映画(タイトル「ア」「カ」行)

2021年12月11日 (土)

「アイダよ、何処へ?」:敵と共に生きる

211211 監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ヤスナ・ジュリチッチ
ボスニアヘルツェゴヴィナ・オーストリア・ルーマニア・オランダ・ドイツ・フランス・ノルウェー・トルコ2020年

またも辛い映画を見てマスクを涙で濡らしてしまった(;_:) 歳取って涙もろくなったのかしらん。
舞台はボスニア紛争時の都市。安全地帯のはずの町にセルビア軍が乗り込んでくるが、国連は何も手を打たない。一応、武力行使はしないと約束のポーズはしているものの、彼らを怖れた何千人もの住民が国連軍の基地めがけて逃げてくる。(実際、市長などは早々に殺害されている)

現地で雇われた女性通訳の目(と耳)を通してその恐ろしい事件の一部始終が描かれる。見る前の予想と異なって、国際紛争問題を大局的に捉えるというのではなく、あくまで自分の家族を救おうとする彼女個人の視点を通して全てを見ている。そして彼女と共にカメラが疾走する。
しかし昔の教師時代の教え子が敵の武装兵士になっているのに出会うのは怖いのう。

セルビア軍にいいように手玉に取られる国連軍。結果は選別、排除、殺戮……。
かつてのユダヤ人虐殺はもちろん、現在のアフガニスタンをも想起させてウツウツしてしまう。基地から撤収が始まった時に、現地スタッフの彼女に向かって「行けるのは本人だけ。家族は連れていけない」という通告もアフガンと同じじゃないですか(>y<;)

今もなお禍根を残す事件について、監督は相当の剛腕&大胆さである。公開後、主演の夫婦役を演じた役者(セルビア人)たちは自国で非難されたらしい。
ただ、前に公開された監督作『サラエボ,希望の街角』も見たけど、それと同じく希望のある結末になっていたのがよかった。思わずホッ(^。^;)とした。


この時に予告で『皮膚を売った男』をやっていた。これで『アナザーラウンド』『少年の君』『コレクティブ』、この「アイダよ」と昨年のオスカー国際長編映画賞候補作が全て公開されて洋画ファンとしてはメデタイ限りである。

*一部、事実と異なった部分を訂正しました。

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2021年11月23日 (火)

「コレクティブ 国家の嘘」:オールド・アンド・ホープレス

211124 監督:アレクサンダー・ナナウ
ルーマニア・ルクセンブルク・ドイツ2019年

ルーマニアのライブハウスでバンドが公演中に火災が発生、客が逃げ場を失って死傷者200人超の大惨事になる(2015年)。問題はそこで終わらず病院で次々に火傷の症状が悪化し、亡くなる人が倍増したという。一体何が起こったのか--その問題を追及するドキュメンタリーである。

冒頭、バンドの頭上で炎が燃え上がるスマホ映像が怖い。その後、前半は事件を徹底追及するスポーツ紙の取材班に密着する。「スポーツ紙」といっても東スポみたいなのじゃなくて、紙面は日本の雑誌「ナンバー」風でスポーツ界関連で社会問題を取り上げるような感じである。
それによって発覚したアヤシイ事案の数々、病院の不正と行政の責任。死人まで出てマフィアの関与も浮かび上がったのであった。
並行して、怪我から立ち直ろうとする被害者の姿も描かれる。

一転、後半は事件のため辞職してしまった保健大臣の代わりにピンチヒッターとして民間から登用された人物に許可を得て密着。
しかしスポーツ紙の記者には脅迫が来て、大臣には妨害と論点ずらしの攻撃が襲う。マスメディアもグルである。ん(?_?)こりゃどこかの国でも見たような。
カメラはひたすら追いかけていく。

結末は救いがない。
選挙は超低投票率(特に若い人)、結局「古くさい国」「希望のない国」なのをあからさまにしてに終わるのだった。
やっぱり日本と同じだ~(>O<)イヤーッ
でも、逆に「日本だけじゃないんだ🆗」ってホッとしたりして……。

そういう実情をあくまでも忖度なく、直截に描き切ったドキュメンタリーであった。

と思ったら--最近の監督のインタビューによると、その後若い人たちの意識も変化し改革を求める動きが出て来たという。
やっぱり日本だけなのか(´・ω・`)ショボ

アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート→結果『アナザーラウンド』が獲得。
同じくドキュメンタリー長編賞ノミネート→結果『オクトパス』。
残念でした💧
なお「コレクティヴ」とは火事になったクラブの名前。分かりにくい。

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2021年10月 1日 (金)

「グリード ファストファッション帝国の真実」:ローマは安価にして成らず

監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:スティーヴ・クーガン
イギリス2019年

英国に実在するファストファッション経営者をモデルに、虚飾以外に何もない男をブラックユーモアで描いている。イギリスでは有名な人物らしいからこの映画の存在自体、スキャンダルの一端と言えるかもしれない。しかも実際に彼の部下だった人物が出演していたりする。

若い頃から既に傲岸不遜にしてあくどいやり口で資産を増やしていく。これを果たして経営と呼べるのであろうかと言いたくなるレベルだ。
富を築いてからは『グラディエーター』の台詞をいつも口にして、自分をローマ皇帝に模した誕生日パーティーを開こうとする。もっともその計画は非常にいい加減だ。

母親がまた強烈な人物で、元妻や娘はまるでリアリティショーのセレブ家族のように振舞う。見ててバカバカしいことこの上ない。
そして、並行してファッション業界の東南アジアを中心にした搾取的な労働の告発に至る。

--というのはいいんだけど、ウィンターボトム監督の作品っていつも中途半端な印象なのだが本作もそうだった。つまらなくはないのだが(ーー;)
強欲な人物のブラックなドタバタ劇にするのか、ファッション産業に内在する搾取の社会的な告発にするのか、疑似ドキュメンタリーの形式を取るなら取るで一貫してほしかった。
主役のS・クーガンはバカバカしい人物をうまく演じているけど、あまり報われていないように思えた。

ところでパーティーに来てたキース・リチャーズは偽物だよね? かなり辛辣なボノへの告発があったけど本気かな。

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2021年9月15日 (水)

【旧盤紹介】「イングランド、マイ・イングランド」

210910b 最近音楽ネタ記事が激減しているので自宅のCDの沼をさらって紹介します(^^;

これはヘンリー・パーセルの伝記映画のサントラ(1995年)である。ジョン・エリオット・ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団が音楽担当している。

ナンシー・アージェンタ、マイケル・チャンスなど歌手が多数参加しているが、映画自体は見たことがない(日本未公開)ので、彼らがスクリーンに登場するのかは不明。
サントラには器楽曲や歌劇など色々と入っていて、パーセル作品のショーケースとして気に入っている。

監督のトニー・パルマーは過去にフランク・ザッパのミュージカル❗やワグナーの伝記映画を作ってる人らしい。(ケン・ラッセルっぽい?)
脚本を劇作家のジョン・オズボーンが担当しているのに驚いた。一度見てみたいと思うが未だかなわずで残念無念である。

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2021年8月12日 (木)

「アメリカン・ユートピア」:踊れば絶望歌えば希望歩く姿はエネルギッシュ

監督:スパイク・リー
出演:デヴィッド・バーン
米国2020年

D・バーンやトーキング・ヘッズの音楽はどうも苦手な部類であまり聞いてこなかった人間である。しかし評判がいいので見に行った。
元々はブロードウェイのショーとして高い人気で、それをスパイク・リーの監督で収録したとのこと。劇場に客を入れた状態で撮影していて、コロナ禍前に行なったらしい。(再演するはずだったが中止になったとか)

ほとんど装飾がない壁に囲まれたステージに、バーンの他に11人のミュージシャンが曲によって出たり入ったりする。うちパーカッションが6人もいるという編成だ。
自由自在に動き回る--といっても完璧に振り付けが決まっていて、演奏しながらのその動きは素晴らしい。相当にリハーサルやったんだろうなと思える。その隙のない完成度に圧倒される。
何より60歳代後半のはずのバーンが息切れもせず歌って踊って曲間に喋って楽器も弾く大活躍だ。恐るべきエネルギー⚡

合間のトークで、友人たちから「口パクでは?」「録音じゃないの」と尋ねられたという話をしていたが、そういう疑惑が出ても仕方ないと思えるほどだ。
ファンならずとも後半は立ち上がって飛び跳ねたくなるのは必至だろう。
衣装・照明もシンプルだが極めて効果的だった。

S・リーの考え抜かれたカメラワークは素晴らしいものだけど、時折「ここは引きで見たいな」と思ったりもした(^^ゞ
ただ、明らかに舞台の上にカメラが乗った映像もあるので、そこは後撮りだろうか。ステージ前の観客を見ると少なくとも2日間分を編集しているようだ。
やはりナマでも見たい(聞きたい)ぞと思った。

バーンの歌詞は寓意的でありネガティヴにもポジティヴにもどちらでも解釈できる訳の分からなさに満ちている。本人が「ロード・トゥ・ノーホエア」について高校生の合唱したのを聞いたらすごく明るく思えたというようなことを語っていたが、映画『未来を乗り換えた男』で使われた時は非常に絶望的な内容に聞こえたものだ。

今日は希望。でも、明日はどっちに転がっていくのだろうか。

それから選挙について語った部分では「大統領選は50%以上の投票率なのに、地方選挙だと20%」と言っていて、米国も日本とあまり変わらないんだと妙なところで安心した。(安心して……いいのか💦)

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2021年6月26日 (土)

「ある人質 生還までの398日」/「ザ・レポート」:拷問をくぐる者は一切の希望を捨てよ

210626「ある人質 生還までの398日」

監督:ニールス・アルデン・オプレヴ
出演:エスベン・スメド
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー2019年

「ザ・レポート」
監督:スコット・Z・バーンズ
出演:アダム・ドライヴァー
米国2019年
アマゾン・プライム鑑賞

デンマーク人の若いカメラマンがシリアに渡り、紛争下での庶民の姿を撮ろうとしたところスパイの疑いを受けて捕らえられてしまう。情勢不安定なためにいつの間にか勢力地図が変わっていたのだ。そして、人質として身代金を請求される。(実話である)

ところが(日本もそうだが)国は表に立って交渉に応じない方針だ。家族は平凡な一般市民なので高額な身代金は支払えない、と膠着状態になる。
一方、カメラマンは拷問された挙句、他の捕虜たちと共に恐怖の監禁生活をずっと続けることになる。

身代金集めに奔走する家族と悲惨な境遇の主人公が交互に描かれる。が、目まぐるしくはなくて編集がちょうどいい塩梅である。
約2時間20分が緩みなく展開し、緊張あり過ぎで倒れそうなくらいだ。

主人公は軟弱そうな若者だけど、スポーツ選手出身というのが監禁生活でも生存に利したようだ。何にしろ体力と運動は必要。それと家族のたゆまぬ努力も大きい。
だが助けてくれる家族がいない人質の運命は辛いものよ(ToT)

一方、米国は家族が交渉すると罰せられるとのこと。個人の命を左右するのは金だけでなく、国のありようも関わってくるのだ。


さて、『ザ・レポート』は拷問つながり(>y<;)と言える米国映画である。
こちらは911の後から強化されたCIAによる捕虜拷問問題を扱っている。それまではテロの容疑者や参考人捕まえた場合の尋問は比較的穏やかな方法(日本の「まあ、カツ丼食えや」みたいな感じか)で行われていたのが、急に過激化する。

その方法が『ある人質』で出て来た拷問とほとんど同じ。いや、もっと恐ろしいヤツも……(>O<)イヤーッ 恐ろしすぎて文字にもできない。互いに拷問合戦をやっている末世的状況、と言いたくなる。
やはりここでもヘビメタを使用。メタリカだけでなくマリリン・マンソンも使われていたようだ。ところで、いわゆる「水責め」は旧日本軍が発案したって聞いたことあるけど本当か?

しかもその手法を進言したのは二人の心理学者なのだが、その専門は全く関係ない分野だというウサン臭さである。顧問料で大いに儲けたらしい。

この経緯と並行して、その数年後にアダム・ドライバー扮する議会スタッフによってCIAの尋問問題についての調査が描かれる。
陰鬱なCIAのビルの地下で、長期間に渡りひたすら文書やネット上の資料をあさる日々で、彼の精神状態も不安定になる。おまけに外の政界では調査結果を公開するかどうかが駆け引きの材料となってしまうのだ。

監督・脚本は、ソダーバーグ作品で脚本を担当している人らしい。社会派作品の題材としては申し分ないが、二つの時間軸での行ったり来たりが分かりにくいのが難点。
それと絵的にはほとんどA・ドライバーが暗い場所をウロウロしてるだけなので、日本で劇場公開できなかったのは仕方ないだろう。ドライバーは執念のあまり偏執狂と紙一重な人物を熱演である。

上院議員役のアネット・ベニングはさすがの貫禄だった。
モーラ・ティアニーがCIA職員役で顔を見せているが、彼女の立場は『ゼロ・ダーク・サーティ』のヒロインと似たようなものなのか。そういえば皮肉だろうか、主人公がTVで『ゼロ~』の予告を見ている場面が出てくる。

調査は『ゼロ~』の内容とは反対に、拷問は役に立ってなかったという結論に至る。なんとCIAでも内部調査が行われていて同様の報告がなされていたという。
やはり国家のありようは大問題なのだ。

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2021年6月19日 (土)

「ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏」/「彷徨える河」再見:狂気・逃走・放置

監督:シーロ・ゲーラ
出演:マーク・ライランス
イタリア・米国2019年
DVD鑑賞

原作J・M・クッツェー『夷狄を待ちながら』を作者自らが脚本化。出演がマーク・ライランス、ジョニー・デップ、ロバート・パティンソンという顔ぶれで、監督はシーラ・ゲーロ(『彷徨える河』コロンビア映画初のアカデミー賞外国語映画部門候補になった)、さらに撮影はクリス・メンゲス(『ミッション』『キリング・フィールド』でオスカー獲得)である。
これだけ豪華なメンツが揃っていながら、正式ロードショーがなくてビデオスルーというのはよほどトンデモな出来なのであろうか(>y<;)
--と恐る恐る見てみたら、全くそんな事はなかった。

砂漠の縁に立つ城壁のある町が舞台である。「帝国」に属しながらも辺境故に、民政官が平和に統治している。門は住民が行き交い、賑やかな市が立ち、家畜がのんびりウロウロとしていた。
しかし、ある日「大佐」が軍隊を引き連れてやってきたことから、平穏さに影が差す。
大佐は帝国の先兵として命を受けて版図を拡張すべく、辺境の果てに住む蛮族を討伐するため偵察に出ていく。

映画は時間の進行に沿って4つの章に分かれている。章が変わるたびに町の状態とM・ライランス扮する民政官の境遇は激しく変わる。町は乗っ取られ、活気があった住民たちもまた醜悪なまでに変貌する。もはやかつての自由は存在しない。
民政官の目を通して帝国の拡張と町の崩壊、その末路が淡々と綴られるのだった。

さんざんひどい目にあって地位を奪われた民政官が「私は裁かれている最中だ」というと、下士官から「そんな記録はない」と言われる。
どこの世界でも記録抹消と文書改ざんは「帝国しぐさ」らしい。

民政官役のライランスはほぼ出ずっぱりで恫喝されたりイヂメられたり、一方蛮族の娘の脚をナデナデしたり、いろいろあって大変な役だ~⚡ が、彼のファンは見て損なしとタイコ判を押しておこう。
大佐のデップと下士官のパティンソンは敵役で、出ている時間も少ない。もっともデップはこういうエキセントリックな役(メガネが怖い)をやるのは嬉しそうだが。
グレタ・スカッキがすっかりオバサンになってて驚いた。そもそも孫がいる役だし(^^;

辛辣なテーマ、美しい映像、暴力的展開、皮肉な結末--と文句はないのだが、問題はあまりに語り口が整然とまとまり過ぎていて、もう少し破綻した部分が欲しいのう、などと思ってしまった。かなり残酷な描写もあるのだが……。
原作者が脚本を書いたせいだろうか。それともこれは高望みというやつか。(原作は未読なのでどう異なるか不明)
加えて娘へのフェティッシュな欲望も割とアッサリめな描写。きょうび、あんまりネッチョリと描くわけにもいかないのか、それとも推測するに監督はあまりこの方面に興味ないのかもと思ってしまった。
監督には次作はぜひ自分の脚本で撮ってほしい。


さて、ずっと気になっていたこのシーラ・ゲーロ監督の『彷徨える河』(最初に見た感想はこちらをお読み下せえ)をアマゾン・プライムで再見した。
私はこれまで『地獄の黙示録』を4回ほど観たがその度に感じるのは、カーツ大佐の背後に槍持って立っている現地の住民たちは何を思っているのだろう--ということだった。外界から来た白人になぜ従うようになったのか、従っている間はどう考えていたのか、そしてカーツがいなくなった後に彼らはどうしたのか?
長いこと疑問であった。

そして『彷徨える河』にはその答えが示されているように思えた。

アマゾン川沿いの密林に住むシャーマンに数十年の時を隔て、二人の学者がそれぞれ会いにやってきて河を下る。
最初のドイツ人と共に途中でカトリックの修道院に寄るが、そこは偏狭な修道僧(白人)と現地の子どもたちしかいない閉ざされた空間だった。
数十年後に今度は米国人の学者と共に同じ修道院を訪れる。もはや修道僧がいなくなった今、そこで起きている混乱と残虐こそがまさにカーツの死後に起こったであろう災厄を想像させるのだ。

それは全て白人たちが勝手にやってきて布教し押し付けた後に、放り出して何もせずにそのままいなくなってしまった事による。
『地獄の黙示録』の主人公は感傷的に不可解な体験を語る。が、結局は勝手に来て勝手に去っただけだ。泣きたくなるのは住民たちの方だろう。これは大いなる「傷」、拭いがたい「傷」なのである。

さて、さらに河を下ってたどり着くのは戦争の地である。映画館で見た時は確認できずよく分からなかったのだが、コロンビアは長年隣国ペルーと紛争が起こっており、この時も戦闘状態になっている。ペルーの旗が掲げられて、銃を持った兵士が「コロンビア人か」と聞いてくるのはそのためらしい。
植民地から脱した国々がたどる困難がここに示されているようだ。

もう一つ、再見して驚いたのは予想以上に『ブラックパンサー』に影響を与えていたことだ(過去にクーグラー監督が「参考にした」と明言していた)。
どこか?と思っていたら、薬草についてのくだりだった。

『河』では現地に伝わる隠された薬草を求めて学者がやってくる、というのが中心の設定である(なお二人の学者は実在の人物がモデルで、それぞれ民族学者と植物学者)。
この薬草はいったん全部焼かれてしまう。しかし最後に一つだけ残っているのが発見されてそれが使用される--と展開する。
原作コミックスではどうなのか知らないが、『ブラパン』でもやはり超人的な力を与える薬草が登場してほぼ同じ経緯をたどる。

さらに、薬草だけでなく現地民の文化を外部の白人に伝えるかどうかの是非が『河』では問題になる。
これは『ブラパン』の特産の鉱物ヴィブラニウムを守るために存在を隠しているという論議と葛藤に繋がる。このように、メインテーマについてはかなり「参考にした」と言えるだろう。

『ブラパン』ではワカンダの首都がアジール的要素を持った理想の街として描かれ、統治者たる主人公はそれを満足気に眺めるというシーンがあった。
一方『ウェイティング・バーバリアンズ』ではやはりアジールであった町があっという間に「帝国」に侵食される過程が描かれる。これはゲーロ監督からの『ブラパン』への返答と考えてもよいだろうか。(うがち過ぎかしらん(^^;ゞ)

それにしても『彷徨える河』で、米国人学者が数十年前にドイツ人が訪ねて来た時と同様に小舟で現れる場面は、再見でも背筋がゾクゾクとするほどの衝撃と興奮があった(マジック・リアリズム❗)。
繰り返しになるが、ゲーロ監督には新作を望みたい。

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2021年4月14日 (水)

「ウルフウォーカー」/「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」:異種族との接近遭遇

210414a「ウルフウォーカー」(字幕版)
監督:トム・ムーア、ロス・スチュワート
声の出演:オナー・ニーフシー
アイルランド・ルクセンブルク2020年

秀作アニメを生み出すアイルランドのカートゥーン・サルーン長編第4作目である。内容をかなり乱雑にまとめれば、アイルランド版「もののけ姫」といったところか。
絵柄が超個性的だ。中世絵画風の立体感なしに描かれる町の遠景や城内。対して森はケルトの渦巻き文様に彩られた生命にあふれている。

舞台は17世紀半ばの英国統治下のアイルランドの町である。周囲は人を拒む森林に囲まれ、森とそこに住む狼への攻撃はその支配の一環なのだ。
父親が狼ハンターでイングランドから街にやって来た少女は、半分狼の種族の少女と知り合い仲良くなる。敵対する立場だが、二人は共にここではアウトサイダーでもある。

主人公の少女は最初向こう気が強くて狼を狩る気満々なのだが、厳しい現実にぶつかって泣くしかない。しかし、さらに成長して変貌を遂げる。
父親は娘に森でなく城の台所(これがまた、森と違って陰々滅滅とした場所)に行くよう命じる。だが、子どもの自立を止めることはできないという事実を認めるざるを得ないのだった。

映像、ストーリー共によく出来ているが、難点はあまりに「もののけ」過ぎるところだろう。
ただ狼少女は「もののけ」みたいに美少女ではないし(野性味あり過ぎ💦)、絵柄やデザインが非情に独特で、日本の商業アニメとは一線を画している。また、シスターフッドが強調されているのは今風だ。
最初、少年少女だった組み合わせを少女二人に変えたと監督がインタビューで語っていたが、代わりに父親の方は「やはりそう来たか」という定番な展開だった。

ところで登場する羊が『ひつじのショーン』ぽいのは、わざとかな(^^?

過去の3作品『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『生きのびるために』(劇場公開名は『ブレッドウィナー』)は全てアカデミー賞にノミネートされているが、この作品もめでたく2020年長編アニメ賞ノミネートされた。


210414b「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」(字幕版)
監督:クリス・バトラー
声の出演:ヒュー・ジャックマン
カナダ・米国2019年

こちらは米国のスタジオ・ライカ新作。過去4作品のうち私が見たことあるのは『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』と『コララインとボタンの魔女』である。特徴は精緻なストップモーション・アニメだ。
なお、こちらは2019年アカデミー賞の候補となった。

ストーリーはインディ・ジョーンズ+『失われた世界』+『八十日間世界一周』というところか。
未知の生物を探す英国紳士の探検家がいざ遭遇したら、外見はコワいが人語を解し知識も教養もあった!--ということから、その仲間を探す旅に共に出る。世界一周とは言わないが半周以上はするだろう。

映像はCGかと思っちゃうほどの繊細さと大胆さである。風になびく毛や密林の風景、特に人の表情は生きているようだ。
冒険ものとしては定番の酒場での乱闘から氷の山のアクションまで、とてもストップモーション・アニメとは信じられねえ~。
芸が細かすぎてモニター画面なんかでは分からない。大きなスクリーンで見られてヨカッタ(^.^)

自己チューな主人公が生き方を変えるというのはよくあるパターンの話だが、中心となる3人(2人と1匹?)の付かず離れずの関係がよかった。
ただ折角たどり着いたシャングリラの描写(映像面ではなく)が物足りない。あれほど行きたかった割にはなんだか表面的にスルーしてしまったような。映像面は完璧な反面、『KUBO/クボ』も脚本がイマイチだったからそこら辺を補強してほしい。

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2021年1月28日 (木)

「ある画家の数奇な運命」:アーティスト人生双六

210127a 監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:トム・シリング
ドイツ2018年

画家ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画でナチスがらみだという--となれば、絶対に見なくてはイカン!と勢い込んで見に行った。
もっとも主人公の名前は違うし、本人が喜んで監督の取材に応じたにもかかわらず完成後に「こんなのは自分じゃない」と否定したとか。(元々、変わった人物らしい)

ナチス政権下での少年時代、叔母が精神病院に入院→ガス室送りとなった前半から、戦後は元ナチス高官の医者だった男の娘と知り合い、さらに西側へ亡命して画家として成功するという怒涛の半生が描かれるが、いかんせん長過ぎる。
上映時間3時間強💥 もちろんもっと長い映画はあるし、面白ければ短く感じただろうけど……(=_=) 無駄な部分を切れば少なくとも30分は短くなったんではないか。
それと作品中でテーマが分裂しているようにも感じた。

210127b 美大で学ぶ場面で最初にポロック風に描いてみたり、色々な作風に挑戦する経緯に実際に存在する他の画家の作品(っぽいもの)を出してくるのはなんだかなあ。
ただ、作品ではない地の映像にリヒターぽいシーンが登場する。(水着の妻、叔母の髪型、寝室のローソクなど)

なんで主人公がやたらと「子ども」にこだわるのかと思ったら、「悪い遺伝子」を断つために殺された叔母さんの遺伝子が、断絶せずに継承されるということのようだ。でもそこにこだわるというのは、また別の血統主義ではないのかなどと疑問が湧き上がってくるのであった。

この映画がリヒターの一作の迫力を超えるかというと……まあ微妙である。
ベクトルが逆だが同じ要素(画家と国家、評価の変転、美大での授業・学生たちなど)が散りばめられているワイダの遺作『残像』と比べると、その足元にも及ばないと断言したくなる。

主役のトム・シリングは可もなく不可もなくだが、妻の父役のセバスチャン・コッホが舅の圧を感じさせるイヤ~な悪役演技で見事。嫁いびりも嫌だけど舅のムコいびりもコワイのう(+o+)
また、ヨーゼフ・ボイスとおぼしき教授役のオリヴァー・マスッチも好演だった。

一つ驚いたのは、後半に登場する作品を実際にリヒターの「下請け」で描いていた画家に頼んだと監督が語っていたこと。あれは本人が描いてなかったのか!


リヒターを初めて知ったのは恥ずかしながらソニック・ユースのアルバム・ジャケットからである(^^;ゞ
東ドイツで西側の「成金資本家」向け作品が批判される場面があったが、結局彼が現在の高額で取引される大作画家の代表のようになってるのは皮肉としか言いようがない。
210127c

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2020年11月23日 (月)

「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」:被害者からの脱出

201123 監督:フランソワ・オゾン
出演:メルヴィル・プポー
フランス2019年

フランソワ・オゾンがいつもの作風を封印✖ カトリック教会の聖職者による少年への性的虐待事件(実話)をシリアスに描いたものである。

とある司祭に虐待の被害を受け、数十年経過した後に告発した3人の男性をリレー形式に取り上げている。彼らは社会に広く呼び掛け、被害者団体を作って加害者の司祭だけでなく隠ぺいした教会をも告発するのだった。
だが、教会からは無視、社会からの反発など様々な困難が続く。

中年になって自分の妻や子どもに被害体験を明らかにするのは勇気がいるだろうが、身近な人の支えがなくては戦うのは難しい。そのようなジレンマがあるし、被害者も一枚岩ではない。
一人は信仰が揺らぎ、別の一人は団体のリーダーになって行動し、もう一人は完全に人生が破綻している。
さらにまだ一人いるのだが、彼は「仲間に嘲笑される」と告発に参加するのを拒否するのだった。

カトリック教会と言えば国境を越えた巨大権力組織でもあるわけで、それに対する闘いをあくまでも個人の視点から訴えている。
これらを淡々とじっくりした調子で描いていくから、所によっては単調に感じられるかもしれない。しかし、数十年間にわたる沈黙の意味と個人の煩悶を描き、さらに団体を作る経緯やその意義という面まで踏み込んでいるのはこれまでになかったことだ。
社会派作品として見る価値大いにあり💡

ところで、被害者は資産家が多いなあと思って見ていたら、加害の舞台となったスカウト活動は費用が掛かるので金持ちの子弟じゃないと参加できない、とのことである。なるほど……(;一_一)

 

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