映画(タイトル「サ」「タ」行)

2026年3月28日 (土)

「センチメンタル・バリュー」:ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム

監督:ヨアキム・トリアー
出演:レナーテ・レインスヴェ 、ステラン・スカルスガルド
ノルウェー・ドイツ・デンマーク・フランス・スウェーデン・イギリス2025年

結論から言ってしまおう。私のような俗っぽい人間には高踏過ぎた😑 まあ見る前から予想はできたことだけど……。
過去に妻子を捨てた映画監督の父親、演劇の道を歩む姉娘、堅実に穏やかな家庭を築く妹。しかし、母親の葬儀に父が顔を見せたことから日常の小さな波紋が大きな波へと変わる。

姉は才能ある舞台俳優として主役を務めているが、開演直前に逃走しようとして皆が必死で止める。こういうのはコンサート関係では聞いたことがあるけど、演劇でも同じなんですかね(^^? 代役置いといたりしないの?
かつて巨匠と呼ばれた父親が十数年ぶりに映画を撮ろうとして娘に声をかけるのは、才能の枯渇を補うためとしか思えない。しかも映画の内容は自分の母親についてなのだ。当然、娘は断固拒否する。

演劇や映画好きにはハマる題材である。役者たちの好演、慈しむような映像、時折挿入される騙しカット。家から綴られる家族の歴史。既成曲の使い方も印象的だ。
この作中映画がネトフリ作品という設定なのが面白い。よくロゴの使用を許したものよ。

だが、この手の話では年老いた父親と娘が登場して「娘」の方が折れる(父を理解してやる)というパターンが多いのはどうしたことだろうか。そもそも父親と息子とか、母親と娘というのはあまり記憶がない。
偉大な映画監督の母親が突然現れて疎遠な息子に向かって「あんた映画に出て」とか言ったら、どうなるだろうかね。
ということでどうにも気に入らなかったのだった。主要な俳優4人がアカデミー賞候補になったけど、それほどのものかとも感じた。「家」は美しかったけどさ。

アカデミー賞国際長編映画賞獲得、8部門ノミネート。カンヌ映画祭グランプリ。


映画のモデルと俳優という点では互いに食うか食われるかという関係で、非常にバカバカしくて毒々しい『メイ・ディセンバー』みたいなのが気に入っている(感想は書いてない)。

また横暴な父と子ども(きょうだい)の関係を描いたものでは『白い刻印』というのがあった。もう20年近く前に見た映画なので詳しくは覚えてないのだが。
顔ぶれはジェームズ・コバーン、ニック・ノルティ、ウィレム・デフォーという恐ろしいもの。コバーンのコワい親父の重圧に、互いには正反対(長じて警官と大学教授になる)ながら手を取り合って耐え忍ぶ兄弟。その子ども時代が間接的に描かれる。もはやトラウマである。
本作が物足りなかった人には上記2作をオススメしたい。

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2026年1月20日 (火)

「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」:道が幾つあろうとも

監督:フレディ・マクドナルド
出演:イヴ・コノリー
米国・スイス2024年

今年初映画館行きはこの作品だった。題名長すぎで覚えられないのは困ったもんであるが、評判を聞いて面白そうなので行った。

車もろくに通らぬ山中の路上で倒れている男二人、投げ出された白い粉と怪しいカバンあり🆘 仕事中にそこを通りかかった出張裁縫屋(?)の娘はいかなる行動を選ぶのか。
冒頭で早々に三つの選択肢とその後の顛末がそれぞれ示される。さて、どうなるよ--というものである。

軽妙で若干コミカルなタッチで展開するかと予想していたが、そういうわけではなくウツな母親エピソードや強圧的でコワ過ぎる父親が登場したりして、見ているとグツグツ煮詰まっていくような気分になるのだった。
とりわけ第3部はイヤ~な部分が長過ぎて「まだ終わらんのかな」なんて思っちゃった。スイスの山中、あまりに無法地帯過ぎる。恐ろしいねえ(><;)
発想は面白いけど、それに乗っかり過ぎでは? イヤミスが好きな人には推奨。

宣伝文句には「武器は針と糸だけ」とあるが最終的に主人公の役に立ったのかどうかは見てて微妙であった。

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2025年12月24日 (水)

「ジャグラー/ニューヨーク25時」:走る父権

監督:ロバート・バトラー
出演:ジェームズ・ブローリン
米国1980年

1980年公開作を修復版でリバイバル上映したもの。
えらく一部で評判が高くて見に行ったが、今一つノリ切れなかった。多分、B級アクション風を期待していたのだが実際は違っていたからかな(自分でもよく分からぬ)。ヨーロッパの映画作家の影響を論じている人もいるから、そういう感触のせいかも。

まだ小汚くて騒然としていた時代のニューヨーク、ジョギングする人々が多数行き交う中で(あんな治安が悪い中でみんな走ってるのか?)少女が誘拐される。資産家の娘と間違われたのだ。それに気づいた元刑事の父親が走って追いかける。
走って走って走りまくり、道中には妨害する輩がワラワラと湧き上がっては消える。ゲリラ撮影やったのかと思える生々しく雑多、適当っぽいような臨場感である。同時に彼を助ける人々も突然出現する(その気がなくとも結果的にそうなった者も含む)。

彼が通れば車が壊れ、ドライバーが倒れ、銃撃戦が起こる。犯人よりも主人公が通った後の方が被害が大きいような混乱ぶりだ。その直進の歩みが止まってグルグルと円形の動きになる覗き部屋のシーンが笑える。

映画はこの父親がDV気質を持った男であるのを全く隠さない。こういうところがいかにも時代である。現在だったらこのままではヒーロー不適格だろう。しかし今の世に不満を持っている人間は彼に快哉を送るかもしれないね。
一方、犯人は冒頭から社会への不満を持つ男として登場するが段々と『サイコ』っぽい言動をして、最後にはロリコン野郎へと正体を現す🆘 しかも少女が自己肯定感が低い子どもだと分かるとそこに付け込んでくるいやらしさ。キモイよ~、コワいよ~(~o~;)
彼の主張はまさに排外主義と陰謀論である。今の日本と同じではないか。東京も当時のニューヨークのようになるんだろうか。それとも人口減少で廃墟となるのか。

父親は走って走って突撃して全ての障害を撃破する。その意味ではストーリーと手法が完全一致しているといえる。しかしどうも見終わってスッキリしないのはなぜだろうか。
疾走しまくり突進するその姿に何やら父権主義の香りが漂ってくるからかもしれない。

暴走タクシー運転手役で若いマンディ・パティンキンが登場。
マリアは「若くてキレイなおねーさんを一人ぐらい登場させなくちゃな」枠に思えたが違うかしらん。

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2025年12月20日 (土)

「ズートピア2」(字幕版):蛇皮の男

251219 監督:ジャレド・ブッシュ、バイロン・ハワード
声の出演:ジニファー・グッドウィン
米国2025年

年末最大のお楽しみ作はこれだっ。
前作から約10年も経っているとは信じられねえ。歳月の経過が速すぎだー。もっとも作品内ではわずか一週間後の話になっているんだけど……。

前作では晴れて警官となった真っ直ぐな田舎娘のジュディを、すれた都会派詐欺師のニックが引っ張り回すという感があったが、今作は逆転してジュディの爆走にニックが引きずり回されるのであった。

動物たちが暮らす楽園「ズートピア」--といっても爬虫類はいない。その理由はなぜなのか?という謎の根源に二匹がドタバタと転がり込んでいく。
平等と共生の理想と見えた国家の成立の背後に、暗い策謀と差別の影が存在するとはよくぞ描いたものである。感心したっ。

とはいえ次から次へと事件が起こって既に序章だけで情報量いっぱい。ここまで詰め込まなくても……と思うがぜいたくな悩みであろうか。字幕版だから余計に目が追い付かない。老化してきた脳ミソにはスピードが速すぎである。上映時間が長くないのはいいけどさ。
おまけにパロディもたくさん入っているようだ。「ようだ」というのは自分ではほとんど分からなかったせいで、「カールじいさんの杖」とか出されても覚えてないわい。一方、なぜそこで『シャイニング』😦などと驚いたりもする。

それにしてもあの市長、ラストの「豹変ぶり」は調子が良すぎないかね。それとまだ事件が片付いてないのに、長々と二人(二匹)の関係について自省の会話をしているのはいかがなものか。
ジュディのドレス姿かわいかった。特に耳が丸まってるところ(*^^*)
既にパート3も並行して作っているって本当か? まあ、どうせまた見に行くけど。

すっかり忘れていた前作のリアルタイム感想を貼っておく。
最初のうち日本ではそれほど評判がパッとしなかったところや、ニックがエラい人気だったことなど。

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2025年12月 2日 (火)

「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」:明日なき迷走

監督:スコット・クーパー
出演:ジェレミー・アレン・ホワイト
米国2025年

私がかつて買った(リアルタイムで💦)スプリングスティーンのアルバムは「ザ・リバー」と「ネブラスカ」の2作だけである。現在はファンというわけでもなし、スプリングスティーンの映画をやると聞いた時に見ようかどうか迷っていたが、まさにドンピシャでその時期の彼を描いているということで、これは見ねばなるまいと行ってきた。

アルバム「ザ・リバー」の成功、ツァーも終了で新作への期待が周囲で高まっていく中、彼が地元の町に戻って一人で家に住む。--のだが、私なんか「こんな大きな家で一人で暮らすって、料理作ったり掃除したりって誰がやってるのかしらん」などと余計なことを考えてしまうのだった。
それはともかく、出来上がったのが最初は雑なデモテープのつもりでソロでカセットテープに録音した「ネブラスカ」だった。音質がひどいこの録音に彼は固執してそのままアルバムにすると主張をし、録音スタッフに無茶を押し通す。まさにスタジオの調整卓をガシャーンとちゃぶ台返しせんばかりの強引さである。

「ネブラスカ」と言えば内容は暗い😑つらい⚡苦しい💀の三連発。ロックが巨大産業化した時代だったから、アコースティックで暗~い内容のアルバムを出すのはただ事ではなかっただろう。おまけに宣伝もツァーもしないと主張する。
その背景には彼の精神状態の問題があったということが明らかになってくる。

マネージャーのジョン・ランダウ(ランドー?じゃないのね)の献身が非常に大きく、彼が変な医者を連れてきたり、儲けをかすめ取ったりするような悪徳マネージャーじゃなくて本当によかった(^^)
少年時代の家庭の不和については知らなかった。それは成長してからも彼の行動や対人関係に影をもたらす。

主役のジェレミー・アレン・ホワイトは素ではとてもブルースに似ているとは思えなかったのだけど、映画で見てみると表情や動作が当時の彼ににそっくりで驚く。さらに終盤で魚の死んだような目つきで登場した時は、役者とはすごいもんだなと感心してしまった。
マネージャー役のジェレミー・ストロング好サポートであった。

ただ全体的には「女無用の男たちの絆」っぽい面があるようにも思えた。うがち過ぎであろうか。
監督のスコット・クーパーは音楽ものでは『クレイジー・ハート』(未見)を作った人だそうだが、私が最近見たのは『荒野の誓い』『ほの蒼き瞳』という歴史ものばかりだったので意外に感じた。
「ネブラスカ」がマリックの『バッドランズ』に影響を受けた場面が描かれているが、それよりも『狩人の夜』が大きく取り上げられていたのは驚いた。
R・ミッチャム扮するあの恐ろしい悪党が自分の父親に重なって見えるとは、そりゃ正気ではいられないはずである。

なお作中で使用していた4トラックの録音機はティアック、カセットテープがマクセルである。今は昔の日本オーディオ産業の最盛期ですかね。

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2025年11月25日 (火)

「罪人たち」:悪霊の盆踊り

監督:ライアン・クーグラー
出演:マイケル・B・ジョーダン
米国2025年

♪チャンチャカチャンチャン♪
夜更けに勝手口からゴミ捨てに外へ出ると、威勢のいい音が聞こえてくる。
「盆踊りの練習か?」
いくら町はずれとはいえこんな時刻である。一体どこのどいつがやっているのか。つい音のする方向を覗き込んでみると……。
「で、出たぁ~👻」
あわてて家の中に戻りドアをピシャリと閉めて鍵をかけた。


時は1932年、第一次大戦で従軍していた黒人の双子の兄弟が、シカゴでヤバイ金を稼いでミシシッピの故郷に戻ってくる。そこで酒場をやろうと友人縁者を誘って準備を着々と始める。
さらに二人の若い従兄弟は厳格な牧師の息子ながら才能あるギタリストで、彼にも声をかけるのだった。

そもそも、いずれの宗教かを問わず厳格な信仰の下では酒と並んで音楽は正気を失わせるものでありタブーとなっている。そこに悪魔が付け入るスキがある。
気付けば死ぬまでに聞き終えることができるのか分からないような巨大CDボックスセットをポチってしまい、後悔してももう遅い。届いた箱を運び入れ、置き場所をなんとか見つけ出しては一安心し、また新たな獲物を探して--。
ん? そういう話でははない(>O<)

音楽🎵酒🥃ダンス💃が時空を超えて炸裂し、なぜか吸血鬼はびこるホラー話へとつながっていく。コワいものが登場するが、全て音楽がらみなのが面白い。そして差別と搾取の深層へと誘う。
その、時代が入り乱れるダンスシーンにまず目を奪われるが、民族対抗歌&ダンス合戦にも驚いた。「ロッキー・ロード・トゥ・ダブリン」には笑ってしまった😇

ホラーは苦手なので見ててギャーと叫びたくなり、座席の上で落ち着かず逃げ出したくなった。しかし最後にはなんだか悲しくなってしまった。仲間はいなくなり、肉親とは絶縁し、壊れたギター握りしめて、それでも故郷を捨てて行くしかない。悲しいではないですか。そしてその背後には音楽の悪魔が存在する。
それにしてもよくこんな話を考えたものよ。監督・脚本のライアン・クーグラーには驚かされた。

双子役でマイケル・B・ジョーダンはファンには二倍増しのサービスか。ギターを弾きまくる若者役のマイルズ・ケイトンは才能あり。その他意外な人物のゲスト出演も。
この時代の音楽的背景についてはP・バラカンあたりに話を聞きたいところだが、でもホラーは見ないだろうな……。

 

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2025年10月 1日 (水)

「シンシン/SING SING」「カーテンコールの灯」:幕が下りてから幕が上がるまでの間

250930a ★「シンシン/SING SING」
監督:グレッグ・クウェダー
出演:コールマン・ドミンゴ
米国2023年

アカデミー賞主演男優賞候補シリーズ5作目(過去記事で数え間違いしていました(^^ゞ)。
悪名高きシンシン刑務所で演劇による更生プログラムに取り組む男たちを描く映画である。出演者のほとんどが自らを演じる受刑者という虚実合わせた配役--撮影に参加しているということは正確には「元受刑者」ということだろう。(ただし主役のコールマン・ドミンゴを除く)
生まれついての悪党のような男と、無実の罪で獄中にいる主人公の生き方がそこで交錯していく。

プログラムでは外部の演出家兼脚本家を指導者として招いているが、読書家のGはその補佐役のような役割を果たしている。しかしム所内でヤクをさばいているような悪党アイがなぜか参加してきて、悲劇より喜劇がいいと言いながらハムレット役を希望するなど周囲をかく乱する。
Gが、自らについて「ニガ」という言葉を使うアイに対し「ニガではなくてブロ(兄弟・相棒)と言え」と忠告する場面があるが、終盤に至ってこれが効いてくる。

閉ざされた空間、塀の中の片隅に観客も潜んで彼らを注視している気分にさせられるのは間違いないだろう。
彼らが演じているのは役なのか彼自身なのか。役者としての巧拙に関係なく、虚実の狭間を突き抜けていくことこそが演技だと感じられる。そういう意味では「演劇」の神髄に迫っているといえるだろう。

とはいえコールマン・ドミンゴはお見事。主演男優賞候補は当然といえる。アカデミー賞では他に歌曲賞、脚色賞がノミネートされた。
以前見た、やはり刑務所での演劇プログラムを元にした『塀の中のジュリアス・シーザー』の感想を貼っておく。なお記事の中に出てくるニック・ノルティが主演したのは『ウィーズ』(これも実話)だった。


250930b ★「カーテンコールの灯」
監督:ケリー・オサリヴァン、アレックス・トンプソン
出演:キース・カプファラー
米国2024年

米国郊外の街、工事作業員として働く中年男がなぜか路上で突然誘われて素人劇団に参加する羽目になる。
演目は『ロミオとジュリエット』。しかしとある理由で、団員はさらに減っていってしまう。
一方、男は何かいつも鬱屈を抱えていて不安定なようである。外からはうかがい知れぬ彼とその家族の背後にあるものが、芝居のリハーサルが進むにつれ浮かび上がってくるのだった。そして上演当日、幕が上がる。
最後にはジンワリ涙がにじみ出てくるという次第である。

演劇が個人と集団の交流に関わり、自己回復に寄与するという点では『シンシン』と共通点がある。演劇はそういう力を持っているのだろうか。
ここで『ロミオとジュリエット』は最終的に50代(?)の中年が2人を演じることになるのだが、あら不思議✨ 舞台の上では十代の恋人たちとして全く違和感がない! これもまた演劇のマジックではないか。
現実と虚構の間を通り抜けていく何かがそこに確実に存在するのだ。

主人公が自分の娘に頼んで『ロミオとジュリエット』のDVDを見せてもらうのだが、その時に彼女が「昔の映画よ」と言ったので、私はてっきりオリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティング(当時女子に人気ありました)版だと思った。だがなんと⚡レオナルド・ディカプリオとクレア・デインズの方だった。ショックであーる。
バズ・ラーマン版は1996年だから今の高校生だったら生まれる遥か前だ。確かに「昔の映画」に違いない。
しかし(ー_ー)!!映画でなくて演劇だったら、この作品のように現在のディカプリオとデインズがやっても問題はない。そこに映画との違いが如実に示されている。

団員の個性的すぎる面々が面白い。特にドリー・デ・レオンという女優さん、最初に主人公に声をかけた時はどう見ても「ガサツなオバサン」だが、後半では可憐なジュリエットに見えるのがすごい。役者というのは恐ろしいもんだのう。

難としては、「全てをロミ・ジュリに寄せ過ぎ」という批判があるが当たっていると思う。もう少し何とかひねってほしかった。
それから、奥さんを放っておいてまず自分だけ立ち直るのはどうなのよという疑問も感じられた。


なお原題の「ゴーストライト」というタイトルは、ラストになってから小さい文字で登場する。聞いたことのない言葉だが、演劇用語で公演がない時にステージの上に一個だけ灯しておくライトということだ。安全のためと悪霊除けの二つの用途があるとか……初めて知った(~o~)

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2025年8月24日 (日)

「ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた」:天才少年と呼ばれてはみたものの

250824 監督:ビル・ポーラッド
出演:ケイシー・アフレック
米国2022年

30年も前に農地の片隅に作ったスタジオで十代の兄弟がロックアルバムを制作、しかし結果は鳴かず飛ばずで終わる。それが突然ネットで脚光を浴びて再評価。ツアーの話まで出る。これが実話というのが驚きだ。

天才と呼ばれたが期待に応えられなかった主人公は優しい父や兄に引け目を感じている。その鬱屈がときおり暴発する。
でも、父親は贅沢なスタジオなぞ作ってやらずに「ロックなんてくだらんもんやってんじゃなーい(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン」と投げ飛ばしてやれば却ってよかったかも、なんて思っちゃった。
結論は「才能よりもやる気が肝心」ということなのかね?

才能の差を感じる兄は天才の傍らにいる苦悩を示す。それぞれ演じているボー・ブリッジスとウォルトン・ゴギンズ(あと主人公の若い頃の子役も)の演技が素晴らしいだけに、主役のケイシー・アフレックの「可もなく不可もなく」感が高まってしまった。

演出と脚本は過去の描写に曖昧なところがあって現在とうまくつながってないように思えた。
しかし同じ監督の作品で、ブライアン・ウィルソンを主人公にした『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』もそんな感じだったなあと、後から思い出したのであった。

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2025年7月30日 (水)

ヒーローの明日はどっちだ「キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド」「サンダーボルツ*」

250730 ★「キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド」
監督:ジュリアス・オナー
出演:アンソニー・マッキー
米国2025年

これから新展開となるらしいMCU。「キャプテン・アメリカ」は代替わりして映画としてはその一作目である。しかしここに至るまでの間の話は、ディズニープラスでドラマを見てくれよな……と言われても加入してねえよっ(>O<)

内容的にはスティーブからサムへのキャプテン・アメリカ跡目相続事案と、クリス・エヴァンスからアンソニー・マッキーへという役者交代を重ね合わせて、観客の認定を求めるという趣向だろうか。
映画の出来とは関係なく、思わず最後には頑張れサム✨いいぞマッキー🌟と応援したくなるのは必至であった。
ただスーツの中は普通の人、というのは派手なアクション展開をする場合にどうなんでしょうねえ。宇宙の果てで大暴れというわけにもいかず。地上限定政治陰謀もの路線で行くのだろうか。

問題は過去作の『インクレディブル・ハルク』を見てないと話がよく分からないということ。2008年作で確かあまり評価されなかったような……。その時のウィリアム・ハート扮するロス将軍は後もMCUのシリーズにちょこちょこ顔を出していたが、彼が亡くなってしまい代わりにハリソン・フォードが登板。ハートの時は卑劣な冷血漢だったけどフォードは頑固おやじという印象で、かなりキャラクターが異なる。
私は今回たまたまケーブルTVのオンデマンドにあったから見られたが、今作の彼の行動の動機はこれを見てないとよく分からないのではないか。十数年前に見たきりだったらとても覚えていられないだろう。

ということで、「キャブテン・アメリカ」や「アベンジャーズ」の未来はどうなるよ❓という不安を抱かせる出来であった。


250730b ★「サンダーボルツ*」

監督:ジェイク・シュライアー
出演:フローレンス・ピュー
米国2025年

あまり期待しないで見たらなかなか面白かったというパターンの映画だった。『ブラック・ウィドウ』の面々を中心にバッキーが出張出演している。
テンポ良くサクサク進み、過剰に近いシニカルなギャグと泣かせのバランスがうまく取れている。F・ピューはドスの効いた低音の声が心地よく主役をしっかりと担っていたし、バッキーはカッコよかった。

こちらもやはり『ブラック・ウィドウ』やTVシリーズ見てないと「この人誰?」状態になるのが難である。見てても忘れちゃってると冷汗ものだ。見る前の予習復習が必要って、なんだかテスト勉強みたいじゃないの。
SNSでは過去の「○○」と同じ話ではないかという感想が複数の作品名と共に上げられていた。例えば『もののけ姫』と言われれば確かにそうだ⚡と思っちゃう。
それと驚いたのが、某メンバーが金髪になって登場した場面はドラマの『ザ・ボーイズ』そっくりだったこと。自らのパロディ作品をまたパロディし返したということか。

今後についてはてっきりこの面子で別のシリーズを作るのかと思ったら、どうもそうではないという噂もあるようだ(?_?)
もしかしたら「キャプテン・アメリカ」あたりで危機的状況になった時に「助っ人たち」としてチョロっと出没するという形なのかね。

いずれにしてもヒーローたちの明日は全く占えないのであった。
もう、どうにでもなれ~ポイ(ノ ̄ー ̄)ノ

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2025年7月17日 (木)

「セプテンバー5」:苦しみも悲しみも生中継

250716 監督:ティム・フェールバウム
出演:ピーター・サースガード
米国・ドイツ2024年

1972年ミュンヘン五輪で起こったイスラエル選手団の人質事件。過去に何度も映画の題材になったが、本作はTV報道という面に限定して描いている。
当時は衛星中継の黎明期で米国でもABC局だけが試合を生中継していた。そこで事件発生したことで、結果的に9億人の人々が事件を同時に目撃することになったのだった。

そもそもはテロリストが選手団の一人を殺害し11人を人質に立てこもってパレスチナ人囚人の釈放を要求するという事件が発生。
なにせ全てが史上初なので、米国本国の報道部との縄張り争い、他局と放送時間の奪い合いあり。選手に化けて選手村に出入りする。また、犯人を何と呼んだらいいのか、万が一流血場面があってもそれを家族がいる米国で放送していいのか--などなど様々に懸案事項が畳みかけてくる。

中心となっているのは、同時中継初期の混乱と戸惑いである。驚いたことに場面は中継スタジオの調整室や作業場の中だけで進み、映画のカメラが外に出ることはほぼない。外部との連絡は固定電話かトランシーバーのみ、携帯電話やネットが存在する現在とは全く異なる。情報が錯綜しても瞬時に決断しなければならない。
使われている機材も当時のものが完璧に揃えられているそうな。

もう一つの特徴は、事件の不手際がドイツ側の政府や警察の責任であるということが強調されていたこと。どうせイスラエル寄り、パレスチナ非難の内容だろう--と本作を見るのを避けた映画ファンもいたようだが、作中ではそこら辺の言及はあまりなくササッと通り過ぎていた。(それがいいことかどうかは別として)

脚本と編集テンポよし。P・サースガードをはじめ役者は地味に徹し、完全に実録ドキュメンタリー風を貫いている。舞台が限定されていても、ものすごい緊張感だった。95分という短さが信じられないほどに見ごたえが大きかった。
ドイツ人女性通訳、どこかで見たと思ったら『ありふれた教室』の教員役だった。
今年のオスカー脚本賞候補。

パレスチナとイスラエルの関係はこの時から半世紀が経過しても、全く変わっていないことは暗澹たる気分になる。
この映画は2023年秋の事件より前に製作が始まってただろうから、余計にそう思えた。
それにしても、かなり重要な場面が予告に入っていたのはどうしてくれよう(`´メ)

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