映画(タイトル「ア」「カ」行)

2019年11月10日 (日)

「ある少年の告白」:矯正を強制して共生せよ

191110 監督:ジョエル・エドガートン
出演:ルーカス・ヘッジズ
米国2018年

シビアでつらい物語、というか実話である。
大学生活で同性愛が発覚した若者が、閉鎖的な矯正施設に送られてしまう。そもそも父親が牧師だからとても許されない。
事前の予想よりストーリー上の宗教の比重が大きかった。まあそもそも同性愛が禁忌とされたのは聖書にあるからだが。

いったん終わるかと思わせてまだ続きがあったのは意外な展開。父母と息子の物語でもあることが分かる。そこまではニコール・キッドマンが母は強し演技で目立っていて、父親役のR・クロウはパッとしなかった。
しかしラストでちゃんと彼は不安定な父親像を演じて見せた。やたら太ってて大丈夫かい!と思ったら、実際の父親があの体型らしい。(そこまで似せなくても)
主役のヘッジスも繊細な演技。ラストで怒りを見せるところもうまかった。

レッチリのフリーが恐ろしい施設職員役で出演していたけど、結構小柄でやせてて驚いた。ステージの映像だとすごく巨大&強力に見える。
エドガートン扮する施設長は、最後の字幕でその本質が明らかにされる。うっかり見逃す可能性があるのでご注意。

邦題は原題(「消された少年」)を生かした方がよかったのではないか。
日本だったらあの矯正施設は「」ではなくて、某ヨットスクールみたいに「根性」で打ちすえるのだろう。イヤダー(>y<;)

|

2019年11月 6日 (水)

「荒野の誓い」:ビッグ・カントリー 広くても行き場はない

監督:スコット・クーパー
出演:クリスチャン・ベイル
米国2017年

時は19世紀末の米国、長年先住民との戦争を戦ってきた騎兵隊大尉の主人公は、かつての宿敵である族長を刑務所から居留地に護送するように命令される。
このような設定だと想像できるのは、激しくいがみ合う両者が道中で予期せぬ襲撃などアクシデントに遭って、互いに理解し合うようになる。
--と思ったらちょっと違った💨

主人公は積年の恨みに決着付けようと首長に決闘を挑むのだが、相手は孫までいて家族と静かに暮らしている上に、大病を患っている。もはや闘う気は皆無なのであった。彼の憎悪は空回りしてしまう。
もちろん別の部族が襲撃してきたり、家族が襲われ一人生き残った人妻を救出というようなアクシデントは起こる。

見ていくうちに、これは西部劇の形式を取ってはいるものの実は戦争の帰還兵や後遺症を描くという、極めて現代的なテーマを持っていることが分かってきた。退役が迫ってくる年齢になっても、戦争の影から逃れられず平和な生活など送れそうにはない。そんな陰々滅々とした思いが、ワイエスの絵のような美しく悠揚たる自然を背景に描かれる。
さらに殺人の罪で逮捕されたかつての部下の護送も途中で依頼される。この男がまた以前の自分の分身であり、過去の亡霊の如きで兵士たちを苦しめるのだった。

平和になった現在において過去についてどう折り合い、謝罪と和解ができるかどうか。一人の男の変容を通して、明確に答えを出しているといえるだろう。これは他国の過去だけの話ではないのはもちろんである。
唯一の救いはラストのラストでわずかにホッとできるということか。ただ、あの少年がこれからうまくやっていけるのかはちょっと不安。

設定や展開はよくできているとは思ったのだが、どうも脚本が今ひとつの部分がある。人物が会話で説明過剰と思えば、説明少なくてよく分からない場面もあり。死人も多すぎるんではと思う。
救出された後、砦に着いたのに女性がその後も部隊に同行する理由がよく分からなかった。(同行しないと話が進まないというのは分かるが)
それから、主人公や戦友の内心の動揺の描写が中心となっているため、どうしても先住民側の描写が薄くなってしまったのは残念だった。

主役のクリスチャン・ベイルはまさに「鬼気迫る熱演」とはこのことか!としか言いようがない演技で全てを圧倒していた。最後の殺人の後の姿はあまりの迫力で正視するのも恐ろしいぐらい。
さらに『バイス』とどちらを先に撮ったのか不明だが、あの映画と比べると痩せこけてて胴回り三分の一、顔の幅は半分くらい(^O^;)と言っていいだろう。とても同一人物とは思えません。
人妻役ロザムンド・パイクの、狂気でイっちゃった眼も負けずにコワかった。さらに元部下のベン・フォスターも出番は短いが見事な悪役ぶりである。
出番が短いと言えば、チョイ役でティモシー・シャラメが出ていたのには驚いた❗ あっという間に退場しちゃうのだが、2017年製作なので彼がブレイクする直前に撮ったのだろうか。

さて邦題についてだが、これがまた問題(原題は「敵対者たち」)。この手のタイトルは後から区別が付かなくなる案件なのである。例えば「誓いの荒野」でも「荒野の決意」でも全く変わらない。正確に思い出せなくなってしまう。
もっとも「タイトル見ただけで西部劇と分かる」という意見もあり、なるほどそういう面はあるかと思った。確かに場内は西部劇ファンとおぼしき高齢男性多数であった。
『マルリナの明日』でも高齢男性の観客がやたら多かったのだが、あれは西部劇(というかウェスタン)ファンだったのだなと思い至った。

|

2019年9月23日 (月)

「アートのお値段」:ノー・モア・マネー 芸術家のラスボスはあの人

190923 監督:ナサニエル・カーン
出演:アート界の皆さん
米国2018年

現代アートに興味のある人は見て損なしの面白いドキュメンタリーだった。
金、かね、カネ……の面からアートの価値を徹底追求。アーティスト、コレクター、サザビーズの担当者(オークショニアっていうの?)、評論家が様々に語る。「ギャラリスト」というのは「画商」のことか(?_?)

教科書に載るような過去の古典的名画は供給が限られているが、現代アートは作者が生きてて作品が作られ供給され続けるので、投機の対象となるのだという。
しかし、いくら高額で転売されても作った本人自身の儲けになるわけではないのがまた問題だ。
もはや「作品=カネ」はこの社会のシステムの一部として定着しているようだ。

実際に本人が登場して語るアーティストはJ・クーンズ。大きな工房を持ち何人ものスタッフが絵筆を握って制作。本人は直接描いたりしない。でも作るのは巨大インスタレーションだから莫大な金が動く。
売れっ子クーンズの逆がラリー・プーンズという画家(私はこの人知らなかったです)。過去に人気があったが忘れ去られている。
アフリカ系女性のN・A・クロスビーは、自分の絵画の値段が高騰していくのを達観したように眺めている。「アフリカ系」と「女性」というキーワードがさらに価値を押し上げているのかも知れない。

G・リヒターは作品はコレクターが持っているのではなく、美術館にあるのが望ましいと語った。サザビーズの担当者(リヒター押し)はその話を聞いて「倉庫で死蔵されるだけ」と笑った。
……だが、待ってくれい。バブル期に日本で民間に買われた大作アート(キーファーなど)は結局画商の倉庫で「塩漬け」になったという話を聞いたぞ。その後どうなったのか神のみぞ知る、である。

それ以外にバスキアやダミアン・ハーストの名が上げられ、高額な彼らの作品が紹介される。あの「牛の輪切り」はもはや過去の栄光になっているみたいだが。

一方、「多くの人がアートの『値段』は知っていても『価値』は知らない」と語る老コレクターが登場。彼の高額そうなマンションには高そうな作品がいくつも飾られている。彼はシニカルだがアートを愛しているのは間違いないだろう。
彼の出自が明らかになるくだりは興味深い。そんな彼でも監督のインタビューの果てにたどり着いた「芸術とは何?」という問いには答えられないのだ。

彼が熱心に自分のコレクションについて語る姿や、実際にアーティストの制作過程見せることによって、現代アートがよく分からない人への入門にもなっているようなのは面白い。
だがその現代アートというテーマにもかかわらず、それをひっくり返すオチ(ダ・ヴィンチの某作品がらみ)が最後に来たのには笑ってしまった。

なお、先日イギリスの宮殿に展示されていた黄金の便器(約1億3500万円の価値)が盗まれる事件が起きたが、この便器も作中で紹介されていた。材質は黄金なれど普通の便器のように配管され使用可能。
米国の美術館で展示されている場面では長蛇の列ができていた。個室で実際に使用できたらしい。それなら私も使ってみたいわい( ^^)/
なお、これ自体は「過剰な富を批判した作品」とのことだ。

|

2019年9月17日 (火)

「COLD WAR あの歌、2つの心」:生きて別れし物語

190917 監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:ヨアンナ・クーリク、トマシュ・コット
ポーランド・イギリス・フランス2018年

イーダ』の監督の新作はカンヌで監督賞受賞、オスカーも3部門ノミネートという高評価だった。どうも恋愛映画っぽいということで、二の足を踏んでいたのだが評判が良かったので見ることにした。

戦後数年経ったポーランドから始まる。冒頭農民たちによって歌われる、野卑にして強烈なエネルギーを持つ民族音楽に引きつけられる。
場面はそのまま歌手のオーディション場面に繋がり、一人の若い女が注目される。年齢は若いがどうも過去に色々ありスネに傷持つ強烈な個性の人物のようだ。
その女と、彼女を採用した作曲家兼合唱団の指揮者の男との長きにわたる複雑な関係が描かれる。

くっ付いては離れ、離れてはまた片方が追いかける--ということを繰り返すが、その間女は他の男と結婚していたり、と一筋縄ではいかない男女の仲である。
私は恋愛ものが苦手なので、どうにもよく理解できない。その心理は不可解である。
特に後半、ケンカを繰り返した挙げ句に男が投獄されると分かっていて女を追っていく件りとその後に至っては、性急すぎる展開もあってよく分からん。
と思っていたら、終わった後に近くの女性客が「なんで(男が)あそこで戻っちゃうのよ~」と話していて激しく同感だった。
理解できないのは私だけではなかったようだ。ホッ(^o^)

当時のポーランドの政治状況は直接語られることは少なく、音楽の有り様を通して描かれている。素朴な民謡がアレンジされて合唱曲になり、やがて政治体制を翼賛するような大がかりな舞台公演と化し、最後にはエンターテインメントとして他国でも上演する。
しかし最初の野卑なテイストは失われても、やはりその音楽はそれぞれに魅力はあるのだ。「2つの心」という古い曲の変遷がそれを表す。
それ以外にもパリでヒロインが当時流行始めた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で踊り狂ったり、故国の「サマーフェスティバル」でボサノバをやる気なさげに歌う場面などあり、面白い。
まさに「歌は世につれ世は歌につれ」🎵である。

そしてパリでの生活だが、『ホワイトクロウ』ではあれほど魅力的に描かれたあの街が、時代がずれるとはいえ、薄汚くスノッブで鼻持ちならない場所となっているのは興味深い。両方足して2で割ればちょうどいいのかね(^^;
また全編モノクロの映像は強烈である。特に日差しを映した場面が印象に残る。さすが撮影賞にノミネートされただけはあると感じた。
ヒロイン役のヨアンナ・クーリクはジェシカ・チャスティン似の強気っぽい美人。『イーダ』にも歌手役で出ていたらしいのだが、覚えていないです(^^ゞ

見た後で監督のインタビューを読んだら、この物語は監督自身の両親をモデルにしていると知って驚いた。なんと二人はヨーロッパを股にかけ40年もの間別れたり復縁したりを繰り返していたのだという。映画よりもさらにスケールが大きい。ビックリである。

私はそれを知った時、二人の子どもである監督はそれをどう思っているのかなあと疑問に思った(事実を述べているだけで彼の心境は特に語っていなかった)。
それをモノクロ90分にまとめ上げた手腕はかなりのもの。
そうなると、あの理解に苦しむラスト(あの場所に行って○○して●●する)も、彼にとって親に対する心情の決算だったのだろうか……。

ただエンドクレジットに「ゴルトベルク」を流したのはさすがに意味不明。『イーダ』でもコラール前奏曲使っているからバッハ好きなのかしらんとは思うけど。最近「ゴルトベルク」やたら使われ過ぎ💢という意見をいくつか見かけた。
普通だったらショパンの「マズルカ」だと思うが。当たり前すぎ?

|

2019年8月17日 (土)

「荒野にて」:父一人馬一匹子ひとり

監督:アンドリュー・ヘイ
出演:チャーリー・プラマー
イギリス2017年

思い出したのはケン・ローチの『ケス』である。あれは孤独な少年とタカの物語だったが、こちらは競走馬と少年の物語。ロードムービーであるところが『ケス』とは違っている。

米国の田舎町、少年は父親と共に引っ越してきたばかりで完全に孤独である。それまではハイスクールに通っていたようなのだが、父親は全く無関心で、そもそも不在が続き生活費すらろくに渡していない。家の中はまだ段ボールが積んであるままだ。

たまたま馬主の男に気に入られて、その厩舎でバイトすることになる。そして年老いた競走馬の世話を熱心にする。もはや勝てないその馬が処分されることを知って、連れて逃げるのだった。

そして邦題にあるように荒野をさまよう。道もないのでロードムービーでなくて荒野ムービーだろう。馬を連れて出たはいいが、少年自身は乗馬も出来ないのだ。運搬トラックのガソリン代もない。
しかし荒野にいた時はまだよかったかもしれない。本当の荒れ野は広野でも山でも道路でもなく、人間が殺伐と暮らす都会の方だったのが分かる。それが淡々と語られる。

見ていてこの世界のつらさ苦しさがじわじわと迫ってくる。
果たして約束の地はあるのか。わずかに明るい結末が救いであり、それが『ケス』とは異なる部分である。「刑務所に入ってもここに戻ってもいい?」という台詞が泣ける。

しかし、こうして見ていてなんだか私は派手なエンタメ映画を鑑賞しているのと同じように、孤独な少年の苦悩や悲しみを娯楽として消費しているだけではないのかとも思えてきた。
そうしてますますウツウツとなってしまった。だからといって、どうするわけでもないのだが(=_=)

最近、ルーカス・ヘッジスを始め若手の役者が才能を見せているが、この少年役のチャーリー・プラマーもかなりのものである。
父親が入院してしまい、今は疎遠になってしまった伯母を頼ろうと提案するのだが父親に却下されてしまう。その時の微妙な表情が大変うまくて驚いた。瞬時に入れ変わるかすかな期待と落胆……。
ここで演出(監督は『さざなみ』の人)や役者が下手だと、観客は台詞のテキストで判断するしかない。父親の言うことをよく聞く少年の真意は果たしてどうなのか--と疑問に思うより前に瞬時に見る者を納得させる。これって当たり前のようでなかなか実際には難しい。

馬主のオヤジさんは最初帽子かぶっていて、アップの場面がなくてよく顔が分からなかったのだが、喋る声がどこかで聞いたような……と思ったらスティーヴ・ブシェミだと気付いた(^^ゞ(遅い!) いい味出してます。
モロにアメリカな話なのだが、イギリス映画なのね。
原題は馬の名前「リーン・オン・ピート」。「ピートに任せとけ」って感じ?

|

2019年6月29日 (土)

ルース・ベイダー・ギンズバーグ祭り「ビリーブ 未来への大逆転」&「RBG 最強の85才」

190629a「ビリーブ 未来への大逆転」
監督:ミミ・レダー
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2018年

85歳にして米国の現役最高裁判事、女性では史上二人目だというルース・ベイダー・ギンズバーグ。その人生をたどる。
法律家を志し名門ハーバード大学院に入学するも、なんと当時の女性の割合は0.1パーセント以下。しかし、家事が彼女より得意な夫と共に家庭を築きつつ首席で卒業。
だが、どこの法律事務所も女を雇ってはくれなかったのである……。仕方なく大学の教員業に。

伝記ものの問題は、大きな功績を成し遂げた人物が波乱万丈な人生を送っているかというとそうとは限らないことだ。
画期的な裁判を勝ち抜いてきたとはいえ、殺人事件のような犯罪ではなく行政訴訟の類いだから、衝撃の事実が今明らかに(!o!)なんてことはなく、あくまで弁論で進行する。しかもすこし気が緩むと「あれっ、今なんて言ってた?」てな字幕見逃しが頻発するのだった。

娘との世代対立など盛り込むも、監督の演出は一本調子でメリハリに欠ける。内容からして客は女性が多いのかと思ったら、意外にも中高年男性がほとんど。どうも社会派映画だと受け取られたらしい。後ろの席ではイビキが聞こえ、近くの高年男性は途中で帰っちゃった。
主役のフェリシティ・ジョーンズは「よくやってる」感はあるけど、実際のご本人はもっと興味深い人物なんじゃないの💨などと思ってしまった。むしろ家事でも仕事でも妻を支える優れものの夫役アーミー・ハマーの方が、好感ポイントが上だったのは仕方ないだろう。

個人的には、大学の授業で取り上げられた事件の判例の一つが少し前に日本で起こったのと似ていて(ひどいDVを夫から受けていた妻が逆襲したのを、罪を問われる)、性差別案件は米国の50年遅れなのが分かってガックリきた。

既に今年の最凶邦題賞に決定確実なタイトルであるが、「ドリーム」「ビリーブ」と来て……次は「トラスト」かな。長音入るなら「スピーク」「ウォーク」あたりか。


190629b「RBG 最強の85才」
監督:ベッツィ・ウェスト、ジュリー・コーエン
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
米国2018年

さて、そのRBGご本人を取材したドキュメンタリーである。
アカデミー賞では長編ドキュメンタリーと歌曲の2部門でノミネート。さらにMTV映画賞ではリアルライフ・ヒーロー賞に加え、格闘シーン賞「ルース・ベイダー・ギンズバーグ対不平等」👊でも候補になるという評判ぶりだ。

冒頭彼女の大衆的な人気の高さが描かれる。若い女性を中心に支持され、グッズが作られ、SNLでもネタになるというぐらいキャラクター化しているのだった。これはトランプ以後に最高裁判事(大統領が任命する)のリベラル×保守の比率を彼女の存在が握っているという理由もあるだろう。とにかく日本では想像も出来ない人気なのだ。(その分、毀誉褒貶が様々にあって大変そう)

その半生は『ビリーブ』で描かれたのと大体重なる。そして肝心の本人は、小柄で特徴ある華奢な声で穏やかに喋る。予想より遙かに静かでチンマリとした外見。ただし、弁舌を振るう時を除いて、だ。
彼女の人物像を語る人々としてビル・クリントンやグロリア・スタイネムも登場するとは知らなかった。

しかし、さらに予想を裏切ったのは夫マーティンであろう。映画で好評だったアーミー・ハマー版よりももっとユーモアあって楽しい好人物だった(料理得意なのは事実)。こういう人が共にいたから先駆的な活動が出来たのだなあとヒシ感じた。
というわけで、やはりフィクションより実物の方が面白かったのだった。

マスコミやTVで騒がれていることについて、娘と息子が「母は家のTVの付け方知らないはず」と言っているのには笑ってしまった(*^O^*)

なお、取り上げられている裁判例の一つに、妻を早く亡くした夫が子育てをしているのに男は育児手当を貰えないのはおかしいと行政を訴えたものがあった(映画だと介護手当になっていた)。その夫は「男性差別」だとG・スタイネムに文句を言っていたけど、それはお門違いであろう。
そもそも男女の伝統的な性別役割分業に基づいて、当時は「介護や保育は女の本能であり、男のやることではない」「男であればそんなことはしない」「そんなことをする者は男ではない」という観点から手当は女にしか支給しないと決められたのである(それを決めたのも男であろう)。そしてそのトバッチリを受けたわけで、根源は男女の格差なのだ。

|

2019年6月17日 (月)

「キャプテン・マーベル」:あなたの掻いた左目が痛い

190617 監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
出演:ブリー・ラーソン
米国2019年

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の最後の最後に名前だけ登場して気を持たせたヒーローが満を持して登場である。
                      ここにグースのシッポが❗→

しかも巷の噂によると女性でMCUシリーズ最強のパワーだというじゃありませんか💥

期待大で見に行った。がしかし、これもまた情報量が多くてあっという間に二転三転と話が進む(@_@) 「あっ、見逃した」「あれ?今なんて言った」状態が多発。とても脳ミソの活動がついて行けません。
もう一度見て色々と確認したかったけど行く機会を逃した。レンタルかTV放映待ちである。

話のツボは記憶を失った主人公が自らの過去を見いだし取り戻し、さらに真の敵を認識すること。そして、それがかつて「女だから」と押さえつけられていた抑圧を跳ね返す姿と同期することである。
こう、文字にすると教条的で真っ当すぎる印象だが、ストーリーと映像の合わせ技で見せられると感動が押し寄せてくるという次第だ。

舞台は90年代でまだお肌がツルピカなフューリーが登場する。現在のS・L・ジャクソンが演じた映像を修正したそうな。スゴイね、もう何でもありだ。
背景の描き方を見るともはや90年代も懐古の対象になったかという印象である。
バックに流れるのはグランジ系。ナイン・インチ・ネイルズあたりはメジャーだけど、他は名前は知ってる程度、あるいは名前も聞いたことないバンドもあり。やはりこの時代はロックの細分化が進んだ時代だからか。

もう一つの注目点は猫のグースの大活躍。猫ファンは必見だね(^_^)b フューリーは「ネコちゃ~ん=^_^=」とまさに「飼わせていただいている」状態のかわいがりよう。でも『アベンジャーズ』シリーズには出てこないからその後どこに行っちゃうの?
ここは一つ、岩合さんによる「銀河ネコ歩き」を制作してもらいたいものである。
「今回は視聴者のご要望によりブラックホールに来てみました。やあグース、いい猫(こ)だね~。はい、ブラックホールの淵でゴロゴロしてみて」

主演のブリー・ラーソンは、闘う女性ヒーローとして終始仏頂面を維持。愛想笑いも見せねえぞという気概を感じさせるキャラクターで、ここまでくると潔い。
遂に彼までヒーロー物に参戦かい(!o!)と感慨を抱かせるジュード・ロウは「謎の上司」として登場しつつ、ちょっとコメディ・タッチが入ってたようだ。

そして『インフィニティ・ウォー』の続編ではきっと大活躍を見せてくれるに違いないと思っていたのだけどね、この時は……。

ところで、フューリーは『ウィンターソルジャー』では信頼していた人物の裏切りにあって片目を失ったと語っていたらしいが(観たけど忘れました)いいのか(?_?)こんな経緯にして。
ネコがらみでは、とある場面で昔懐かしTVドラマ「素浪人・月影兵庫」を思い出してしまったのは私だけであろうか。(一定の年齢以上じゃないと分からないネタ) 焼津の半次~♪ってヤツですよ。

|

2019年6月13日 (木)

「金子文子と朴烈(パクヨル)」:アナーキー・イン・JP

190613_1 監督:イ・ジュンイク
出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ
韓国2017年

私が金子文子に興味を持ったのは、岩波書店のPR誌「図書」でブレイディみかこが連載してた「女たちのテロル」を読んでである。こんな人物がいたのかと初めて知って驚いた。
で、もっと詳しく知りたいと思ってご近所の図書館に行って借りたのが、なぜか大逆事件についての本。完全に管野スガと取り違えていたのだった。無知である(+_+)トホホ

時は1920年代初め、「社会主義おでん屋」で働く文子は差別を強烈に描いた朴烈の詩を読んで彼に惚れ込み、二人でアナキストグループを作って活動。ここに破天荒な無政府主義カップルが誕生したのである。
しかし関東大震災発生、朝鮮人虐殺が起こってその騒ぎに乗じて彼らも逮捕されてしまう。さらに爆弾計画が発覚、死刑宣告となり社会を揺るがす。

と書くと暗い話だが、映画のトーンは深刻ではなく、わざと軽いノリを加えている。特に検事の尋問や裁判場面など笑えるシーンも多い。
神も仏も、国家も陛下も信じないのさ、ルン♪みたいな感じで一貫している。

しかし、何せ人物や事件自体が強烈で目立ちすぎるので、映画自体の出来はゆるみがあるのが残念。まあでも日本映画では取り上げられないような題材なので一見の価値はある。
それから朴烈はその後あっちへ行ったりこっちへ来たりと、ジェットコースタードラマのような波乱万丈の人生を送ったらしいのだが、そこら辺は全く描かれていない(その点について批判があった)。思い込んだら突っ走る性格の人なのかね。
原題では朴烈の方が主人公のようだが、金子文子も負けず劣らず中心人物である。ここは邦題通りカップルで主人公ってことでよろしく。

韓国人の役者の日本語は皆さんうまくて感心した(もちろん日本人や在日の俳優も参加している)。ただ肝心の「十五円五十銭」の若者役の人についてはちょっと怪しかったかも……(ーー;)
文子役のチェ・ヒソはすごい美人💡 美人過ぎて出てくるたびに見とれてしまった。

「怪写真」事件はやっぱり謎である。何であんな写真が撮れたのだろうか(チラシは怪写真をそのままなぞっている)。単に昔は警察も検察もユルユルだっただけなのか。

なお、ブレイディみかこの連載をまとめた単行本『女たちのテロル』は岩波書店より発行されたばかり。金子文子だけでなく『未来を花束にして』の登場人物も取り上げられている。

|

2019年6月 8日 (土)

「あなたはまだ帰ってこない」:ファントム・オブ・ラブ 死者に繋がれ生きるのなら

190608 監督:エマニュエル・フィンケル
出演:メラニー・ティエリー
フランス・ベルギー・スイス2017年

予告や宣伝を見ると、戦争中の夫婦愛を謳う悲劇作っぽいものになっていたが、原作がマルグリット・デュラスとあっては絶対違うだろう(>o<)と行ってみたら、予想通りやはり違っていた。

原作は戦争中の日記や手記をそのまま載せたというだけあって、明瞭な起承転結があるような物語ではない。
ナチス占領下のパリで密かに夫と共にレジスタンス活動をしていたデュラスであったが、ゲシュタポに夫を逮捕されてしまう。一体夫はどこへ連行されたのか。不確かな情報として流れる他国の収容所の噂。そこで何が行われているのか。

そこへゲシュタポの男が彼女に接触してくる。向こうは夫の情報をちらつかせ気があるそぶりを見せるが、互いに秘密を探ろうともする。

これらの描写はかなり幻想的だ。アウトフォーカスや鏡を使った場面も頻出し、デュラスの心象風景が執拗なまでに描かれる。

パリが解放されても夫は帰ってこない。収容所の残酷な噂も、人々は気にしてないようだ。浮かれるパリに違和感を感じつつ彼女は夫の影を探し回り街をさまよう。
期せずして、私は大貫妙子の『Tango』にある「激しく不在にさいなまれて」という一節を思い浮かべてしまった。

ここで意外だったのは--いや当時としては当然のことなのかもしれないのだが、パリ市民は近隣国の収容所で虐殺が行われているなどということは想像もしてなかったということだ。聞いたとしてもそんなバカなことをするわけがない❗と思うのが普通の反応なのだろう。

その後、結末にいたる彼女の言動は不可解である。不可解ではあるが、不可解であるということは理解できる(変な言い方だが)。
果たして不在こそが愛の実在だったのか。そして幻想が全てを覆う。

監督は日本では作品初公開らしいが、息苦しいまでのデュラスの惑乱を見事に描いていた。
すっぴんメイクのメラニー・ティエリーもその世界になりきっている。
一方、ゲシュタポ役のブノワ・マジメルにはビックリである。ものすごく恰幅よくなっちゃって、そのまま暗黒街の顔役になれそう(!o!) 『グリーンブック』のヴィゴは太ってても分かったけど、こちらは事前に出演していると知らなければ確実に気付かなかったに違いない💥それほどに別人感あり。
別に太ってるのが必要な役柄とは思えんが……今は素でこんな体格なのか(?_?)

字幕の訳者として寺尾次郎のクレジットが出てきたのは驚いた。映画の公開は死後数か月経った頃だと思う。よほど前から訳していたということだろうか。


さて、結末についてだが、ちょうどこの映画を見たのと同じ頃にマーガレット・アトウッド『昏き目の殺人者』を読んでたのだが、それぞれのラストシーンがすごくよく似ているのだ。以下、引用する。

だが、女は見られない。男に焦点を定めることができない。男はじっとしていない。輪郭がぼやけて、キャンドルの炎のように揺れているが、明るさはない。ああ、彼の目が見えない。
 死んでいるのだ、当然。当然ながら死んでいる。だって、訃報を受け取ったではないか?

これはどういうことか。監督がアトウッドに影響受けたのか? それともアトウッドの方がデュラスをなぞったのか。(原作を読んでいないので不明)

|

2019年3月31日 (日)

「グリーンブック」:ドライビング・トゥ・ヘル ミートソースかフライドチキンか、それが問題--じゃな~い

190330
監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ
米国2018年

雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言ったものよ。まさにオスカー取らずば叩かれまい、という事態になったのがこれだ。
アカデミー賞ノミネートの発表前から助演男優賞獲得は確実と言われていた。ゴールデングローブ賞の作品賞取った時あたりから(米国作品対象の賞なので「ROMA」は除外)何やらきな臭い話がモヤモヤと発生♨
主演のヴィゴに差別発言があったとか、監督露出狂だったなど話題は尽きぬ。

作品内容についても色々とケチが付き初め、遂にオスカーの作品賞取った時は、スパイク・リーが腹立てて背中を(正確には尻を)を向けただの、ホールの外に出ようとして係員に止められたなんて話まで流れたのだった。
作品賞取らなければ「いい話」の映画で終わったかもしれないのだけどね。

しかし、🎵ヴィゴ・モーテンセン×マハーシャラ・アリ🎶の共演となれば、万難排しても見に行かずばなるまいよ。
ヘッヘッヘッヘッヘッ(^Q^)
ん⁉誰だ!下卑た笑い声を漏らしているのは💢 おっと自分の口から漏れ出ているのだった。いかんいかん💦

発端は1962年ニューヨーク、失業した下町育ちで偏見バリバリのイタリア男が雇われたのは、浮世離れした天才黒人ピアニストのドクター・シャーリーに、その運転手としてであった。このコンビで人種差別激しい南部まで旅する数か月のコンサートツァーに出ねばならない--。

確かに脚本は小技が効いてて、パトカー停車や札束見せての買収の場面を二度繰り返し、しかもそれぞれ二度目は意味が違ってくる件りや、妻への手紙の顛末などうまいと思った。
また、M・アリは繊細で複雑な背景を抱える人物を完璧に演じて、誰も文句付けられないぐらい。こりゃ助演男優賞総ナメも当然だろう。ファッションもキマっていてカッコエエです(*^_^*)
ヴィゴも主演男優賞候補になってメデタかったけど、これは体重増量して2倍以上ふくらんで見える努力賞かな🎀
「バイス」のクリスチャン・ベールもそうだけど、そんな無理して増量するんだったら最初から太めでイタリア系(に見える)役者をキャスティングすればいいんじゃね(?_?)と思っちゃうのは事実である。

脚本については、見ていてよく分からない部分が複数あった。冒頭の「帽子」のエピソードは主人公トニーが大物に取り入ろうとしたんだろうけど、結果的に大物が腹立てて店が取り潰しになって失業ってことになったんじゃないのか?(あらすじを見ると「店が改装するので」書いてあるが)
収入が必要なのに結局職を失う--って、このエピソードは何を表わしているのか。主人公が後先考えない性格であることを強調しているのか。意味不明である。

車中の「フライドチキン」場面については、現在においては黒人とフライドチキンの結びつきを強調するのは差別的案件に当たるということから、「トニーがドクターに食べろとすすめるのは差別について無知だから」と述べていた人がいた。しかし、どう見てもこれはドクターが「同胞に付き物の料理を知らない浮世離れしたヤツ」を強調するエピソードでしかなかった。(従って、フライドチキンの差別的イメージについては製作者はスルーしていることになる)

さらに南部の道路で車がエンコして停車中に、畑で農作業中の黒人労働者が手を止めて二人を注視する場面。彼らは一体何を思って見ていたのか? これもよく分からない。
白人の運転手つきの車に乗っているなんて--珍しいという好奇心なのか、あり得ない!と驚愕しているのか、あんな同胞もいるのかと素晴らしいことだと思っているのか、そして後部座席のご当人の方はどう感じたのか、いくらスクリーンを凝視しても見えてこない。
観客の多様な解釈可能な描写にするということと、曖昧でよく分からんということは違うと思うのだが。

そう言えば似たような場面のある映画が過去にあった。『夜の大捜査線』である。
自動車の運転手と雇い主ということから『ドライビングMissデイジー』と比べられることが多いが、類似度から言えばこちらの方がよく似ている。
すなわち「頑固で偏見を持ち差別的な中年白人男が、有能で優秀な(しかもそれは社会的に認められている)黒人にたまたま遭遇して認識を改める」というストーリーである。

製作年は1967年で『グリーンブック』の背景となる1962年とは5年しか違わない。この間に公民権運動の盛り上がりは激しく、かなり社会に影響を与えただろう。
南部の田舎町の警察署長がニューヨーク市警(だったと思う)殺人課の黒人刑事と遭遇&衝突。しかもそいつは自分よりもサラリーが高い、なんてこったい💢
で、彼が刑事を車の後部座席に乗せて運転していて綿畑の脇を通ると、農場の黒人たちが綿摘みに黙々と従事している。刑事が無言のままそれを眺めていると、署長は「なに、あんたは奴らとは違うさ」と能天気に言い放つ。しかし、刑事の方は何も答えない。

かつてジェームズ・ボールドウィンは、この映画を『招かれざる客』『手錠のままの脱獄』と並べて批判し、「見ろ、この二人は今にもキスしそうだ」とクサした。これが作られてから50年後の『グリーンブック』はどうなのか。進歩したのか、それとも同じままなのか。
『夜の~』の方が無言の刑事の内心のモヤモヤが感じられるだけ、その分退歩してしまったとも受け取れるかも。
スパイク・リーがケツ向けたくなるのもよく分かるのであった。

しかし『夜の~』でオスカー受賞したのは白人のロッド・スタイガーに対し、こちらで受賞したのはM・アリだからその分は進化したかも知れない……。と言いたいところだが、署長とピアニスト、それぞれ相手役より背後に色々とある複雑な役柄だから、複雑な人物を完璧に演じれば評価されるのは当然だろう。
二人とも揃って相手に弱みを見せてしまう場面がある。特にアリによるその場面は、傲慢ぐらいに思われていたそれまでのイメージがホロリと崩れるような演技でお見事の一言だろう。(S・リーは気に入らないだろうが)

ドクター・シャーリーのトリオ編成はピアノ+チェロ+コントラバスって、ジャズだとこの編成珍しくない(?_?) ジャズはあんまり知らないからよく分からないけど、かなり特異なサウンドだと思った。
「私には私のショパンがある!」と言い切って、その後に弾く場面が出てくるのはよかった。
どうでもいいことだが、エンドクレジットに出てくる実物の奥さんがすごい美人✨で驚いた。トニー氏、どうやって口説いたんだ?

 

【追記】
車中でカーラジオからアレサ・フランクリンがかかる場面がある。クラシックをもっぱらやっていたピアニストがアレサを知らなくても仕方ないと思うが、トニーは自分の方がよっぽど黒人の文化を知っていて黒人っぽいじゃないかなどと指摘する。
しかし、ピーター・バラカンのFM番組聞いてたら、この時代にトニー氏がアレサを知っていた可能性は低いと言っていた。
確かにこの頃だと彼女は数枚しかアルバム出してなくて、ヒットチャートもあまり昇っていない。
それを、いくらドクターが「黒人離れ」していることを強調したいとはいえ、こんなセリフを出すのはまさに白人による「黒人文化の収奪」ではないか。
ということで、スパイク・リーが尻を向けたくなる理由がまた一つ追加されたのだった。

|

より以前の記事一覧