映画(タイトル「サ」「タ」行)

2019年9月11日 (水)

「新聞記者」:ヒューマン・ドキュメント スクープしなけりゃ意味ないよ

190911 監督:藤井道人
出演:シム・ウンギョン、松坂桃李
日本2019年

過去に度々「日本では社会派映画の伝統は途絶えた!なんてこったい(>O<)」みたいなことを書いてきたので、その手前どんなもんかと見てきましたよ。
結論から先に言うと、これって「社会派」なのか?と思わざるを得ない内容であった。

まず、女性記者の設定に驚く。日本人と韓国人のハーフでしかも米国からの帰国子女(母語は英語のようである)、失脚した記者であった父親の復権のためにわざわざ日本で自らも新聞記者となる--って、どうしてこういう複雑な設定にしたのか、事情を理解するだけで既に我が脳みそはオーバースペック状態だ。

彼女が取材しようとするのが内閣情報調査室の若手官僚で、外務省時代には上司がトラブルに巻き込まれた体験あり。
で、内調って何をしているのかというと、薄暗い大部屋で大勢がパソコンに向かってSNSに誹謗中傷や怪情報を書き込んでいるらしい。外部に指令飛ばしているシーンもあるけど(『ネット右翼とは何か』によると、実際には政府は直接に操作や指令はしていないもよう)。これがなんだか、よくある「悪の巣窟」っぽいイメージなのだ。
しかもSNSしか操作対象のするメディアはないようで、あたかもネットが世界全てのよう。

皆さん優秀な頭脳を持った超エリートなのに暗い所でゴソゴソしているだけなんて、人的資源の無駄遣いではないか。モッタイナーイ(~o~)
しかも、内調の場面は直接の上司と官僚男しか顔がハッキリ出てこない。同じ職場に考え方正反対のヤツとかいれば、ドラマ的に対立点が明確になると思うんだが。

一方、記者の職場の描写も判然としない。周囲の同僚は突出して動き回る彼女を、あたかも異星から来た「困ったチャン」の如く生暖かく見守るという風情。同僚たちについて個々に明確に描かれていないので、役者の顔でしか区別できない。上司のデスクの立ち位置も不明である。
さらに驚いたのが、主人公が書いたスクープ記事について、上司が大手新聞が後追いしたので「よくやった」と褒めたこと。記事の価値は大手紙が認めるかどうかなのか? ちゃんと裏取りして構成も考えて見事に記事にしたとかじゃないのか。
部外者には全く理解できない業界である。

加えて、劇中に原作の望月記者など実在の人物たちのトークがTV番組として背後に流される。わしゃσ(^_^)既に脳の老化が始まっているので、劇中の台詞とトークを両方同時に聞き取れる能力はないのよ。
あと、意味のない手ぶれカメラ止めて欲しい。それも手ぶれの域を超えたかなりの揺れで目が回る(@_@)かと思った。

それ以外にも???印が付く場面や設定がある。
しかし裏話を聞くと、実はなんと最初の段階では半ドキュメンタリーの造りになっていて、トークの場面と実名のドラマを組み合わせたものになっていたという。それを監督が脚本を書き直したというのだ。
ええーっ、それじゃかなりとっつきにくい特殊な映画では(?_?) 『バイス』みたいな感じでもなさそうだし。

記者と官僚男が協力して闇の真相に迫るという形を取るが、結局のところ疑惑の解明とか社会への影響などはあまり重きを置かれてない。そもそも立ちはだかる外部の障害は上司の恫喝ぐらいである。
中心は謎やサスペンスではなく、困難にあった時の個人の慟哭とか煩悶という人間ドラマを描きたかったようだ。

190912 たまたま最近、斉藤美奈子の『日本の同時代小説』(岩波新書)を読んだのだが、それによると明治二十年代に近代文学なるものが勃興した時「ヘタレな知識人」「ヤワなインテリ」が主人公であった。「グズグズと悩み続けるハムレット型の「青年」たち」である。
これって、まさにこの映画の若手官僚そのまんまじゃないの。
文学では戦後から現代に至るまで様々に変遷してきたが、まだ映画にはそのような主人公像が生き残っているのだろうか。

しかもグズグズと悩み続けて、生まれたばかりの赤ん坊と一緒にヨメさんにハグしてもらう始末。この嫁さん大変だな、子どもがもう一人いるんだもん。自分だって帝王切開して大変だったつーのに。
私だったら、妻は何も分かってない設定にして「この子には習い事二つぐらいはさせたいし、いい学校にやりたいから、○○くん(←名前忘れた)のお給料だけに頼るのは心配。私もそのうちパートで働くねー」と無邪気に語って、主人公をさらに追い詰めるようにしたい。

ということで、ここに至って記者がなぜオーバースペックな女性であるのか分かった。
漱石の『三四郎』の主人公を翻弄するのが、明治時代の「都会派のギャル・美禰子」ならば、現代の超エリート官僚男に対するのは出自も文化も全く異なるバイリンガルの帰国子女でなくてはならないのだ。

かくして社会派映画ではなく「文学」を見たのであった。
そもこういう題材が選ばれること自体少ないので批判するのもマズイかなーと思うが、褒めている感想が多いのでこれぐらいいいよね。

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2019年7月24日 (水)

「誰もがそれを知っている」:ファミリー・アフェア 後から効く~

190724 監督:アスガー・ファルハディ
出演:ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス
スペイン・フランス・イタリア2018年

ファルハディ監督の新作はスペインを舞台にして、ペネロペ・クルス&ハビエル・バルデム夫婦共演という大ネタを投入である(もっとも、役柄自体は夫婦ではなくて「元恋人」という設定)。

スペインの田舎町からアルゼンチンの資産家に嫁いだ女が、妹の結婚式のために子どもたちと共に帰郷する。しかし、十代の娘が誘拐され身代金の請求が……。
スペインでは実際に悲惨な誘拐事件が起こっていて、かなり国中を揺るがす大きな騒動となったらしい。それを踏まえて話が展開する。その事件の記憶があるためにうかつに警察へも訴えられない。
だが、どうもこの誘拐事件は見ていると何かが引っかかるのであった。

バルデム扮するかつての恋人の男は、元カノに降りかかった災難に対し奔走する。自分の農場で働く季節労働者(その多くは移民らしい)や、自分の妻が教えている矯正施設の生徒を疑う。そこには普段は隠された差別感が緊急時には露呈するということが、さりげなく描かれている。
また、そもそも女の父親は元地主で、対外的にはその強権的な性格が嫌われているし、家族内もドロドロしている。
と、ファルハディお得意のイヤ~ン案件が続出するのであった。

しかし、どうしたことであろうか。これまでの監督作品にあった人物を追い詰めるような緊迫性はなく、スター俳優二人を迎えたためかなんとなくライトな仕上がり。メロドラマ調に流れているような印象で、物足りないままに終わってしまったのだった。本来ならば「うわー、もうイヤだー」とパッタリ倒れたくなるような内容なのが普通だろう。
--と、思っていたのだ、当初は。

だが、段々と時間が経つにつれて思い返す度にイヤ~ン味が増して感じられるようになってきたではないか。こ、これは……相当にひどい話じゃないの!(詳しい内容は、下記のネタバレ線以下に記述)。
時間差でイヤさ全開になるとは、監督の芸風もますます磨きがかかってきたようである。
今回も彼は身近な家族内にペタリとくっ付いている、善とも悪とも決めつけられないけど醜悪な部分を掘り出すのに成功したようだ。

190724b 娘役のカルラ・カンプラがなかなかの演技を見せる。若いのでこれからの期待株か。情けない父親役のリカルド・ダリンは「瞳の奥の秘密」などで知られる渋い二枚目俳優。こういう役も完全にこなしているのはさすがである。

大判のチラシにあった辛酸なめ子イラストのストーリー紹介があまりにも的確で笑ってしまった。→確かに、ペネロペ・クルスの憔悴ぶりの落差はすごい。


------------------------★ネタバレ注意★-----------------------

以下は完全ネタバレです。自己責任でお読みくだせえ( ^o^)ノ


バルデム扮する男は農場を失い、妻も彼の元を去る。しかし、最後に彼は自分に娘がいたことを初めて知って、その幸福感にベッドに横たわってかすかに微笑む。

だが、その一方でそれに等しいぐらい身近な近親者である兄が自分を裏切っていることを知らない。そのやり口は狡猾で、警察に通報させないためにわざわざ警察OBのアドバイザーを紹介までする。
扱いやすい子どもの弟の方ではなく、わざわざ十代の娘を誘拐するからには完全な部外者の犯行ではなく、男の財産も狙っているのは明らかだが、「誰もが知っている」のだから容疑者は町の住民全員でおかしくはない。

それを、期せずして攪乱するのがアルゼンチン人の夫の存在である。性格は神頼みで成り行き任せ。そのような人物だからこそ娘は生を受けたわけだが、全くの他人である男が自分の身代金を払ったことを娘に問われても何も答えない。
こりゃ、後々まで禍根を残すだろうなあ……と想像すると、ますますイヤさ加減が増すのであった

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2019年7月19日 (金)

「たちあがる女」:アイスランディック・ソウル 不屈の闘い

監督:ベネディクト・エルリングソン
出演:ハルドラ・ゲイルハルズドッティル
アイスランド・フランス・ウクライナ2018年

「変な映画」は数あれど、それにプラスして面白いというのはあまりない。しかし、このれがまさにそうであった。こんな映画を生み出したアイスランド恐るべし。

表の顔は中年女性、アマチュア合唱団の指導者。しかしてその実体は--環境を守るため破壊工作に日夜はげむコードネーム「山女」であったのだ!
疾きこと風の如し、矢を放っては送電線をぶっ壊し、大地や風の動きで追っ手を素早く察知、姿を潜める。
ただ、逃走経路は計画段階でちゃんと確保した方がいいと思うんだけど……💨

映画の感想では「女ランボー」などと評されていたが、不動の意思をもって美しい野山をひた走る主人公はさながら中年ナウシカのように見える。
宮崎駿の原作マンガでは結末でナウシカは市井の人に戻ったと書いてあるが、あたかも中年になったナウシカが環境破壊に怒り再び立つ(*`ε´*)ノ☆となったら、こういう感じではないか。なにせドローンの接近を素早く聞きつけちゃうんだから。

現在の標的は拡張計画中のアルミ工場で、中国資本がらみらしいのが描かれる。以前、この本を読んだ時に中国のアフリカ大陸への食い込み具合に驚いたが、実際ヨーロッパにもかなり進出しているそうだ。アイスランドというと、日本と違ってもっとゆったりとした国だというイメージがあるものの、監視カメラやドローン・警察のヘリによる追跡、ネット盗聴など物騒な面も登場する。

しかしこの映画の一番の驚きは、本来劇伴として背景に流れるはずの音楽を実際にミュージシャンが画面に登場して演奏することなのだ(!o!) オルガン、ドラム、スーザフォン(変わった組み合わせ)の奏者が付かず離れずヒロインと共に行動して(たまに休憩したりする)、その状況に合わせて音楽を奏でるのだ。
こんな発想見たことも聞いたこともねえ~。驚きである。
途中からは地声3人の女性コーラスも加わる。ブルガリアン・ヴォイスっぽいけどアイスランドにもあるんだーと思っていたら、ウクライナの伝統音楽らしい。

音楽だけでなく映像のセンスや編集のテンポもいい。この監督、これが2作目だというからこれからも期待大だろう。
あと、ヒロインの「活動」に巻き込まれて毎度必ずトバッチリを受ける外国人観光客のおにーさん。笑っちゃうのだけど、監督の前作にも登場しているそうな。次作にも出して欲しい。

ラストの光景はぼーっと見ていて気付かなかったのだが、主人公の活動と直に関わっていたのだった。恥ずかしながら他のネットの感想読んでて気付きましたよ(^^ゞ ヒントは自室で流れているTVニュースである。
最後まで演奏団を付き従え、断固として進む彼女の姿に感動である。

また邦題に文句つけたい。主人公はとっくに「たちあがって」いるのだから(「立ち上がる」じゃないので検索もしにくい)、ここは一つ「不屈の女」ぐらいにして欲しかった。

ところで、本作はジョディ・フォスターの監督・主演でハリウッド・リメイクの予定らしい。彼女がやったら余計に中年ナウシカっぽいかも。

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2019年5月27日 (月)

「ちいさな独裁者」:上官は思いつきでものを言う

190527 監督:ロベルト・シュヴェンケ
出演:マックス・フーバッヒャー
ドイツ・フランス・ポーランド2017年

全員悪人--とまでは言えないが、少なくとも全員善人にあらず、という恐ろしい内容である。
第二次大戦も末期、ドイツ軍はもう敗走状態。逃亡兵たちが食料を求めて農家の納屋に忍び込んで強奪。一方、農民たちも負けてはいない。泥棒を発見したら容赦なくブチ殺すのであった。

そんな若い兵士の一人が広野をさまよううちに捨てられた軍の車と将校の制服を発見。たまたま着ていたところ、別の兵士に将校と勘違いされる。そして次々と勘違いしてついて行く者が増えていくのだった。
嘘も百人信じれば真実になる--いや例え一人でもいればそれはもう真実なのだ。
もちろん、半分疑っているヤツもいる。途中から疑い始めたけど今さらもう引き返せないヤツ、どころか最初から偽物だと見抜いているが、自らの保身のために利用するヤツもいる。

そもそも、主人公は嘘をついて全く臆することはなく、窮地に至ってもペラペラと言い逃れる、いざとなれば平然と他者を犠牲にするのだった。(こういうのをサイコパス気質というんだっけ?)
実際にこういうヤツは存在するんだよね。以前、職場にいて周囲は大変な迷惑を被っていたものだ。

さらに将校の制服の威力の甚大さ💥 本人は童顔で小柄な若者なのに、周囲はひたすらその権威に服すしてしまう。さらには、制服がなくとも権力を行使するような場面まで登場する。
制服は周りに影響を及ぼすが、着ている本人の中身もまた変えるのか。とすれば人間の本質はどこにあるのか。そもそもそんなものはないのかね。

そして成り行きで恐ろしい事態へと転がっていくのだった。
しかし、さらに恐ろしいのはこれが実話だということだ(!o!) なんてこったい。
監督は『ヒトラー 最期の12日間』を見て、ヒトラーだけに悪をすべて押しつけて他の人間は善人だったというような内容に怒りを感じ、「良いナチスが一人も出てこない映画を作りたかった」と語っている。その意気や良し👊

いや、マジに善人が一人も出てこないドライな徹底ぶりに感動した\(^^@)/
脱走兵の収容所で開かれる将校のパーティーでの余興、これが収容されている兵士の漫才で、徹頭徹尾最低最悪くだらなさの限り(しかも面白くない)で見ていてあきれるばかりだ。やる方も見て笑ってる方も正気を疑いたくなるほど。これに比べれば『第十七捕虜収容所』なぞ極楽のようなものだろう。

アイデアだけでなく、映像による心理描写も巧みである。重低音でドヨ~ンと入ってくる音楽もいい。
「サウルの息子」っぽい映像もあり。エンドクレジットの部分は完全に『帰ってきたヒトラー』のパロディとなっている。
主演の若者役もうまい。飄々とツルツルと言い抜けていく無神経さがよく表現されていた。

なお、この作品は元々モノクロだったらしいのだが、なぜか日本ではカラーで上映したというので一部で話題になった。と言っても、かなりセピアっぽい色味ではあるけど。モノクロだと世間でウケないという話を聞いたことはある。でも内容的からするとカラーだから客が増えるという映画でもないだろうに(^^?
それから、一カ所ボカシが入っていたが、遠方のシルエットなんでほとんど分からない代物である(むしろボカシで目立つ)。『ROMA ローマ』なんかモロに映っていたのにボカシなし。基準が分からない。レイティングの関係だろうか。

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2019年5月16日 (木)

「女王陛下のお気に入り」:コート・オブ・ジェラシー 愛さないの愛せないの

190516 監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ
アイルランド・米国・イギリス2018年

アカデミー賞に9部門大量ノミネートされて話題となったこの映画、どんなもんかと見に行った。予告では正統的な歴史物かと思えたのだが……。

やっぱり変な映画でした~!(^^)! グリーナウェイの名前が挙がっていたけど、確かにそれっぽい雰囲気あり。
衣装とか美術がかなりリキが入って見事なの本格的史劇っぽいが、全体にはシニカルで史実をおちょくったような感じである。

時は18世紀初頭、イングランドのアン女王宮廷では女王の幼なじみであるサラが政治を取り仕切っていた。そこへ没落貴族の若い娘アビゲイルが転がり込み、女王のご寵愛の座を虎視眈々と狙うのであった。
これが「陰謀劇」というようなものでなく、バレエシューズに画鋲を入れるのとあまり変わらぬレベルなのだ。

そもそもアン女王がわがままで、かなりコマッタチャンな人物。
例えると、部活で大好きな先輩が受験勉強に入ったのでかまってくれなくなって、つまんな~い。あら、今度入ってきた新人の後輩、カワイイじゃない。こっちの子と遊ぼうっと💓 もういいもん、先輩なんかキライ(~o~)--みたいな調子だろうか。

これだけだと歴史上のどうしようもない女たちをクサした話かと思ってしまうが、ご安心あれ(^^)b 男たちの方はもっとどうしようもない奴らばかりなのである💥
笑える場面が何カ所もあったのに、なぜか場内誰も笑っていなかったけどな。

で、結局最後の勝者が誰かということになるとハッキリとしないままフェイドアウトしてゆくのであった。
見てて唯一の疑問は、女王が長い付き合いがあり、万事において有能なサラをなぜ疎遠にしたかということだ。実は女王は狡猾な人物だとする解釈もあり、本能的に動いているようにも見え、よく分からない。
この人も田舎貴族の奥さんぐらいの立場だったら幸せだったかもね、などと思ってしまった。17回子供ができたが一人も成人しなかったなんてあんまりである。

アカデミー賞については、女王役のオリヴィア・コールマンが主演女優賞を獲得した(他部門は残念)。
ただ、3人の女性のうち女王が主役かというとかなり疑問だ。物語の視点は大半をアビゲイルが占めていて、しかも常にアクティヴに動いているキャラクターである。だからエマ・ストーンが「主演」でも全くおかしくない。
もっとも誰が主演なのかというのは、映画会社が賞のリストに出す時に決めるそうなので単に獲得合戦の戦略でそうしたのだろうと思われる。

女優3人は誰が賞を取ってもおかしくないと思える演技だったが、男優の方はというと……折角のニコラス・ホルトも、別に彼ならこれぐらいは通常運転だろうというような印象だった。
監督のヨルゴス・ランティモスはギリシャ人とのこと。よく英国は外国人に自分の所の宮廷をおちょくったような話をやらせるなあと感心。しかも英国アカデミー賞では11部門で候補になり、7個も取ったのである。
ちなみに同監督の過去作『ロブスター』を見た知人に、この映画を誘ったところ「あの監督じゃ絶対イヤだ!」とのこと。未見だけどそんなに変な映画だったのか(^^?

さて、音楽面については劇中にパーセルのコンソート曲とダウランドの歌曲を演奏する場面あり。ただ、今時の古楽のコンサートでこんな演奏したら座布団投げられるだろうというようなレベルである。
劇伴音楽としてヘンデルが使われているが時代的には合わない。宮廷でのバロックダンス場面が登場するも、途中から現代風のダンスになってしまう。


ついでにグチる。
映画館で隣に中高年夫婦がいて、私のすぐ横は夫の方だった。そいつが映画の最初から最後までずーっとポケットティッシュを手に持っていて、二、三分おきに握ってはビニールの音をシュワシュワさせるのだ。おかげで集中できなかった。しかも映画が退屈らしくて途中でケータイ開いて見始めたのである。
さすがに頭に来て「眩しいんですけど」と注意したら止めたが、エンドロール始まった途端にまたケータイ開いてた。夫婦割引の弊害かね。退屈なら夫婦で別の映画見てほしい。

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2019年5月 5日 (日)

「ジュリアン」:ウィークエンド・ファミリー 愛より怖く

190505 監督:グザヴィエ・ルグラン
出演:ドゥニ・メノーシェ
フランス2017年

昨今、社会問題として大きく浮上している家庭内DV・児童虐待を題材にしたサスペンス。観客に差し出されたDVの様相はあまりに恐ろしくて見続けるのがつらいぐらいだ。
見てて「うわあ」「いやだー」「やめてくれ(><)」「ギャーッ」「ヤダヤダヤダ」「なんとかしてくれ」みたいな言葉しか脳内に浮かんでこない。

冒頭、夫のDVが理由で離婚した両親の調停場面、少年ジュリアンは母親と暮らすことに決まる。しかし、共同親権のため隔週末に父親の家に行かねばならなくなる。
すると父親は家に行く度に、秘密にしてある母の住所や電話番号を教えろと執拗に迫るのであった。
そしてしつこく母の周囲に出没し始める。ここら辺は完全ストーカーである。そして遂に事態は最悪の方向に向かって爆発する。その恐怖は並大抵のものではない。DV被害者は常にこのような感情を味わっているのだろうかと、想像するしかないのだ。

後味悪いホラーかサスペンスという印象で、見終わってもホッとするよりドヨ~ンとしたままである。映画館で見てよかった。ネットやソフトで見始めたら、絶対途中で見るの止めたくなるに違いない。

--のではあるが、その後しばらくするとどうも「これでいいのか」感がなんとなく湧いてくるのであった。
終盤、エスカレートしてきた父親が襲撃してくるのはいいが、完全に怪物と化している。
特にホラーっぽいと感じるのはここの点で、実際監督は『シャイニング』を参考にしているらしいのだ。な、なるほど……。

作中の父親はいかにも凶暴で今にもバクハツしそうな外見なのだが、実際にはDV男は家庭外での外面は良くて、ズル賢く世間を欺くらしい。
また、ようやく子どもと一緒に夫から別居しても今度は、DVを目撃し被害に遭ってきた子が母親に暴力を振るうなどという例もあるそうな。
かように、映画の描写をそのまま受け取っていいものかという疑惑が浮かんでくるのは仕方ないのだった。

というわけで、これはあくまでホラー映画の怖さだということで差し引いて考えた方がよさそうである。
しかし演技でも父親役コワ過ぎて、子役の少年の精神衛生上大丈夫か気になってしまった。
いくつか意図がよく分からない描写があった。一番最初の家裁の判事(?)がマッタリとお茶を飲んでいるところ、ハイティーンの姉がトイレで恐らく妊娠検査をする場面、あと彼女が歌うライヴ場面もやたら長すぎる。

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2019年4月22日 (月)

「天才作家の妻 40年目の真実」:ベスト・カップル ぺンとしゃもじは一度に両方握れない

190422監督:ビョルン・ルンゲ
出演:グレン・クローズ
スウェーデン・米国・イギリス2017年

予告や事前情報を見て、妻が書いた作品を夫が横取りしたような話かと思ったが、実際には少し違っていた。

夫婦は元々、教授と教え子という関係でどちらも作家志望である。しかし、妻の方が文章がうまく有望視されるも発想がうまくないということで、夫が着想と編集者、妻が文を書くという分業体制を取り、夫の名で出した小説は幾つもベストセラーとなる。
遂にノーベル賞を取ることになり、ここで妻の方が爆発するのであった。

しかし、この設定にはどうも無理がある。若い頃には妻が執筆している間、ダンナの方が家事や育児(ついでに浮気も)してたというのに、年取った今では彼はあたかも自分が書いた(心からそう思い込んでいる)ようにふるまっているのである。

しかも今では日常生活が何事もルーズな夫はケアや家事を妻の方に頼りきりだ。この事自体は老年夫婦にはよくある光景だが、その逆転はいつ起こったのか。彼は一度病で倒れてその後は半ば引退生活を送っているようだから、その時からなのか。
いずれにしろ若かった時の輝きはもう存在はない。

とはいえ、全体のタッチは深刻ではなく下世話で軽妙。夫婦ゲンカしては何か起こってうやむやになり……を繰り返す。他所の家の夫婦をチョイと覗き見する気分である。ラストの大ケンカは手持ちカメラでグルグル回って撮り、これでもか👊と迫る勢いだ。

ここに至って、私が期待していた「小説家の業」みたいのは関係ない、いやそもそも作家じゃなくても成り立つ話だと理解したのであった。
早い話、この夫婦の家業が「町工場」とか「パン屋」でも全く構わない。夫婦で作り出した独創的なパンを発売して評判になりコンテストでも賞を取ったパン屋の亭主が、「いやー、ウチの女房はパンに触りもしない」などと喋ったらどうなるか、という事である。

ただし役者は素晴らしい。グレン・クローズは惜しくもオスカー逃したけど、取ってもおかしくない迫力。相手役のジョナサン・プライスは本当にイヤ~ンな加齢臭漂ってくるような見事なオヤヂ演技だった。
ルポライター役をやったクリスチャン・スレイターはいつの間にかG・オールドマン風狡猾さを身に着けていて、これもよかった。

まあ、全体としては私の期待とはズレていたんで仕方ないってことですね。
ラストシーンはまだ自分で書く気マンマンとも解釈できるが、どうなのだろうか。だって一番おいしいネタが残ってるじゃないの。

 

作家の夫婦って難しい(円満な人もいるが)。日本だと高橋和巳・たか子、生島治郎・小泉喜美子あたりが有名だろうか。後者は夫が妻の才能を恐れて書くのを禁じたという噂もある。
T・S・エリオットはそれこそ「妻が半分書いた」説があり。以前見た映画『愛しすぎて 詩人の妻』では完全に悪妻になっていた。

最近明らかになったのは、井上光晴の奥さんである。彼が締め切りに追われた時に代理で短い随筆や旅行記を書いていたのとのことだ。
娘の井上荒野によると文才はあったのに、井上光晴が書かせなかったということだ。そういう「作家の妻」の怨念の物語をもっと知りたいのだ。

 

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2019年2月12日 (火)

「ディザスター・アーティスト」:ノー・カット! 駄作も行き過ぎれば客が来る

監督:ジェームズ・フランコ
出演:ジェームズ・フランコ
米国2017年

DVDにて鑑賞。
米国に『ザ・ルーム』(2003年)なる映画あり。「史上最低の映画」と評されて笑いのネタとなり、映画マニアに愛されている駄作だそうだ。

この映画は『ザ・ルーム』がいかに作られたかを描いたもので、実話を元にしたコメディである。
こちらは極めて評判良く、ゴールデン・グローブ賞の作品賞にノミネート、監督兼主演のジェームズ・フランコは男優賞をゲットした。他にも放送批評家協会賞も取ったということで、このまま賞レースを突進してオスカー主演男優賞に手をかけたと思った途端、直前にフランコのセクハラ問題が発覚してしまい、一気になかったことにされてしまったといういわくつきの作品である(オスカーでは脚色賞候補のみ)。日本でも公開がなくビデオスルーになってしまった。

役者志望の若者が演劇学校で変なロン毛男トミーと知り合い、ルームメイトとなる。くすぶっているうちに彼から映画を共に作ろうと誘われる。トミーは身分不詳、果たして本名を名乗っているのかさえ分からないが、金だけは無尽蔵に持っているという謎の男であった。果たして大丈夫なのかと誰もが思うであろう。

プロデューサー兼監督兼脚本兼主演となったトミーであるが、実際には映画の製作については全く知らず、さらに演技もシロート以下と言っていいほどだった。そんなデタラメな混乱ぶりが若者の眼を通して描かれる。

その信じられないドタバタが見どころの一つだ。トミーは何度同じシーンを演じようとしても、セリフを覚えられない。あまりに繰り返すので、彼以外のスタッフはみな暗記してしまうほどだ(^◇^)
もう一つの見どころは有名な俳優があちらこちらに顔を出していること。ザック・エフロン、シャロン・ストーン、ジャッキー・ウィーヴァー、ジャド・アパトーなどなど。

そしてラストに至って、正体不明でデタラメで才能皆無だが映画をそれなりに愛しているトミーという人物を、観客は好きになる……はずである(多分)。
いかにも映画マニアが好みそうな話であるが、マニアの域には至っていない私のような人間には「ふーん、変なヤツがいたものよなあ」で終わってしまうのだった。
それと『ザ・ルーム』は、米国と違って日本では全く知られていないというのが痛い。

フランコはロン毛を振り乱して別人のような怪演&熱演。一方、作品全体は意図は分かるけどなんだか中途半端な印象で、監督としての手腕は今一つであった。
彼の弟のデイヴ・フランコが若者役を演じている。童顔で役柄にはあっているものの、なんだか口をパクパクさせる癖があって、これは俳優としてはかなり問題ありなのではないかと思った。

ところで最後に通行人みたいな役でなんと本物のトミーが登場。ちゃんとセリフ言えてたよ(!o!)

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2018年10月23日 (火)

「スターリンの葬送狂騒曲」:バトル・フィールド 継ぐのは誰か

181023
監督:アーマンド・イアヌッチ
出演:スティーヴ・ブシェミ
フランス・イギリス・ベルギー・カナダ2017年

「ヒトラー」の次は「スターリン」映画ブーム来たるというわけではないだろうが、近現代ヨーロッパ史における最悪独裁者一、二の座を争う人物といえる。その彼の死をめぐるドタバタ劇である。コメディ仕様となっているが、シリアスな調子でやったらとても正視できぬ陰惨な史実だ。

強権を振るう彼が別荘で倒れるが、優秀な医者はみんな粛清してしまったんでロクな治療も受けられない--ってマジですか(^^?)と疑いたくなるようなエピソードが続く。
死後は別荘の使用人や警護の兵士は連行&殺害。スターリンの息子は挙動が変で、周囲の後継者争いは熾烈を極める。
その騒ぎの中でフルシチョフは虎視眈々と策謀をめぐらすのであった。

フルシチョフ役のS・ブシェミ他、芸達者な面々がドタバタと権力闘争を繰り広げ、笑い声も随所に上がった。個人的にはもっとブラックな感じが好きだが、事が事だけに調子に乗ってあまり事実と異なることも描けないだろうとは思う。
でも、国葬の棺の横でブシェミが横歩きする場面は、思い出すたびに笑ってしまうのであったよ(^◇^)
監督は英国人でTVシリーズの監督などやっていたらしい。いかにも英国流のユーモアである。

事前にこのあたりのソ連戦後史を予習しておけばよかったと後悔。なお、映画館は満員御礼状態であった。


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2018年9月30日 (日)

「スパイナル・タップ」:バンドあるある

監督:ロブ・ライナー
出演:クリストファー・ゲスト
米国1984年

あの伝説のロック映画が今、初の正式公開!ということで見てきた。もっともソフトでは出ていたらしい。
今でいう「モキュメンタリー」、疑似ドキュメンタリーの走りで、英国のバンドの米国ツァーを取材するという体裁を取っている。もっともらしく、バンドの歴史やインタビューも登場。
監督のロブ・ライナーも実際に監督役で顔を出している。

元々は地元の友人同士のフォーク系(?)デュオが、時代に即して姿を変え、その後ビートルズ風→サイケデリック・ロック→ハードロック/ヘビメタ*今ココという変遷を遂げて、晴れてツァー開始\(^o^)/という状況から始まりだ。
バンドを見ていて(聞いて)思い浮かぶは、チープ・トリック、キッス、ヴァン・ヘイレン、AC/DC……まあ、特定のバンドではなくそれらのイメージを混ぜ合わせたものと言っていいだろう。
音楽自体も、いかにも当時はやっていたサウンドや曲である。そして歌詞はものすごくバカバカしくて笑える。これが全部オリジナルで作ったというから大したもの。

そしてバンドを次々と襲うトラブル
歴代ドラマー謎の連続死。アルバム・ジャケットのデザインでもめて発売中止。メンバーの女が音楽に口を出す。
ツァー中に、主要メンバー仲たがい(そういや、実際に来日中にメンバーの一人が帰っちゃったバンドありましたな)。大規模豪華セットを作ったはずが使えず。ホテルの部屋撮り損ない。
マネージャー辞職。人気がなくなって音楽性の方向を変える。軍の基地にドサ回り。

と畳み掛けられれば気付く。なるほどこれは「バンドあるある」だっ(!o!) バンドにまつわるどこにでも起こる事案を笑いと共に積み重ねているのである。
しかし、楽屋を出て迷子になってステージにたどり着けず--なんて本当にあるの?

さらにトラブルで解散寸前のバンドが日本経由で復活って、なんかどっかで聞いたことがあるような……と思ったら「アンヴィル!」だった。でも向こうはもっと後に作られた実際のドキュメンタリーなんだけど??

ロックファンなら必見の笑いと感動の一作に間違いない。
この、バンドであるスパイナル・タップは実際にバンドとしてコンサートにも出てたとか。まさに虚実の間をすり抜ける奴らであろう。
しかし、あの恥ずかしい歌詞を歌ってたのか。まあ、どこのバンドも似たようなもんですかね

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