映画(タイトル「サ」「タ」行)

2017年4月30日 (日)

「彷徨える河」:闇の奥の奥の闇

170430
監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイヴート
コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン2015年

コロンビア映画史上初めてアカデミー賞外国語映画賞の候補になったという作品。
アマゾンの密林の中、河沿いに独り暮らすシャーマンの元へ米国人の学者が、幻の薬草を求めて訪れる。長い孤独の中で記憶さえ失ったシャーマンは、数十年前にドイツの民族学者が同じものを探して現われたのを突然思い出す。

この時代を隔てた、二つの河を遡る旅を重ねるように交互に辿っていく。
その旅は当然『闇の奥』を想起させるが、こちらの主人公は西欧人ではなく先住民側のシャーマンである。しかし、狂気と混迷の旅であることは変わらない。異文化と衝突して混乱するのは西欧人だけではないのだ。

特に不気味なのは河の途中にある、白人の僧が建てたカトリックの修道院のエピソードだ。現地の子どもたちが大勢いて、神の名のもとに狂的な支配と統率を行なっている。二度目の旅でもまだその修道院は残っているのだが……恐ろしい(>y<;)

入れ子になった構造、モノクロの映像は圧倒的、これがマジック・リアリズムというやつか(!o!) いささか長く感じたが、歴史の上に堆積した人々の悲惨と傷が余すところなく描かれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月19日 (日)

「沈黙 -サイレンス-」:わたしが・棄てた・神

170319
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド
米国・イタリア・メキシコ2016年

スコセッシが遠藤周作の『沈黙』の映画化を熱望しているという話を耳にしたのは十数年前だろうか。しかしその話は立ち消えになったり復活したり……その度に出演者として上がる名前も変わっていったように記憶している。
ロケ地がニュージーランドから台湾に変更されたのも、途中で大物プロデューサーが手を引いてしまったかららしい。大変である。

その間に彼は雇われ仕事作品の『ディパーテッド』でオスカーを取ってしまった。その後もあきらめることなく、まさに執念の一言であろう。
実際には原作を読んだのは28年前ということで、その長さにさらに恐れ入る。

私が原作を読んだのは、昔の「狐狸庵先生」ブームのおかげで、そこから読み始めてシリアスな作品に至るというパターンだった。やはり『イエスの生涯』を読んだ高校の同級生と共に「イエス萌え~heart01」になったりした。
しかし、あまりにも読んだのが昔過ぎて(ウン十年前)原作の『沈黙』はおぼろげにしか覚えていないのであった。

人によって感想は様々なこの映画、私は感動よりも見ててウツになった。
『闇の奥』よろしく異文化の未知の土地に上陸した若い司祭二人が住民と関わり、その地の海辺から緑深き山の中を徘徊した揚句、片方の主人公がたどり着いたのはオドロオドロな恐怖の王国--ではなくて整然とした奉行所、清潔なお白洲、人情のかけらもなき役人が支配し、強固な官僚主義が存在するゆるぎなき帝国だったのであるsign03 全くもってイヤーンな「日本」そのものだ。これでウツにならずして何であろうか。(しかも史実を元にしている)

加えて、そこで繰り広げられる言説が「日本スゴイ」っぽいものから踏絵を「踏めばよいのだ、踏めば」とか「彼らが苦しんでいるのはお前のせいだ」まで、現在でも立派に通用している論理ならぬ理屈ばかりである。
期せずして(いやもしかして意識して?)、監督は原作にもあった「日本イヤンng」な部分を描き尽くしているのであった。

民衆にしてもお上にしても異文化たる宗教を飲み込み同化していく。その圧力の「洗礼」を受けて遂に屈して踏み絵を踏んだ後の、A・ガーフィールド扮する主人公の呆けたような表情が印象に残る。(或いは彼の師フェレイラの後ろめたい表情も)
とすれば、ラストシーンはまさに主人公が完全に日本に「同化」できたということなのだろうか。つまり、日本的なキリスト教の受容を会得したという意味で、彼は真に日本人になったということか。

「踏み絵」について「そんなもの踏むだけなら踏めばいいじゃないか」という意見を幾つか見かけたが、警察によるでっち上げで有名な「志布志事件」では「踏み字」や「踏み絵」(一説に家族の写真を使用したとか)が使われたというから、現代でも十分に使用可能な手段なようである。

かようにシリアスでヘヴィな題材ではあるが、過去の日本の描写はガイジンにここまで描かれちゃっていいのか~sweat01、日本映画負けてるよsign01と思ってしまうレベルなので、一見の価値はあると言っていいだろう。
ただ、主人公が水面に映る自分の顔をイエスに重ねる場面とか、踏み絵をやった後の衝撃描写などはやや「やり過ぎ」に思えた。
登場する日本人がみんな英語(劇中設定はポルトガル語)うまいのは……突っ込まない方が吉であろう。

見ていて「こりゃ、客入らないだろうなあempty」と思ったのも事実。有名俳優が出ているとはいえ、ウツ展開であまりに暗い話だ。
実際、監督が28年間かけた渾身の一作、米国ではコケてしまい次作はネットドラマを撮る羽目になったとか……(-_-;) 当地で公開が遅れたそうで、アカデミー賞に撮影賞しかノミネートされなかったのもマイナスだったか。

役者に関しては窪塚洋介やイッセー尾形の世評が高いが、後者についてはオーバーアクトにいささか辟易した。ただでさえ芝居がかった人物なのに、それを芝居っ気タップリに演じたら屋上屋を重ねてどうするよtyphoonってなもんである。
窪塚のキチジローはなんか子どもっぽくて何も考えてない印象。あれ(?_?)原作ではもっと狡猾で複雑なキャラクターだったんじゃないの(かなり記憶薄れているが)と疑問に感じた。
どこかで見たようだなあと思ったら、なんと『アーロと少年』の「少年」を連想したのだった。
そもそもワンコぽい。飼い主にワンワンと付いてきて、他所からエサをぶらつかされると我を忘れてそちらに走って行ってしまい、食い終わるとまた飼い主にワンワンとすり寄ってくる。飼い主は「トホホ、しょうがないなあ」と頭をなでてやるしかないのだ。

よかったのは塚本晋也と笈田ヨシだろう。失礼ながら塚本晋也がこんなにうまい役者だとは知らなかった。大昔に『鉄男』見たきりで……すいません、『野火』はコワくていまだに見てないんですう(>y<;) 許してー。あの海での処刑の場面には驚いた。CGとは思えないし、ホントにやってるのかdanger 死ぬ~(@_@;)
笈田ヨシは最初の登場場面から目を引く。まあ、彼ぐらいの年季の役者なら当然ですかね。
ガイジン勢ではアダム・ドライヴァーが、あれこの人こんなだったっけ(?_?)と思うぐらいになんだか顔つきが違って見えてビックリ。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でライトセーバーでコンソールぶっ叩いていたヤツとは別人としか思えん。

あと、片桐はいりの老婆とスモウレスラーのような刑吏が登場するところは、数少ない笑う場面ということでよろしいんだろうか(^○^) PANTAも出ていたらしいが、全く分からなかった。

音楽はほとんどノイズか環境音楽か?と言っていいほど、目立たない使い方をしていた。そもそも「音楽」だったのかearも分からん。冒頭とラストの虫の声と合わせているみたいだ。

それにしてもスコセッシはつくづく「青二才」の人物が好きなんだなあと感じた。映画マニアに熱狂的な彼のファンがいるのもこういう点からかと納得した。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月 4日 (水)

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」:情に棹さし意地を通して地に働けず

170104
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:ヴァンサン・ランドン
フランス2015年

失業した中年エンジニアが主人公。邦題の通り見ているとウツになってくるような内容だ。

前半は職探しをする過程が描かれる。時間を費やして資格を取ったが役に立たず、就職セミナーでは自分の子どもぐらいに若い参加者から叩かれる。歳を食っていると融通も利かず、身につまされる(ーー;)
だが、一人息子には障害がありふさわしい学校にやるには金が必要だ。トレーラーハウスを売ろうとするが、見に来た男とはケンカしてしまう。

後半は、これまでのキャリアとは全く無縁なスーパーの監視員になっている。万引きをする貧しい老人、細工して小金を稼ごうとする店員などが出現して、さらに主人公と映画の観客をウツに陥れるのだった。

全体の作りは全くもって劇的ではない。感動させようとか泣かせようとする要素は一切ない。肝心の場面をすっ飛ばして描かない手法(スーパーに就職する過程とか、万引きを発見する場面など)を取り、主人公の顔の表情を見せずに背後から延々と撮る。音楽も付かず、かなりドキュメンタリーぽい作りになっている。

これがフランス本国では大ヒットしたというから驚きである。日本同様閉塞的な社会状況なのだろうか。ただ、日本で同じ内容の映画が作られてもヒットはしないだろうが……。

この映画は『サンドラの週末』に極めてよく似ていると思った。職を確保するために必死に色々な場所へ出かけて回る。結末で主人公が取る行動までほとんど同じと言っていい。
だが、希望と生を強く感じさせた『サンドラ』とは、向いている方向は全く逆である。どうしてこうなってしまうのだろうか。

陰々滅滅な気分の中で、「これからどーすんの~っtyphoon」と主人公の背中に向けて叫びたくなったのは私だけではあるまい。
それでもずっと画面を見ていられるのは主役のヴァンサン・ランドンの演技のたまものだろう。さすがカンヌで男優賞を獲得しただけはある。

ただ正直、主人公の反応はナイーヴ過ぎると感じた。万引き老人の訴えに彼は動揺するが、いざとなれば人間あのぐらいの嘘は堂々とつくだろう。老人は実際には家に小金を貯めこんでいるかもしれないのだ--とか思っちゃったですよ。


全く関係ない話だが、私の隣には若いカップルが座っていた。全くもってデートにはふさわしくないこの映画をどうして選んだのか、そして二人のうちどちらが選んだのか、など聞きたくなってしまったがじっとガマンしたのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月22日 (木)

「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」:アカ勝てシロ勝て

160920
監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン
米国2015年

頑固で元気な父さんと健気な母さん、そして二人の子どもたち--まるで昔の米国ホームドラマのような理想の家族house しかし、その家族には恐ろしい秘密secretがありました。
なんと脚本家のお父さんは共産主義者だったのですう~(> <)キャーッ

でも負けない\(◎o◎)/!
ム所行って仕事を干されても、変名を使って頑張るお父さんを家族は全面バックアップ。湯船に浸かって酒を飲みながらヒスannoyを起こしても、「デートに行くより仕事手伝え」とか言われてもじっとガマンで支えるのであった。

迫りくるはハリウッド・タカ派代表ジョン・ウェイン、元女優ヘッダ・ホッパー……しかし、才能ある者はいつしか不死鳥のように蘇るのだった。

というように、ハリウッドの赤狩りの内実というより、「ハリウッド・テン」の代表的存在D・トランボの人物像と、闘う父を助ける家族の愛情が強調されて描かれている。

そんな頑固オヤジを、TVシリーズ『ブレイキング・バッド」で人気役者となったブライアン・クランストンが魅力的に演じている。(ゴールデン・グローブやアカデミー賞でノミネートも納得)
もっとも後半ではそんな彼も「良き父」「良き友人」ではいられなくなるのだが。
しかし、最後は感動と共に米国の良心として復活するのである。

劇中には、E・G・ロビンソン、カーク・ダクラス、O・プレミンジャーなども登場。ジョン・ウェイン役はあまり似ていない。ヘレン・ミレンは憎たらしい敵役で生き生きとしている。妻はお久しぶりなダイアン・レイン。皆さん、達者な演技である。

懐かしい役者や名画が頻出するせいか、映画館は中高年で満員だった。しかも東京で一館しかやっていないのでなかなか入れなかった。
私の隣に座ったオヤヂさんは、『ローマの休日』とかカーク・ダグラスとか、登場する度に「おお」とつぶやいたり、ウンウンと頷いて、正直うるさかったですよ(=_=)

トランボを素朴な理想主義者(思想的には)として見れば、『ヘイル、シーザー!』の描き方もそれなりに正しかったのかもしれないと思えた。というか、見る順番逆だったらもっと面白かったかも。

赤狩り自体は、思想云々というより「魔女狩り」の様相を呈したのが問題だったように思える。その傷跡は後々まで残り、エリア・カザンのアカデミー名誉賞受賞時にも再燃した。
他の映画人の中には、R・アルドリッチやJ・ロージーのようにヨーロッパに逃走した者もいた。特にロージーは最後までハリウッドを許さず英国から戻らなかった。
そんな暗黒面に思い到ると、この映画もドタバタ喜劇の体裁を取った『ヘイル、シーザー!』と、構造的には変わらないのではないかと思えてくるのだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月11日 (木)

「シチズンフォー スノーデンの暴露」:ドキュメンタリーの顏

160811
監督:ローラ・ポイトラス
米国・ドイツ2014年

「あなたは監視されている」というのが、別に煽り文句ではなく現実であるdanger ということを暴露したその経緯を、逐一記録したドキュメンタリーである。
「日本では全く報道されなかったんで知らなかった」というのをネットで見かけたが、ちゃんと報道されてたぞ(ーー;)

過去に作った作品のため米国へ帰国もままならないドキュメンタリー監督の元へ、暗号メールで接触してきた謎の人物がいた。彼女は英国のジャーナリストと共に香港へ会いに行く。その内部告発者がエドワード・スノーデンであった。

ホテルの一室にこもり、彼は働いていたNSAで行なわれている国民の監視を詳細に語り始める。
国民全員の監視なんてことが可能なのか(?_?)と疑問に思ってしまうが、説明を聞くと実際になるほどと思う。大手のIT企業から情報を貰い、さらには他国の政府(特に英国は貢献度高し。日本は?)も協力しているという。
そしてその告発は遂にTVや新聞といったマスメディアに流される--。

と書くと、ハラハラドキドキみたいだが、スノーデン本人が登場するまではややタルい。彼は明晰な二枚目で、理路整然と話す。実に映像向きである。

全てを覚悟して告発する……はずだったが、あっという間に香港の居場所がばれて出国にも困ってしまい、隠れるようにホテルから脱出する羽目に。予想しなかったのかい(+o+)と突っ込みたくなる。

やがてマスメディアの表に立っていたジャーナリストにもトラブルが起こり、監督にも尾行が付くなど怪しい雲行きとなる。また英国政府から恫喝に近い警告も来る。

映画の最後には責任者としてオバマを指弾する。よくこんなのが作れたもんだ。さすがHBO製作である。おまけにアカデミー賞も取っちゃったのもすごい。

ドキュメンタリーとしての構成はどうかと思うが、題材がビックリなんで欠点を吹き飛ばしているようだ。

それと、『カルテル・ランド』の時も思ったが、こういう密着ドキュメンタリーの場合は対象となる人物が「アップに耐える顔」かどうかというのはかなり重要のようだ。
『カルテル~』の医師や、このスノーデンもそうである。
これからはドキュメンタリーを見る時はその点に気をつけて見ることにしよう。

ところで、「IP電話は受話器取ってなくても盗聴される」って本当かいsign03

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月27日 (水)

「スポットライト 世紀のスクープ」:正統派ジャーナリズムを見よ!

160727
監督:トム・マッカーシー
出演:マーク・ラファロ、マイケル・キートン
米国2015年

カトリックの聖職者による子どもの虐待問題を暴いた新聞のジャーナリストたちを描く。先日のアカデミー賞では作品賞(と脚本賞)を取って話題になった。極めて地味な作りなので、もしアカデミー賞を取らなかったら、日本公開されなかったかも。

見て意外だったのは、あくまでも虐待事件そのものではなく、記者の地道な取材についての描写が中心だったことである。スキャンダラスな所とか派手な表現などは一切ない。
さらにエキセントリックな人物はほとんど登場せず、ほとんどが「普通」の人々である。
だからこそ却って、よほどの優秀な役者が揃ってないと難しい作品だろう。もちろんM・キートンを始め名優揃いなので、しっかりと出来上がっている。
ただ、積極的に褒めたたえたいかというと……うーむ、あまりそういう気にはなれない。正統的過ぎるかなあ。

それから、日本だと教会の権威の大きさというのがよく分からないのが弱点である。その秘密を暴くということの困難さもだ。
教会が頻発する事件を組織ぐるみで隠蔽を図ったというのも大きい。いかなる組織もやはり腐敗を免れないものなのだろうか。

監督は『扉をたたく人』の人だったのね。監督業よりも脚本家としての方が評価されているみたいだ。この作品も別の人が演出やったらどうなったろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月23日 (土)

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」:憎悪・友情・敗北

160723
監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演:クリス・エヴァンス、ロバート・ダウニー・J
米国2016年

見終わって映画館の通路の前を歩いている大学生らしき男子二人が「面白かったけど、話がよくわからなかった」「俺も分からなかった」と話していた。
私はそれを耳にして、クワーっ(`´メ)なんたること、全く今どきの若いモンはしょーもないannoyなどと苦々しく思った。
しかし、家へ帰ってネットの他の人の感想を読んだら、私もまたかなり分かってなかったことが判明したのであった……(+o+)トホホ
それで二度目も見に行きましたよdash

キャプテン・アメリカのシリーズと入れ子状態に公開されている「アベンジャーズ」の前作では、やたらと味方の数が増えてきて「なんじゃこれは?味方のインフレーションか」などと疑問であった。
が今回、その理由が分かった。アベンジャーズがアイアンマン派とキャプテン派に分裂して身内同士で闘うpunchという展開になる。そのための味方増員だったらしい。加えて、アントマン、スパイダーマン、ブラックパンサーも参加という紅白歌合戦ならぬ、豪華面子による鉄米大合戦だったのだ(!o!)

冒頭、キャプテンたちが宿敵を追って激しい戦闘がいきなり展開。しかし、結果は敵の自爆を引き起こし多数の死傷者が出る。このあたりの映像は明らかに911を想起させるものである。
他国で勝手に暴れた揚句に犠牲者を出し、結果はテロもどきとあって、世論が非難轟々状態となるのは仕方ない。
そこでアベンジャーズを国連の管理下に置くという案が出るが、かねてより水と油の対称的性格だったアイアンマンと主人公の対立が深まっていく。なぜなら、一歩誤ればウィンター・ソルジャーのように意志もなく一部の利益のために操られる存在になってしまう可能性はぬぐえないからだ。

結果、米国の正義を体現しているはずの主人公の側が放逐されてしまうのは、皮肉としか言いようがない。
仲間内でもめているうちに、さらに強大な敵が多数出現の危機が明らかにdanger と、その背後には……

……などと物語が進む間にも激しいアクションや戦闘場面が目まぐるしく挟まれて気を取られてしまい、深く考える間もないってのはこのことだいっtyphoon

大義と対立の陰で復讐と怨念が渦巻く。そのどちらにも平和はなく、まさしく現在の世界の混沌をそのまま映しているようである。
主人公とバッキーが二人してスタークをぶちのめしている図など、もはや世も末としか思えない。
かように陰鬱な展開の中で、お笑い担当fujiのアントマンとスパイダーマンの活躍シーンだけが一服の清涼剤の如きだった(^O^)
でも、原作はもっとウツ展開なんだって? 恐るべしよ。

終盤に至るまで両者の対立は解消されず、観客側も一体どちらに肩入れして見ていいのか迷ってしまう。ここには「正解」は提示されていない。
しかも、主人公の内奥はほとんど描かれず(最後にその理由が判明するのだが)スタークの方の心理や行動の方はちゃんと描写されているので、どっちが主人公なのか(^^?)も怪しく見えてしまう。
面白かったのは、ネット上で感想を書いている人も「鉄男派」と「米主将派」にキッパリ分かれていたことである。まあ、元々双方それぞれファンがいるのだが、こうもはっきりと分かれるとは、驚きだ。
と思ったら、なんと監督はわざと観客の意見が真っ二つになるように作ったのだという。なんてこったいsign03 すっかり手の内にはまっておる。

ただ、本作最大の問題点は「米主将ドヤ顔事案」である。CIAの金髪のおねーさん(←最初、誰だか思い出せなかった。前は赤毛だったよね?)と熱烈キスをした後で「どや、やったぜい」と偉そうに、車中で待機してるバッキーとファルコンを見やると、二人はあたかも中二男子の如き下卑た笑いで応じるという場面である。
正直、こりゃ「男同士の絆」案件か。ここだけは全くいただけねえ(-"-)と思った(実際、同じような感想を二、三見かけた)。
しかし二度目に見直してみると、彼女不在歴70年余?のキャプテンが嬉し恥ずかしテヘベロ(^^ゞ状態なのを、友人二人が「まあ、よかったじゃねえか」と生暖かく見守るという印象に下方修正されたのだった。
やはり一度見ただけではよく分かりません。

それから疑問に思ったのは、結末近くでジモがキャプテンに「青い瞳だと思っていたら、間近に見ると青に緑が散っている」なんてことを語りかけてたけどどういうことsign02 狂気を表わすためなのか。

結局、本作を二度見ただけでなく、これまでの「キャプテン・アメリカ」パート1&2『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』も見直してしまった。話がゴッチャになって誰がどこに出てきたのか忘れて混乱したからだ。おまけに勢いで、これまで未見だった「アイアンマン」のパート2&3まで見てしまったよ。ムムム(ーー;)いかん。

再見したら『ウルトロン』と『ウィンター・ソルジャー』の評価はかなり上がった。特に前者については「次作見に行くかはビミョー」とか書いちゃったが、それどころか是非見に行かなくてはなるまい。この終盤がド派手なアクションと破壊場面で、「なるべく市民を助けよう」などと言ってるのはなんだか似非ヒューマニズムっぽいなんて思ってたのだが、こんな展開が来るとは意外である。
とはいえ、あんまり期待し過ぎてもな……(=_=) 以前にも某シリーズでガッカリして映画館の床に倒れそうになったことがある。

「ウィンター~」の方は、最初見た時はよく覚えてなかったのだが、なんと結末近くでキャプテンはバッキーのためにこちらでも盾を捨てているのだねsweat01 なんたる友情に厚いヤツ(号泣)。スタークが、嫉妬の入り混じった恨みがましげな視線で「私も友人だった」(←あくまでも過去形)と言うのもむべなるかなだ。

それにつけても、『ズートピア』といい本作といい、米国製エンタテインメント侮りがたしflairとつくづく感じた。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 3日 (日)

「ズートピア」(字幕版):理想郷に○○はいない

160703
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
声の出演:ジニファー・グッドウィン
米国2016年

ディズニー・アニメの新作は「アナ雪」同様、日本では口コミで尻上がりに大ヒットした。
私はといえば、そんなことは予想だにせず公開初めに急いで見に行った。なぜなら、時期が遅くなると字幕版が終わってしまうのが常である。後からすれば、そんなに焦る必要はなかったのに。

様々な動物が肉食も草食も共存する社会。多民族・人種が仲良く共生し、体格が違おうと完全バリアフリー社会という設定だ。現実の世界で当てはめてみると、公民権運動後に完全に平等になったような感じである。
しかし現実の公民権運動後も差別が残ったように、理想と見える社会にも色々と陰の部分があるのだった。

そんな架空の世界を背景に、ストーリーは往年の快作『48時間』を思わせる、新米警官(ウサギ)と憎めない詐欺師(キツネ)の速成コンビが、ギャグっぽい駆け引きを繰り返しながら事件を追いかけていくというものである。

様々な動物たちがそれぞれの特性に合うように作られた地域にすみ分けながらも共生している様は、エネルギッシュで多様性に富んでいる。

個々の動物の設定や小ネタがおかしい。小さなネズミがマフィアのボス(『ゴッドファーザー』をなぞったセリフを語る)で、巨大なシロクマがその用心棒とか。運輸局窓口のナマケモノのネタは相当笑える。これは米国では現実に免許更新にすごい時間がかかるのをギャグにしているとのこと。
個人的におかしかったのは、ヌーディストクラブの場面。映画の観客にとっては動物が裸なのは普通だから見てて何とも思わない中で、ヒロインのジュディだけが顔を真っ赤にして恥ずかしがっているというギャップが笑える。(それを涼しい顔して眺めているキツネのニックがまたなんとも……)

よくできていると思ったのは、小さなお子様はいろんな動物がウロチョロ登場するしているだけでも嬉しいだろうし、事件の謎の解明は警察ものやミステリ好きに受けるだろう。また、働く若い女性は、努力家の優等生なヒロインが警官になってからの挫折感に共感することだろう(警察署長がジュディに対し、世間の「アナ雪」指向をクサす場面あり)。「OLあるある」みたいな事例がたくさん。--と、様々な面から色々と楽しめる作品だということだ。

また、多数派による差別という社会派な面も大きい。彼女の言動と失敗によって、不断の努力によってのみ、差別なき社会はかろうじて維持されるということが突きつけられるのだった。そして被差別者が同時に差別者になることもだ。
見て誰もが面白がれて、しかも何事かを考えさせられるようにエンタテインメントを作るというのは大したものである。感心したっ\(◎o◎)/!

ラストは警察物の定番としてみると、詐欺師のキツネには「やっぱり俺には性に合わねえや」と警官になるのをやめるのが性格的には合っているんじゃないのと正直思った。しかし、「他人をだますのが本性と思われているようなヤツでも正業の警官になれる」というのがテーマの趣旨だから、これはこれでいいのだろう。

見終わった後で、高校生ぐらいの女の子がニックの事を「ああいうヤツ大好き!すごいカッコイイfuji」と騒いでいたのであった。ニック、巷では大人気である。

ところで、吹替版のキャラクター一覧をたまたま見たら「芋洗坂係長 マイケル・狸山(日本版オリジナルキャラクター)」というのがあったのだけど、もちろん字幕版にはなかった。これってその国に合わせて誰か登場人(動)物を差し替えてあるのかね(^^?) 芸が細かい。

さて、監督が来日した折に「現在の肉食獣は何を食べているのか(^^?)」と某タレントが質問したらしい。監督がなんと答えたか知らないが、作中に唯一登場しない哺乳類とは何かを考えてみよう。
そして、同じディズニー系列のピクサーアニメである『アーロと少年』のワンコ同様の少年の扱いを考えると答えは自ずから明らかになるはず……。

(ーー;)

に、人間?……(>O<)ウギャーッthunder


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月18日 (土)

「ストレイト・アウタ・コンプトン」:成功のち分裂、時々裏切り

160616
長いこと見るかどうか迷っていて、結局ロードショー終了間近になって見に行った。
なぜ迷っていたかというと、私はラップとかヒップホップが非常に苦手impactだったからである。

しかし見てみると、ミュージシャンの成功→分裂→和解の物語としてかなり正攻法な作りであった。
ただし、若い黒人を取り巻く環境は暴力的で、困難を極める。何せLAの街角じゃ集団でたむろしているだけで警察のお縄を頂戴する羽目になってしまうのだから。

彼らのグループNWAが成功するにつれ、待遇の差などが表面化し、メンバーはバラバラになる。一方で、白人マネージャーの長年の不正が発覚する。
ここで疑問だったのは、中心的に描かれているイージー・Eがどうしてマネージャーをあそこまで信頼していたのか、ということだ。ヤクの密売人やってて他のメンバーよりスレていたと思うのだが、他に何か理由があったのだろうか。
生き残ったメンバーが製作に関わっている分、描けなかったことも多数あるのだろうかと思ってしまう。

これを見て、抑圧に反抗する若者の音楽というかつてのロックが担っていたものを、今やラップ・ミュージックが取って代わったのが身に染みてよーく分かった。世界中の若者に受けるわけだ。時代は変わる、音楽も。
もっとも、TVドラマ『エンパイア 成功の代償』を見ていると、ラップ/ヒップホップ界も今や立派なエンタテインメント・ビジネスのようであるが。

それにしてもミュージシャンが成功すると、酒・ヤク・裸のねーちゃんに溺れるというのが人種民族音楽ジャンルに関係なく共通のようなのは困ったもんだ。(別に困ってない?)

マネージャー役のP・ジアマッティはさすがの貫禄。この人、『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』でも似たような役をやっていたけど、完全モードの悪人やら卑俗な弱さをチラつかせる小悪党やら、演技の自由自在な目盛を持っているらしい。
若者たちでは、アイス・キューブの息子が父親クリソツなのが微笑ましい。
ラップの部分はオリジナルを使って吹替えてるのかな?


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月24日 (火)

「スティーブ・ジョブズ」:天才、功多くして愛され難し

監督:ダニー・ボイル
出演:マイケル・ファスベンダー
米国2015年

あらためて言うまでもない天才の伝記を映画化。しかし通常の描き方ではなく、全てを3回の新製品プレゼンテーション開始前の30分間に凝縮させてしまうという荒業である。さすが、脚本アーロン・ソーキンというしかない。

その3回はマッキントッシュ、Next、アイマック--でいいのかな。いずれも、開始時間押せ押せ、試作品が動かない、ジョブズの癇癪などのトラブルに加え、毎回繰り返し同じ人物たちが訪れて同じような押し問答を繰り返し、回想場面も交えて、時間の経過と主人公の変わったところ、変わらないところを浮かび上がらせるという仕組みになっている。

原作は未読だが、ヤマザキマリがマンガ化したのを読んでいると「こいつ嫌なヤローだぜ(-_-メ)」と目つきが悪くなってしまう(特に子供の認知関係)。ここでも彼はまさにイヤさ爆発bomb……ではあるが、娘との関係を見てみると、父親代わりを求める息子が最後に父親になれたという結末がちゃんとついているのだった。
観客は自然にこの変人を受け入れる方向へ導かれるという次第。
ただ、ウォズニアックについては「僕はあんな喋り方しないよ」と言うかもしれない。

他の人の感想で見かけた意見だが、「芝居」っぽいところがある。舞台装置を変えずに三幕物の演劇として上演できるだろう。もちろんウォズ役は客席の中から立ち上がっていちゃもんをつける。ジョブズ役の役者は大変だろうけど。

ケイト・ウィンスレッのオスカー助演女優賞ノミネートは納得である。エンジニア役のマイケル・スタールバーグなど脇もガッチリだ。
字幕はパソコンに無知な人間でも理解できるように気を使っている。担当者はご苦労さんですm(__)m 「ヒューレット・パッカード」が「ライバル社」になっていた。大体にして、ソーキンの脚本は吹替えでないとあの情報量を処理できないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧