映画(タイトル「ア」「カ」行)

2025年2月 7日 (金)

美術ドキュメンタリー特集・その2「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」

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監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:アンゼルム・キーファー
ドイツ2023年

あれは30年前~♪(なぜか歌う)今はなきセゾン美術館にて開催されたキーファー展は、作品がデカけりゃ衝撃もデカい。その迫力は夢にまで出てきそうだった。
そんな恐ろしさがヴェンダースによりクリアな3D映像でスクリーン上で味わえる……と期待して行った💖

映画は二つの要素によって構成されている。一つは広大なアトリエでの制作活動の紹介である。広すぎて移動するのに自転車や運搬車で移動するほどだ。また、藁や鉛をどのように作品に使っているのか、巨大絵画を描く方法(クレーンみたいのを使っていて驚いた)など詳細な部分まで記録している。
もう一つは作品・作者のイメージ映像とでもいったらいいか。キーファーの半生の再現劇(彼の息子やヴェンダースの親類が演じる)や紆余曲折あった過去のニュース映像を積み重ね、近年の作品も加えてキーファー像を構築していく。

通常のアーティスト紹介なぞ「日曜美術館」に任せておけばいいと言っても、なんだかイメージに走り過ぎていて隔靴掻痒の印象は否めない。期待していたのはこんなもんではなかった、というのはお門違いだろうか。
もっとも、個々の作品の衝撃などそもそも映像で伝わるようなものではないのだから、アトリエ逍遥とイメージ映像に限定した監督の選択は正しいと言えるかもしれない。

とりあえず、私の脳内にあったキーファー像とはかなりズレていて釈然としないものを感じた。私は誤解していたのか、それとも単にヴェンダースと波長が合わないだけか。

G・リヒターがキーファーを全く評価してないというのは分かる気がする。対象の捉え方が異なるし、十数歳年上ということだから影響を受けたアートや戦前のドイツについての認識もズレるだろう。
今回、屋外の作品を見るとなんだかボルタンスキーにも似ているような……。同時代性ってことか。
なお3Dで見る意義はあまりなかった。林とか屋外設置作の奥行きは感じられたが。作品が生々しく見られるわけではない。


キーファーは大作が多いので投機の対象になった。美術バブルがはじけた後は日本も含めてどこかの倉庫に塩漬けになった作品が多数とか。
にもかかわらず国内の画集や研究書(雑誌や論文を除く)は未だに少ない。昔は洋書で見るしかなかった。それがまた値段が高くて手が出なかった。
今年、京都で大規模な新作展をやるそうな。はて、どうするべきか……🙄
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2025年1月20日 (月)

これも見たぞドキュメンタリー編・その3「戦雲(いくさふむ)」

250120 監督:三上智恵
日本2024年

南西諸島で進む軍事化のここ数年を映像で記録した作品である。そして合わせてそこに生きる忘れがたき住民たちの日常も紹介するという内容。埼玉から東中野まで遠征して見に行った。

ゴルフ場の跡地や採石場は要注意である。防衛のためだけのはずがいつの間にか弾薬庫ができ、キャタピラならぬタイヤを付けた戦車や「マルに火」標識の輸送車が一般道路を走る。住民の意見が様々に交錯するがそれに関係なく事態は進む。
私は未だ沖縄のことをよく知りませんでしたm(__)mスイマセン

自衛隊の担当者が有事の際には島民をちゃんと移送する、見捨てることはないと誓っていたが……どうですかね(疑り深い)。上から命令が来たらそんなことは反故だろう。
それにしても、一部の反対運動は抗議ではなくもはや「祈り」の領域になっていることに衝撃を受けた。

やはりちと長い気がした(132分)。監督(過去に『沖縄スパイ戦史』を作った)はもっと長くしたかったぐらいらしい。しかし、話がそれぞれの島をめぐって行ったり来たりするので混乱してしてしまった。私が老化現象なのかな(^^?
カジキマグロ漁のおじさんが面白かった。足をぶっ刺すカジキマグロがコワ過ぎだーっ🐟
キックボクサーを目指す元気な小学生の男の子、望みがかなうといいね。
地域別にカヌーで競争する祭り(自衛隊員も参加)では、わざと途中で舟を転覆させてまた漕ぎ直すという種目に驚いた。なんという奇天烈さ。これも伝統なのか?

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2024年12月29日 (日)

まだあるぞ2024年鑑賞作「ゴッドランド GODLAND」

241229 監督:フリーヌル・パルマソン
出演:エリオット・クロセット・ホーヴ
デンマーク・アイスランド・フランス・スウェーデン2022年

デンマークの若い牧師が19世紀当時植民地だったアイスランドへの布教を命じられる。島内を進む道は過酷で、さらにガイドの老人とはうまく行かない。過去の紛争の因縁が背景にあるのか。言葉が分かっているらしいにもかかわらず、無視した態度を取る。

植民地の過酷な自然の中での道行きと、住民との軋轢となると「闇の奥」を想起させる。もっともトラブルの種は外部ではなく最初から牧師の内にあることを窺わせる。というのも、宗教家なのに彼は人間に対して興味がないらしいのだ。
とすればこれは不条理ではなく必然だろう。ここには神はいないようである。

アイスランドの風景は非情にして雄大で美しいが、作品全体の印象はよく言えば重苦しい。悪く言えば「辛気くさい」だ。やたらと血が流れて死体が転がる展開で、刺激があればいいってもんじゃないぞなどと文句を言いたくなる。
意図は分かるものの143分は長い。360度カメラを回すシーンが複数回出てくるがゆっくり過ぎてもっと早くぶん回してくれとか思っちゃう。
そもそもはアイスランドで発見された古い木箱の中から7枚の写真が出てきて、そこから着想した物語だとのこと。話が複数に分裂しているのはそのせいなのだろうか。

後半の室内場面は明らかに北欧絵画を意識した画面作りになっていてこれは美しい。
またアイスランドの民謡や伝統歌が幾つも歌われる。身近で亡くなった者の名前を連ねていく歌(というより朗詠?)なんてのもあった。ラストのデンマーク国歌は皮肉がきいている。
木造の教会を住民の手で建てる経過、そこで挟まれるダンス曲や讃美歌、男たちが興じるレスリング……などアイスランドの文化に興味がある人が見ると面白いに違いない、血まみれ展開が気にならなければ。

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2024年11月25日 (月)

映画落穂拾い・ツイッターX編

ブログに感想を書きそこなった映画です。たまっております。

なぜか書く気が失せちゃったやつ。
『哀れなるものたち』

『12日の殺人』

実話系。
『ダム・マネー ウォール街を狙え!』

『コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話』

『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』


アーティストもの。
『Shirley シャーリイ』

『画家ボナール ピエールとマルト』


まだ続きあり。

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2024年11月11日 (月)

ベロッキオ監督とこだわりの誘拐事件特集

241110a「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」

監督:マルコ・ベロッキオ
出演:パオロ・ピエロボン
イタリア・フランス・ドイツ2023年

イタリア映画祭続きでベロッキオ監督作を。これは確か昨年の映画祭で上映して、今年本邦劇場公開となった。
ついでに--2010年の映画祭でベロッキオが来日した時のエピソードをこの記事の後半に書いた。ここでは彼の返答した内容は書かなかったが、「どこの国にもそれぞれいいところと悪いところがある」(だから自国を断罪しても仕方ない)というような意味の発言だった。

1850年代半ば、ボローニャのユダヤ人家族から教会の指示を受けて6歳の少年が連れ去られる。理由は赤ん坊の時に洗礼を受けたから……。そうするとキリスト教徒になるという理屈らしい。そもそも洗礼って聖職者でなくても誰でもできるんかいっ(!o!)などと異教徒には理解不能な事案である。
誘拐事件として当時は周辺国だけでなく米国にも伝わって大騒ぎになったという。

少年は修道院に入れられ環境が激変する。社会への衝撃よりも、取り戻そうとする両親の苦闘と少年の困惑に重点が置かれて描かれる。
それから傲慢の塊のような教皇の醜態も相当なもんである。ロスチャイルド家から多額の借金をしながら、地元のユダヤ人コミュニティに対してはちまちまと脅して恫喝する……思わずムカーッ<`~´>
イタリア映画祭の『グローリア!』も合わせて見ると、イタリア社会の一部では教皇を頂点とする教会の権威主義が相当憎まれていると思えた。

役者の演技と重厚な画作りは素晴らしいが(ちょっと画面暗めだけど)、成人になってからのエドガルドの心理状態がよく分からなかった。家族から引き離され異質な世界に放り込まれたことによるアイデンティティの不安定さなのか、それともPTSDなのか。
イタリア近代史とカトリック信仰を知らないと難しい部分がある。この事件がきっかけで内戦が起きたということなのかな(?_?)

終了後、パンフレットの見本を手に取って中身を見るふりをしながらスマホで撮影しているヤツを目撃した(某評論家の論考ページだった)。
諸物価高騰の折、仕方ないとはいえるけどセコイ👊セコイ過ぎるぞっ🆖

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「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」

監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ファブリツィオ・ジフーニ
イタリア・フランス2022年

そもそも全6編のTVシリーズとして制作されたようなのだが、イタリアでは放映前に前後編に分けて劇場公開。日本も同様の形で公開となった。私は映画館に2回通ったが、朝から籠って通しで鑑賞した人も多かったようだ(^^;

ベロッキオ監督はモーロ元首相誘拐事件を以前にも描いている。それなのに再び、しかも今度は全6話で人物ごとのオムニバス形式で作るとはよほどのこだわりだ。それだけの大事件だったわけだが。
結果は……重量級340分を見たかいがあった\(~o~)/

前半3章はモーロ本人と解決に奔走する者たち(内相と教皇)を描き、後半は犯人の女性テロリストとモーロ夫人が主人公、そして終章を迎える。確かに配信ドラマシリーズっぽい構成ではある。
そんな中で何やら怪しい陰謀が背後にうごめいているのがちらちらと垣間見えるのであった。そして第一章冒頭の「え、これはどういうことか?」と疑問符が浮かぶ謎の場面の意味が判明する。

教会で一番偉い教皇が救おうと力の限りに祈っても神は応えない。ならば他の誰が祈っても無理だろう。さらに地位とコネを使って身代金を集め交渉しても無駄に終わるのなら、地上の権力など意味はないということだろうか。もっとも、イエスのように十字架を担いで歩いている者をもはや救えるわけはないのだが。
それなら政界の権力者はどうなのか🙄 そこには神ならぬ妖怪どもがうごめいているようだ。
狐や古狸が跋扈するイタリア政界は日本に似ている所がある。政権を取ると大臣や政務官のポジションを順に回したり。さすがにイタリア料理店でディナー食べながら密談をしたりはしないようだ(^O^)
当時の政治状況をやはり予習していくべきだったと思った時には後の祭りだった。人物の把握のためにも結局プログラムを買う羽目になった。

長丁場とはいえグイグイ引っ張っていく。既に起こったことを変えようもないが、激動の歴史を渾身のパワー(ベロッキオ85歳🌟)をもって今新たに問い直す力作といえるだろう。
映像的には照明の使い方が目を引いた。役者についてはそもそもベテラン勢ぞろいだが、元々監督は「目力の強い女」を描くのを得意技としてきたということで、モーロ夫人役のマルゲリータ・ブイが複雑な心境をを好演。


なおついでに声を大にして叫んじゃうのだが、上映館ル・シネマのオンライン・チケットのサイトやたらと使いにくいぞ~💢 嫌がらせじゃないかと思うほど。なんとかしてくれ。
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2024年10月28日 (月)

イタリア映画祭2024

241028 非常に遅くなってしまいましたが、一応鑑賞記録として書きます(^^;ゞ
今年はLFJのチケ争奪戦に完敗したのでイタリア映画祭に参加することになった。もっとも朝から晩まで朝日ホールに籠る元気はありませぬ(-_-;)
てへきれば来年はLFJも両方頑張りたい。

「グローリア!」
監督:マルゲリータ・ヴィカリオ
出演:ガラテア・ベルージ
イタリア・スイス2024年

241028b ヴェネツィア、女子孤児院が舞台ときてこのタイトルとなれば当然ヴィヴァルディ🎻かと思うが、時代設定は1800年なのでもっと後の話である。
教会付属孤児院の女子オーケストラが人気となっているが、楽長である神父は音楽的才能には欠けている。

そこへ教皇が訪問するということで新曲を作って披露しなければならぬ……なんとかせねば😱と焦ることに。
そんな権力志向の塊で鼻持ちならない神父を娘たちが協力して最終的に打倒する。そこで重要な役割を果たすのがまだ世に出る前の試作品のグランドピアノ、そして喋らず楽器も弾けぬメイドの娘だ。

オーケストラは当時の曲を演奏するがつまらなくて堅苦しいというイメージで描かれ、コンマスの娘は天才肌で気位が高い。
一方、メイド娘が気ままに奏でるのは完全に現代のポップスである。そこら辺はファンタジーということらしい。個人的にはあまり面白い音楽とは思えなかった。民族音楽味が入ってればいよかったのに。
当時の風俗の再現度は高く映像は美しいが、各エピソードが散漫に綴られていて求心力に欠けるのが難。

241028c 上映後に監督のQ&Aがあった。元々シンガーソングライター兼女優で、初監督作とのことだ。
当時の女性奏者も作曲したはずだがほとんど残されていない。そのような状況は今でも変わらず、女の子たちにエールを送る意図があった。
音楽はモダンなので、映像としては当時を厳密に再現した。
キャスティングは時間がかかった。女優達に弦楽のコーチを付けて2か月半練習させた。
チェロ担当娘役は、本業は歌手で演技は初めて……などなど。

質問はすべてQRコードでスマホから送る方式。おかげで質問よりも長々と持論を述べる映画ファンが遮断されてよかった。

終了後、エレベーターで一緒になった人が「去年はすごい豪華ゲストだった、サイン貰った」などと話していた。
しかしこんな円安ではうかつに海外からゲストも呼べないのう(*_*;


241028d「ルボ」
監督:ジョルジョ・ディリッティ
出演:フランツ・ロゴフスキ
イタリア・スイス2023年

180分⌚正直言って長かった(◎_◎;) 舞台は大戦前のスイス、流浪の民イェニッシュ(「ロマ」とは起源が異なるらしい)の男が兵役に取られた間に一家離散の憂き目にあう。
実際、彼らはロクな教育を施さないからという名目で子どもたちの連れ去りが行なわれたらしい。

しかしそれは口実で子どもたちは劣悪な環境で労働力としてこき使われるのが関の山だったもらしい。主人公は子どもを探そうと悪戦苦闘し、うまく成り上がっていく。
主役のF・ロゴフスキは七つの顔を持つ男の如き活躍。ある時は移動生活者として日銭を稼ぎ、ある時は裕福な貿易商、寒さに震える国境警備兵、伊達男の女殺しなどなど。

主人公の人間像がどうも不明。大道芸で日銭を稼いでた男が、いきなり金銭を得て紳士然とした振る舞いをできるかね(?_?) なんだかロゴフスキありきで何とか成立しているような印象だった。
彼の熱心なファンのみに推奨。
過去のイタリア映画祭で同じディリッティ監督作を見た時の感想はこちら


241028e「僕はキャプテン」
監督:マッテオ・ガローネ
出演:セイドゥ・サール
イタリア・ベルギー・フランス2023年

過去に2回カンヌで授賞し、本作はヴェネチア映画祭で監督賞(新人俳優賞も)獲得し、さらにアカデミー賞国際映画賞にノミネート……というガローネ監督であるから、この後てっきり日本で公開されると思って、鑑賞予定から外していた。
とっころが(!o!)この時点ではまだ日本公開が決まっていないということが分かり、あわてて前日にチケットを入手したのであった。(結局公開されずじまい)
評論家筋には評価が低かったらしいのも一因か。

セネガルでくすぶる若者二人。冴えない毎日に飽き飽きして、ヨーロッパへ渡って音楽で一旗揚げようじゃないか(^O^)/と金を貯めていざ出発する。止めてくれるな🛑おっかさん、そして妹たちよ。しかしうまい話など世界中のどこにも存在しないのだった。
セネガル→マリ→リビア……その後はひたすら恐ろしい方向へゴロゴロと転がっていく。

「ご都合主義」「ファンタジー仕立てにして逃げている」--などという批判も見かけるが、とことんリアリズムに振ったら正視もできないような話である。
それよりラストシーンをあの時点で止めたのをどう解釈するかだ。その後に来るのは果たしてハッピーエンドなのか不吉な結果なのか。イタリア人が見れば明確にわかるのだろうか。
そういう意味ではまさにイタリア映画なのかも。

移民・難民の悲惨な実情を描いたものは最近では『人間の境界』があった。同じ年のヴェネチア映画祭でこの二つはなんと監督賞を分け合っている。
あちらでは様々な理由で自国にいられなくなり家族ごと出国する形がほとんどである。一方、こちらは食い詰めたわけでもなく単にヨーロッパに憧れて渡ろうとする。この二つを並べていいものか(・・? こんな奴らは来ないでくれとイタリア人なら言いたくなるかも。
だが、洋の東西を問わず軽薄な若者が考えなしなのはいつの時代も同じ。彼らは充分にその報いを受けたのである。


「まだ明日がある」(日本公開タイトル「ドマーニ! 愛のことづて」)
監督:パオラ・コルテッレージ
出演:パオラ・コルテッレージ
イタリア2023年
*オンライン視聴

どんな内容なのか全く分からず(チラシの紹介文は曖昧な文章だった)、結局後から評判がいいと聞いて映画祭のサイトでオンライン視聴をした。

1946年のイタリア、夫から激しいDVを受けている妻は何かを心待ちにしているようである。折しも古くから知り合いの修理工の男が町を出ていくという--。

フェミニズムやシスターフッドを描いて評価が高かった本作、監督兼主演のコルテッレージはイタリアでは有名な喜劇女優とのことである。そのせいとは思えないけどなんだか非常に重くてシリアスな中に笑える場面が混じっていて、ホッと一息つくというよりは「えっ、これ笑っていいの(・д・ ≡ ・д・)キョロキョロ」みたいになってしまうのは困ったもんだ。

バカ息子たちのバカ騒ぎぶりには笑いよりも殺意を抱くほどだし、夫が暴力を振るう場面は加工した映像使ったりしてぼやかしてはいるが、事前に経験者への警告を出しといた方がいいレベルである。
ということで見ててカドカドした感触がどうも合わずに終始した。

ラストはなるほどそうだったのか!と思った。イタリアと同じく敗戦国であった日本もこんな感じだったのだろうか。今では隔世の感としか言いようがない。

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2024年10月11日 (金)

映画落穂拾い・ツイッターX編

ブログに感想を書けなかった映画の備忘録がわりです。

追い詰められ型。主人公が追い詰められちゃいます。

「リアリティ」

「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」

「インスペクション ここで生きる」

ヒーローもの特集。

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」

「マダム・ウェブ」

「ザ・フラッシュ」

小学生の女の子が主役。

「コット、はじまりの夏」

「窓ぎわのトットちゃん」

まだ続く。

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2024年10月 9日 (水)

「ありふれた教室」:職員室あるある

241009 監督:イルケル・チャタク
出演:レオニー・ベネシュ
ドイツ2023年

見てる間きっとイヤな気分になるだろうなと思いつつ行ったら、やっぱりそうなった。ドイツの学校の話である。99分で最近の映画にしては短くスッパリと終わるのが唯一の救いだ。

中学校で盗難事件が続発する。一年生の担任の新人教員が自分のクラスの子どもに嫌疑がかけられた上に、勝手に対処を決められそうになったことから怒って極端な行動に走る。
怒ったとはいえいくらなんでも彼女は飛躍し過ぎ💨と思うが、そういう設定だから仕方ない。
映画の原題は「教室」ではなく「職員室」である。根本の問題は子どもたちではなく教職員そして「学校」という体制の方にある。そのすべてが周囲から容赦なく主人公を包囲してチクチクと来る。保護者・同僚・管理職・上級生……。
そういう気分が十分に味わえる映画だ。恐ろしい(>y<;)
教師にも外国からの移住者がいるという点がまた職員室内で微妙な齟齬を生んでいる。

起こった謎の解明が主眼ではないのは『落下の解剖学』と同様である。大人たちの板挟みになって一番被害を被るのもまた同じく少年だ。
仕事で余裕なく追い詰められる若い女性の視点から捉えるというのは『アシスタント』を連想した。
アカデミー賞国際長編部門候補。『関心領域』でなくこちらがドイツ代表✨よ。

それにしても全編「学校あるある」といった感じで日本でも似たことは起こりそう。生徒たちに「先生に合わせてあげてたんだよ」と言われる件りは、若い教員なら震え上がるだろう。
なお日本でも学校での盗難、特に生徒同士のものはよく起こるらしい(ーー;)

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2024年9月30日 (月)

「関心領域」:マイ・スイート・ホーム、お隣りさんは気にしない

240930 監督:ジョナサン・グレイザー
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
米国・イギリス・ポーランド2023年

日本でも公開前から賛否両論・議論沸騰・毀誉褒貶で(一部が)かまびすしかった本作である。そのせいか「収容所もの」としては公開規模が大きく、ポップコーンとドリンク持って鑑賞する人たちも結構いた(一説によるとホラー映画と間違えた、とか?)。

こぎれいな邸宅と丹精込めた平和な庭園。見る前の予想だとそこに遠くから微かに音が聞こえてくる--みたいな設定かと思ったら全く違った。それどころか不審な音のド真ん中に住居があってガンガン響いて来るじゃないですか~(>O<)
職住接近も極まれり、ヘス所長宅からユダヤ人収容所まで通勤時間10秒である。しかし夫人はそんなことも気にせず美しい庭を造り、当然の権利として快適ライフを楽しんでいるのだった。

「何も起こらない」という意見があったがそんなことはないだろう。ずーっと何かが起こり続けているという話である。
そんな生活を楽しんでいるのは夫人だけだろうか。夫の所長も変な部分が徐々にチラ見せされてくる。長男が「歯」を眺めているところも恐ろしい。
赤ん坊は泣きっぱなし、子守り役はノイローゼ、夫人の母親が遊びに来たもののすぐ帰ってしまう。庭土には怪しい白い粉をまいている。なるほどこれはホラーに違いない💦

しかし告白せねばなるまい。「ルドルフ・ヘス」って二人いた!とは知りませんでしたっ。最初ヒトラーの側近かと思ったら別人で、正しくは綴りも発音も違うらしい。

密かにリンゴを作業地に置いていくレジスタンスの少女や、所長から異動になった先のベルリン生活も描かれるが、「家」を離れた場面は総じて冗長に思える。
部分的にあざとい、わざとらしい、これ見よがしな表現があり、これは各人の好みによってそれをどう評価するかは分かれるだろう。例えば終わり近くに突然挿入される(掃除している)場面。これは必要なのか。
また、階段でゲーゲーやってるから罪の意識を感じているというのも無理があるのでは。
しかし、賛否どちらでも色々と考えてしまうのは確かだ。


なお、アカデミー賞5部門ノミネートで国際映画賞と音響賞を獲得。イスラエル✖ハマスの戦闘継続する中、授賞した際にユダヤ人である監督が何をスピーチするのか一部注目を集めていた。イスラエルだけでなくガザの被害者にも言及したことで、結果として他のユダヤ系映画人から非難を受けたもよう。(『サウルの息子』のラースロー監督とか)
でも全世界に放送されるのが分かっているのだから相当に勇気がいったはずである。なおスピーチの最後に読み上げた女性の名前は、作中のリンゴ少女だったらしい。

なんの躊躇もなく庭づくりにいそしむ夫人役のザンドラ・ヒュラーが印象的。彼女は『落下の解剖学』でオスカーにノミネートされていてにわかに「ザンドラ祭り」となった。

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2024年8月30日 (金)

「アイアンクロー」:鉄の爪にガラスの心

240830 監督:ショーン・ダーキン
出演:ザック・エフロン
米国2023年

米国で実在する有名なプロレス一家の物語である。普段、プロレスとは縁がない人間だが前評判が良かったので行ってみた。

時は1980年代初め、農場で鍛錬する若者たちの姿があった。父親はプロレス界で活躍したが、現役時代に果たせなかった望みを自らの息子たち4人に託そうとしている。そして……託し過ぎてもはや押し付けとなるのだった。それは強圧となって彼らを叩き潰す。

では、母親はどうなのかというとキリスト教の熱心な信者である。息子の一人が高校のバンドのライヴに行きたいと言うと、強固に反対する(父親も行かせてやれというぐらい)。その場面では理由は語られないが、恐らくは強固な信仰のためだろうか。

いくら肉体を鍛えても心は鍛えられない。不安定になった時に父や母に相談しても返ってくる答えは「兄弟で解決しろ」で、子どもたちの悩みに向き合ってくれず。これでは行き場もないのだ。
元々長男は子ども時代に亡くなっているのだが、事故、病気、ドラッグ、メンタル不調と次々とトラブルが彼らを襲う。リングの上ではパワーを誇示する彼らが実はガラスのように不安定で壊れやすい。(でもラッシュの「トム・ソーヤー」がかかるところはカッコよかった)

このような困難な家族の肖像が、主に次男のケヴィン(実質的には長男)の視点から描かれる。それ以外にもプロレス興行の実態、州ごとの団体やランキングなど、内幕が素人にも分かるようになっていた。

実話ベースとはいえ、本当は六男までいたというのには驚いた。あまりに悲惨になってしまうので削ったらしい。四男の経緯も実際はもっと複雑とのこと。
終盤でケヴィンが見るヴィジョンは、突然にリアリズムを逸脱して唐突な気がした。でも彼の願望だからあれでいいのか。彼の息子たちの言葉が救いである。

主演のザック・エフロンの肉体鍛錬度はスゴイ(!o!) 演技も良かったしオスカーの前哨戦に名前も上がらなかったのは納得できねえ😑
母親役はモーラ・ティアニー。妻のリリー・ジェームズは美人過ぎ~🎵
監督のショーン・ダーキン作品は以前『マーサ、あるいはマーシー・メイ』を見ていた。10年も前であまりよく覚えてないが、主人公がグツグツ煮詰まっていく様子を密着して描くのが得意技のようだ。


観客は往年のプロレスファンと思しき白髪頭の男性多数だった(来日して試合もやってたらしい)。ただ私はやっぱりプロレスは苦手だなと思った……我が家は完全ボクシング派だったんでな。多分、祖母が熱狂的なプロレスファンだったのでその反動だろう。

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