた見たくなってしまった。

さて、そもそもニトロの箱3つをあんなデカいトラック2台で運ぶ必要があるのかというツッコミがあった。た、確かに…… もっと小さい荷台の車でロープで固定するとか?
それはともかくとしても、メキシコ人の殺し屋はなんで参加したのかあまりよく分からなかった。他の男たちは金もなく行ける場所もないが、彼は望んで町に居残ったのである。

あと、タランティーノの映画で強盗する犯人が黒ずくめで登場するのがある。この映画からの引用だよね。タランティーノではそういう格好している意味が不明だが、こちらは結婚式に出席するという設定なのだ。


| | トラックバック (0)

2018年12月18日 (火)

「運命は踊る」:冥土の道にも検問あり

181217
監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ
イスラエル・ドイツ・フランス・スイス2017年

前作「レバノン」はなかなかの衝撃作だったので、期待して行った。

三幕物みたいな構成になっている。
冒頭、兵役(イスラエル軍)に行っている息子が死亡したという通知を両親が受け取る。いきなり母親が倒れて、それ以後の場面は見てて非常に気分が悪いものだった。
通知を持ってきたのも若い軍人なのだが、ぶっ倒れてヒクヒクしている母親を勝手に寝室に引きずっていく(どうして寝室の位置が分かるの?)。夫に何も聞かずにいきなり勝手に注射を打つ(普通、アレルギーあるかとかダンナに聞くよね)。その他色々あり。

こんな乱暴なのがイスラエル軍の通常のやり口でそれを批判してるのか、それとも監督がわざとそのように描いているのか、画面を見ているだけでは判断できない。

続いて「第2幕」は時間が戻って息子の軍隊生活が舞台となる。その任務が荒野のど真ん中、一本道の検問所で通行車をチェックするだけで、退屈極まりない。
この部分は、同じく波風一つ立たない静かな戦場を描いた前作を思わせる不条理さである。ここまでダラダラと退屈な任務だと、通行者に嫌がらせするぐらいしか楽しみはない。
荒野と空、トレーラーなどの色彩の対比が美しい。

3幕目はまた家族の家に戻る。お決まりの和解劇である。正直なところ、もうこういうのは(人間関係を壊して→くっ付ける)いい加減にしてほしいと思った。グダグダした作りで眠くなってしまい、蛇足としか思えなかった。

どうせなら、面白かった2幕目だけでやってくれればよかったのに。
父親の職業は建築家という設定で、住んでるアパートが心象風景と一致しているというの点はかなりズビャギンツェフっぽかった。
ただ、父親を辛辣に描いたアニメを挿入したのは、全体からみると唐突で意味不明。結局何を描きたかったのか最後までよく分からなかった。
これがヴェネチア国際映画祭で高評価なのかと疑問に思った。


全くの余談だが、日本で徴兵制が行なわれない理由として「現代の兵士には専門的技術が必要だから、一般の人間じゃ役に立たない」というのを見かけたのだが、検問みたいな任務なら専門技術って要らないんじゃないの(?_?)


| | トラックバック (0)

2018年11月28日 (水)

「1987、ある闘いの真実」:倒れざる死者

監督:チャン・ジュナン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ
韓国2017年

軍事政権時代の韓国で起こった事件に基づくゴリゴリの社会派映画。民主化運動に関わっていた学生が逮捕されて拷問死する。捕えた側の対共捜査所長は隠蔽しようとするが、徐々に真相が明らかにされる。
制作は前政権下で密かに始動したそうだが、役者は大物やスターが出演している。非常に見ごたえあり。

完全に群像劇で、検事、所長、捜査員、看守、その姪の学生、記者……など、その事件に巻き込まれていく人々の動きを並行して描いている。
執念といってもいいほどの意志で真相を明らかにしようとする検事や記者がいれば、その正反対の極には脱北してきて、共産主義者を決して許さない所長のような人物もいる。たった数十年前にこれほどの憎悪があったのに、南北和解なんて可能なのかと思ってしまうほどだ。

一方、その両極の間で翻弄される人々もいる。「実行犯」として収監される捜査員もある意味そうである。一方、揺れ動く状況の中で民主化運動へと向かっていく者を象徴するように描かれているのが、女子学生のヨニだ。
彼女について、映画評論家のM山氏が「イケメンの学生運動家に釣られて運動に参加した」という意味の発言したそうだが、映画をちゃんと見ていればそれが完全に間違っていることは明らかだろう。こんないい加減なこと言うと、他の映画についての解釈も疑わしくなっちゃうね。

念のため監督の発言を引用しておく。
「彼女は多くの葛藤を経て変化していくのですが、他の人によって変えられたのではなく、自分で考え、変わっていった。それが重要なのだと思います」(「ビッグイシュー」誌341号より)

ラストまで見ると、その力技に思わず感動の涙が流れるのであった(T_T)
なお、恐ろしい拷問場面が複数回出てくるのでその手の映像が苦手な人は避けた方がいいかも。あと、作中にはないが女子に対してはもっと恐ろしい拷問をやったらしい(>O<)ウギャー

| | トラックバック (0)

2018年11月 7日 (水)

「アントマン&ワスプ」:スモール・オア・ラージ 値段は同じ

181107
監督:ペイトン・リード
出演:ポール・ラッド
米国2018年

第1作目「アントマン」は未見だった。ところが、この続編が米国で公開されるとエラい人気で、しかも予告(の断片)を見ると面白そう。
しかし1作目を見てないんでは話にならないということで、急きょレンタルで借りて見たのである。そしたら実際面白いではないですかヽ(^o^)丿
で予習もバッチリ 意気込んで映画館に行った……が。

バツイチで娘とは別居中のスコットはヒョンなことから身の丈1.5センチのアントマンになって大活躍。その仕組みはナノ粒子とか量子世界がなんたらとか説明あったようなのだが、徹底した文系脳の私には理解不能なので省略する。
ところが前作の後に『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が勃発して参戦し、とばっちりを受けてFBIにより自宅軟禁状態となるのであった。

そこに新たな敵が現れトラブル発生になり、いかにFBIの目をかわして大きくなったり小さくなったりしつつ戦って暴れられるかが見どころ。
その間にも、M・ペーニャのギャグ攻撃あり、特出M・ファイファー驚愕の若さの秘密問題など発生。
しかし、アクション場面の一番面白い所はほとんど予告で見ちゃったような気が……。それと個々のギャグや要素が単独では面白いんだけど、全体として見ると詰め込み過ぎ?と思わざるを得ない。
折角のローレンス・フィッシュバーンもあまり生かされてなくて、もったいない印象である。

見終わって振り返ると、前作は世界の運命を決する闘いが繰り広げられるのが子ども部屋の中とか、巨大で暴走する「きかんしゃトーマス」がコテッとなったりというギャップが面白かったのだが、今回はあまりそういうのがない。
いや、キティちゃんや表の騒ぎに気付かないカフェの中の客というのはあったものの今一つなのだった。
前回では大きかった主人公の家庭関係の部分も、問題なしになっちゃったしな。
理由は何かというと、脚本家(エドガー・ライト)交代のせいなのかね(?_?)

このように個人的には盛り上がれなかったのだが、エンドロールが始まってすぐに挿入されたシーンは……ええっ、よもやの『アベンジャーズ』に繋がるのか
こりゃ大変だ~\(-o-)/
というわけで続く大活躍が期待されるのであった。正直『シビル・ウォー』では小者感(いや実際「小者」なんだけど)強かったからな。

ところで、小さくなった時って質量はどうなるの?大きさに比例するのか。ということは悪漢を投げ飛ばすのは普通サイズで、その次の瞬間に小さくなってるってことですな。


| | トラックバック (0)

2018年10月30日 (火)

「沖縄スパイ戦史」:ホラーか現実か

181030
監督:三上智恵、大矢英代
日本2018年

離島の村に学校の先生がやって来た。若い男性でカッコ良くて優しく人気者となった。ある日突然、隠し持っていた軍刀を抜くまでは……。
これ、怖くないですか(>O<;) ホラー映画のネタになりそう。

戦争中の波照間島、若い男は皆戦争に行ってるから、いるのは年寄りと女子どもばかり。彼の命令通りに島を出ていくしかなかった。移住先はマラリアが蔓延する島で、多くの人がバタバタと亡くなっていったのだった。
その男の正体は陸軍中野学校(当時スパイを養成していた)の工作員だったのである

一方、沖縄本島では中野学校から正式に若い将校が派遣され、ミドルティーンの少年たちを集めてゲリラ戦やスパイ戦の訓練をした。米軍が上陸して来た時に狙撃したり、わざと投降して潜入し、食料庫や弾薬庫を爆破したという。
その少年兵の部隊を作ったのは降伏の一年前。そんな時から、上陸してくる米軍へのゲリラ戦を予測していた作戦を練ったのかのかというのにまた驚く。

さらに別の地域では、山に隠れた敗残兵が米軍のスパイと思われる人物のリストを作成して殺していく。地元の有力者や教師が「国士隊」を作り協力。かくして住民同士で監視・密告・殺害が起こる。
しかし、このような事実は最近まで協力者が生き残っていたので明らかに出来なかったという。

以上のように3本のTVドキュメンタリーをつなげたような作りになっているが、全て事実というインパクトは十分すぎるほどである。こんな恐怖映画のような話を取材できた二人の監督には感心する。(やはりTV界の人らしいが)

これらの作戦は沖縄の後の「本土決戦」に向けての予行実践であった。決して住民を救うためのものではない。いざとなれば使い捨てだ。映画は、そこから現在の沖縄での自衛隊基地配備への是非へと繋がっていくのであった。
映画のタイトルはもうちょっとなんとかしてほしかった。内容に合っていないし、見る気が減退しそう


| | トラックバック (0)

2018年10月16日 (火)

「秋のソナタ」:マザー・アンド・ドーター 恩讐のかなた

181016
監督:イングマール・ベルイマン
出演:イングリッド・バーグマン、リヴ・ウルマン
スウェーデン1978年

「ベルイマン生誕100年映画祭」の上映作品の一つ。イングリッド・バーグマンの遺作としても有名である。
早い話が母娘激突の物語である。しかし、どうも不自然な部分が幾つか見受けられる。監督はあまり整合性とか気にしないで脚本書いたのだろうか(?_?)と思ってしまった。

田舎町に夫と共に暮らすリヴ・ウルマン扮する娘が、有名なピアニストである母親(バーグマン)を自分の家に招く。しかし、自ら招いておきながら娘は夫に「なんで平気な顔して来られるのかしら、信じられないわ」などとグチる。
かようにねじくれた母娘関係は再会した最初は波風も立たぬように取り繕っているが、早々に崩れてきて、その深夜に激突する。

この激突場面が「ついにキターッ━(゚∀゚)━!!」みたいに、両者ともに待ち構えていたようでわざとらしいし、部屋で母親が状況説明みたいな独り言を言うのも変である。そういや、別の場面で娘が神秘主義にはまっているような様子を見せるのも唐突過ぎやしないか?
そもそも、ピアニストとしてのキャリアを何より重視する母親が二人も子どもを作るかというのもかなり疑問だった。

両者が言いたい放題で全て言い合い、過去の記憶やら葛藤やら素顔をさらけ出して罵り合った後は、登場人物だけでなく見ている観客もまたバッタリと床に倒れ伏したい気分になっただろう。それほどに「疲れる~」場面である。

もっとも一番の見どころはそれよりも前、まだ表面上の仲の良さを取り繕っている時点での、二人がそれぞれショパンの曲をピアノで弾く場面だろう。
娘の演奏を聞く間に母の顔に様々な思いがモザイク状に交錯する。拒否と肯定、好感といら立ち。一方、娘が聞く側に回った時に浮かび上がる心からの畏敬の表情--お見事としか言いようがない。これだけでも一見の価値はある。そういや、ハネケはこういうところに影響受けたのか、というのも感じた。
このピアノといさかいの場面、誠に理解しがたい母と娘の関係の表裏を表わしているといえよう。

冒頭にヘンデルのリコーダーによるソナタが流れる。これは意外(!o!) あと、バッハの無伴奏チェロも劇中に使われていた。ベルイマンはバロック好きだったのかしらん。

終演後に「こんな映画、金出して見るもんじゃないな」とか文句付けてるオヤジがいて、うっせー、だったら見にくんな(*`ε´*)ノ☆と言いたくなった。

ベルイマン祭りでは他に『魔術師』を見た。あともう一本ぐらい見たかったが、映画館内があまりに寒くて(注-真夏である)行くのがイヤになってしまった。
スクリーンは作品のサイズに関係なく横長のままで、その真ん中に上映していた。両サイドにいわゆるマスクというのは下がっていない。
今までこういうのを気にする人の意見を読んでもピンと来ず「別にいいんでは(^^?)」と思っていた。しかし、このやり方でモノクロ作品の夜の場面を上映すると、どこからどこまでが映画の画面なのか、地のスクリーンと区別が全く区別が付かないのであった。なんとかしてくれい……(+o+)トホホ


| | トラックバック (0)

2018年10月 7日 (日)

「インクレディブル・ファミリー」:男女ヒーロー活躍機会均等法

181007
『Mr.インクレディブル』は当時見たものの、あまり積極的に面白いと思わなかった。何でだろう(?_?) この度続編をやるというので、レンタルで見直してみた。そうしたら、前よりも面白く感じたじゃあないですか。
ということで14年ぶりの新作を見に行ったのだった。

多くの人が同様の感想を述べているように、冒頭がなんと前作の終わりからそのまま続いているのには驚いた。街中で暴れまくってヒンシュクを買い、結局「ヒーロー暮らしはつらいよ」状態で、こそこそとモーテル暮らしに。

しかし、捨てる神あれば助ける神あり 裕福な支援者が現れたのであった。ヒーローの沙汰も金次第ってことか。まったくもって世知辛い。
そこでヒーロー推進の新プロジェクトとして、亭主のボブことMr.インクレでなくて妻ヘレンことイラスティガールを前面に押し出すということになったのだった。

ボブは家事や育児でてんてこ舞い、しかしヘレンの方はこれまでそれらを完璧にこなし、さらにヒーローとしても優秀さを発揮しまくっている。えーと、てことはボブは別に表に出なくていいんじゃないの。
ボブはそれを自覚せずに調子こいたことを発言したりして、妻に睨みつけられる場面もある。こりゃあ、夫婦間の不均衡問題はどうなるよ。
だが結局、夫婦よりも子どもたちが活躍することで、この問題はうやむやになってしまうのであった。

一方、悪役の方はヒーローにこだわりがあったようなのだが、結局何をしたかったのか見ててよく分からなかった。
もちろん、派手なアクションシーンとか赤鬼状態の赤ん坊の暴れ具合など、見てて楽しくて文句はない。

それからジャズっぽい音楽も、背景設定の50年代風にピッタリはまっていた。とりわけエンドロール終盤に、コーラスでそれぞれのキャラクターのテーマが歌われるところはゴージャスですごい迫力。是非最後まで聞き(見)ましょう(^.^)b

このシリーズはそもそもヒーローとその愛好者がヒーローの存在について自己言及する物語であり、私のようにそれに思い入れがない人間にはあまりのめり込めないのではないかと思う。前作が最初気に入らなかったのはそういう理由かも。

冒頭の短編はご時勢か中国もの。中国系監督による家族再生の話である。最初、中華料理がテーマかと思ったけど違った)^o^( 肉まんより小龍包が食べたくなりました


| | トラックバック (0)

2018年8月18日 (土)

「ウインド・リバー」:スノー・アンド・デッド 闇に向かって撃て!

180818
監督:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン
米国2017年

半年前ぐらいだろうか、米国映画情報番組で興収ランキングに入っていて紹介されてて、是非見たいと思ったのがこの映画である。
その後日本で音沙汰なくて、果たして公開されるのか危ぶんでいたのだが、ようやくロードショーの運びとなった。
メデタイヽ(^o^)丿

で、実際見た感想はというと……うーむ、正直期待し過ぎたのかなあ(+_+)というもんだった。

米国はワイオミング、先住民の居住地で若い娘の死体が発見される。雪の中、極寒なのに裸足で手袋もなし。近くに住居はなく、レイプの痕跡あり……。
FBIの女性捜査官が派遣されてきて、死体発見者のハンターに協力を依頼する。なにせ、広大な地域なのに地元の警察は6人しかいないのだ。

雪の広野の中に横たわる死体--極めて興味を引く発端で期待も高鳴るというものだ。
しかし、この捜査の中心となる二人ともが白人というのは何とかならんかったのだろうか? どちらかが先住民かまたはその血を引いているぐらいの設定にしないと、物語の趣旨に合わない。
しかも、エリザベス・オルセン扮するFBIは、その人物のバックグラウンドがほとんど描かれず(「フロリダ出身」というぐらい)、「若い/女性/事情を知らない/捜査官」という記号的な存在以上のものではないのである。
いくらオルセンが涙を流して熱演しても、これはいかんともしがたい。

それから、石油掘削地って企業の私有地扱いなのか? 武装した警官何人も連れて行かねばならないということは治外法権みたいになってるのか? ほとんど説明がないのでよく分からない。(そこで、騒動が起こりそうになった時に、警官の一人がFBIに「見なかったんだな!」と詰め寄るのもなんの事か分からなかった。私がどこか見逃したかしらん)

西部劇っぽいという意見を幾つか見かけたが、私もそう思う。往年の西部劇に倣うなら主人公二人が白人なのも納得だろう。
一方、西部劇ならキモと言えるはずの撃ち合いの場面は、何が何やらよく分からずあっという間に終了。ライフルの場面は迫力あったけど。
西部劇をなぞるならそういう所もキチンとやって欲しい。

ところが、事件の解明部分はほとんど唐突に捜査側とは全く無関係に挿入されたように描かれる。この部分はその後の顛末を考えると誰も知りえない状況である。
そんな知りえない描写を事細かに描いたという目的は、ただ一つ、ラストでの主人公の行為を正当化するためであろう。
そういや、唐突に事件の真相が明らかにされてしまうというのは『ビューティフル・デイ』でも、同様だったのを思い出した。
順を追って事態を徐々に明らかにさせていくという手順を描くのが、面倒くさいのか。
監督は脚本家として名を上げてきた人らしいけど、かなり問題である。

あと、見てて気になったんだけど、娘が雪原に倒れてて、その足跡を逆にたどって犯行現場を見つけるのは、吹雪が頻繁に起こるがら無理というのは分かる。しかし、それだったらスノーバイクとか雪上車の痕跡も消えちゃうと思うんだけど……。事件から何日も経ってるよね(?_?)

かように細かいことが気になってしまった。世評では高評価の作品なんだけどねえ。
最近、こんなんばっかである(+o+)トホホ 

加えて、映画館でラストのいちばんいい所で、高齢のオヤジが3回もスマホの呼出音鳴らして、集中力が削がれてしまった。最悪だ_| ̄|○
鳴ったら即切って欲しい(というか、最初からバイブか電源オフにしてくれ)。相手の名前確認してんじゃねーよ

なお、先住民の女性が殺されて発見、という事件は頻繁に起こっているらしい。この映画見た後にも5人の子の母親が殺されたというニュースが流れた。米国の暗黒面だろう、コワ過ぎだ。


| | トラックバック (0)

2018年7月29日 (日)

「イカリエ-XB1」:ファイナル・フロンティア 前世紀との遭遇

監督:インドゥジヒ・ポラーク
出演:ズデニェク・シュチェパーネク
チェコスロヴァキア1963年

S・レム原作(日本では未訳)、1963年チェコ製SFである。『2001年』や『スタートレック』に影響大--となれば、やはり元SF者としては見に行かずばなるまいよ。

2163年、地球外生命とのファーストコンタクトを求めて巨大宇宙船が旅立つ。乗員は科学者の男女40名。船内にはスポーツジムなど娯楽施設も完備、ダンスパーティをやったりもするのだ。(未来のダンスはちょっと笑ってしまうかも)
このような設定や指令室の内部を見ると、確かに『スタトレ』の元ネタっぽい。
また、宇宙船内部の通路のデザイン、丸いポッドに乗って船外活動に出るという場面は『2001』に似ている。
音楽はバリバリの電子音楽で、今聞くとレトロフューチャーっぽいのだった。

もっとも、50年代にはハリウッド製のSF秀作も多く作られていて、この作品もその影響を受けているのは否定できないだろう。当然、東側では公開もされなかったろうから密かに見たのだろうか。

事故で死者が出たり、病気が流行ったり--というアクシデントの中で、興味深いのは途中で遭難した地球の宇宙船を発見する件りである。争いのためか全員死亡しているが、乗員はナチスのような軍服を、女性はドレスを着ていて、極秘裏に第2次大戦中末期のあたりに旅立ったように見える。しかも、核ミサイルを搭載していたのだ。
副船長は「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」を「20世紀の遺物」と呼び、ここで遭遇したことに驚く。
2163年にはこの二つが消滅して無縁になっていると、映画の作り手は考えたのであろう。しかし、現実には世紀をまたいでも絶縁できていないわけなのだが……。

ラストは、明確には描かれていないものの明るい展望への示唆で終わる。
ここから、ファースト・コンタクトの相手がソラリスの「海」へと至った、レムのその後について考えざるを得ないのだった。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧