映画(タイトル「サ」「タ」行)

2021年7月24日 (土)

「ノマドランド」/「ザ・ライダー」:演技と実物

「ノマドランド」
監督:クロエ・ジャオ
出演:フランシス・マクドーマンド
米国2020年

「ザ・ライダー」
監督:クロエ・ジャオ
出演:ブレイディ・ジャンドロー
米国2017年
アマゾンプライム鑑賞

アカデミー賞6部門ノミネートで3部門獲得、他にもヴェネチア映画祭でも最高の金獅子賞--🎀
前年の『パラサイト』に続き、この一年に話題をさらった作品と言ったらこれだろう。

キャンピングカーで広大な米国の土地で車上生活を送る中高年女性が主人公である。企業城下町で夫婦で暮らし家を建てたが、企業が撤退し(町ごと消滅💥)家も不況で失い夫が亡くなって、全てを失って追われるように旅に出る。
米国の広野には同じように暮らす人々(ノマド)が大勢いるらしい。

「現在には固執しない」と言っても、過去にはこだわっているように見える。キャンピングカーに思い出の品を山のように積んで引っ張って移動しているのだから。
「人生断捨離」という言葉が浮かぶ。捨てられぬ物があっても、それまでの人生は置き去りにできるようだ。

てな調子なので、貧困や格差という社会問題というより人間の生き方としての面が強調されている。あくまで自由な精神のありようだとして示される。主人公は定住する機会も得るけど、結局はそれを捨てて去っていくのだ。

プロの役者はフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンぐらいで、それ以外のノマドは実際に放浪生活を送っている人たちだというのに驚く。
そのせいでかなりドキュメンタリー的な色合いが強い(そもそも原作がドキュメンタリーなのだが)。
現実にこういう暮らしをするのは大変だろう。トイレも風呂もままならず、病気になったりさらには車が故障したら大変だ。

荒野の風景や人々のたたずまいの映像が極めて美しい。ただ、個人的には「いい映画なんだけど好きとは言えない」類いの作品だった。まあ、これは好みの問題である。
それと音楽は「そこでL・エイナウディ使うのか👊」と言いたくなった。

マクドーマンドの演技は本物のノマドに混ざっても浮くことなく、オスカーの主演女優賞を(番狂わせで?)ゲットするだけのことはあった。
ただワニとヘビの場面は「地」ですかね。あれも演技だったらもう平伏するしかない。

捨てたい物に埋もれている中高年に推奨。


さて『ザ・ライダー』、実は『ノマドランド』公開よりも先にクロエ・ジャオの前作ということで予習として見た。
一応、劇映画なのだけどほとんどドキュメンタリーみたいである。というのも、主要人物はみな本人が本人役を演じているからだ❗

舞台はサウスダコタ、知識がなくて見ててよく分からなかったのだが先住民居住区なのだという。
主人公の若者は馬の調教師にしてロデオ大会の優秀な選手である。ある日大会中の転落事故で大怪我を負ってしまう。怪我を治してリハビリ……するはずが、そんなまだるっこしいことやってられるかと気は焦るばかり。心は復帰したくても身体の方はそうもいかない。そんな若者の静かな焦燥の日々が淡々と描かれる。

本人役を本人が演じているのは彼の友人や家族だけではない。華やかなロデオスターだったがやはり落馬事故で車椅子生活で言葉もままならなくなった先輩も、ビックリなことに当人が演じているのだ。
ただどうしても、人間同士の場面は見てて素人の演技なので吸引力には欠ける。良作と思えど、睡眠不足の時に見たら寝てしまうのではないかという印象も感じるだろう。

一方、広大な自然の描写や主人公が馬を馴らす場面は素晴らしい。特に後者はまるで優美で緊張感に満ちたダンスのようだ。目が離せない。
そういう点ではやはりこちらもドキュメンタリー部分が勝った作品だと言えるだろう。

見てて『荒野にて』を思い浮かべた。親とうまく行かない若者の焦燥と馬と荒野が登場するだけでなく、対象とカメラの距離の取り方が似ているような印象だった。(製作年は同じ)

データベースやアマプラのジャンル分けを見ると「西部劇」になっているんだけど、それでいいのか?

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2021年6月26日 (土)

「ある人質 生還までの398日」/「ザ・レポート」:拷問をくぐる者は一切の希望を捨てよ

210626「ある人質 生還までの398日」

監督:ニールス・アルデン・オプレヴ
出演:エスベン・スメド
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー2019年

「ザ・レポート」
監督:スコット・Z・バーンズ
出演:アダム・ドライヴァー
米国2019年
アマゾン・プライム鑑賞

デンマーク人の若いカメラマンがシリアに渡り、紛争下での庶民の姿を撮ろうとしたところスパイの疑いを受けて捕らえられてしまう。情勢不安定なためにいつの間にか勢力地図が変わっていたのだ。そして、人質として身代金を請求される。(実話である)

ところが(日本もそうだが)国は表に立って交渉に応じない方針だ。家族は平凡な一般市民なので高額な身代金は支払えない、と膠着状態になる。
一方、カメラマンは拷問された挙句、他の捕虜たちと共に恐怖の監禁生活をずっと続けることになる。

身代金集めに奔走する家族と悲惨な境遇の主人公が交互に描かれる。が、目まぐるしくはなくて編集がちょうどいい塩梅である。
約2時間20分が緩みなく展開し、緊張あり過ぎで倒れそうなくらいだ。

主人公は軟弱そうな若者だけど、スポーツ選手出身というのが監禁生活でも生存に利したようだ。何にしろ体力と運動は必要。それと家族のたゆまぬ努力も大きい。
だが助けてくれる家族がいない人質の運命は辛いものよ(ToT)

一方、米国は家族が交渉すると罰せられるとのこと。個人の命を左右するのは金だけでなく、国のありようも関わってくるのだ。


さて、『ザ・レポート』は拷問つながり(>y<;)と言える米国映画である。
こちらは911の後から強化されたCIAによる捕虜拷問問題を扱っている。それまではテロの容疑者や参考人捕まえた場合の尋問は比較的穏やかな方法(日本の「まあ、カツ丼食えや」みたいな感じか)で行われていたのが、急に過激化する。

その方法が『ある人質』で出て来た拷問とほとんど同じ。いや、もっと恐ろしいヤツも……(>O<)イヤーッ 恐ろしすぎて文字にもできない。互いに拷問合戦をやっている末世的状況、と言いたくなる。
やはりここでもヘビメタを使用。メタリカだけでなくマリリン・マンソンも使われていたようだ。ところで、いわゆる「水責め」は旧日本軍が発案したって聞いたことあるけど本当か?

しかもその手法を進言したのは二人の心理学者なのだが、その専門は全く関係ない分野だというウサン臭さである。顧問料で大いに儲けたらしい。

この経緯と並行して、その数年後にアダム・ドライバー扮する議会スタッフによってCIAの尋問問題についての調査が描かれる。
陰鬱なCIAのビルの地下で、長期間に渡りひたすら文書やネット上の資料をあさる日々で、彼の精神状態も不安定になる。おまけに外の政界では調査結果を公開するかどうかが駆け引きの材料となってしまうのだ。

監督・脚本は、ソダーバーグ作品で脚本を担当している人らしい。社会派作品の題材としては申し分ないが、二つの時間軸での行ったり来たりが分かりにくいのが難点。
それと絵的にはほとんどA・ドライバーが暗い場所をウロウロしてるだけなので、日本で劇場公開できなかったのは仕方ないだろう。ドライバーは執念のあまり偏執狂と紙一重な人物を熱演である。

上院議員役のアネット・ベニングはさすがの貫禄だった。
モーラ・ティアニーがCIA職員役で顔を見せているが、彼女の立場は『ゼロ・ダーク・サーティ』のヒロインと似たようなものなのか。そういえば皮肉だろうか、主人公がTVで『ゼロ~』の予告を見ている場面が出てくる。

調査は『ゼロ~』の内容とは反対に、拷問は役に立ってなかったという結論に至る。なんとCIAでも内部調査が行われていて同様の報告がなされていたという。
やはり国家のありようは大問題なのだ。

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2021年6月19日 (土)

「ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏」/「彷徨える河」再見:狂気・逃走・放置

監督:シーロ・ゲーラ
出演:マーク・ライランス
イタリア・米国2019年
DVD鑑賞

原作J・M・クッツェー『夷狄を待ちながら』を作者自らが脚本化。出演がマーク・ライランス、ジョニー・デップ、ロバート・パティンソンという顔ぶれで、監督はシーラ・ゲーロ(『彷徨える河』コロンビア映画初のアカデミー賞外国語映画部門候補になった)、さらに撮影はクリス・メンゲス(『ミッション』『キリング・フィールド』でオスカー獲得)である。
これだけ豪華なメンツが揃っていながら、正式ロードショーがなくてビデオスルーというのはよほどトンデモな出来なのであろうか(>y<;)
--と恐る恐る見てみたら、全くそんな事はなかった。

砂漠の縁に立つ城壁のある町が舞台である。「帝国」に属しながらも辺境故に、民政官が平和に統治している。門は住民が行き交い、賑やかな市が立ち、家畜がのんびりウロウロとしていた。
しかし、ある日「大佐」が軍隊を引き連れてやってきたことから、平穏さに影が差す。
大佐は帝国の先兵として命を受けて版図を拡張すべく、辺境の果てに住む蛮族を討伐するため偵察に出ていく。

映画は時間の進行に沿って4つの章に分かれている。章が変わるたびに町の状態とM・ライランス扮する民政官の境遇は激しく変わる。町は乗っ取られ、活気があった住民たちもまた醜悪なまでに変貌する。もはやかつての自由は存在しない。
民政官の目を通して帝国の拡張と町の崩壊、その末路が淡々と綴られるのだった。

さんざんひどい目にあって地位を奪われた民政官が「私は裁かれている最中だ」というと、下士官から「そんな記録はない」と言われる。
どこの世界でも記録抹消と文書改ざんは「帝国しぐさ」らしい。

民政官役のライランスはほぼ出ずっぱりで恫喝されたりイヂメられたり、一方蛮族の娘の脚をナデナデしたり、いろいろあって大変な役だ~⚡ が、彼のファンは見て損なしとタイコ判を押しておこう。
大佐のデップと下士官のパティンソンは敵役で、出ている時間も少ない。もっともデップはこういうエキセントリックな役(メガネが怖い)をやるのは嬉しそうだが。
グレタ・スカッキがすっかりオバサンになってて驚いた。そもそも孫がいる役だし(^^;

辛辣なテーマ、美しい映像、暴力的展開、皮肉な結末--と文句はないのだが、問題はあまりに語り口が整然とまとまり過ぎていて、もう少し破綻した部分が欲しいのう、などと思ってしまった。かなり残酷な描写もあるのだが……。
原作者が脚本を書いたせいだろうか。それともこれは高望みというやつか。(原作は未読なのでどう異なるか不明)
加えて娘へのフェティッシュな欲望も割とアッサリめな描写。きょうび、あんまりネッチョリと描くわけにもいかないのか、それとも推測するに監督はあまりこの方面に興味ないのかもと思ってしまった。
監督には次作はぜひ自分の脚本で撮ってほしい。


さて、ずっと気になっていたこのシーラ・ゲーロ監督の『彷徨える河』(最初に見た感想はこちらをお読み下せえ)をアマゾン・プライムで再見した。
私はこれまで『地獄の黙示録』を4回ほど観たがその度に感じるのは、カーツ大佐の背後に槍持って立っている現地の住民たちは何を思っているのだろう--ということだった。外界から来た白人になぜ従うようになったのか、従っている間はどう考えていたのか、そしてカーツがいなくなった後に彼らはどうしたのか?
長いこと疑問であった。

そして『彷徨える河』にはその答えが示されているように思えた。

アマゾン川沿いの密林に住むシャーマンに数十年の時を隔て、二人の学者がそれぞれ会いにやってきて河を下る。
最初のドイツ人と共に途中でカトリックの修道院に寄るが、そこは偏狭な修道僧(白人)と現地の子どもたちしかいない閉ざされた空間だった。
数十年後に今度は米国人の学者と共に同じ修道院を訪れる。もはや修道僧がいなくなった今、そこで起きている混乱と残虐こそがまさにカーツの死後に起こったであろう災厄を想像させるのだ。

それは全て白人たちが勝手にやってきて布教し押し付けた後に、放り出して何もせずにそのままいなくなってしまった事による。
『地獄の黙示録』の主人公は感傷的に不可解な体験を語る。が、結局は勝手に来て勝手に去っただけだ。泣きたくなるのは住民たちの方だろう。これは大いなる「傷」、拭いがたい「傷」なのである。

さて、さらに河を下ってたどり着くのは戦争の地である。映画館で見た時は確認できずよく分からなかったのだが、コロンビアは長年隣国ペルーと紛争が起こっており、この時も戦闘状態になっている。ペルーの旗が掲げられて、銃を持った兵士が「コロンビア人か」と聞いてくるのはそのためらしい。
植民地から脱した国々がたどる困難がここに示されているようだ。

もう一つ、再見して驚いたのは予想以上に『ブラックパンサー』に影響を与えていたことだ(過去にクーグラー監督が「参考にした」と明言していた)。
どこか?と思っていたら、薬草についてのくだりだった。

『河』では現地に伝わる隠された薬草を求めて学者がやってくる、というのが中心の設定である(なお二人の学者は実在の人物がモデルで、それぞれ民族学者と植物学者)。
この薬草はいったん全部焼かれてしまう。しかし最後に一つだけ残っているのが発見されてそれが使用される--と展開する。
原作コミックスではどうなのか知らないが、『ブラパン』でもやはり超人的な力を与える薬草が登場してほぼ同じ経緯をたどる。

さらに、薬草だけでなく現地民の文化を外部の白人に伝えるかどうかの是非が『河』では問題になる。
これは『ブラパン』の特産の鉱物ヴィブラニウムを守るために存在を隠しているという論議と葛藤に繋がる。このように、メインテーマについてはかなり「参考にした」と言えるだろう。

『ブラパン』ではワカンダの首都がアジール的要素を持った理想の街として描かれ、統治者たる主人公はそれを満足気に眺めるというシーンがあった。
一方『ウェイティング・バーバリアンズ』ではやはりアジールであった町があっという間に「帝国」に侵食される過程が描かれる。これはゲーロ監督からの『ブラパン』への返答と考えてもよいだろうか。(うがち過ぎかしらん(^^;ゞ)

それにしても『彷徨える河』で、米国人学者が数十年前にドイツ人が訪ねて来た時と同様に小舟で現れる場面は、再見でも背筋がゾクゾクとするほどの衝撃と興奮があった(マジック・リアリズム❗)。
繰り返しになるが、ゲーロ監督には新作を望みたい。

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2021年5月16日 (日)

「ブラックアンドブルー」/「21ブリッジ」:白黒は決着つかず

210516a「ブラックアンドブルー」
監督:デオン・テイラー
出演:ナオミ・ハリス
米国2019年
DVD鑑賞

言うまでもなくブラックは肌の色でありブルーは警官の制服の色を示す。
故郷の街の役に立ちたいと戻ってきたアフリカ系新人女性警官は、警察と住人の対立の最前線に立たざるを得ない。そして昔の友人からは敵扱いされるのだった。
双方に付くことは不可能、どちらかの立場に取らばならないと忠告されて納得いかずモヤモヤしているうちに、身内の警官の不正と犯罪を目撃してしまう。

--と言うのが発端で、警察署と悪徳警官とギャングのボスから追い回される羽目に。一方、出会うストリートの住民は敵意か無関心、どちらかしかなくて助かる手段は全く見つからない。
ひたすら逃げ回る前半は手に汗握り、サスペンスとして面白かった。追い詰められてどうするかという所ではアクションも見せ場だ。ナオミ・ハリスは熱演である。

ただ見終わって思い返すとつじつまの合わなかったり適当なところもあったなあ(;^ω^)
脇役、特にゲーム少年をもう少し活用する筋立てにすればよかったのでは?とか、ギャングのボス簡単に人を信じてお人好し過ぎじゃないのか……などなど。まあ色々出てくるけど見ている間は気にならないからいいよね🆗

主人公はあくまで行動の人なので黒と青の両者の狭間での葛藤が少ないのは、ちょっと物足りない気もした。
それとガンアクションの最中に、倫理的な問題について理屈っぽい討論をするのは何とかしてほしい(^^;

もう一つの特徴は警官のボディカメラや住民のスマホ映像を多用していること。思わずG・フロイド事件やBLM運動を想起してしまうが、米国での公開はそれよりずっと前で、まるで予見していたようだ。
黒人街の雑貨屋で非常ボタンを押すと、まず店員自身が不審者として犯人扱いされて警官から脅される--この場面は非常に恐ろしい。やってられない気分になること請け合いだろう。

ということで、作りはB級以上A級未満だが、見る価値は大いにあり。


210516b「21ブリッジ」
監督:ブライアン・カーク
出演:チャドウィック・ボーズマン
中国・アメリカ2019年

米国公開時には今一つパッとしない評価&興収だった作品だが、「C・ボーズマン最後の主演作❗」みたいな宣伝文句を出されては見ないわけにはいくめえよ。

事前の印象だと、てっきり切れ者のボーズマン指揮する警察によってマンハッタン島が封鎖され、その中で逃げ場を失った犯人が「あ、この橋もダメ、あっちもダメだ」とジタバタする頭脳戦サスペンスかと思ったのだが全然違った。

ドラッグ争奪事件に端を発する派手な銃撃戦、カーアクション、逃走追跡劇などが立て続けにてんこ盛りで繰り広げられ、その合間にストーリーが挟まって進行するという印象である。
犯人二人組の設定や描写は良かったけど、開始後10分で私のようなニブい人間にも早々に真相が想像できてしまうのはなんとしたことよ。特にとある人物が最初から怪しさ大爆発💥である。もう少し隠す努力をしてほしい。

それからタイムリミット設定が生かされていないのもなんだかなあであった。銃撃戦については撃った弾丸が多けりゃ出来が良くなるわけではないと敢えて言いたい。

とはいえボーズマン最後の雄姿(アクション物での)を目に焼き付けておきたい人には推奨である。「疲れている男」という設定の役だけど確かにやつれているのよ(T^T)


以上、2作とも警察組織内の似たような不正を描いているが、他の映画やドラマでも見たことがあるので、恐らく実際に起こった事件を参考にしていると思われる。米国の作品はこういうの積極的に取り上げるのが常らしい。

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2021年4月 5日 (月)

「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」/「ラスト・ワルツ」再見:共同幻作

210405「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
監督:ダニエル・ロアー
出演:ロビー・ロバートソン
カナダ・米国2019年

ザ・バンドについては完全に門外漢だけど見に行っちゃいましたよ。
ロビー・ロバートソンが過去を振り返るドキュメンタリーである。

自らの生い立ちから始まり、ロニー・ホーキンスのバンドに参加、レヴォン・ヘルムと知り合って独立してバンドを結成し、やがてボブ・ディランのツァーでバックを担当する。
御存じの通り、このツァーはどこへ行ってもディランがブーイングでヤジり倒された。彼らにとっても本当に嫌でストレスだったのが語られる。レヴォンに至っては途中で逃走してしまった(ーー;)

アルバムを出して人気を得るものの、その間に自動車事故が起こったり、酒とドラッグでツァーが崩壊状態になったりして、ロビーはもうバンドとして続けていくことができないと思うようになる。そして解散へと心が傾いていく。
当時の映像が全て残っているわけではないが、写真などでうまく繋いでいるのでインタビュー中心でも飽きることはない。

間にホーキンス、スプリングスティーン、クラプトンなどが出てきてザ・バンドへの愛を語る。ピーター・ガブリエルが登場したのは驚いたけど、名前が出るまで誰だか分らなかったというのはヒミツだ(;^_^A
笑ったのはクラプトンで、彼らの音楽を聴いて大感動して参加させてくれと頼んだが断られたそうな。
スコセッシも数回出てくる。映画の話より、当時のザ・バンド自体についての言及が多い。

しかしこれはあくまでもロビーの語りである。今でも存命しているメンバーは他にガース・ハドソンだけで、しかも彼のインタビューはないのだ。
「兄弟」であった男たちの絆が崩壊し『ラスト・ワルツ』に至って終了する--という、ある種感傷的な流れで物語としてうまくまとまっているが、まとまり過ぎの感がある。
ファンの人はどう思うのだろうか。

『ラスト・ワルツ』からのコンサート映像も使われている。おかげでもう一度見たくなった。私が見たのは昔に一度だけで、共演してたミュージシャンのこともろくに知らなかった頃である。
ザ・バンドというのはあの時代では特殊な立ち位置で、比べられるのはリトル・フィートぐらいしか思いつかない。今だったら、ルーツ・ロックとかアメリカーナとか分類されるかもしれないが。
それと5人編成のロックバンドでキーボード2人というのも珍しくないか!?


「ラスト・ワルツ」
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ザ・バンド
米国1978年

というわけで結局また見てしまった『ラスト・ワルツ』である。ツ〇ヤでレンタルしたらちょうどケーブルTVで放映していた。トホホ(+_+)
もっともDVDには特典のコメンタリーや映像が付いている。
前に見たのはどうもリバイバル上映で1999年らしい。それでも20年は経過しているわけだ。

今回改めて驚いたのは歌詞の字幕が付いてないことである。最近のコンサート映画は付いていることが多い(『ザ・バンド』でも同じ演奏場面にはあった)。ファンは分かっているからいいだろうけど、私のような門外漢にはキビシイ。
それどころか曲名も途中に出さない。エンドクレジットにまとめて記されているだけだ。

一度通して見てからコメンタリー付き(しかも2種類ある)で飛び飛びに見直したりして2倍以上の時間かかってしまった。何をやっているんだ(~_~;)

ゲストでまだ若くてツルピカのジョニ・ミッチェルが登場している。思わずそこは二度繰り返して見てしまった。
ニール・ダイアモンドは他の出演陣に比べると完全に「外様」で、公開当時「場違い」みたいな言い方をされてたのを思い出した。ロビーの人脈で出演したらしいが、確かに微妙な距離感である。

ヴァン・モリソンは激熱のパフォーマンスをやってみせた。なのに、あの変な衣装はなんなのよ(?_?)……と思ったら、2種類のコメンタリーともこの衣装のことを触れてたので皆同じに感じるらしい。
ボブ・ディランについては撮影しない約束で弁護士が見張っていて、撮り始めると猛抗議してきた。それを、ビル・グラハムが会場から叩き出したという話には笑った。
当時の撮影スタッフのコメントではスコセッシが相当に細かくうるさくて辟易してたらしいのがうかがえる。

以前見た時には印象に残らなかったが目を引いたのは、インタビュー場面でリック・ダンコがフィドルを小脇に挟むようにして持って弾いてみせたことである。当然弓は上下垂直に動かす。こんな弾き方があるのかとビックリした。
これじゃ、ルネサンスやバロック期のような昔に楽器をどんな持ち方してたかなんて、今では完全には分からんわなあ。

見直してみて、スコセッシはロビー・ロバートソンを主演に据えた映画(テーマは有終の美学✨)を作りたかったのだなあ、と思ってしまった。コンサートの準備段階から関与していたというのだからなおさらである。もうこれは「共作」と言っていい。ドキュメンタリーでありながら「虚構」のような。
そうしてみると『ザ・バンド』の方は、結局そのテーマをさらに後から補強する役目を果たしているようである。
問題は他のメンバーが解散を考えてなかったということだわな💥
とすれば、40年後のロビーの語りは「弁明」とも受け取れる。

後に知られるようになったことだが、ライブ場面の音はほとんど後から差し替えやタビングしてあるらしい。あちらのコンサート映画では珍しくないことだそうだ。
差し替えてないのはレヴォン・ヘルムとマディ・ウォーターズだけとのこと。
マジですか(!o!) ますます虚構味が……💦

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2021年3月26日 (金)

「ストレイ・ドッグ」:怒りをこめてぶち壊せ

210326 監督:カリン・クサマ
出演:ニコール・キッドマン
米国2018年

ニコール・キッドマンがアル中やさぐれ中年刑事になって薄汚れたLAの街を徘徊する。そのやさぐれ度・ヨレヨレ度が中途半端ではない。「え~~っ❗あのニコールが。うっそーΣ( ̄□ ̄ll)ガーン」という衝撃が発生するほど、まるで別人だ。

しかし、かといって超人的な活躍をするヒーローというわけではない。ひたすら地べたを這いずり回るように捜し歩く。あまりに強引な無法刑事ぶりにはビックリだ。
他者も自分も顧みることなく突き進む様子は邦題の「野良犬」よりも原題の「デストロイヤー」の方がふさわしいだろう。自分の娘がいてもその関係は完全に壊れている。

そんな風になったのは、過去にFBIと組んだ潜入捜査で致命的なトラブルが起きたためである。長年経っても彼女はその失敗を忘れられず片を付けようとする。
彼女が常に内心に怒りを抱いているのは恋人を殺した犯人に向けてか、それとも破滅へと誘った自分自身へなのか。彼女にも分からないようだ。

一方で、回想の中のニコールの姿は美しくてその落差がスゴイ(!o!) NHKでやってたトム・クルーズについてのドキュメンタリーで若い頃の彼女が回顧映像に登場するが、その時よりも可憐に見える。特に男を悪事に誘う時の青い眼が美しい。

その行き着いた果て、終盤の展開にはあっと驚かされた。これまた衝撃である。某有名監督の初期作品を思い出した。(タイトル出すとネタバレになりそうなのでヒミツ)
ただ、さらにその後の雪山のくだりは取って付けたような気がしなくもない。
何より彼女の怪激演が突出し過ぎてて、映画の他の要素が追い付いていないのではと思った。それと主人公の無法度があまりにひどくて観客が置いてけぼりになってしまいそうだ。

おかげで彼女は2018年のゴールデン・グローブ賞にノミネートされた(受賞したのは『天才作家の妻』のグレン・クローズ)。
セバスチャン・スタンは登場時間の割には儲け役である。ファンは要チェックだろう。
クサマ監督にはぜひマイクル・コナリーの女刑事もの『レイトショー』の映画化(またはTVシリーズ)をやってもらいたいもんである。

ところで2018年の映画が2年経って今さらのように日本で公開されたというのは、新作米国映画が入って来なくなったせいなのかね(?_?)
まだ隠し玉があるのならさっさと出してくれ~👊

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2021年2月22日 (月)

「ダンサー そして私たちは踊った」:明日なき舞踏

210223b 監督:レヴァン・アキン
出演:レヴァン・ゲルバヒアニ
スウェーデン・ジョージア・フランス2019年
DVD鑑賞

個人的にはほとんどなじみがない国ジョージアが舞台。ジャンル分けしたら青春ものプラス、ダンスといったところか。
伝統的な民族舞踏があり、その舞踏団の研修生たちと同性愛を絡ませて、社会に充満する因習と閉塞感からの解放を描いている。
なので公開当時はかなり物議をかもしたらしい。ちなみに監督はスウェーデン系ジョージア人とのこと。

国立の舞踏団だというのに床は剥げてるし手すりは壊れてるし、本当に「未来はない」感が甚だしく伝わってくる。まさに青春の悶々……そのせいか若者たちはみなタバコ吸いまくりだ🚬(最近の映画では珍しい)

ただ挿入される伝統音楽は素晴らしい。ダンスの伴奏で奏でられるパーカッション、そして静かに加わってくるアコーディオンの響き。
さらに、誕生日の集まりに男たちが歌う美しいアカペラ曲。ブルガリアンヴォイスの男声版のようである。

主人公の青年は頭のてっぺんからつま先まで完全ダンサー体型、目が大きくて小顔である。実際に本物のダンサーだそうだ。
彼がヤケになって自室のポスターや何やらはがしまくる場面があるのだが、ヨレヨレになった『千と千尋』のカオナシのポスターだけ思いとどまるシーンがある。なぜにカオナシ?(ちなみに演じているご本人の私物だとか)
それほどまでに好きだとは……✨ 遠い異国まで達するハヤオの威力恐るべし。

あと見た人はみんな思うだろうが、バイト先レストランの肉まんとギョーザ足したような郷土料理食べてみたい(^^)

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2021年2月20日 (土)

「スウィング・キッズ」:前半よいよい後半はこわい

監督:カン・ヒョンチョル
出演:D.O.、ジャレッド・グライムズ
韓国2018年
DVD鑑賞

朝鮮戦争中、米軍が管理する捕虜収容所あり。対外メディア向け宣伝のために、捕虜の中でダンスチームを結成させて踊らせようとする。任務を任されたのはタップダンサー出身の黒人兵士である。
というわけで、定番『ロンゲスト・ヤード』風にまずダンスできそうなヤツをスカウトすることから開始だ。

デコボコなチームがなんとか息を合わせ晴れて踊りまくる--という感動系ドタバタコメディかと思って見ていると大間違い(!o!)
確かに前半は完全笑わせモードなのだが、後半は一気に陰惨で暗い展開に。こんな話になろうとは誰が想像したであろうか💥ってなもん。

しかも収容所が極めて変な設定になっている。北朝鮮側の捕虜が入れられてるのが、韓国側支持に回る者たちが現れ、二つのエリアに分かれて対立して暮らすようになる。
その中で互いにいがみ合おうと殺し合おうと管理者たる米軍は放置。外部のスパイがウロチョロしようと気にしない。それどころかとばっちりで米軍兵士が被害を受けても何もしないのである。

こんな収容所実際にあったのか?と思ったけど、これはまさに朝鮮半島そのものの状況を象徴しているのではないか。となればハッピーエンドになるわけもない。対立と混乱と死者だけが積み上がっていく。
気合の入ったダンスシーンは楽しいだけにつらい。

なお、兵士役はブロードウェイの一流ダンサーを招いたとのこと。エンドが出た後を注目するべし。

 

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2021年2月 7日 (日)

ネトフリ温故知新「シカゴ7裁判」「Mank/マンク」

「シカゴ7裁判」
監督:アーロン・ソーキン
出演:サシャ・バロン・コーエン、エディ・レッドメイン
米国2020年

「Mank/マンク」
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ゲイリー・オールドマン
米国2020年

ネットフリックス配信前の限定劇場公開作品で過去の事件を知る。便利な世の中になったもんです。

今は昔、1968年8月にシカゴで民主党大会の際に暴動あり。どこかで聞いたような気が……と思ったら、シカゴ(←こちらはバンド名)がこれを題材に曲を作ってましたな。
ベトナム反戦運動がらみで警官隊や州兵と衝突👊、首謀者とされて逮捕されたシカゴ・セブンこと、7名の裁判は米国法廷史に残るほどの悪名高いものであった。

市民デモと公権力の対決となると、本作公開時にまだくすぶっていたBLM問題を嫌でも想起せずにはいられない。まさに時節にあった内容と言えるだろう。
共謀したと訴えられても7人は立場も所属する団体も思想も異なっていて、告訴されたという以外はバラバラである。そんな7人や関係者を演じる役者はまさに「豪華出演陣」と強調文字で書きたくなる。
ただ人物が多過ぎで名前が覚えられない事案が発生。老化脳でスマン(^^ゞ

特に皮肉とジョークで全てをはぐらかせていくホフマン(サシャ・バロン・コーエン)と、真面目な活動家ヘイデン(エディ・レッドメイン)は衝突必至の対照が面白い。トム・ヘイデンて聞いたことある名前だと思ったらジェーン・フォンダと一時結婚してたのね。
それと裁判官のフランク・ランジェラの超悪役ぶりも見事だ。

アーロン・ソーキンは脚本を書いてスピルバーグの監督で話が進んでいたが、結局ダメで自分で監督することになったらしい。
題材は興味深いし、脚本にも文句はないけど、正直言って「もし他の人が監督していたら……」なんて想像してしまうのも事実である。終盤の盛り上がりが怒涛の勢いになるはずが、感動するより先に観客を置いてけぼりにして、音楽がうるさいほどに盛り上がってしまうのはかなりの問題ではないだろうか。


210207 続いての『Mank/マンク』はオーソン・ウエルズの『市民ケーン』の内幕を描く--となれば、オールドな映画ファンは見ずにはいられないだろう。
とはいえ、私は『市民ケーン』自体は昔(●十年前)に数回見たきりである。今さら見返すのもなんだかなあということで、あらすじをネットで確認するだけの手抜き復習で見に行ってしまった。

内幕と言っても、基本的には脚本家のハーマン・J・マンキウィッツが一軒家に閉じこもって(怪我をして動けない)『市民~』の脚本を書く経過をたどるだけである。
彼が監督のジョセフ・L・マンキーウィッツの兄とは知らなかった。一応、ウエルズと共同で書いたということになっているが実際には諸説紛々らしい。本作ではハーマンが一人で書いたことになっていて、ウエルズはほとんど登場しない。

そして戦前のハリウッド事情、モデルとなった資産家とハーストとその愛人マリオン、MGMのメイヤー、大恐慌などについてハーマンの回想が交錯する。かなり暴露的内容なので完成前から噂が噂を呼ぶ。
それだけにハリウッドの歴史を知らないと分かりにくいだろう。要・事前学習(人名も多いし)である。

モノクロ画面で冒頭のタイトルから当時の映画のスタイルをなぞっているのは大変なこだわりだ。レズナー&ロスの劇伴音楽もそれっぽいし。画面にフィルム交換のマーク(だよね?)まで入れているのは笑った。
ただ白黒のコントラストが少なくて照明も暗いので、かなり不明瞭な映像である。その割にはスクリーン・サイズがスタンダードではないのは手抜きではないか。配信前提だからかな(^^?

ゲイリー・オールドマン演じるハーマンはかなりアクの強い人物である。アルコールが手放せず、反骨精神に満ち誰に対しても常に皮肉満載の辛辣な物言いをする。
主人公とそっくりな人物どこかで見た(アル中と家族への態度以外)……と思ったら『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』だった。こういうのが理想の脚本家像なのであろうか。

分からないのは、事前に脚本家としてのクレジットは無しというのを念押しされて頷いてたのに、結局なぜそれを翻したのかである。それに関しては描かれていなかったような。
また、本来の「バラのつぼみ」の意味を分かって書いていながら、マリオンに対して「君のことじゃない」とどうして平然と言えるのか。そりゃ無理だろう、と言いたくなる。
さらにこの映画が何を描こうとしているのかも曖昧としている。つまらなくはないけど。
私としては、ウェルズとハーマンが共謀して「ケケケ、やったぞ。ざまーみろ」とほくそ笑むような話が見たかったかな(^◇^)

当時の選挙と捏造ニュースの件りについては、トランプ政権下の米国を重ね合わせていることがよーく分かった。ただ、公開された頃には既に選挙でバイデン勝利が決まっていたために、ちょっと時機を逸した感があったのは残念である。


さて、『市民ケーン』についてケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』にどう書かれてるか見たくて本棚から必死に堀り出した。
「新聞界のおぞましき帝王」ハーストとマリオンについては「周知の事実でも、一度として新聞は、その関係を報じたことはない」。

そして自分のヨットでマリオンとチャップリンがイチャつくのを目撃したハーストは銃を発砲。しかし撃たれたのは別の人物で、病死としてもみ消してしまったのであった。
また彼女の演技をけなしたメエ・ウエストには、風紀団体を隠れ蓑にして誹謗中傷を繰り返した。

L・B・メイヤーは「イタチのようにずる賢く、根っからの女好き」。
「金物屋」から成り上がった彼はボクシングの腕に覚えあり、シュトロハイムとチャップリンをぶん殴ってKOしたエピソードが載っている。

映画公開されて、作中の主人公があの言葉をつぶやくことが性行為(どういう行為かはご想像)を思い起こさせるためハーストは激怒した。しかし「ピストル沙汰に及ぶこともなく、オーソンとマンキーウィッツはなんとか勝利をくすねとり、カネでは買えない栄誉をものにした」とある。

そして「『市民ケーン』、映画史上に燦然と輝く悪ふざけ」と締めくくっている。
やっぱりハリウッドって所は……(◎_◎;)


ネトフリで温故知新--『シカゴ7』は劇場公開する予定がコロナ・ウイルスのせいで配信に回されてしまい、『マンク』はフィンチャー監督が父親が書いた脚本をなんとか映画化したくてネトフリでようやく可能に、と経緯は異なれど作品自体の「帯に短しタスキに長し」という印象は相変わらずであった。

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2020年12月29日 (火)

「幸せへのまわり道」:ホノボノのホは、ホラーのホ

監督:マリエル・ヘラー
出演:トム・ハンクス
米国2019年

米国に国民的子ども向け番組あったそうな。その名は「ミスター・ロジャースのお隣さん」。三十数年も続いた長寿番組だ。
この映画は大人気司会者のロジャースにまつわる感動実話である……と思ったら大違いですのよ、奥さま(!o!)

主人公は「エスクァイア」誌の記者で、皮肉でシニカルな記事を得意としているらしい。しかも私生活では家族を捨てた父親を恨んでいて、姉の結婚式で殴り合いを始める始末。家でも子どもが生まれたばかりで妻とはどうもうまく行っていない。要するに暗くてうっとうしいヤツなのである。
それがロジャースの取材を命じられる。時は1998年、既に番組は30年続いていて超有名人。だが主人公は子ども番組なんか興味はないと不満ブツブツ💢だ。

かなり変な映画である。作品全体がカウンセリングみたいで、主人公のアンガー・マネジメントをやっているような構造なのだ。
さらに件のTV番組はミニチュアの町に住むロジャースがお隣さんを招いて悩みを聞くという形式を取っている。その番組自体の形式とも重なるのである。

怒りを内心にため込んでいる主人公はしぶしぶ取材に行って、謎対応をされる。自分が質問しても逆に探られているようだ。果たして内面を探っているのは自分なのか、それともロジャーズの方なのか段々と怪しくなってくる。
ジワジワと染みてくるイメージ。あるいはブラックホールみたいに吸い込まれていく感じ……(>y<;)

一体、彼は世間がそう見ているように、本当に裏表なき「善人」なのだろうか。そもそも、それほどの善人がこの現実に存在しうるのか。全くつかまえ所がない。
こんな男が独裁者とか新興宗教の教祖じゃなくてよかった。もしレクター博士がこのロジャースみたいだったら、1万人血祭りにあげても誰も気にしないだろう。
そんな人物をトム・ハンクスが神技で演じている。

このように繊細で不気味な演技を彼ができるとは今まで知らず。月影先生なら「トム、恐ろしい子!」と言うだろう。オスカーとゴールデン・グローブの候補になったのも納得だ(ブラピに負けちゃったけどな(^^;)。

笑ったのは二人で地下鉄に乗る場面だ。主人公が「いつも使っているんですか?」と驚いていると(この頃のニューヨークは治安が非常に悪かったはず)周囲の乗客が一斉に番組の主題歌を歌いだす。戸惑ってあたりを見回せば、絶対に子ども番組には縁のなさそうな黒人のアンチャンたちまで楽し気に歌っているではないか。そりゃそうだろう、彼らだって昔は子どもだったのだから。
それにノレずに自分一人だけ疎外感を味わう気まずさ。うわー、いたたまれねえ~💨

一方、コワかったのは「古ウサギに会いたい」とロジャースが操る人形に言われるところ。この時、画面の中心にあって主人公に迫ってくるのは、操る彼ではなく人形の方なのである。記憶に隠された内奥のさらに奥まで侵入してくるこれは何か。まさにニーチェの「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」そのままではないか。
私はこの場面を見た時にあまりの恐ろしさに「ギャーッ(>O<)」と叫びたくなった。
これは感動実話ではない。最恐のホラーである。

人形と言えば最初にTVのスタジオを訪ねた時に、彼が姿を隠して人形を操っているのを半分だけ見せる(表情は見えない)場面も印象的だった。
監督は誰かと思ったら『ある女流作家の罪と罰』のマリエル・ヘラーではないですか。他の役者の演技の引き出し方もうまい。音楽の使い方も。

ロジャースは主人公の悩みを解き放つ。彼の番組の「お隣さん」のように。そして主人公が住む家もまた彼のミニチュアの中に納まったのだ。
でもロジャース自身は幸福になれたのかな……(^^?

この映画のチラシはゲットし損ねたのだが、宣伝やソフトのパッケージに使われている写真は、まさに番組にお隣さんとして招かれた主人公が幸せそうに微笑んでいる場面だ。しかしこんな場面は作中には存在しないんだよね。
この写真もそれを知って見るとジワジワと来る。


実は見るかどうか長いこと迷っていて公開期間の終了ギリギリになってしまったけど、見てヨカッタ(^.^)b
ただ、なんでこういう邦題にしたのかは全く不明である。いい加減にしてくれー👊

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