映画(タイトル「ア」「カ」行)

2019年12月13日 (金)

燃える秋のパイク祭り「プライベート・ウォー」&「エンテベ空港の7日間」

191213a「プライベート・ウォー」
監督:マシュー・ハイネマン
出演:ロザムンド・パイク
イギリス・米国2018年

ロザムンド・パイクが戦乱の地を取材した実在のジャーナリスト、故メリー・コルヴィンに扮して半生を描いた映画。「バハールの涙」で登場した女性カメラマンのモデルとなった一人でもある。

英国の新聞記者として紛争地を巡っていたが、スリランカで地雷のために片目を失う。その後PTSDで入院したり、終始タバコを手離せずやアルコール依存、さらに夫とは離婚……というような状況が、回想とも幻想とも付かぬ状態でフラッシュバックと共に入り乱れるのだった。

リビア、シリア、アフガンなど戦闘状態の描写が恐ろしく迫力ありすぎて「こ、こんな所で取材するんか」と震え上がってしまった。--と思ったら監督はこれまでずっとドキュメンタリー畑だった「カルテル・ランド」の人だった。特に最後のシリアは本当に恐ろしい。こんな所で一日も暮らせないとヒシと伝わってくる。
戦闘下の病院で取材される役のエキストラは実際に難民だった女性たちを起用したとのことだ。

演出スタイルは戦場とPTSDの描写が続く中、「情」と「事実」の均衡がやや危うくなっているように思えた。
戦場や難民の描写は迫力あるのだけど、それ以外の心理描写や感情表現などは割と類型的なパターンで終わってしまっているような。その点が今ひとつだった。

上司である編集長の意図が不明。単にスクープ記事が欲しかったのか、そうではないのか。結果的に彼女を死地に追いやったように見えた。

ロザムンド・パイクは「荒野の誓い」とはまた異なる方向の熱演で圧倒。ニコ中アル中オバサン演技に全裸も辞さずである。実話ものによくあるように、最後に本人の映像が登場するが非常にそっくり。話し声も区別が付かないほどだ。
なお、彼女の死は爆撃に巻き込まれたようだが、ピンポイントで狙われた暗殺という説があるらしい。

予告を見た時に、これから公開の「エンテベ空港の7日間」と合わせて「秋のパイク祭り」と出たのには笑ってしまった。
ただチラシの「挑む女は美しい」のコピーは野暮の極みですね👊


191214b「エンテベ空港の7日間」
監督:ジョゼ・パヂーリャ
出演:ロザムンド・パイク、ダニエル・ブリュール
イギリス・米国・フランス・マルタ2018年

同じくパイク祭り💥……とはいえ主役はD・ブリュールの方である。
1976年の史上有名なハイジャック事件を、発端からイスラエル軍部隊が突入する「サンダーボルト作戦」までの顛末を描いたものだ。といっても、犯人の心理や政治の駆け引きが中心で、過去に三回映画化されたようなアクション・ファンが見てスッキリするような軍事ものではない。

イスラエル人が多数乗った飛行機をハイジャックした犯人4名のうち、ドイツ人の二人をブリュールとパイクが演じている。
クールマン(パイク)は過激派同志のマインホフを信奉しており、冷徹でユダヤ人に差別的で容赦ないのだが、もう一人のボーゼは元・編集者という「文弱の徒」だけあってどうもフラフラと逡巡して定まらない。
ハッと気付けば自分のやってることはナチスと変わらないではないかと悩み、パレスチナ人の仲間からもなじられる始末。
鬼💢のパイクに揺れるブリュール--といった調子である。彼はこの手の弱気演技をやらせたら天下一品といえるだろう。

彼らは所詮「ガイジン部隊」に過ぎなかったのか。背後にPFLPや着陸地ウガンダの悪名高きアミン大統領などの思惑が交錯する。
イスラエル側ではラビン首相と国防相のペレスが対応を巡ってチクチクとやり合う。ペレスを演じているE・マーサンは普段いい人役が多いが、ここでは老獪さを巧みに見せていて注目だろう。

結局、イスラエル軍がウガンダ完全無視で勝手に突入するが、ここら辺の戦闘描写はあっさりとしたものだ。人質の死者はほとんどなく、イスラエル軍が1名。
なのにウガンダ兵の死亡者が45名⚡と、桁違いに多かったのがラストで明らかにされる。これは驚いた。他国の紛争が原因で殺されては浮かばれまい。なんだかなあという気分になってしまった。
なるべく事実に即して描いているということで、まさにヒーローのいない闘いなのだった。監督は若手のブラジル人。これからも期待である。

さて、兵士の一員の恋人がダンサーという設定で劇中にそのダンスシーンが数回挿入されている。チラシや宣伝などを見ても全く言及されてなくて知らなかったのだが、イスラエルの有名なバットシェバという舞踏団とのことだ。
これがネットの感想を見ても批判が圧倒的に多い。ラストの突入シーンには交互にステージ本番を迎えたダンスが入る。クライマックスに余計なものを入れるなという意見だろう。
しかし私には非常に面白くて興奮した。むしろ現在からの批評的な視点を感じさせ緊張感を高めているのではないか。

ずらりと並べた椅子に座った人々が順繰りに同じ素早い動きを行い、服を脱ぎ捨てていくが、一人だけ同じに出来ずに何度も床に倒れ伏してしまう。人々が着ているのが伝統的なユダヤ教徒の服装であることから、監督は世界の和平への動きについていけないイスラエルの孤立を表すと考えているそうだ。
だが、一方で逡巡する主人公の姿を表しているようにも見えた。他の人々はみな良きにつけ悪しきにつけ自分の確たる考えを持ち突き進んでいくのに、自分だけは同じようにできずに傷つき倒れてしまう。そんな焦燥感を感じさせた。

エンドクレジットの「ウサギとカメ」みたいなダンスも面白かった。常に速い速度を保ってきれいなフォームで走っている者はいつまでもゴールにたどり着けない。
しかし、まともに真っ直ぐには進めず這うようにして歩き、コースを外れてフラフラと曲がりくねりつつ行く者の方が先に到着する……これまた極めて示唆的である。

このダンス絶対ナマで見たい!来日したら必ず行く(!o!)と思ったら、なんと3月にさいたま芸術劇場に来るではないの❗ なんだよ~、どうせだったら映画がらみで宣伝してくれればいいのにさ。大人の事情とかあるのかしらん。
191214c

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2019年11月18日 (月)

「アルツハイマーと僕 グレン・キャンベル音楽の奇跡」:音楽が終わった後も

191118 監督:ジェームズ・キーチ
出演:グレン・キャンベル
米国2014年

グレン・キャンベルってヒットチャートでは耳にしてきたが、それ以上に接することはなかった。活躍するジャンルがカントリーというのも理由の一つだ。
だがそもそもはセッション・ギタリストとして活動を始め、ビーチボーイズにも短期間だけど参加していたというのは知らなかった。

彼がアルツハイマー病にかかり、あえてそれを公表してラストツアーを決行する。その行程を記録したドキュメンタリーである。ステージだけではなく診察や日常生活も映像として公開することで、この病に関する啓蒙活動とするのを意図したようだ。

病気がなくてももういい歳だというのに、1年以上かけて全米150カ所回ったというのはすごい。だが、ツアーが進むにつれて病気も段々と進行する。それでも音楽は続く。続けられたのは年下の奥さんがまだ若くて元気なのと、子ども達がバンドのメンバーに入っていて側で支えたからだろう。

演奏中にカンシャク起こしたり、メンバー紹介で子どもの名前言えなくなったり、同じ曲を二度やろうとしたり……(^^; しかし聴衆は最初から分かって来ているので、優しく見守っている次第。
ステージを見て感激したP・マッカートニーが楽屋を訪れる場面があるけどあれ、もしかして誰が来たのかキャンベルには分かっていないんじゃないかと怪しく思った。「どっかで見たヤツだな、まあいいか🎵」みたいな感じだ。
病状の進行を順々に見せられて正直つらいところあり。最後にはスタジオで歌詞一行ずつしか歌えなくなる。
しかし本人が良しとしてればそれでいいのだろう。まさにミュージシャンの魂、百までもである。

クリントン元大統領やスティーヴ・マーティンを始め、色々な人が登場してコメントしているが、レッチリのフリーやスプリングスティーンも出て来たのは意外だった。二人とも家族がアルツハイマーだったとのこと。

歌詞にちゃんと字幕の訳がついてたのは良かった。どうせなら曲名も出してくれたらありがたかったのに--って、贅沢言いすぎかな(^^ゞ

これを見る気になったのは、彼が亡くなった時に山下達郎のFM番組でキャンベルのラストアルバム「アディオス」(日本未発売)を紹介したのを聞いたからだ。この映画を作っているのと同時期(?)に録音したようである。
アルバムに最後に収録されているのはジミー・ウェッブ作のまさに(リスナーに別れを告げる)「アディオス」(-o-)/~~~であった。元々は1989年にリンダ・ロンシュタットが歌ってヒットした曲だ。
私は最近ウェッブを好きでよく聞いているので、それを知って興味を持ったのである。

キャンベルは彼の作った歌をよく取り上げている。大ヒットとなった「恋のフェニックス」「ウィチタ・ラインマン」「ザ・ムーンズ・ア・ハーシュ・ミストレス」などなど。いずれも名曲揃いだ。
映画でウェッブは友人として登場しコメントしたが、ほんの数秒だけだった。残念。

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2019年11月10日 (日)

「ある少年の告白」:矯正を強制して共生せよ

191110 監督:ジョエル・エドガートン
出演:ルーカス・ヘッジズ
米国2018年

シビアでつらい物語、というか実話である。
大学生活で同性愛が発覚した若者が、閉鎖的な矯正施設に送られてしまう。そもそも父親が牧師だからとても許されない。
事前の予想よりストーリー上の宗教の比重が大きかった。まあそもそも同性愛が禁忌とされたのは聖書にあるからだが。

いったん終わるかと思わせてまだ続きがあったのは意外な展開。父母と息子の物語でもあることが分かる。そこまではニコール・キッドマンが母は強し演技で目立っていて、父親役のR・クロウはパッとしなかった。
しかしラストでちゃんと彼は不安定な父親像を演じて見せた。やたら太ってて大丈夫かい!と思ったら、実際の父親があの体型らしい。(そこまで似せなくても)
主役のヘッジスも繊細な演技。ラストで怒りを見せるところもうまかった。

レッチリのフリーが恐ろしい施設職員役で出演していたけど、結構小柄でやせてて驚いた。ステージの映像だとすごく巨大&強力に見える。
エドガートン扮する施設長は、最後の字幕でその本質が明らかにされる。うっかり見逃す可能性があるのでご注意。

邦題は原題(「消された少年」)を生かした方がよかったのではないか。
日本だったらあの矯正施設は「」ではなくて、某ヨットスクールみたいに「根性」で打ちすえるのだろう。イヤダー(>y<;)

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2019年11月 6日 (水)

「荒野の誓い」:ビッグ・カントリー 広くても行き場はない

監督:スコット・クーパー
出演:クリスチャン・ベイル
米国2017年

時は19世紀末の米国、長年先住民との戦争を戦ってきた騎兵隊大尉の主人公は、かつての宿敵である族長を刑務所から居留地に護送するように命令される。
このような設定だと想像できるのは、激しくいがみ合う両者が道中で予期せぬ襲撃などアクシデントに遭って、互いに理解し合うようになる。
--と思ったらちょっと違った💨

主人公は積年の恨みに決着付けようと首長に決闘を挑むのだが、相手は孫までいて家族と静かに暮らしている上に、大病を患っている。もはや闘う気は皆無なのであった。彼の憎悪は空回りしてしまう。
もちろん別の部族が襲撃してきたり、家族が襲われ一人生き残った人妻を救出というようなアクシデントは起こる。

見ていくうちに、これは西部劇の形式を取ってはいるものの実は戦争の帰還兵や後遺症を描くという、極めて現代的なテーマを持っていることが分かってきた。退役が迫ってくる年齢になっても、戦争の影から逃れられず平和な生活など送れそうにはない。そんな陰々滅々とした思いが、ワイエスの絵のような美しく悠揚たる自然を背景に描かれる。
さらに殺人の罪で逮捕されたかつての部下の護送も途中で依頼される。この男がまた以前の自分の分身であり、過去の亡霊の如きで兵士たちを苦しめるのだった。

平和になった現在において過去についてどう折り合い、謝罪と和解ができるかどうか。一人の男の変容を通して、明確に答えを出しているといえるだろう。これは他国の過去だけの話ではないのはもちろんである。
唯一の救いはラストのラストでわずかにホッとできるということか。ただ、あの少年がこれからうまくやっていけるのかはちょっと不安。

設定や展開はよくできているとは思ったのだが、どうも脚本が今ひとつの部分がある。人物が会話で説明過剰と思えば、説明少なくてよく分からない場面もあり。死人も多すぎるんではと思う。
救出された後、砦に着いたのに女性がその後も部隊に同行する理由がよく分からなかった。(同行しないと話が進まないというのは分かるが)
それから、主人公や戦友の内心の動揺の描写が中心となっているため、どうしても先住民側の描写が薄くなってしまったのは残念だった。

主役のクリスチャン・ベイルはまさに「鬼気迫る熱演」とはこのことか!としか言いようがない演技で全てを圧倒していた。最後の殺人の後の姿はあまりの迫力で正視するのも恐ろしいぐらい。
さらに『バイス』とどちらを先に撮ったのか不明だが、あの映画と比べると痩せこけてて胴回り三分の一、顔の幅は半分くらい(^O^;)と言っていいだろう。とても同一人物とは思えません。
人妻役ロザムンド・パイクの、狂気でイっちゃった眼も負けずにコワかった。さらに元部下のベン・フォスターも出番は短いが見事な悪役ぶりである。
出番が短いと言えば、チョイ役でティモシー・シャラメが出ていたのには驚いた❗ あっという間に退場しちゃうのだが、2017年製作なので彼がブレイクする直前に撮ったのだろうか。

さて邦題についてだが、これがまた問題(原題は「敵対者たち」)。この手のタイトルは後から区別が付かなくなる案件なのである。例えば「誓いの荒野」でも「荒野の決意」でも全く変わらない。正確に思い出せなくなってしまう。
もっとも「タイトル見ただけで西部劇と分かる」という意見もあり、なるほどそういう面はあるかと思った。確かに場内は西部劇ファンとおぼしき高齢男性多数であった。
『マルリナの明日』でも高齢男性の観客がやたら多かったのだが、あれは西部劇(というかウェスタン)ファンだったのだなと思い至った。

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2019年9月23日 (月)

「アートのお値段」:ノー・モア・マネー 芸術家のラスボスはあの人

190923 監督:ナサニエル・カーン
出演:アート界の皆さん
米国2018年

現代アートに興味のある人は見て損なしの面白いドキュメンタリーだった。
金、かね、カネ……の面からアートの価値を徹底追求。アーティスト、コレクター、サザビーズの担当者(オークショニアっていうの?)、評論家が様々に語る。「ギャラリスト」というのは「画商」のことか(?_?)

教科書に載るような過去の古典的名画は供給が限られているが、現代アートは作者が生きてて作品が作られ供給され続けるので、投機の対象となるのだという。
しかし、いくら高額で転売されても作った本人自身の儲けになるわけではないのがまた問題だ。
もはや「作品=カネ」はこの社会のシステムの一部として定着しているようだ。

実際に本人が登場して語るアーティストはJ・クーンズ。大きな工房を持ち何人ものスタッフが絵筆を握って制作。本人は直接描いたりしない。でも作るのは巨大インスタレーションだから莫大な金が動く。
売れっ子クーンズの逆がラリー・プーンズという画家(私はこの人知らなかったです)。過去に人気があったが忘れ去られている。
アフリカ系女性のN・A・クロスビーは、自分の絵画の値段が高騰していくのを達観したように眺めている。「アフリカ系」と「女性」というキーワードがさらに価値を押し上げているのかも知れない。

G・リヒターは作品はコレクターが持っているのではなく、美術館にあるのが望ましいと語った。サザビーズの担当者(リヒター押し)はその話を聞いて「倉庫で死蔵されるだけ」と笑った。
……だが、待ってくれい。バブル期に日本で民間に買われた大作アート(キーファーなど)は結局画商の倉庫で「塩漬け」になったという話を聞いたぞ。その後どうなったのか神のみぞ知る、である。

それ以外にバスキアやダミアン・ハーストの名が上げられ、高額な彼らの作品が紹介される。あの「牛の輪切り」はもはや過去の栄光になっているみたいだが。

一方、「多くの人がアートの『値段』は知っていても『価値』は知らない」と語る老コレクターが登場。彼の高額そうなマンションには高そうな作品がいくつも飾られている。彼はシニカルだがアートを愛しているのは間違いないだろう。
彼の出自が明らかになるくだりは興味深い。そんな彼でも監督のインタビューの果てにたどり着いた「芸術とは何?」という問いには答えられないのだ。

彼が熱心に自分のコレクションについて語る姿や、実際にアーティストの制作過程見せることによって、現代アートがよく分からない人への入門にもなっているようなのは面白い。
だがその現代アートというテーマにもかかわらず、それをひっくり返すオチ(ダ・ヴィンチの某作品がらみ)が最後に来たのには笑ってしまった。

なお、先日イギリスの宮殿に展示されていた黄金の便器(約1億3500万円の価値)が盗まれる事件が起きたが、この便器も作中で紹介されていた。材質は黄金なれど普通の便器のように配管され使用可能。
米国の美術館で展示されている場面では長蛇の列ができていた。個室で実際に使用できたらしい。それなら私も使ってみたいわい( ^^)/
なお、これ自体は「過剰な富を批判した作品」とのことだ。

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2019年9月17日 (火)

「COLD WAR あの歌、2つの心」:生きて別れし物語

190917 監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:ヨアンナ・クーリク、トマシュ・コット
ポーランド・イギリス・フランス2018年

イーダ』の監督の新作はカンヌで監督賞受賞、オスカーも3部門ノミネートという高評価だった。どうも恋愛映画っぽいということで、二の足を踏んでいたのだが評判が良かったので見ることにした。

戦後数年経ったポーランドから始まる。冒頭農民たちによって歌われる、野卑にして強烈なエネルギーを持つ民族音楽に引きつけられる。
場面はそのまま歌手のオーディション場面に繋がり、一人の若い女が注目される。年齢は若いがどうも過去に色々ありスネに傷持つ強烈な個性の人物のようだ。
その女と、彼女を採用した作曲家兼合唱団の指揮者の男との長きにわたる複雑な関係が描かれる。

くっ付いては離れ、離れてはまた片方が追いかける--ということを繰り返すが、その間女は他の男と結婚していたり、と一筋縄ではいかない男女の仲である。
私は恋愛ものが苦手なので、どうにもよく理解できない。その心理は不可解である。
特に後半、ケンカを繰り返した挙げ句に男が投獄されると分かっていて女を追っていく件りとその後に至っては、性急すぎる展開もあってよく分からん。
と思っていたら、終わった後に近くの女性客が「なんで(男が)あそこで戻っちゃうのよ~」と話していて激しく同感だった。
理解できないのは私だけではなかったようだ。ホッ(^o^)

当時のポーランドの政治状況は直接語られることは少なく、音楽の有り様を通して描かれている。素朴な民謡がアレンジされて合唱曲になり、やがて政治体制を翼賛するような大がかりな舞台公演と化し、最後にはエンターテインメントとして他国でも上演する。
しかし最初の野卑なテイストは失われても、やはりその音楽はそれぞれに魅力はあるのだ。「2つの心」という古い曲の変遷がそれを表す。
それ以外にもパリでヒロインが当時流行始めた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で踊り狂ったり、故国の「サマーフェスティバル」でボサノバをやる気なさげに歌う場面などあり、面白い。
まさに「歌は世につれ世は歌につれ」🎵である。

そしてパリでの生活だが、『ホワイトクロウ』ではあれほど魅力的に描かれたあの街が、時代がずれるとはいえ、薄汚くスノッブで鼻持ちならない場所となっているのは興味深い。両方足して2で割ればちょうどいいのかね(^^;
また全編モノクロの映像は強烈である。特に日差しを映した場面が印象に残る。さすが撮影賞にノミネートされただけはあると感じた。
ヒロイン役のヨアンナ・クーリクはジェシカ・チャスティン似の強気っぽい美人。『イーダ』にも歌手役で出ていたらしいのだが、覚えていないです(^^ゞ

見た後で監督のインタビューを読んだら、この物語は監督自身の両親をモデルにしていると知って驚いた。なんと二人はヨーロッパを股にかけ40年もの間別れたり復縁したりを繰り返していたのだという。映画よりもさらにスケールが大きい。ビックリである。

私はそれを知った時、二人の子どもである監督はそれをどう思っているのかなあと疑問に思った(事実を述べているだけで彼の心境は特に語っていなかった)。
それをモノクロ90分にまとめ上げた手腕はかなりのもの。
そうなると、あの理解に苦しむラスト(あの場所に行って○○して●●する)も、彼にとって親に対する心情の決算だったのだろうか……。

ただエンドクレジットに「ゴルトベルク」を流したのはさすがに意味不明。『イーダ』でもコラール前奏曲使っているからバッハ好きなのかしらんとは思うけど。最近「ゴルトベルク」やたら使われ過ぎ💢という意見をいくつか見かけた。
普通だったらショパンの「マズルカ」だと思うが。当たり前すぎ?

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2019年8月17日 (土)

「荒野にて」:父一人馬一匹子ひとり

監督:アンドリュー・ヘイ
出演:チャーリー・プラマー
イギリス2017年

思い出したのはケン・ローチの『ケス』である。あれは孤独な少年とタカの物語だったが、こちらは競走馬と少年の物語。ロードムービーであるところが『ケス』とは違っている。

米国の田舎町、少年は父親と共に引っ越してきたばかりで完全に孤独である。それまではハイスクールに通っていたようなのだが、父親は全く無関心で、そもそも不在が続き生活費すらろくに渡していない。家の中はまだ段ボールが積んであるままだ。

たまたま馬主の男に気に入られて、その厩舎でバイトすることになる。そして年老いた競走馬の世話を熱心にする。もはや勝てないその馬が処分されることを知って、連れて逃げるのだった。

そして邦題にあるように荒野をさまよう。道もないのでロードムービーでなくて荒野ムービーだろう。馬を連れて出たはいいが、少年自身は乗馬も出来ないのだ。運搬トラックのガソリン代もない。
しかし荒野にいた時はまだよかったかもしれない。本当の荒れ野は広野でも山でも道路でもなく、人間が殺伐と暮らす都会の方だったのが分かる。それが淡々と語られる。

見ていてこの世界のつらさ苦しさがじわじわと迫ってくる。
果たして約束の地はあるのか。わずかに明るい結末が救いであり、それが『ケス』とは異なる部分である。「刑務所に入ってもここに戻ってもいい?」という台詞が泣ける。

しかし、こうして見ていてなんだか私は派手なエンタメ映画を鑑賞しているのと同じように、孤独な少年の苦悩や悲しみを娯楽として消費しているだけではないのかとも思えてきた。
そうしてますますウツウツとなってしまった。だからといって、どうするわけでもないのだが(=_=)

最近、ルーカス・ヘッジスを始め若手の役者が才能を見せているが、この少年役のチャーリー・プラマーもかなりのものである。
父親が入院してしまい、今は疎遠になってしまった伯母を頼ろうと提案するのだが父親に却下されてしまう。その時の微妙な表情が大変うまくて驚いた。瞬時に入れ変わるかすかな期待と落胆……。
ここで演出(監督は『さざなみ』の人)や役者が下手だと、観客は台詞のテキストで判断するしかない。父親の言うことをよく聞く少年の真意は果たしてどうなのか--と疑問に思うより前に瞬時に見る者を納得させる。これって当たり前のようでなかなか実際には難しい。

馬主のオヤジさんは最初帽子かぶっていて、アップの場面がなくてよく顔が分からなかったのだが、喋る声がどこかで聞いたような……と思ったらスティーヴ・ブシェミだと気付いた(^^ゞ(遅い!) いい味出してます。
モロにアメリカな話なのだが、イギリス映画なのね。
原題は馬の名前「リーン・オン・ピート」。「ピートに任せとけ」って感じ?

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2019年6月29日 (土)

ルース・ベイダー・ギンズバーグ祭り「ビリーブ 未来への大逆転」&「RBG 最強の85才」

190629a「ビリーブ 未来への大逆転」
監督:ミミ・レダー
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2018年

85歳にして米国の現役最高裁判事、女性では史上二人目だというルース・ベイダー・ギンズバーグ。その人生をたどる。
法律家を志し名門ハーバード大学院に入学するも、なんと当時の女性の割合は0.1パーセント以下。しかし、家事が彼女より得意な夫と共に家庭を築きつつ首席で卒業。
だが、どこの法律事務所も女を雇ってはくれなかったのである……。仕方なく大学の教員業に。

伝記ものの問題は、大きな功績を成し遂げた人物が波乱万丈な人生を送っているかというとそうとは限らないことだ。
画期的な裁判を勝ち抜いてきたとはいえ、殺人事件のような犯罪ではなく行政訴訟の類いだから、衝撃の事実が今明らかに(!o!)なんてことはなく、あくまで弁論で進行する。しかもすこし気が緩むと「あれっ、今なんて言ってた?」てな字幕見逃しが頻発するのだった。

娘との世代対立など盛り込むも、監督の演出は一本調子でメリハリに欠ける。内容からして客は女性が多いのかと思ったら、意外にも中高年男性がほとんど。どうも社会派映画だと受け取られたらしい。後ろの席ではイビキが聞こえ、近くの高年男性は途中で帰っちゃった。
主役のフェリシティ・ジョーンズは「よくやってる」感はあるけど、実際のご本人はもっと興味深い人物なんじゃないの💨などと思ってしまった。むしろ家事でも仕事でも妻を支える優れものの夫役アーミー・ハマーの方が、好感ポイントが上だったのは仕方ないだろう。

個人的には、大学の授業で取り上げられた事件の判例の一つが少し前に日本で起こったのと似ていて(ひどいDVを夫から受けていた妻が逆襲したのを、罪を問われる)、性差別案件は米国の50年遅れなのが分かってガックリきた。

既に今年の最凶邦題賞に決定確実なタイトルであるが、「ドリーム」「ビリーブ」と来て……次は「トラスト」かな。長音入るなら「スピーク」「ウォーク」あたりか。


190629b「RBG 最強の85才」
監督:ベッツィ・ウェスト、ジュリー・コーエン
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
米国2018年

さて、そのRBGご本人を取材したドキュメンタリーである。
アカデミー賞では長編ドキュメンタリーと歌曲の2部門でノミネート。さらにMTV映画賞ではリアルライフ・ヒーロー賞に加え、格闘シーン賞「ルース・ベイダー・ギンズバーグ対不平等」👊でも候補になるという評判ぶりだ。

冒頭彼女の大衆的な人気の高さが描かれる。若い女性を中心に支持され、グッズが作られ、SNLでもネタになるというぐらいキャラクター化しているのだった。これはトランプ以後に最高裁判事(大統領が任命する)のリベラル×保守の比率を彼女の存在が握っているという理由もあるだろう。とにかく日本では想像も出来ない人気なのだ。(その分、毀誉褒貶が様々にあって大変そう)

その半生は『ビリーブ』で描かれたのと大体重なる。そして肝心の本人は、小柄で特徴ある華奢な声で穏やかに喋る。予想より遙かに静かでチンマリとした外見。ただし、弁舌を振るう時を除いて、だ。
彼女の人物像を語る人々としてビル・クリントンやグロリア・スタイネムも登場するとは知らなかった。

しかし、さらに予想を裏切ったのは夫マーティンであろう。映画で好評だったアーミー・ハマー版よりももっとユーモアあって楽しい好人物だった(料理得意なのは事実)。こういう人が共にいたから先駆的な活動が出来たのだなあとヒシ感じた。
というわけで、やはりフィクションより実物の方が面白かったのだった。

マスコミやTVで騒がれていることについて、娘と息子が「母は家のTVの付け方知らないはず」と言っているのには笑ってしまった(*^O^*)

なお、取り上げられている裁判例の一つに、妻を早く亡くした夫が子育てをしているのに男は育児手当を貰えないのはおかしいと行政を訴えたものがあった(映画だと介護手当になっていた)。その夫は「男性差別」だとG・スタイネムに文句を言っていたけど、それはお門違いであろう。
そもそも男女の伝統的な性別役割分業に基づいて、当時は「介護や保育は女の本能であり、男のやることではない」「男であればそんなことはしない」「そんなことをする者は男ではない」という観点から手当は女にしか支給しないと決められたのである(それを決めたのも男であろう)。そしてそのトバッチリを受けたわけで、根源は男女の格差なのだ。

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2019年6月17日 (月)

「キャプテン・マーベル」:あなたの掻いた左目が痛い

190617 監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
出演:ブリー・ラーソン
米国2019年

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の最後の最後に名前だけ登場して気を持たせたヒーローが満を持して登場である。
                      ここにグースのシッポが❗→

しかも巷の噂によると女性でMCUシリーズ最強のパワーだというじゃありませんか💥

期待大で見に行った。がしかし、これもまた情報量が多くてあっという間に二転三転と話が進む(@_@) 「あっ、見逃した」「あれ?今なんて言った」状態が多発。とても脳ミソの活動がついて行けません。
もう一度見て色々と確認したかったけど行く機会を逃した。レンタルかTV放映待ちである。

話のツボは記憶を失った主人公が自らの過去を見いだし取り戻し、さらに真の敵を認識すること。そして、それがかつて「女だから」と押さえつけられていた抑圧を跳ね返す姿と同期することである。
こう、文字にすると教条的で真っ当すぎる印象だが、ストーリーと映像の合わせ技で見せられると感動が押し寄せてくるという次第だ。

舞台は90年代でまだお肌がツルピカなフューリーが登場する。現在のS・L・ジャクソンが演じた映像を修正したそうな。スゴイね、もう何でもありだ。
背景の描き方を見るともはや90年代も懐古の対象になったかという印象である。
バックに流れるのはグランジ系。ナイン・インチ・ネイルズあたりはメジャーだけど、他は名前は知ってる程度、あるいは名前も聞いたことないバンドもあり。やはりこの時代はロックの細分化が進んだ時代だからか。

もう一つの注目点は猫のグースの大活躍。猫ファンは必見だね(^_^)b フューリーは「ネコちゃ~ん=^_^=」とまさに「飼わせていただいている」状態のかわいがりよう。でも『アベンジャーズ』シリーズには出てこないからその後どこに行っちゃうの?
ここは一つ、岩合さんによる「銀河ネコ歩き」を制作してもらいたいものである。
「今回は視聴者のご要望によりブラックホールに来てみました。やあグース、いい猫(こ)だね~。はい、ブラックホールの淵でゴロゴロしてみて」

主演のブリー・ラーソンは、闘う女性ヒーローとして終始仏頂面を維持。愛想笑いも見せねえぞという気概を感じさせるキャラクターで、ここまでくると潔い。
遂に彼までヒーロー物に参戦かい(!o!)と感慨を抱かせるジュード・ロウは「謎の上司」として登場しつつ、ちょっとコメディ・タッチが入ってたようだ。

そして『インフィニティ・ウォー』の続編ではきっと大活躍を見せてくれるに違いないと思っていたのだけどね、この時は……。

ところで、フューリーは『ウィンターソルジャー』では信頼していた人物の裏切りにあって片目を失ったと語っていたらしいが(観たけど忘れました)いいのか(?_?)こんな経緯にして。
ネコがらみでは、とある場面で昔懐かしTVドラマ「素浪人・月影兵庫」を思い出してしまったのは私だけであろうか。(一定の年齢以上じゃないと分からないネタ) 焼津の半次~♪ってヤツですよ。

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2019年6月13日 (木)

「金子文子と朴烈(パクヨル)」:アナーキー・イン・JP

190613_1 監督:イ・ジュンイク
出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ
韓国2017年

私が金子文子に興味を持ったのは、岩波書店のPR誌「図書」でブレイディみかこが連載してた「女たちのテロル」を読んでである。こんな人物がいたのかと初めて知って驚いた。
で、もっと詳しく知りたいと思ってご近所の図書館に行って借りたのが、なぜか大逆事件についての本。完全に管野スガと取り違えていたのだった。無知である(+_+)トホホ

時は1920年代初め、「社会主義おでん屋」で働く文子は差別を強烈に描いた朴烈の詩を読んで彼に惚れ込み、二人でアナキストグループを作って活動。ここに破天荒な無政府主義カップルが誕生したのである。
しかし関東大震災発生、朝鮮人虐殺が起こってその騒ぎに乗じて彼らも逮捕されてしまう。さらに爆弾計画が発覚、死刑宣告となり社会を揺るがす。

と書くと暗い話だが、映画のトーンは深刻ではなく、わざと軽いノリを加えている。特に検事の尋問や裁判場面など笑えるシーンも多い。
神も仏も、国家も陛下も信じないのさ、ルン♪みたいな感じで一貫している。

しかし、何せ人物や事件自体が強烈で目立ちすぎるので、映画自体の出来はゆるみがあるのが残念。まあでも日本映画では取り上げられないような題材なので一見の価値はある。
それから朴烈はその後あっちへ行ったりこっちへ来たりと、ジェットコースタードラマのような波乱万丈の人生を送ったらしいのだが、そこら辺は全く描かれていない(その点について批判があった)。思い込んだら突っ走る性格の人なのかね。
原題では朴烈の方が主人公のようだが、金子文子も負けず劣らず中心人物である。ここは邦題通りカップルで主人公ってことでよろしく。

韓国人の役者の日本語は皆さんうまくて感心した(もちろん日本人や在日の俳優も参加している)。ただ肝心の「十五円五十銭」の若者役の人についてはちょっと怪しかったかも……(ーー;)
文子役のチェ・ヒソはすごい美人💡 美人過ぎて出てくるたびに見とれてしまった。

「怪写真」事件はやっぱり謎である。何であんな写真が撮れたのだろうか(チラシは怪写真をそのままなぞっている)。単に昔は警察も検察もユルユルだっただけなのか。

なお、ブレイディみかこの連載をまとめた単行本『女たちのテロル』は岩波書店より発行されたばかり。金子文子だけでなく『未来を花束にして』の登場人物も取り上げられている。

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